日本は過去の清算をきちんとしているのだろうか?
平和資料館の変質は戦争への道につながります!!
平和を希求する県民の願いに応える平和資料館に
「昭和史年表」の改変を止め、従来のものの尊重を!
世界的に評価が高かった「ピースおおさか」(加害の史実:南京大虐殺展示撤去へ:毎日2013.2.15)等、平和資料館に対する見直しが始まっています。
埼玉県平和資料館は1991年畑和県政下で着工され、1993年8月土屋義彦県政下で開館されました。
2003年上田清司氏が埼玉県知事に就任。
当初は平和資料館の【戦争の悲惨さと平和の尊さを後世に伝える】この平和資料館は大切にしなければならない、と述べていました。
しかし3年後、2006年6月の県議会で突然「慰安婦はいたが『従軍慰安婦』はいなかった」と発言しました。
翌2007年、平和資料館館長は展示の見直しを行い、運営協議会に見直し案を提示、運営協議会では館からの提案について、賛否両論が出され継続議題となりました。しかし、館は独自の判断として年表展示中の【従軍慰安婦】の【従軍】文字を削除、他数点を変更し11月に展示を強行しました。
2012年4月、県は次年度に平和資料館が創立20周年を迎えることから、庁内に「平和資料館検討委員会」を発足させ「指定管理者制度」導入やリニューアルを検討。2013年4月から指定管理者制度を導入し、これまで県民各層の声を代表していた【運営協議会】を解散させ、アドバイザリーボード(運営協議会に替わる諮問機関)を設置しました。
同時に、県はこれまで一度も文書でも口頭でも伝えてこなかった「平和資料館昭和史年表」の全面書き替えを、突如9月10日の第2回アドバイザリーボードに提案し、その実施を発表しました。
昭和史年表にこれまで記載されていた、【1923年関東大震災における朝鮮人虐殺、1933年県内から満州移民始まる、1934年ワシントン軍縮条約破棄、美濃部達吉天皇機関説、1937年「南京事件」・「南京大虐殺」、1939年ノモンハン事件、国民徴用令、朝鮮で創氏改名、1945年ヤルタ会議、東京大空襲、吉見の地下軍需工場建設開始、ソ連参戦、1946年極東国際軍事裁判始まる、1970年核拡散防止条約調印、1982年教科書検定問題アジア各国から批判、1992年戦時中の「慰安婦」問題など日本の戦争責任論多発】等々の史実が、今回出された「新しい年表(日本と世界のあゆみ)」には一切記載されておらず、秩父事件や熊谷空襲など埼玉にかかわる事項等、全体の約三分の二が削除され記載されていません。
このような「記憶」に留めなければならない史実を平和資料館が展示しなければ、この資料館を訪れる子どもたちや一般見学者は、学校や教科書で学ぶ以上のことを資料館で学ぶことができなくなってしまいます。
これでは資料館の意味がなくなります。よく平和の創造と言われますが、平和とは相互理解、共に生きることであり、日本はアジアの一員として平和を希求し行動することが今求められています。
【戦争の悲惨さと平和の尊さを学ぶ】とはまず、史実を知ることから始まります。
私たちは平和資料館設立の趣旨に立ち戻って、昭和史年表全面書き替えをやめ、従来のものを尊重し、「もっと学びたい」という県民の願いに応えるよう平和資料館の充実・発展をここに求めます。
2013年10月18日
埼玉県平和資料館の充実・発展を求める10.18集会参加者一同
連絡先 「平和のための埼玉の戦争展」実行委員会
埼玉県平和資料館を考える会
『ピースおおさか(大阪国際平和センター)』を守り発展させるために
特定秘密保護法案の本質的な問題は何一つ解決していない
731部隊の罪業をアメリカは免責しても、世界の眼はごまかせない!!
特別パネル展示「731部隊展2013」開催のお知らせ
韓国で旧日本軍731部隊の悪事を暴く展示会
YOUTUBEで100万回以上再生されている、日本の731部隊の真実と題された映像
Unit 731 Japanese Torture & Human Medical Experiments 部隊
Unit 731 Japanese Human Medical Experiments (1/5)
中国が教える731部隊
よみがえる関東軍731部隊の悪夢
韓国が靖国参拝をけん制、「日本の政治指導者は加害者として謙虚になるべき」―中国メディア
新藤総務相が靖国参拝=「外交上問題ない」?
