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鳩山さんはアメリカに負けた!!

2010-05-23 15:04:05 | Weblog

鳩山は何故移設先を5月末までに急ぐのか?私にはアメリカに脅迫されているとしか思えない!!沖縄の軍事基地化を許したのはアジア太平洋戦争の日本の最高責任者・大元帥昭和天皇である!!
今日、鳩山が沖縄入りして、仲井真知事と会談した。普天間基地の移設先は辺野古付近だと言う。なぜこんなに鳩山は移設先の決定を急ぐのだろうか?疑問に思う。
 その手順を見ても、交渉の第一がアメリカで、アメリカとしか話し合いらしきものをしていない!!それも、アメリカの顔色をよくうかがっている!!前の自民党政権と全く変わらない!!地元との話し合いなど初めから無いのもおかしい!!地元は頭にきているのも無理はない!!
 『名護市の稲嶺進市長は「首相は明日、何をしに来るのか分からない。やり方は前政権よりもひどい」と吐き捨てた。また、「地元は何も知らされていない。そんなやり方で押しつけてきてもできるわけがない」と怒りをあらわにした。』
鳩山は今年の国会答弁でも、移設先を最低でも県外と言っていた。そしていろいろ検討しただろうが、辺野古に戻ってしまった。移設先を県内とした理由については「朝鮮半島の情勢、東アジアの安全保障環境に不確実性が残る中で、在日米軍全体の抑止力を低下させてはならない。普天間所属の海兵隊のヘリ部隊を沖縄の他の部隊から切り離して国外、県内に移設すると、海兵隊の機能を大幅に損なう懸念がある。現在の安全保障環境の下で、代替地は県内に置かざるを得ないという結論になった」と説明したと言う。

 鳩山は沖縄の米軍基地の問題を何とかしようとしていたが、首相になって、いろいろ当たってみると、いかに今までの日本と言うものがアメリカに依存し、傘下にあったかを思い知らされたのではないか?何をやろうとしても過去のしがらみがあり、思うように動けない現実!!日本は戦後、独立などしているのではなくただ、アメリカのあとを一生懸命ついていた。戦後の政治はアメリカに追従する政治だった。

 昨日、クリントンが来て、会談し、日米の安保の重要性を確認したと言う。また、先日韓国の哨戒艦が沈没した事件で、韓国は「北朝鮮製魚雷による爆発」という調査結果を発表した。そして今日鳩山が沖縄入りだ!!北朝鮮の脅威をマスコミはこぞって報道し、クリントンが来て、日米同盟がいかに重要かを日本国民にアピールし、そして鳩山が県内基地移設に県民が猛反対している沖縄に乗り込んだ!!うまくアメリカのシナリオができているものだ!!

 日本の731部隊も謀略にたけていたが、アメリカはそれ以上だ!!
アメリカの9.11のテロに以来、その首謀者のオサマ・ビン・ラディンをはじめとするアルカイダを支援している独裁国家イラクに大量破壊兵器を持っているとして、戦争を仕掛けた。(アメリカが一番危険な大量破壊兵器を持っているくせに、それを棚に上げて)
戦後、大量破壊兵器は見つからず、多くのイラクの無辜の民が犠牲となった。
 9.11にしても、イラク戦争にしてもアメリカが巧妙に仕掛けた向きがある!!

