カフェの1階を貸し切った会場で、友が歌を歌っている。
古希を過ぎた彼が、最初で最後かも知れない歌の発表会を開いたのは、歌を習っていた先生が背中を押してくれたからとのこと。癌で余命宣告され、手術ができず、抗がん剤治療を受けている彼が、生きた証として企画したらしい。聴衆はごく親しい知人のみで、約30名。
抗がん剤の影響を隠すためか、帽子をかぶり、椅子に座ったままのコンサートながら、歌う声には張りがあった。若い頃聞きなれた声とは、幾分違っているものの、最近も1週間入院していたとは思えない声であった。
私は、一番後ろの席に座り聴いていたが、歌う彼の姿を見ずに、壁に掛けられた絵ばかり見つめていた。歌は、英語の歌詞のものも含め、よく知られたものであったが、私には歌ってほしいものがあった。学生の頃、彼とよく歌っていた拓郎の曲であった。「マークⅡ」や「雪」「ある雨の日の情景」など、拓郎の曲の中では幾分マイナーな曲。「ある雨の日の情景」では彼がギターを弾いて主旋律を歌い、私はハモるよう促されたが、どうしてもうまくハモれなかった思い出がある。
そんなことを考えながら、聴いていると、私の隣に座っていた彼の妻が「今日は生き生きしている」と小さく呟く声が聞こえた。
コンサートは盛会の内に終わり、帰り間際、私は「次回またな」と言ったが、彼は笑っているだけで、答えなかった。
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