安倍首相、靖国参拝見送り=真榊奉納、秋季例大祭
脱原発!!
◆【小出裕章ジャーナル~第41回】世界の原子力発電所で一番危ないのは浜岡原発!!
政府は"脱原発"へ転換を 小泉元首相が講演
小泉元首相の「原発ゼロ」発言について。- 2013.10.17
35年の原発依存度20%台に 拡大政策見直し=韓国
『人間の価値』より(ドイツの「過去の克服」)
■訳者あとがき(1992年11月 林功三)
しかし、ドイツでも「過去の克服」がはじめからすんなりおこなわれてきたわけでは決してない。医学界でその歩みの困難であったことが本書にもうかがわれる。ここでは、ドイツの「過去の克服」の歩みを詳しく論じるわけにはいかないので、暗示にとどめたい。
45年以降西ドイツでは中途半端な「非ナチ化」しかおこなわれなかった。
「沈黙の50年代」と反共の冷戦時代に、反ファシズムは抽象的なものにすぎなかった。しかし、その後、学生と若者の反乱の時期から西ドイツのナチズム理解は次第に大きく変わっている。民主主義が成熟し、社会も大きく変わった60年代後半と70年代に、さらに80年代に入ると、「過去の克服」がいっそう徹底し、一部の戦争犯罪人の追及だけでなくナチズムに同意した学者、医者、さまざまな市民組織、個人の責任が問われるようになった。思想的にも、歴史研究においても、市民的世論のレベルでもそうである。ドイツでは―反動的な勢力も強いが―ナチズムの歴史に対する正しい認識と反省が着実におこなわれていること、もう決して後戻りさせられないものになっていることがわかる。そのすぐれた例のひとつがこの『人間の価値』であろう。
非ナチ化と「反ファシズム・民主主義」を国是にした東ドイツが、その理想主義的確信を国家への忠誠へすり替えて、抑圧の道具にしていまい、同伴者だった階層、市民の個人的戦争責任を問題にせず、人種的反ユダヤ主義もファシズムのたんなる付随現象にしてしまい、結局ナチズム理解を不十分なものにしてしまった過程を同時に見ていくと、『人間の価値』の示している「過去の克服」の歴史的意義は一層はっきりする。
ささやかな書物にすぎないが、この書物はドイツと同じように戦争責任を抱える日本人のわたしたちにとって示唆するものが大きい、とわたしは信じている。
1992年11月 林功三
水俣と福島の状況は酷似していませんか?
水俣病では工場が設置したサーキュレータが全く機能しなかった!
福島ではシルトフェンスは大丈夫なのか?
質問なるほドリ:シルトフェンスで汚染水を防げるの?=回答・鳥井真平
水俣病は克服などしていない!!まだ多くの人が苦しんでいる!!
写真集『水俣』(W.ユージン・スミス、アイリーンM.スミス、中尾ハジメ訳 三一書房より)
水俣条約:外交会議 首相ビデオメッセージ 「水銀による被害とその克服を経た我々」 「苦しみ知らぬ」患者反発
「水俣条約」採択、首相発言に水俣病被害者ら反発
医学界はここでも水俣病の否定にはしった!!
水俣病では、田宮委員会が、水俣病をもみ消し走った。
昭和35年に入り、医学者は水俣病の発生は止んだと発表した。こうして患者は、以後10年まったく忘れ去られた!!
(20:40あたりから)福島原発事故を想起させる!
水俣病=その20年=
水俣病では、海洋汚染のメチル水銀によって人々は神経細胞が冒された!1942年には水俣病の患者はいた!!
国も期待していたのでは?
1931年、水俣工場を昭和天皇が臨幸(11月16日)
昭和天皇は、チッソ水俣工場を昭和六年と昭和24年に訪問あそばされました。孫はチッソの経営者の孫娘と結婚しました。
チッソは、戦前国策会社の一つだった。
水俣病を引き起こしたチッソと皇太子妃雅子様は、いったいどのような関係があるの...
では、福島で現在起こっている大気・土壌・海洋汚染で引き起こされる放射能被害はどの様になるのだろうか?計り知れない!!