今回の北朝鮮の韓国軍の哨戒艦の件もそうだ。このタイミングで発表し、日本国内に不安をあおっている。新聞記事によると『韓国調査団は現場から回収した魚雷の部品を分析し、推進体にあったハングル表記などから「北朝鮮の小型潜水艦による攻撃としか説明がつかない」と結論づけた。
 調査には米英豪などの専門家も加え約二カ月かけた。韓国側は慎重を期し、即時の軍事的報復を自制したといえよう。』とある。この調査団にもアメリカが加わっている!!
以前の朝日の記事にはこうある。 『同政府関係者によれば、発生時、付近に北朝鮮艦艇の存在は確認されていなかった。この関係者は「海域の水深は20~30メートルと浅く、潜水艇による攻撃は考えにくい。潮流も速く、機雷設置も難しい場所だ」と述べ、北朝鮮による攻撃の可能性は低いとの認識を示した。「詳しい原因を探るためには、船体の引き揚げが必要で、時間がかかりそうだ」とも語った。 ただ、韓国政府は27日、万一の場合に備えて地方公務員も含む全公務員に非常待機を指示した。  軍事専門家は、船体に瞬間的に穴が開いたことから、艦尾付近の弾薬庫にあった砲弾か、砲弾の発射に使う装薬が何らかの衝撃で点火して爆発した可能性を指摘している。』
また、こんな記事もある。
《 5月13日付 『 日刊ゲンダイ 』より 》
〝3月26日、 韓国海軍の哨戒艦 「天安」が、 爆発・沈没した事件は、 折にふれ、 日本でも報じられている。 最近では「北朝鮮説」 が主流だ。
 だが、韓国のマスコミの裏側では別の見解が根強い。 日本のメディアはまったく触れないが、 「米国原子潜水艦と衝突したのでは?」という衝撃的な疑惑が晴れない。
きっかけとなったのは、 韓国のKBSテレビが4月7日に放送したニュースだ。
「天安」 が沈没した場所に近い海域で、 米軍ヘリコプターが米兵の遺体を運び去る映像などを流した。 また、 海底を捜索した韓国軍の潜水特殊部隊の隊員の声として、 「〝天安〟とは別の潜水艦らしいものが沈んでいた」 という話を紹介。 これに関係者が驚き、衝突説が広まった。評論家の河信基氏が言う。
「このニュースはすぐに韓国政府から、 「誤報で名誉毀損」と告訴され、 ネットなどで映像が見られなくなってしまった。映像テープを押収されたという話もあります。 韓国当局が、〝何か〟を隠したがっているのは明らかです」
この、 米原潜は、 核搭載の 「コロンビア号」 とみられ、 ハワイ沖を出港後、今回の米韓の合同演習に参加後、 別の原潜は戻ってきているのに、 いまだハワイに戻っていない。
「さらにおかしいのは、 米韓政府が当初可能性が低いとした北朝鮮の関与説が一斉に流され、 この衝突説を隠したことです。しかし、 米韓合同演習の最中に、 北朝鮮の潜水艦がわざわざ魚雷を発射して、緊張を高めるでしょうか?また〝天安〟は、 レーダーやソナーで敵の攻撃キャッチし、 反撃するのが任務だが、 機能で劣る北朝鮮潜水艦がソナーをくぐり抜け、 神業のごとく沈没させるなんて、 有り得ないことと専門家は言っている。
こうしたことは、 米韓合同演習をウオッチしていた中国も分かっている。だから韓国の反対があっても、 金正日の訪中を受け入れ、 胡錦濤が会談までしているのです。」 (河信基氏)

日本の大手メディアは、 「北朝鮮関与節」 に乗って、沖縄の抑止力問題とからめている。〟
 
鳩山はアメリカの圧力に屈し、流れを変えることはできなかった!!

アメリカの謀略は大変なものだ!!韓国・アメリカの調査をよく吟味することなく、すぐ、うのみにするのもおかしくないか?
 新聞記事より『鳩山由紀夫首相は22日、札幌市で開かれた民主党北海道連のパーティーで、首相公邸からテレビ中継であいさつし、韓国の哨戒艦が北朝鮮製魚雷で沈没したと韓国政府が断定したことに関し「とんでもないことを私たちの隣国が犯してしまっている」と北朝鮮を批判。「国際的に協力してしっかり戦っていかないといけない」と述べ、日米韓を中心に緊密に連携していく考えを改めて示した。』

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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2010-05-23 11:52:08 | Weblog

日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!沖縄の米軍基地撤去!
               
「怨」

きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う。)
(時効なき戦争責任・戦争犯罪)

