国家犯罪!731・水俣・原発・天皇制!!

2013-10-31 09:09:40 | Weblog
日本は過去の清算をきちんとしているのだろうか?

パネル展『白バラ―ヒトラーに抗した学生たち―』の開催に伴い、学術コロキウムを開催!!(以下転載)


(以上、転載)

731部隊の罪業をアメリカは免責しても、世界の眼はごまかせない!!

新たな証拠発見!!

旧日本軍の「731部隊」が中国雲南省で大規模な細菌戦や毒ガス戦を実施した証拠が大量に見つかった。31日付で中国新聞網が伝えた。

ハルビン市社会科学院731問題国際研究センターが今年5月、雲南省の西、保山、騰冲、龍陵、梁河、盈江などで現地調査を実施。
松山戦場遺跡や国墓園、中国遠征軍抗戦地など15カ所のほか、ペスト菌細菌戦による被害が大きかった地区、旧日本軍の慰安所跡などを回った。

「日本の南方軍は1942年5月3日、雲南省を侵犯し、怒江以西を2年近く占領しました」。同センターの責任者、楊彦君氏は語る。
現地では「731部隊と南方軍岡第9420部隊所属の各防疫給水部」が緬公路(昆明とミャンマーを結ぶ国際道路)で細菌攻撃を実施し、
第一の攻撃目標は保山と昆明だったと言い伝えられてきたという。

調査の結果、1942年5月に旧日本軍が保山と昆明で細菌攻撃を実施した確かな証拠が見つかった。「旧日本軍が残した化学防護服、
大量のネズミを飼育したカゴ、毒ガス応急箱などの実物から、日本軍が細菌戦を実施したことが証明できます」と楊氏。

楊氏らの調査チームは今回、旧日本軍の遺留品などの写真を600枚撮影し、75人から証言を集めた。
楊氏は「今後は731部隊のどの支部が西地区で細菌戦を行ったのか、何度行ったのかなど、さらに詳しく調査したい」と話している。

XINHUA.JP 7月31日(水)15時20分配信(編集翻訳 小豆沢紀子)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130731-00000015-xinhua-cn


韓国人「日本の731部隊の蛮行」



『人間の価値』より(ドイツの「過去の克服」)
ドイツの悲しい歴史!!
ドイツ:アーリア民族の優越性を強調、長は総統、ヒトラーは1945年4月30日自殺
日本:日本民族の優越性を強調、長は天皇(大元帥または現人神を名乗る)、戦後、占領軍と密談と取引きにより戦犯免責、その後も在位!!

略年表
1942年8月5日
ダッハウ強制収容所で低温人体実験始まる。
1942年11月1日
フィッシャー、カイザー・ヴィルヘルム人類学・人間遺伝学・優生学研究所を退く。彼の後を継いだのはヴェルシェアだった。
1942年12月16日
ヒムラー、「ジプシー問題の最終的解決」を命令。シンチとローマはアウシュヴィッツへ移送された。
1943年2月3日
スターリングラードでドイツ軍敗退。
1943年3月30日
ヨーゼフ・メンゲレ、アウシュヴィッツ強制収容所の医師となる。彼はヴェルシェアに「研究報告」を送った。
1944年5月9日
神経病理学者のユリウス・ハラーフォルデンはブランデンブルグ病院で殺害された697人の患者の注文済みの脳を受け取った。
1944年夏ー秋
メンゲレがアウシュヴィッツからベルリンのカイザー・ヴィルヘルム研究所へ大量の「科学資料」を送った。
1945年5月8日
ドイツ降伏。
1946年12月9日ー1947年7月19日
ニュルンベルグ米軍第1法廷で、強制収容所、研究所での人体実験や安楽死を計画実行した23人の医師、SS将校、官僚に対する裁判(「ニュルンベルグ医師裁判」)が行われた。


日本の医療行政は、患者を救うのではなく権力側・企業側に寄り添っている!!


水俣病(みなまたびょう)は、日本の化学工業会社であるチッソが海に流した廃液により引き起こされた公害病である。 世界的にも「ミナマタ」の名で知られ、水銀汚染による公害病の恐ろしさを世に知らしめた。なお、舞台となった水俣湾は環境庁の調査によって安全が確認され、現在では漁が行われている。(ウキペディアより)
※しかし、微量の有機水銀を含んだ魚を接種し続ける場合の健康被害は不明である。


水俣と福島の状況は酷似していませんか?
水俣病では工場が設置したサーキュレータが全く機能しなかった!
福島ではシルトフェンスは大丈夫なのか?
質問なるほドリ:シルトフェンスで汚染水を防げるの?=回答・鳥井真平

水俣病は克服などしていない!!まだ多くの人が苦しんでいる!!