水俣病ビデオQ&A(1996年)
高杉晋吾「731・チッソ・原発」を語る!!
20130316 UPLAN 高杉晋吾 国策としての731部隊と原発
原発と医療!!
・・・・・・・・・・・
中部電力自身が出した資料で、被曝した人々の状況について中部電力が調査した。そうすると、正社員の被曝した数の28.5倍、これが非正社員の被曝した数の比率です。30人被曝したとすれば、正社員は1人か又は0、つまり被爆という事態という中に正社員と非正社員の差別という問題が明確に存在しているということ。これが図らずも中部電力自身が調べた資料の中で明らかになっています。
だとすると、そこで働く非正社員の健康状態を調べるのが、当然責任者としての中部電力のやるべきことではないでしょうか。
それを一切してこなかったということです。原発労働者は3ヵ月ごとにホールボディーカウンターの検査があり、診断がなされる。しかし、彼は一度も「お前の健康状態はおかしいよ」と言われたことはなかった。お母さんも聞いていない。
彼の病気の状態は非常に明々白々だったと思います。
まず、彼は非常に強い風邪の症状を呈していた。鼻血をしょっちゅう出していた。異常な寝汗をかいていた。それから38度以上の高熱を発する。体からはポッポポッポと湯気が発っている。それから家に帰ってくると非常な倦怠に襲われて、ゴロッと寝転んでしまう。
それでも、班長として責任を持って働き続けた。そして、最後に浜松の医大に行って、診察を受けるのですが、「今日俺、ライオンに襲われたよ。」というようなことをお母さんに言うそうですが、ちょっとお母さんが辛いだろうから体を撫でようとすると激烈な痛みがはしって怒る。なぜだろうかと言うことで少し調べると、造血作用が放射能によって破壊される。それによって、脳の方にも大きな影響が出る。したがって白血病という病状の中では精神障害をきたす。彼の場合はライオンが出て来て彼を襲ったという状況になったということですね。
だけど、普通お医者さんや病院は、彼がなぜそのような状態になったのか、即場の状況などを徹底して明らかにしていくはずではないでしょうか。それが一切なされていない。
彼が死んだあとに彼の被曝手帳が出てくる。彼は何と普通の血液の状態の3倍以上の白血病の症状を示す血液のデータが出てくる。白血病という症状がでてくれば、彼の置かれている浜岡原発の状況を医者が調べるのが当たり前でしょう。私はそう思います。
そういう病気の原因、これをなくそうというのが医療である。疫病、疫学というものはそういうものではないかと思いますが、それをしていない。それに彼は検査をすると言われて胸に穴を開けられて骨髄液を採られているのです。それで異常がないと言われているのです。骨髄液を調べれば白血病であることはわかるに決まっているのに、それさえも医者は大丈夫だと言った。それで彼は、責任上一生懸命職場へ行き、モップで放射能を拭いて、働き続けた。したがって彼は何も知らないまま死んでしまったということです。
どうしてこのような医療になったのか。原発で働いている正社員は現場に入らず、非正社員が現場に入る。そして、その非正社員の健康の問題を明らかにしない。なぜ明らかにしないかと言えば、それは原発で働く労働者がいなくなってしまうので、その人たちのデータを隠す。医療は隠すことに総力を挙げてきた。
原発は国策である。国策である原発を推進するためには、労働者を募集しなければ、事は進まない。その原発における発病の原因を明らかにしたのでは、日本の国策である原発にとっては重大な問題になってしまう。したがって、医療は原発の味方として、誰が死のうが知ったことではない。今はそういう形で医療が存在していると思います。
隠された被曝労働~日本の原発労働者1
ニュルンベルグ医師裁判では、人体実験に関与した医師が裁かれた!!
医者裁判
ハバロフスク軍事裁判!!
