NOBUの独り言日記

暇にまかせて、つまらないことを呟いています。

君は誰だ

2023-01-25 14:34:17 | 日記

木枯らしの吹く冬の日

男が二人歩いている

男たちは何も語らない

コートを着た男たちは

黙ったまま歩いていく

 

お互いに顔も見ない

吹きすさぶ風に

コートの襟を立てながら

黙って歩いていく

 

どこへ行くのか

二人はわかっている

死ぬのだ

俺たちは死ぬのだ

 

でもそれは悲しいことではない

二人ともそれを望んでいる

死は俺たち二人に親しいのだ

俺たちはそれを望んでいる

 

こうやって歩いていけば

その先には何かがある

俺たちが手に入れられなかった

何かがある

そのために死ぬのだ

 

歩いている一人は俺だ

もう一人は誰だ

ひどく懐かしい

愛する友よ

君は誰だ

 





赤い屋根

2023-01-18 11:50:34 | 日記

福島県の会津地方に行くと、赤い屋根の民家が目立つ。トタン屋根で、茅葺屋根のような懐かしさは無いものの、その赤い屋根はなんとも旅情をそそる。今回アップしている版画も奥会津の風景である。

 

なぜ赤い屋根なのか? 太陽光の熱を吸収しやすい、さび止めの効果がある、安価である等種々の説があるようだが、雪の多い地方では赤い屋根の民家がよくあるようだ。島根県の石州瓦も赤い色だが、焼成温度が1200度以上と高いため凍害に強く、日本海側の豪雪地帯や北海道などの寒冷地方で多く使われているらしい。

 

屋根を見るのは面白いが、日本の屋根は多様である。民家に多い茅葺屋根、樹皮を使った檜皮(ひわだ)葺き、薄い板を使った杮(こけら)葺き、重厚な感じの瓦屋根、珍しいものでは石屋根もある。

 

屋根の形の美しさから言えば、何といっても神社仏閣の屋根であろう。檜皮葺きや瓦屋根が多いが、清水寺本堂(檜皮葺)や東本願寺太子堂(瓦屋根)等その重厚さ、曲線の美しさは見事だ。

 

茅葺屋根は昔の民家の代表的なものであるが、その茅葺屋根にもいろいろな形がある。南部の曲り家、白川郷の合掌造りは有名であるが、ほかにも兜造り、つのや造り、中門造り、切り落としセガイ造り、押し上げ二階造り等その形は多様である。しかし、その茅葺屋根も今はわずかに残るのみ。写真や絵画の中でしか見られなくなってきているのは悲しいことだ。

 

山本俊成の木版画です




 


3畳1間

2023-01-11 14:52:42 | 日記
若い頃、3畳1間のアパートに住んでいたことがある。トイレも台所も無く、本当に畳3畳分の部屋であった。物が置けないから、部屋にあるものといったら、布団とラジオくらいであった。

 

2階の部屋で、窓を開けると中央線の高架が手の届きそうな所にあった。電車が通ると、部屋中にその音が響き渡った。最初はうるさく感じたが、間もなく慣れた。国鉄のストで電車が止まると、あまりの静けさに落ち着かなかった。

 

当時の仕事は、健康食品の卸会社のアルバイト。サメエキスとか減塩醤油とかそういった類のものを都内の有名百貨店の健康食品売り場に届けていた。幌付きのトラックに瓶詰の重い荷物を積んだりするので、そこで働いている人の半分以上は腰を痛めたことがあった。

 

仕事が終わると、駅前の屋台で焼酎を2~3杯、焼き鳥、ニンニク、銀杏の実等串焼きを食べて、串の本数で代金を支払った。飲んだ後は、アパートに帰って寝るだけだった。

 

ある日、アパートに警察が来た。このアパートで盗難があったらしい。「盗まれた物はないか」と聞かれたが、盗まれるようなものは持っていない。しかし、よく見てみると目覚まし時計が無くなっていた。何にもない部屋から、泥棒は安っぽい目覚まし時計を持っていったようだ。

 

犯人は、2階の奥の部屋に住む男で、警察が調べたところ、女性の下着がごそっと出てきたそうだ。私はパトカーに乗せられ、警察署に行って、簡単な事情聴取と、捜査のために必要だと言われ、指十本の指紋を取られた。目覚まし時計は戻ってきたが、私の指紋は今も警察に残されているのであろうか。

 

 
久里洋二のシルクスクリーンです
 



雪の思い出

2023-01-03 14:20:06 | 日記

今冬の日本は雪が多い。北海道や日本海側では記録的な大雪で、死者まで出ている。そうした地域の人々にとっては雪は厄介なものであろう。

一方、私の住んでいる地域では、昔に比べ雪の量は少なくなってきているようだ。私の子供のころは、20~30センチ積もることも珍しくなかったが、最近は積もったとしても10数センチといったところだ。

 

私が小学校低学年のある朝、起きるとかなりの雪が積もっていた。私はひとりで小学校に向かった。通学路は歩くには問題なかったが、周りの田んぼは一面の雪の原になっていた。私は通学路を外れ、雪の積もった田んぼを横切ることにした。誰の足跡もない田んぼの雪は私の膝くらいまで積もっていた。歩きにくかったが、真っ白な雪の中を進んでいく喜びのほうが強かった。途中段差があり、危うく転びそうになりながら、なんとか数10メートルを渡りきった。再び通学路に出て振り返ると、田んぼの雪原は私の足跡を残したまま光輝いていた。

 

もう一つ、雪にからんで心に残っていることがある。何年か前のNHKの番組で70歳を過ぎた女性が車一つで各地に出かけ、軒先や空き地で「茶事懐石」を催し、近所の人にふるまうのを見た。四季折々、地元の食材を使った料理とお茶、それこそ一期一会の茶事懐石は、多くの人に茶事懐石を知ってほしいということのようだが、体の不調も顧みず各地を回る姿は修行僧のようでもあった。ある時は雪の野原に席を設け、客を待つ。来たのは女子高生だったと思う。主の女性はきちんと和服を着て、初めて茶事懐石を味わう姿をやさしく見つめる。その姿は凛として美しく、今も心に残っている。あの女性は今どうしているのであろうか。

 

坂本好一の銅版画です