写真集『水俣』(W.ユージン・スミス、アイリーンM.スミス、中尾ハジメ訳 三一書房より)

水俣条約:外交会議 首相ビデオメッセージ 「水銀による被害とその克服を経た我々」 「苦しみ知らぬ」患者反発

医学界はここでも水俣病の否定にはしった!!
水俣病では、田宮委員会が、水俣病をもみ消し走った。(宇井純)
昭和35年に入り、医学者は水俣病の発生は止んだと発表した。こうして患者は、以後10年まったく忘れ去られた!!
(20:40あたりから)福島原発事故を想起させる!
水俣病=その20年=


偉い学者(原田正純、宇井純、小出裕章など)は出世できない社会?(権力側が押さえつける構造)
宇井純氏は、なぜ万年助手だったの?

【訃報】<宇井純さん死去>「水俣病」などに大きな足跡

尊敬する学者・宇井純・水俣病


水俣病と731部隊の影

田宮猛雄について
◆731部隊関連科学者たちの戦後
東京帝国大学にあって、731部隊のための人材スカウトの役目を果たしていた田宮猛雄博士は、1945(昭和20)年4月東大医学部長になった。そして後にリッケチアによる伝染病、かの有名なつつが虫病の研究で世界的名声を獲得する。彼はさらに日本国立ガンセンターの初代の所長になり、日本医師会の会長にもなった。
【『731部隊の生物兵器とアメリカ』
(バイオテロの系譜) 2003年発行
(ピーター・ウィリアムズ / デビッド・ウォーレス=著 西里扶甬子=訳 かもがわ出版)より】
◆京大閥「731部隊」、東大閥「同仁会」
そのころ、東京帝大伝染病研究所(伝研)は激動に見舞われていた。昭和20年9月2日、岡本啓氏(伝研2部)が自分の研究室でガス自殺をし、ついで、昭和20年9月16日、米軍が伝研を接収しようとしたが、これは田宮猛雄所長らの抵抗で阻止するなど大忙しであった。
北野(北野政次・・・731部隊2代目隊長)が東大伝研に現れたとき、最も北野を庇護したのがこの田宮猛雄伝研所長であった。田宮は日本医学界の大ボスで、多くの伝研所員を「徴兵逃れ」を餌に731部隊や同仁会に送り込んでいた。
731部隊の大ボスが京大閥の石井であるならば、当時の軍隊を頂点とする権力構造に、民間の側から医学的に奉仕したのが同仁会である。
【『731部隊細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)高杉晋吾著より】
◆水俣病と田宮猛雄
「原発はいますぐ廃止せよ」より転載
歴史は繰り返す  水俣病の有機水銀説を否定する「田宮委員会」御用学者たち
(3)日本化学工業協会の田宮委員会
見舞金契約の決着で年を越した昭和35(1960)年以降は、通産省の指導によりチッソは表立って有機水銀説に反論を出すことはなくなり、代わって、有機水銀説への反論・異論を唱える役割は日本化学工業協会(以下「日化協」という。)が担うことになった。
その場として日化協は「田宮委員会」を用意した。
チッソに代わって業界団体が水俣病問題に乗り出してきたことは、有機水銀説すなわち工場原因説による影響がチッソだけでなく国内の他の同種工場へ波及することを懸念したものと思われる。
昭和34(1959)年9 月には、既に大島日化協理事が爆薬説を主張していた。日化協は、同年12 月に水俣病問題に関連した排水対策のため、産業排水対策委員会の中に塩化ビニール酢酸特別委員会を設立した。
昭和35(1960)年4 月8 日、日化協は、酢酸特別委員会の付属機関として、田宮猛雄日本医学会会長を委員長に、錚々たるメンバーを集めて「水俣病研究懇談会」を設けた。
この会は委員長の名を取って「田宮委員会」と呼ばれ、日化協は、これを中立的、科学的見地からの水俣病への取り組みであると強調した。
[注釈]主なメンバーとしては、顧問に小林芳人東京大学名誉教授(薬理学)、沖中重雄東京大学医学部教授(内科学)、幹事に勝沼晴雄東京大学医学部教授(公衆衛生学)、委員に山本正東京大学伝染病研究所教授、斉藤守東京大学医学部助教授(病理学)、大八木義彦東京教育大学教授(分析化学)のほか、同月12 日の第2 回水俣病総合調査研究連絡協議会で「有毒アミン説」を発表した清浦雷作教授と戸木田菊次東邦大学教授(薬理学)らも加わった。
熊本大学医学部も参加を要請されたが、世良完介医学部長(法医学)はこれを断り、昭和36(1961)年に医学部長が忽那将愛教授(くつな・まさちか)(解剖学)に代わってから参加するようになった。