「スミルノフは公開裁判で731部隊の行為を明らかにし、アメリカ主導で行われた東京裁判の不完全さに世界の目を向けようとしたのである。」
・・・・起訴状朗読をもって審理に入った。
「起訴状―多年にわたり帝国主義日本は極東における侵略の主なる根源地であった。
日本の参謀本部及び陸軍省は日本の有名な細菌戦提唱者石井四郎を長とし・・・」
-起訴状には細菌戦部隊の罪が列挙されている。
・細菌戦を準備した罪。
・生きた人間を実験に使用した人道上の罪。
・中国で細菌兵器を実際に使用した罪。
・ソビエトに対して戦争を準備した罪。
ソビエトは、細菌戦部隊にかかわった個人としての責任を問い、さらには日本の戦争責任を追及しようとした。
「強制感染によって数千人の囚人を殺戮するごとき、あらゆる凶悪な行為をあえてなしたことが判明した。」
起訴状を書き上げるのに元になった内務省の捜査記録、この中には100人以上の証人の証言や被告たちの尋問調書が含まれている。
(プライム10「731細菌戦部隊」より)
アメリカは細菌戦のデータを独占し、天皇と731部隊員を裁かなかった!!アメリカにも大きな責任がある!!
ニュルンベルグ裁判では、非人道的な実験をした医師を裁いた!!
山本太郎10/11沖縄大学1「原発・TPP・秘密保全法」 IWJ_OKINAWA1
秘密保全法 「黒塗りさえ出なくなる」
20131010 UPLAN 【抜粋】西山太吉講演(秘密保護法を考える超党
まさか!?と思うのは甘すぎる!(´・ω・`)
日本政府は、731部隊をはじめ、大事な戦史資料を廃棄するな!!
公開せよ!!
中国の遺棄毒ガス弾の処理を進めるには?
最長で懲役10年 特定秘密保護法案とは? 【報道特集(2013年
日本政府は、アメリカから返還された731部隊の資料を速やかに公開せよ!!
平和資料館の変質は戦争への道につながります!!
平和を希求する県民の願いに応える平和資料館に
「昭和史年表」の改変を止め、従来のものの尊重を!
世界的に評価が高かった「ピースおおさか」(加害の史実:南京大虐殺展示撤去へ:毎日2013.2.15)等、平和資料館に対する見直しが始まっています。
埼玉県平和資料館は1991年畑和県政下で着工され、1993年8月土屋義彦県政下で開館されました。
2003年上田清司氏が埼玉県知事に就任。
当初は平和資料館の【戦争の悲惨さと平和の尊さを後世に伝える】この平和資料館は大切にしなければならない、と述べていました。
しかし3年後、2006年6月の県議会で突然「慰安婦はいたが『従軍慰安婦』はいなかった」と発言しました。
翌2007年、平和資料館館長は展示の見直しを行い、運営協議会に見直し案を提示、運営協議会では館からの提案について、賛否両論が出され継続議題となりました。しかし、館は独自の判断として年表展示中の【従軍慰安婦】の【従軍】文字を削除、他数点を変更し11月に展示を強行しました。
2012年4月、県は次年度に平和資料館が創立20周年を迎えることから、庁内に「平和資料館検討委員会」を発足させ「指定管理者制度」導入やリニューアルを検討。2013年4月から指定管理者制度を導入し、これまで県民各層の声を代表していた【運営協議会】を解散させ、アドバイザリーボード(運営協議会に替わる諮問機関)を設置しました。
同時に、県はこれまで一度も文書でも口頭でも伝えてこなかった「平和資料館昭和史年表」の全面書き替えを、突如9月10日の第2回アドバイザリーボードに提案し、その実施を発表しました。
昭和史年表にこれまで記載されていた、【1923年関東大震災における朝鮮人虐殺、1933年県内から満州移民始まる、1934年ワシントン軍縮条約破棄、美濃部達吉天皇機関説、1937年「南京事件」・「南京大虐殺」、1939年ノモンハン事件、国民徴用令、朝鮮で創氏改名、1945年ヤルタ会議、東京大空襲、吉見の地下軍需工場建設開始、ソ連参戦、1946年極東国際軍事裁判始まる、1970年核拡散防止条約調印、1982年教科書検定問題アジア各国から批判、1992年戦時中の「慰安婦」問題など日本の戦争責任論多発】等々の史実が、今回出された「新しい年表(日本と世界のあゆみ)」には一切記載されておらず、秩父事件や熊谷空襲など埼玉にかかわる事項等、全体の約三分の二が削除され記載されていません。
このような「記憶」に留めなければならない史実を平和資料館が展示しなければ、この資料館を訪れる子どもたちや一般見学者は、学校や教科書で学ぶ以上のことを資料館で学ぶことができなくなってしまいます。
これでは資料館の意味がなくなります。よく平和の創造と言われますが、平和とは相互理解、共に生きることであり、日本はアジアの一員として平和を希求し行動することが今求められています。
【戦争の悲惨さと平和の尊さを学ぶ】とはまず、史実を知ることから始まります。
私たちは平和資料館設立の趣旨に立ち戻って、昭和史年表全面書き替えをやめ、従来のものを尊重し、「もっと学びたい」という県民の願いに応えるよう平和資料館の充実・発展をここに求めます。
2013年10月18日
埼玉県平和資料館の充実・発展を求める10.18集会参加者一同
連絡先 「平和のための埼玉の戦争展」実行委員会
埼玉県平和資料館を考える会
『ピースおおさか(大阪国際平和センター)』を守り発展させるために
特定秘密保護法案の本質的な問題は何一つ解決していない
731部隊の罪業をアメリカは免責しても、世界の眼はごまかせない!!