●731部隊
 『731部隊の生物兵器とアメリカ』
(バイオテロの系譜) 2003年発行
(ピーター・ウィリアムズ / デビッド・ウォーレス=著 西里扶甬子=訳 かもかわ出版)
◆細菌戦部隊の最後 
 1944(昭和19)年6月、サイパン陥落後、日本の戦局は衰退の一途をたどる。サイパンの滑走路攻撃にペストノミを使う計画があったが、サイパンを目指した積載船がアメリカの潜水艦に撃沈されたため実現しなかった。グアム、フィリピン、硫黄島などの惨敗を見て、帝国陸軍参謀総長梅津大将は、軍上層部に生物戦を上奏したが、戦況を変えるとは信じられないという理由で却下された。
 翌年3月、石井は最後の死にもの狂いの任務を果たすため満州に戻った。イタリアは既に降伏し、ドイツも降伏寸前だったが、当時の医学者としては最高の出世を果たした石井は生物戦の威力を信じて疑わなかった。10万人の市民が犠牲となった、3月10日の東京大空襲の後、石井の家族も満州に逃れてきた。ソ連のヴォロシロフ、ハバロフスク、ブラゴベジェンスク、チタを細菌攻撃するべく細菌の大量生産を開始した。1か月後、ロシアは日本との中立条約を破り、両国の戦争突入は避けられない情勢となってきた。
※石井は細菌戦を本気でやろうと必死になったのだろう!!東京大空襲のすさまじさを知った石井は、細菌の大量生産を始めた!!
●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
子女ないしはその他族の被害
趙福堂(男、62歳)の証言
 1937年の12月13日に、日本人が私たちの村の方へ来るのを見て、あわてふためいて隠れ始めました。日本人は傷ついた人を何人か抱えてきていたので、村の前まで来て大きな畦の上に置き、運ぶのを手伝う人をあちこち探し、朱広来のお爺さんを見かけて、傷ついている人たちを運ぶのを手伝う人を探させました。広来お爺さんはみんなで13人行かせて、目的地まで運びましたが、結局は彭二牛という人だけが逃げてしまいました。その他の人たちが迫害にあい、全部そこで死にました。2番目の兄が12人と一緒に殺されたのでした。
化学兵器被害解決ネットワークからのお知らせ!
遺棄化学兵器問題とは?
化学兵器の製造と遺棄
 1929(昭和4)年に日本軍により製造が開始された化学兵器(マスタードガスなどの毒ガス)は、日中戦争の際、中国各地で使用されました。敗戦時、日本軍は国際法違反の化学兵器を隠ぺいするために、各部隊にそれらの遺棄隠匿(いきいんとく)を命じました。日本軍が遺棄した化学兵器は、日本政府が認めただけでも40万発あります。化学兵器禁止条約に基づき、日本政府は2012年までに廃棄事業を終了させることが義務付けられていますが、10年以上経過した今も遅々として進んでいません。
化学兵器被害の苦しみ
 事故直後、皮膚がただれ、目は腫れ上がり、嘔吐、頭痛、激しい咳に襲われます。急性期症状が治まってからも気管支炎が治らず、一晩中続く咳に苦しむ人もいます。異常発汗や頻尿、性機能障害、免疫力低下の多くの被害者に見られます。また、「力が入らない」・「集中力が続かない」・「疲れやすい」など、他人には理解されにくい症状が彼らの社会復帰を阻んでおり、民間団体が行った検診の結果、自律神経・短期記憶・高次脳機能などの障害が指摘されました。
解決のためのアクション!
ACTION 1 5万人署名へのご協力をお願いします 
 早期解決を求め、5万人を目標として、内閣総理大臣宛の署名に取り組んでいます。ぜひご協力を下さい!(署名用紙の請求は下記の連絡先まで。HPからもダウンロードできます。)
 第1次集約 4月3日(土) 第2次集約 5月24日(月)
ACTION 2 リーフレットの配布にご協力下さい 
 このリーフレットを置かせて頂けるお店・配布してくださる集会をぜひご紹介ください。
ACTION 3  学習会・パネル展示を開きませんか? 
 中国の被害者は、「戦争が終わって65年経った今も被害者がいることを、日本の皆さんに知らせて欲しい」と言います。まずはご家族やお友達に話してください。ミニ学習会、講師派遣、ミニパネル展示なども出来ます。お気軽にお問い合わせください。チチハルやハルビンへ行くスタディー・ツアーの企画にもご協力いたします。
ACTION 4 遺棄化学兵器被害者の裁判を支援してください 
 2010年5月24日13時10分 チチハル遺棄毒ガス被害事件の判決が、東京地方裁判所103号法廷で言い渡されます。裁判所に公正な判決を求める声を寄せて下さい。ハガキや手紙の書き方は、チチハル裁判支援ブログに載っています。
ACTION 5 カンパのお願い
 被害者来日や署名活動、集会などに取り組みますが、運営・渡航・滞在費用は全て皆さんからのカンパで賄います。少額でも結構です。よろしくお願いいたします。
●連絡先●
東京都新宿区四谷1-2伊藤ビル3階
化学兵器被害解決ネットワーク
TEL 03-5379-2607 FAX 03-5379-2608e-mail suopei@tky.3web.ne.jp
http://cweapon.sakura.ne.jp/mt/youcan/
カンパ振込口座
郵便振替口座:00170-0-650194加入者名:チチハル8・4被害者を支援する会(通信欄に「ネットワークカンパ」とお書き下さい)
●731部隊と天皇
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語を奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐(当時)の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったか? 戦後、アメリカは731部隊幹部の尋問を細菌兵器の専門家に担当させた。
