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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-10-07 12:27:32 | Weblog

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「マルタ」・「アジアの犠牲者」の叫び!!

「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)


●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しににおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 大日本帝国は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くて自国の力だけで開発できる兵器を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍・天皇が耳を傾け、そしてそれを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、昭和天皇・軍部がもっとも期待していた部隊ではなかったのか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。
 ソ連が石井の引渡しをアメリカに要求した時、アメリカは貴重な?データがソ連に渡ってしまうことを恐れた。アメリカは、先にそのデータを独り占めし、遅れていた自国の細菌戦研究に役立てたいという方針から、はした金でそのデータを731部隊幹部から買い取り、731部隊員を戦犯免責にしたと、ある本には書かれていたが、私が思うに、これが東京裁判で裁かれようものなら、その残虐な事実が国民の前に公表され、天皇の戦争責任まで発展しかねなかったからではなかったのか?
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力に頼っていたのは事実だと思う。
その天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
 その結果、東京裁判では731部隊のことが取り上げられず、国民に長いことその存在が白日の下にさらされることはなかった。
 それ故、裁判で国民の前に情報が公開されなかったし追求されなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)



●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』
(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅴ 朝日のぼる
頭蓋骨のブローチ(田中証言)
 田中さんは、その後准尉になって第731部隊に配属になったが、任務は資材部であった。
 当時戦局は敗色濃く、本土は物資欠乏の折だというのに731部隊の資材は、実に豊富であったという。
 田中さんの証言が続く。

  第731部隊の資材部は、大石少将指揮のもとに、3つに分かれていた。1つは研究費を扱う課で、課長は中尉。主として機械、器具、薬物一切を扱う。2つ目は兵器の課で、すべての兵器、火薬類を扱った。課長はやはり中尉。残る3つ目は、その他の物品、消耗品一切で、重要さの低い部門で、准尉の私が課長をつとめた。しかし、私の課には洗濯場あり、また木工場、加工場もあり、それに縫製工場もあって相当の規模のものであった。それぞれ課長の下で働く者は、すべて軍属の雇員、傭人であった。縫製工場では女性が一様にミシンを踏んでいた。
 私は文学青年で、好奇心が人一倍強い方で、秘密場所を見たくてしかたがなかった。資材部では、まず需要伝票が廻ってきて、私の印で出すことになっている。それには査定が必要である。やっている仕事は何か、なぜ必要か問い詰める。話が「マルタ」とか「生体実験」の所へ来ると「まあなんでして」「ちょっとね」とかいって相手はごまかしてしまう。私はそう言われると一層見たくなる。そこで「そんなことではハンコが押せるか」とつっぱり、調査に出向く。
 こうして航空班の飛行機や、マルタの姿も見た。また1年に2回、資材検査があり、少将の部長のあとについて廻り、その時はロ号棟の独房まで見て廻った。女マルタもそこで見た。お腹の大きなマルタや、子どもを抱いているマルタもいた。
 731部隊の資材は、当時敗色濃く物資欠乏の中でも、実に豊富であった。薬品はドイツ製のものもたくさんあった。自動車の如きは、新車が40台も並んでいて壮観であった。終戦の前の年、関東軍の命令で、新京陸軍病院の分院に、蒸発皿をトランクに詰めて5キロほど運んだが、この蒸発皿は白金でできていた。白金だとアルコールランプの熱をよく吸収できるわけで、攪拌棒も白金であった。
 また、金の延べ棒も何キロかあったのを見た。用途が何であったか分からなかったが、えらいものまであるなあという感じがしたものである。(明日に続く)

※731の資材部には豊富な物資があった。敗色濃く日本国内が物資欠乏の折でも。いかに軍中央・天皇の支持を強く受けていた部隊かが分かる。また、平房から逃亡する際目ぼしいものを日本に運び幹部だけで山分けしていたのではないか?下級隊員の戦後の暮らしは大変だったが!!
 物資のことで言えば、帝都東京も焦土と化して国民の生活が窮乏している時に、莫大な費用をかけて長野の松代に大本営・天皇が避難する大地下壕を強制連行した朝鮮の人たちを使って作っている。お金はある所には大変な時代でもあるものである。天皇・731部隊幹部も敗戦・戦後と衣食住には困らなかったのではないか?(ノブ)

参考ホームページ

松代大本営

731部隊の全貌

731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊 




南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

瞿厚知(男、60歳)の証言

 1937年には、私は13歳でした。臘月(ろうげつ)の初めのある日の朝、私は葛朝金など3人と糞を拾いに早く起きました。およそ8時頃に、日本兵が村に入って来て人を殺し火を放ちました。祖父と父とが日本軍に肥溜めまで押され押されして行って活きたまま溺死させられました。母は病気していた小さい妹を抱いて、あっちこっちに身を隠し、人々について走りました。小さな子が泣くと、日本兵に知られ大変になるため、人々が母について走られるのを嫌がったので、母はどうしようもなく、心を鬼にして妹を池に力任せに投げ込みおぼれさせるしかありませんでした。日本軍は家の人を殺しただけでなく、火を放って家を焼いたので、村全体で瓦の家が何軒か残っただけでした。
(王前富や杜懐静などが記録) 
 
※母親も日本軍に追われてパニックになったのであろう!!わが子を殺すとはなんとも悲劇である。南京というか日中戦争では日本軍はたくさんの放火をしたようだ。(ノブ)

※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会


「南京!南京!」が見られる映画サイト


憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

武器をつくったり

売ったりしない世界


「武器はどこから来るのでしょうか?
ヨーロッパやアメリカから来るのです。彼らは、武器貿易の達人です。アフリカの私たちは戦う必要も、殺しあう必要もないのです。だから、憲法9条は、アフリカにこそ導入されるべきだと思います。9条があれば、これ以上アフリカに武器を持ってこさせないようにする事ができます。」

 これは、2007年1月にナイロビで開催された「世界社会フォーラム」で、ケニアの青年が語った言葉です。アフリカには、スーダンやソマリアなど、数多くの内戦に苦しんでいます。子どもたちまでもが兵士とさせられ、武器をもたされ、傷つき、多くの民間人が命を落としています。
 世界でもっとも多く武器を輸出している国々は、アメリカ、ロシア、ドイツ、フランス、オランダ、イギリス、中国といった大国です。これらの国々から、中東、アジア、アフリカ、中南米へと、武器が売られています。紛争で使われる小型武器は、世界中に6億個以上あり、さらに毎年800万個がつくられていると言われています。これらの武器によって、世界で年間50万人の死者が出ていると推定されており、これは「一分で一人」をいう計算になります(「コントロール・アームズ・キャンペーン」による)。

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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