特別パネル展示「731部隊展2013」開催のお知らせ
韓国で旧日本軍731部隊の悪事を暴く展示会
YOUTUBEで100万回以上再生されている、日本の731部隊の真実と題された映像
Unit 731 Japanese Torture & Human Medical Experiments 部隊
Unit 731 Japanese Human Medical Experiments (1/5)
中国が教える731部隊
よみがえる関東軍731部隊の悪夢
韓国が靖国参拝をけん制、「日本の政治指導者は加害者として謙虚になるべき」―中国メディア
新藤総務相が靖国参拝=「外交上問題ない」?
安倍首相、靖国参拝見送り=真榊奉納、秋季例大祭
脱原発!!
◆【小出裕章ジャーナル~第41回】世界の原子力発電所で一番危ないのは浜岡原発!!
政府は"脱原発"へ転換を 小泉元首相が講演
小泉元首相の「原発ゼロ」発言について。- 2013.10.17
35年の原発依存度20%台に 拡大政策見直し=韓国
『人間の価値』より(ドイツの「過去の克服」)
■訳者あとがき(1992年11月 林功三)
しかし、ドイツでも「過去の克服」がはじめからすんなりおこなわれてきたわけでは決してない。医学界でその歩みの困難であったことが本書にもうかがわれる。ここでは、ドイツの「過去の克服」の歩みを詳しく論じるわけにはいかないので、暗示にとどめたい。
45年以降西ドイツでは中途半端な「非ナチ化」しかおこなわれなかった。
「沈黙の50年代」と反共の冷戦時代に、反ファシズムは抽象的なものにすぎなかった。しかし、その後、学生と若者の反乱の時期から西ドイツのナチズム理解は次第に大きく変わっている。民主主義が成熟し、社会も大きく変わった60年代後半と70年代に、さらに80年代に入ると、「過去の克服」がいっそう徹底し、一部の戦争犯罪人の追及だけでなくナチズムに同意した学者、医者、さまざまな市民組織、個人の責任が問われるようになった。思想的にも、歴史研究においても、市民的世論のレベルでもそうである。ドイツでは―反動的な勢力も強いが―ナチズムの歴史に対する正しい認識と反省が着実におこなわれていること、もう決して後戻りさせられないものになっていることがわかる。そのすぐれた例のひとつがこの『人間の価値』であろう。
非ナチ化と「反ファシズム・民主主義」を国是にした東ドイツが、その理想主義的確信を国家への忠誠へすり替えて、抑圧の道具にしていまい、同伴者だった階層、市民の個人的戦争責任を問題にせず、人種的反ユダヤ主義もファシズムのたんなる付随現象にしてしまい、結局ナチズム理解を不十分なものにしてしまった過程を同時に見ていくと、『人間の価値』の示している「過去の克服」の歴史的意義は一層はっきりする。
ささやかな書物にすぎないが、この書物はドイツと同じように戦争責任を抱える日本人のわたしたちにとって示唆するものが大きい、とわたしは信じている。
1992年11月 林功三
水俣と福島の状況は酷似していませんか?
水俣病では工場が設置したサーキュレータが全く機能しなかった!
福島ではシルトフェンスは大丈夫なのか?
質問なるほドリ:シルトフェンスで汚染水を防げるの?=回答・鳥井真平
水俣病は克服などしていない!!まだ多くの人が苦しんでいる!!
