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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-10-03 14:11:05 | Weblog

「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!


「マルタ」・「アジアの犠牲者」の叫び!!

「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)


●「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者得させることで、犯罪隠しににおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』の“戦後日本”より常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※日本の敗戦直前、天皇は国体護持に執着するあまり、停戦を遅らせてしまった。そのため、日本国内では、原爆をはじめ空襲などによって多くの死者を出した。
 また、戦後昭和天皇は、占領軍の最高司令官マッカーサーと取引して、国体(天皇制)を維持することに腐心した。
 戦前・戦中と大元帥として大日本帝国に君臨し、戦争を指揮していた最高責任者は、敗戦と同時に、戦争責任をすべて東条はじめ軍部に押し付けてしまった。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。それ故、敗戦直前、ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く証拠隠滅をはかり、731部隊を日本へ戻した。これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに731で得た研究成果をアメリカに売り渡した。その結果、東京裁判では取り上げられず、国民も長いこと731のことを知らなかった。
 密約の存在は1986年に破綻したが、日本政府は常石氏によれば731の存在と蛮行を認めていないという。(1995年現在)現在の政府の見解は私には分からない。(ただ今問い合わせ中)

 これも天皇制を守るために。(ノブ)


●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』
(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅴ 朝日のぼる
生体解剖はあったか(赤沢証言)
 私(越さん)は、赤沢さんの証言を聞いていて、731へ入る動機が、私とまったく同じであることに気づいた。じかに戦争に参加し、生死の境をさまよった者は、召集の恐ろしさを十分に予知できた。召集されれば、ほとんど生きては帰れない。生きて帰っても、再三再四の召集が、戦死するまで待っている。戦争のさなかに20代であった者の宿命みたいなものである。であるから、関東軍の軍属になって、召集のない道を選ぶというのは、戦争を体験した者の生き残る知恵だったのかもしれない。
 私はまた、生体解剖のことについて詳しく聞きたかったので、少し突っ込んで聞いた。しかし、このクロロホルムの臭いのしたマルタの件については、釈然としなかった。
 クロロホルムは私の知っている限りでも、ガーゼにたらせて、かがせるだけで昏睡状態に陥るのを見てきた。私自身は、解剖現場を見ていないので赤沢さんの証言に頼るしかないが、クロロホルム注射ということは、健康なマルタを強制的に昏睡か死かの半死半生の状態に追いやって、解剖したように思える。素人で分からないが、細菌の生体実験をし、さらにその影響効果を調べるために、生体解剖に近いことが行われたことは間違いないように思われた。
 私はついで、連日解剖がありながら、731部隊には解剖班というものがなかったのか疑問に思っていたが、赤沢さんの子細な証言で理解できた。解剖の切迫感が、聞く私にもひしひしと伝わってくる。(明日に続く)

※戦争当時の20代の悲惨さが分かる。召集に明け暮れし、いつ死ぬか分からぬ全く暗い時代だった。人前では、嘆くことは出来ず、お国のために頑張るとしか言えなかった時代!!
 軍部の独走ということもあるにはあったが、それを追認し、いろいろなお言葉を出し、褒め称えた昭和天皇の戦争責任を感じる。
 731部隊では、赤沢証言にあるように、生体実験はもちろんのこと、生体解剖に近いことが行われていた。
 やっている本人たちは、病理検査が目的であるとか言っているが、何とも残酷である。戦後、731部隊員は1人として、戦争犯罪の罪で問われた者は無かった。
 天皇及びアメリカの責任も大きい!!(ノブ)


日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
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南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

馬明福(男、54歳)の証言
 (昨日の続き)母が祖父の撃ち殺されたのを見て、ふところに抱いた弟を下ろす間もなく、祖父を抱きかかえに走って行きました。その時、4歳の妹も後ろから追いかけて行きました。日本兵の1発が母の胸に命中し、即死しました。母の体の血が、妹の体の一面に飛び散り、妹が「あたし撃たれちゃった!」と叫び出しましたが、そう言い終わるや、弾がまた1つお腹に飛び込んで、腸がみんな出てきてしまいました。父が走って行き、母の死体のふところからまだ活きている弟を抱き取りました。その時、くぼ地に隠れていた難民50人余りはすでに半分撃ち殺されていましたが、家と母方の祖父の家とはその場で7人死んだのです。暗くなってから、私は大人について走って逃げましたが、その時また父とはぐれ、誰か知らない人に江東門の双○鎮まで連れられて行き、20日あまり後にやっと家の人に探し出されました。(1982年8月6日〈新華日報〉より転載)

 ※○は日本の漢字に変換できない字。

 ※一般の村人が撃たれていた。日本軍は、向かってくる軍隊に対して攻撃したのではなく、無抵抗な村人に向かって銃を向けたのである。
 日中戦争の目的は「排日・抗日をやめさせるためには最後まで支那をブッたたかねばならぬ」という支那鷹徴ということであった。何とも高飛車な目的であることか?(ノブ)


憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

9条をつかって、

戦争のない世界をつくる。



「戦争をしない、軍隊をもたない」という日本国憲法9条がどうしてできたか知っていますか。
それは、日本が行った戦争への反省から生まれたのです。
 日本はかつて、朝鮮半島や台湾を植民地として支配し、中国や東南アジアの国々を侵略しました。
日本はアジア太平洋地域で2000万人の命を奪いました。日本国内では広島と長崎に原子爆弾が落とされ、沖縄では大規模な地上戦が行われ、東京など大都市は空襲を受けました。日本では300万人が戦争で亡くなったのです。
 第二次世界大戦は、1945年に日本の「敗戦」で終わりました。
その直後に、日本の平和憲法は生まれました。日本、アジアそして世界の人々に対する「二度と戦争をしません」という誓いとして憲法9条は誕生したのです。
 同時にこの憲法は、民主主義の憲法でもありました。それは国民の権利を定め、また「世界中の人々が平和のうちに生きる権利をもつ」とうたいました。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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