「マルタ」・「アジアの犠牲者」の叫び!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
●「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者得させることで、犯罪隠しににおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』の“戦後日本”より常石敬一著:講談社現代新書:1995年)
※日本の敗戦直前、天皇は国体護持に執着するあまり、停戦を遅らせてしまった。そのため、日本国内では、原爆をはじめ空襲などによって多くの死者を出した。
また、戦後昭和天皇は、占領軍の最高司令官マッカーサーと取引して、国体(天皇制)を維持することに腐心した。
戦前・戦中と大元帥として大日本帝国に君臨し、戦争を指揮していた最高責任者は、敗戦と同時に、戦争責任をすべて東条はじめ軍部に押し付けてしまった。
731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。それ故、敗戦直前、ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く証拠隠滅をはかり、731部隊を日本へ戻した。これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに731で得た研究成果をアメリカに売り渡した。その結果、東京裁判では取り上げられず、国民も長いこと731のことを知らなかった。
密約の存在は1986年に破綻したが、日本政府は常石氏によれば731の存在と蛮行を認めていないという。(1995年現在)現在の政府の見解は私には分からない。(ただ今問い合わせ中)
これも天皇制を守るために。(ノブ)
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
Ⅴ 朝日のぼる
生体解剖はあったか(赤沢証言)
私は解剖ばかりでなく、ミクロトームまでやらされた。リンパ腺、胃、腸、肛門、ホルデン(睾丸)にいたるまで、すべて検定した。だから、解剖は手段であって、病理検査が目的である。だから解剖班とはいわず、病理班というわけである。
とにかく、組織検定が大変な仕事であった。解剖は執刀者、助手、記録と組を作って、普通4人から6人で編成される。1件につき、2時間はかかる。脳解剖は特に神経を必要とした。耳の裏からメスを入れ、のこぎりで切るのだ。慣れてくると、脳を傷つけることはない。頭から大脳、小脳、脳髄を取り出す。また、脊髄を引き出すこともしたことがあった。
私は女のマルタを解剖したことはないが、亡くなった看護婦の解剖はやった。731部隊では、すべて死んだら解剖に処せられることを承認する一札を入れてある。日本女性の解剖の場合は、下半身を白い布でおおい、男性の場合は日本人であっても、肛門からホルデンまで解剖するが、日本女性の場合は下半身の解剖はしなかった。
マルタ解剖でもっとも気を使ったのは、生菌の汚染であった。そのため、夏でも防菌着を着る。防菌着は絹地にゴムの裏打ちがしてあり、つなぎ服になっている。それにマスク、帽子、メガネ、長靴といういでたちである。外気は一切遮断するので、汗が流れ落ちて長靴にたまる。メガネをかけるのは、眼から最も汚染されやすかったからである。(明日に続く)
※日本人も死んだら解剖の実験台にのぼった。男女を問わずである。その目的がよく見えてこないが、さまざまな目的を考えていたのだろう?解剖の技術を上げるため?空恐ろしい!!
マルタの人は、細菌に感染させられたり、ガス実験にされたりして苦しんで死んだ後の解剖もあったが、生きて解剖された場合もあったろう!!(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
父や母の被害
姜根福(男、54歳)の証言
その時ちょうど日本軍が10人足らず土手からやって来て、泣き声のする方を探し、母を見つけるや、引っ張り出して強姦しようとしました。母は弟を抱いたまま反抗しましたが、人間性の一かけらも無い日本兵は、母のふところから子どもを奪って、力任せに地に投げつけました。母は泣きながら投げつけられてもう死んでしまっている小さな弟にかぶさり、日本兵は後ろから銃を2発撃って、母を撃ち殺しました。日本軍が行ってしまってから、父は板とむしろとを少し探してきて、母と小さい弟とを芦葦の岸辺に埋めました。もっと安全な場所は見つからなかったので、芦葦の茂っている所にずっと隠れていました。3日目に、日本軍が父を見つけて、捕まえて行き、それからは杳(よう)として音信がありません。また2日したら、日本の賊がまた芦葦の茂みにやって来て、12歳の2番目の姉を見るや、何と強姦しようとしました。姉は走って逃げ、今の河運学校の近くまで逃げた所で、捕まってしまいました。姉はわめくやらけるやらして日本軍と懸命に闘いましたが、日本軍の一人が軍刀を抜き放って、姉を頭から真っ二つにしました!こんな風に何日かの内に、日本軍は母を銃殺し、弟をたたきつけて死なせ、姉を二つに斬り殺し、父をもまた捕まえて行って、私をして家を無くし肉親を失わしめ、姉弟4人をして寄る辺無き、衣食に事欠く、何年もの流浪生活を余儀なくせしめたのです。(彭如清が記録)
※父母、姉・弟を失い、その精神的なショックも大きかっただろう!!
また、その後の生活は戦争が続き、姉弟だけで生きるのは、本当に大変であったろう。
日中戦争の後は、国内の内戦があったから、混乱で国からの援助も何もなかっただろう!!
戦後60余年経っても、加害国日本は被害者個人の生活は何も補償していない!!
驚くことに日本国内では"南京大虐殺はなかった”たぐいの本が書店に平積みされている!!
(ノブ)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
想像してごらん、
ひとりひとりの安全を
大事にする世界を。
Imagine,
A world that values
the safety of
each and every human.
政府と政府とのあいだにではなく、人と人とのあいだに平和をつくる事が
大切だと思います。人と人とのあいだには、文化があり文明があります。
政府が変わっても、人間の文化や文明は変わりません。
私はイラク人として、日本の人たちとイラクの人たちの間に
平和をつくりたい。それが私の理想です。
(イラク/男性)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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「日の丸」・「君が代」反対!!