写真集『水俣』(W.ユージン・スミス、アイリーンM.スミス、中尾ハジメ訳 三一書房より)
水俣条約:外交会議 首相ビデオメッセージ 「水銀による被害とその克服を経た我々」 「苦しみ知らぬ」患者反発
「水俣条約」採択、首相発言に水俣病被害者ら反発
医学界はここでも水俣病の否定にはしった!!
水俣病では、田宮委員会が、水俣病をもみ消し走った。
昭和35年に入り、医学者は水俣病の発生は止んだと発表した。こうして患者は、以後10年まったく忘れ去られた!!
(20:40あたりから)福島原発事故を想起させる!
水俣病=その20年=
水俣病では、海洋汚染のメチル水銀によって人々は神経細胞が冒された!1942年には水俣病の患者はいた!!
国も期待していたのでは?
1931年、水俣工場を昭和天皇が臨幸(11月16日)
昭和天皇は、チッソ水俣工場を昭和六年と昭和24年に訪問あそばされました。孫はチッソの経営者の孫娘と結婚しました。
チッソは、戦前国策会社の一つだった。
水俣病を引き起こしたチッソと皇太子妃雅子様は、いったいどのような関係があるの...
では、福島で現在起こっている大気・土壌・海洋汚染で引き起こされる放射能被害はどの様になるのだろうか?計り知れない!!
水俣病ビデオQ&A(1996年)
高杉晋吾「731・チッソ・原発」を語る!!
20130316 UPLAN 高杉晋吾 国策としての731部隊と原発
原発と医療!!
・・・・・・・・・・・
中部電力自身が出した資料で、被曝した人々の状況について中部電力が調査した。そうすると、正社員の被曝した数の28.5倍、これが非正社員の被曝した数の比率です。30人被曝したとすれば、正社員は1人か又は0、つまり被爆という事態という中に正社員と非正社員の差別という問題が明確に存在しているということ。これが図らずも中部電力自身が調べた資料の中で明らかになっています。
だとすると、そこで働く非正社員の健康状態を調べるのが、当然責任者としての中部電力のやるべきことではないでしょうか。
それを一切してこなかったということです。原発労働者は3ヵ月ごとにホールボディーカウンターの検査があり、診断がなされる。しかし、彼は一度も「お前の健康状態はおかしいよ」と言われたことはなかった。お母さんも聞いていない。
彼の病気の状態は非常に明々白々だったと思います。
まず、彼は非常に強い風邪の症状を呈していた。鼻血をしょっちゅう出していた。異常な寝汗をかいていた。それから38度以上の高熱を発する。体からはポッポポッポと湯気が発っている。それから家に帰ってくると非常な倦怠に襲われて、ゴロッと寝転んでしまう。
それでも、班長として責任を持って働き続けた。そして、最後に浜松の医大に行って、診察を受けるのですが、「今日俺、ライオンに襲われたよ。」というようなことをお母さんに言うそうですが、ちょっとお母さんが辛いだろうから体を撫でようとすると激烈な痛みがはしって怒る。なぜだろうかと言うことで少し調べると、造血作用が放射能によって破壊される。それによって、脳の方にも大きな影響が出る。したがって白血病という病状の中では精神障害をきたす。彼の場合はライオンが出て来て彼を襲ったという状況になったということですね。
だけど、普通お医者さんや病院は、彼がなぜそのような状態になったのか、即場の状況などを徹底して明らかにしていくはずではないでしょうか。それが一切なされていない。
彼が死んだあとに彼の被曝手帳が出てくる。彼は何と普通の血液の状態の3倍以上の白血病の症状を示す血液のデータが出てくる。白血病という症状がでてくれば、彼の置かれている浜岡原発の状況を医者が調べるのが当たり前でしょう。私はそう思います。
そういう病気の原因、これをなくそうというのが医療である。疫病、疫学というものはそういうものではないかと思いますが、それをしていない。それに彼は検査をすると言われて胸に穴を開けられて骨髄液を採られているのです。それで異常がないと言われているのです。骨髄液を調べれば白血病であることはわかるに決まっているのに、それさえも医者は大丈夫だと言った。それで彼は、責任上一生懸命職場へ行き、モップで放射能を拭いて、働き続けた。したがって彼は何も知らないまま死んでしまったということです。
どうしてこのような医療になったのか。原発で働いている正社員は現場に入らず、非正社員が現場に入る。そして、その非正社員の健康の問題を明らかにしない。なぜ明らかにしないかと言えば、それは原発で働く労働者がいなくなってしまうので、その人たちのデータを隠す。医療は隠すことに総力を挙げてきた。
原発は国策である。国策である原発を推進するためには、労働者を募集しなければ、事は進まない。その原発における発病の原因を明らかにしたのでは、日本の国策である原発にとっては重大な問題になってしまう。したがって、医療は原発の味方として、誰が死のうが知ったことではない。今はそういう形で医療が存在していると思います。
隠された被曝労働~日本の原発労働者1
ニュルンベルグ医師裁判では、人体実験に関与した医師が裁かれた!!