尋問がはかばかしく進まないと、早々とアメリカは731部隊幹部に戦犯免責を与え、細菌戦のデータを引き出した。731部隊幹部は人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。ソ連とアメリカの交渉により、人体実験のことが明らかになると、アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・細菌戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、731のデータの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか? マッカーサーは当初から日本の占領にあたって、天皇の力を利用しようと考えていた。また、マッカーサーは自国の遅れていた細菌兵器の開発に日本軍のデータが役立つだろうと見ていた。何としても、細菌戦や細菌兵器のデータが欲しかった。
 731部隊の戦犯追及をすると、そのデータは独占できなくなり、またその責任が天皇に及ぶのを恐れたのではないか? 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!) その結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
●昭和天皇と731
・軍事細菌研究のさらにもう1つの拠点が長春の第100部隊(部隊長:若松有次郎)であった。作戦任務のための資金供給は莫大かつ無制限だった。部隊は2つの経路から資金を得ていた。すなわち、東京の陸軍省と、関東軍司令部の第2部である。(陸軍省から人件費60万円の予算が、100万円が関東軍司令部の第2部から攻撃的生物戦の研究のために支出された。731部隊の予算総額は1000万円、人件費300万円、20万から30万が各支部の運営費、600万円が細菌製造、実験、研究費用である。しかも731部隊の予算は国会の場で細部を発表されることはなかった。関東軍の獣医将校は、生物戦の資金は底なしだと自分は理解していたと語っている。)
・1930年代において、くるくる替わった日本の内閣においては役目を果たすように〔大臣職に〕任命された軍部のリーダーたちは、誰もが満州で起こっていることを認識していた。参謀本部のスタッフ〔立案者〕とその上司たちは、石井、若松、北野のプロジェクトに精通していたし、細菌兵器の開発研究を助けた。・・・・ 何千人もの、もしかしたら何万人もの陸軍の軍医や獣医、生物学者、化学者、微生物学者、技術スタッフその他の似たような職の人々が、定期的に交代で満州や〔その他の〕中国占領地に派遣されている。(731部隊には専用の飛行場があり、専用の飛行機も複数持っていた。東京⇔ハルピン間を何度も往復して情報交換や物資の輸送などをしていた。また、他の部隊との連絡にも使った。)
・1939年2月9日に、裕仁の弟である活発な秩父宮は、陸軍省の大会議室で、2時間半にわたる石井の「雄弁な」講演に出席した。
・竹田宮は関東軍の首席主計官として、満州におけるすべての細菌戦の関連施設に割り当てられる金を扱った。・・・また、平房〔の施設〕に立ち入る際には竹田宮・宮田が発行した通行証を求める必要があった。関東軍司令官もしくはその直属の部下が731部隊を訪れるときは、竹田宮自身が彼らの一行に混じって彼らをエスコートした。
・天皇は、その倹約〔の精神〕でも知られていた。彼は常々、役に立たないもしくは取るに足らないプロジェクトのために、政府の支出が無駄に使われないよう懸念していると表明していた。細菌戦のプログラムは、国の資源の大規模な乱費であった。第2次世界大戦中、平房、長春、奉天、南京の主要な基地および多くの支部施設は、少なくとも1500万円から2000万円、多分それ以上の年間予算を食い潰して機能していたに違いない。天皇が軍事予算を詳細に調べたなら、満州やその他の中国における何千もの人員の滞在は、天皇にとって関心事だったはずである。裕仁はまた、特別の武器研究にその使途を限定された秘密の帝国予算を持っていたが、それが満州や中国において細菌戦の研究に使用されていても何の不思議も無い。
・裕仁は細菌戦の研究については知っていたのだろうか。おそらくイエス、であろう。このプロジェクトは、単純に、天皇の目から隠しおおすには、大規模すぎた。費用も、天皇の政府費用に対する鋭い関心から逃れるには巨額すぎた。・・・・最終的に、大日本帝国において、政策決定は政府の最高レベルで行なわれるべきものであって、陸軍の将軍たちの気まぐれでできるものではなかったのである。 ※ハリスは天皇は絶対的君主ではなく、軍部に対して受身的な役割を演じたと述べている。 また、天皇は人体実験については知らなかったであろうと言っている。
 私自身はこの見解に大きな疑問を感じている。
・731部隊の組織犯罪については、関東軍という日本陸軍の一駐留軍の指揮命令系統下にあった。部隊そのものは関東軍司令官の直轄であり、あらゆる人体実験も形式上は司令官の命令無しには行なわれえなかった。また、731部隊以外の「防疫給水部隊」(北京、南京、広東など)も日本陸軍の中国派遣軍の指揮下にあった。日本陸軍を統括していたのは陸軍省であり、その上には天皇がいた。したがって731部隊の人体実験の最終責任者も天皇である。(『検証 人体実験 731部隊・ナチ医学』小俣和一郎著:第3文明社)
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