新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
●「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者得させることで、犯罪隠しににおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』の“戦後日本”より常石敬一著:講談社現代新書:1995年)
※日本の敗戦直前、天皇は国体護持に執着するあまり、停戦を遅らせてしまった。そのため、日本国内では、原爆をはじめ空襲などによって多くの死者を出した。
また、戦後昭和天皇は、占領軍の最高司令官マッカーサーと取引して、国体(天皇制)を維持することに腐心した。
戦前・戦中と大元帥として大日本帝国に君臨し、戦争を指揮していた最高責任者は、敗戦と同時に、戦争責任をすべて東条はじめ軍部に押し付けてしまった。
731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。それ故、敗戦直前、ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く証拠隠滅をはかり、731部隊を日本へ戻した。これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに731で得た研究成果をアメリカに売り渡した。その結果、東京裁判では取り上げられず、国民も長いこと731のことを知らなかった。
密約の存在は1986年に破綻したが、日本政府は常石氏によれば731の存在と蛮行を認めていないという。(1995年現在)現在の政府の見解は私には分からない。(ただ今問い合わせ中)
これも天皇制を守るために。(ノブ)
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
Ⅴ 朝日のぼる
生体解剖はあったか(赤沢証言)
私は解剖ばかりでなく、ミクロトームまでやらされた。リンパ腺、胃、腸、肛門、ホルデン(睾丸)にいたるまで、すべて検定した。だから、解剖は手段であって、病理検査が目的である。だから解剖班とはいわず、病理班というわけである。
とにかく、組織検定が大変な仕事であった。解剖は執刀者、助手、記録と組を作って、普通4人から6人で編成される。1件につき、2時間はかかる。脳解剖は特に神経を必要とした。耳の裏からメスを入れ、のこぎりで切るのだ。慣れてくると、脳を傷つけることはない。頭から大脳、小脳、脳髄を取り出す。また、脊髄を引き出すこともしたことがあった。
私は女のマルタを解剖したことはないが、亡くなった看護婦の解剖はやった。731部隊では、すべて死んだら解剖に処せられることを承認する一札を入れてある。日本女性の解剖の場合は、下半身を白い布でおおい、男性の場合は日本人であっても、肛門からホルデンまで解剖するが、日本女性の場合は下半身の解剖はしなかった。
マルタ解剖でもっとも気を使ったのは、生菌の汚染であった。そのため、夏でも防菌着を着る。防菌着は絹地にゴムの裏打ちがしてあり、つなぎ服になっている。それにマスク、帽子、メガネ、長靴といういでたちである。外気は一切遮断するので、汗が流れ落ちて長靴にたまる。メガネをかけるのは、眼から最も汚染されやすかったからである。(明日に続く)
※日本人も死んだら解剖の実験台にのぼった。男女を問わずである。その目的がよく見えてこないが、さまざまな目的を考えていたのだろう?解剖の技術を上げるため?空恐ろしい!!
マルタの人は、細菌に感染させられたり、ガス実験にされたりして苦しんで死んだ後の解剖もあったが、生きて解剖された場合もあったろう!!(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
父や母の被害
姜根福(男、54歳)の証言
その時ちょうど日本軍が10人足らず土手からやって来て、泣き声のする方を探し、母を見つけるや、引っ張り出して強姦しようとしました。母は弟を抱いたまま反抗しましたが、人間性の一かけらも無い日本兵は、母のふところから子どもを奪って、力任せに地に投げつけました。母は泣きながら投げつけられてもう死んでしまっている小さな弟にかぶさり、日本兵は後ろから銃を2発撃って、母を撃ち殺しました。日本軍が行ってしまってから、父は板とむしろとを少し探してきて、母と小さい弟とを芦葦の岸辺に埋めました。もっと安全な場所は見つからなかったので、芦葦の茂っている所にずっと隠れていました。3日目に、日本軍が父を見つけて、捕まえて行き、それからは杳(よう)として音信がありません。また2日したら、日本の賊がまた芦葦の茂みにやって来て、12歳の2番目の姉を見るや、何と強姦しようとしました。姉は走って逃げ、今の河運学校の近くまで逃げた所で、捕まってしまいました。姉はわめくやらけるやらして日本軍と懸命に闘いましたが、日本軍の一人が軍刀を抜き放って、姉を頭から真っ二つにしました!こんな風に何日かの内に、日本軍は母を銃殺し、弟をたたきつけて死なせ、姉を二つに斬り殺し、父をもまた捕まえて行って、私をして家を無くし肉親を失わしめ、姉弟4人をして寄る辺無き、衣食に事欠く、何年もの流浪生活を余儀なくせしめたのです。(彭如清が記録)
※父母、姉・弟を失い、その精神的なショックも大きかっただろう!!
また、その後の生活は戦争が続き、姉弟だけで生きるのは、本当に大変であったろう。
日中戦争の後は、国内の内戦があったから、混乱で国からの援助も何もなかっただろう!!
戦後60余年経っても、加害国日本は被害者個人の生活は何も補償していない!!
驚くことに日本国内では"南京大虐殺はなかった”たぐいの本が書店に平積みされている!!
(ノブ)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
想像してごらん、
ひとりひとりの安全を
大事にする世界を。
Imagine,
A world that values
the safety of
each and every human.
政府と政府とのあいだにではなく、人と人とのあいだに平和をつくる事が
大切だと思います。人と人とのあいだには、文化があり文明があります。
政府が変わっても、人間の文化や文明は変わりません。
私はイラク人として、日本の人たちとイラクの人たちの間に
平和をつくりたい。それが私の理想です。
(イラク/男性)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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