医者裁判
ハバロフスク軍事裁判!!
「スミルノフは公開裁判で731部隊の行為を明らかにし、アメリカ主導で行われた東京裁判の不完全さに世界の目を向けようとしたのである。」
・・・・起訴状朗読をもって審理に入った。
「起訴状―多年にわたり帝国主義日本は極東における侵略の主なる根源地であった。
日本の参謀本部及び陸軍省は日本の有名な細菌戦提唱者石井四郎を長とし・・・」
-起訴状には細菌戦部隊の罪が列挙されている。
・細菌戦を準備した罪。
・生きた人間を実験に使用した人道上の罪。
・中国で細菌兵器を実際に使用した罪。
・ソビエトに対して戦争を準備した罪。
ソビエトは、細菌戦部隊にかかわった個人としての責任を問い、さらには日本の戦争責任を追及しようとした。
「強制感染によって数千人の囚人を殺戮するごとき、あらゆる凶悪な行為をあえてなしたことが判明した。」
起訴状を書き上げるのに元になった内務省の捜査記録、この中には100人以上の証人の証言や被告たちの尋問調書が含まれている。
(プライム10「731細菌戦部隊」より)
アメリカは細菌戦のデータを独占し、天皇と731部隊員を裁かなかった!!アメリカにも大きな責任がある!!
ニュルンベルグ裁判では、非人道的な実験をした医師を裁いた!!
山本太郎10/11沖縄大学1「原発・TPP・秘密保全法」 IWJ_OKINAWA1
秘密保全法 「黒塗りさえ出なくなる」
20131010 UPLAN 【抜粋】西山太吉講演(秘密保護法を考える超党
まさか!?と思うのは甘すぎる!(´・ω・`)
日本政府は、731部隊をはじめ、大事な戦史資料を廃棄するな!!
公開せよ!!
中国の遺棄毒ガス弾の処理を進めるには?
最長で懲役10年 特定秘密保護法案とは? 【報道特集(2013年
日本政府は、アメリカから返還された731部隊の資料を速やかに公開せよ!!
日本政府は、過去の日本軍の忌まわしい史実を教科書から消し去っている!!
人体実験被害者、細菌戦被害者の悲鳴が聞こえませんか? 731部隊の犯罪(生体実験、生体解剖、細菌戦等)は、アメリカ政府が免罪しても、世界の目が許さない!! 戦後マッカーサーと昭和天皇の極秘会談は11回行われ、その中で沖縄や731のことも話し合われたのだろう。GⅡと731部隊幹部との話し合いは鎌倉で行われ、731部隊員の戦犯免責と引き換えにアメリカに情報を提供するということで合意した。 東京裁判では、天皇と731部隊員は戦争犯罪人から外されたが、その人たちの行った中国をはじめとするアジアでの加害行為は、消し去ることはできず、子々孫々まで語り継がれるだろう!! 今の安倍自民は、過去の史実をことごとく消し去ろうと必死になっている!! 「731部隊展開催20周年記念シンポジウム」 731細菌戦部隊 1(前編:プライム10) よりの書き起こし 現代史スクープ・ドキュメント 731細菌戦部隊 前編(1992年) アメリカ、ユタ州。今年(1992年)3月、私達はグレートソルトレイク砂漠の只中に位置する米軍基地を訪ねた。 アメリカ陸軍ダグウェイ実験場 実戦を想定した生物化学兵器の使用実験が行われるアメリカ唯一の施設である。 現在、生物化学兵器は、国際条約で禁止されているにもかかわらず、多くの国でその開発が続けられている。 この基地の設立目的は生物化学兵器への防御のためとされている。 湾岸戦争で使用された毒ガスマスクも、この基地でテストされた。 基地の一角にある文書館。 1942年に基地が作られてから今日までの生物化学兵器に関するあらゆる研究報告書が保存されている。 私達は、この文書館で旧日本軍の細菌戦部隊、731部隊の膨大な報告書を発見した。 2000ページに及ぶ細菌の感染実験のデータ並びにアメリカの科学者による731部隊の調査報告書である。 細菌を使った感染実験のデータ。 実験材料として使用されたのは、400体以上の人間である。 報告書には、実験に使われた細菌の種類、そしてアメリカの調査に協力した日本人研究者の名前が列挙されている。 石井四郎、731部隊部隊長である。 甲状腺、肝臓、リンパ節、脊髄、肺。 実験材料にされた人体はすべて解剖され、あらゆる臓器、器官がつぶさに観察されている。 前編・後編全文を読みたい人は「ノブのノート」で ・・・・・ 現代史スクープドキュメント (1992年放送、NHK[プライム10 731細菌戦部隊後編〕より) 裁判直後の1950年2月1日。裁判結果をまとめたソビエトは、アメリカのアチソン国務長官に文書を渡した。 ソビエトはその文書で「日本の細菌戦部隊の行為は天皇を頂点とする日本軍部の組織的な犯罪であることを指摘し、改めて国際軍事裁判を開くことを要求している。そして、直接人体実験を行った科学者である石井たち731部隊幹部を新たに訴追し、これを裁くことを求めた。 アメリカはこの時までハバロフスク軍事裁判に表面上は無関心を装っていた。 しかし、その裏で裁判の情報を盛んに集め、分析を進めていた。 ソビエトのアピールを受け取った2日後アメリカ国務省は記者会見を開き声明を発表した。 「今回のハバロフスク軍事裁判は37万人の日本人抑留者の問題から目をそらすためのソビエトのカムフラージュに過ぎない。」 731部隊の行為を国際軍事法廷で改めて裁くことを求めたソビエトのアピールは無視された。 アメリカは、このときすでに人体実験の詳細なデータを入手していたのである。 731部隊の人体実験の事実を世界に初めて告発したハバロフスク軍事裁判。 この裁判には、戦後世界の主導権を握りつつあったアメリカを牽制するという政治的意味合いも込められていた。 しかし、その政治性ゆえに、ハバロフスク軍事裁判は黙殺され、幻の裁判として忘れ去られていく運命をたどったのである。 こうして米ソ対立のはざまで日本の細菌戦部隊が行った人体実験の罪は闇に葬り去られた。 当事者である日本はその責任を自ら問うことなく半世紀が過ぎようとしている。 前編・後編全文を読みたい人は「ノブのノート」で しかし、帰国の直前、そのうちの1人が世を去った。 元731部隊第4部課長(細菌培養課課長)、柄沢十三夫。彼は自らその命を絶ったのである。 「彼は恩赦になると知っていました。日本に帰れたのです。ところがそのことを知っていながら、ある夜、彼は自殺することに決めた。これが、私の知っている全てです。日本に戻ることができない訳が何かあったのだろう。私達は、そう噂しあいました。」 村はずれの墓地。ここには収容所で死んでいった人が葬られている。この墓地の一画に柄沢が眠っていた。 柄沢はソビエトに抑留されていた細菌戦部隊員の中で人体実験の事実を最初に認めた1人である。 告白を始めるとき、柄沢はその心境をこう語っている・ 「このことは、いずれ誰かが語らなければならないと思って、苦しい思いをしてきた。今、私は、医者としての良心をかけて、すべてを話そう。」 良心の呵責を起こし、苦しんで自決したのは柄沢だけではない!! 優秀な医学者の中には、自分の犯した罪に苦しみ、自決した人もいた!!【詳しくは『細菌戦部隊と自決した2人の医学者』(常石敬一・朝野富三著、新潮社)をお読みください!!】 2013年部隊展資料より 実は日本軍はペスト菌をばら撒き、その威力を調べるために、生体解剖もしていた!!こわいことだ!! |