http://www.nimd.go.jp/syakai/webversion/pdfversion/houkokushopdf.html

原因についてはさまざまな説があり、いまだ確定していないという委員会の主張がそのままマスコミによって報道され、 有機水銀説を相対化させ、原因は未解決という印象を与えることになった。この点で、日化協の田宮委員会が水俣病の原因究明を後退させた影響は大きく、 新潟における第二水俣病の発生を許す一因にもなったと考えられている。
http://www.supercourse-japan.org/lecture/other/Minamata3/10.html

これは過去に現実に起こったこと、本当にあったことだよ、日本の医学界の代表、学会のトップの東京大学だよ、

みんな全員うそつきなんだよ。マスコミも連動してうそつきだよ。

今起こっている福島原発問題、子供たちの被曝線量の安全安心のうそ発表を、これでもまだあなたは、信じるの?

資金をかき集めて、東京に避難しろ、東電に行って補償金をふんだくれ、金が出来たらさらに遠方に疎開しろ、それからゆっくり今後の仕事や学校のことをのんびり考えろ、人生は長い慌てることはない、ただ子供の健康にだけ気をつけろ、まだ子供を作る気なら、自分の健康も注意しろ、私からは以上だ。(以上転載)


水俣病では、海洋汚染のメチル水銀によって人々は神経細胞が冒された!1942年には水俣病の患者はいた!!

国も期待していたのでは?
1931年、水俣工場を昭和天皇が臨幸(11月16日)
昭和天皇は、チッソ水俣工場を昭和六年と昭和24年に訪問あそばされました。孫はチッソの経営者の孫娘と結婚しました。
チッソは、戦前国策会社の一つだった。
水俣病を引き起こしたチッソと皇太子妃雅子様は、いったいどのような関係があるの...

では、福島で現在起こっている大気・土壌・海洋汚染で引き起こされる放射能被害はどの様になるのだろうか?計り知れない!!
水俣病ビデオQ&A(1996年)


「水俣病の大なる原因は人を人としてあつかわなかったこと」-原田正純先生をしのぶ


・・・・・・・・・・
見舞客を笑顔で迎え、亡くなる2週間には、原田先生が胎児性水俣病患者に深くかかわるきかっけとなった人物・金子スミ子さん(81)との面会も実現し、感謝の気持ちを伝えたそうだ。スミ子さんとの出会いは60年代の水俣にさかのぼる。

ある日、原田先生は、縁側で遊んでいる兄弟の症状が全く同じことにきづき、母親のスミ子さんに、二人とも水俣病なのかと聞いた。すると「お兄ちゃんは水俣病だけど、弟は違う」という。

どうしてかたずねると、「先生たちがそういっているじゃないですか」といわれた。兄のほうは魚を食べて発病したから水俣病だが、弟のほうは生まれたときから病状があったから水俣病ではないという。

母親は続けて、「先生たちは魚を食べないと水俣病にならないといっているけど、私はそう思っていない」というのだ。夫も長男も発病し、同じものを食べていた自分がうんだ下の子は、うまれながらに障害をもっている。自分に症状がみられないのは、体内の水銀がおなかの子どもにいったのではないかと。

当時の医学では、「胎盤は毒物をとおさない」が定説だったが、原田先生はスミ子さんの言葉を聞き流さなかった。このことは後に、国に胎児性水俣病患者を認めさせることにつながった。


水俣病と生きる1-6 医師・原田正純の50年 ドキュメンタリー番組


水俣病患者が自らの悩みを語る!!
水俣病と生きる2-6 医師・原田正純の50年 ドキュメンタリー番組




ニュルンベルグ医師裁判では、人体実験に関与した医師が裁かれた!!
医者裁判

ハバロフスク軍事裁判!!
「スミルノフは公開裁判で731部隊の行為を明らかにし、アメリカ主導で行われた東京裁判の不完全さに世界の目を向けようとしたのである。」
・・・・起訴状朗読をもって審理に入った。
「起訴状―多年にわたり帝国主義日本は極東における侵略の主なる根源地であった。
日本の参謀本部及び陸軍省は日本の有名な細菌戦提唱者石井四郎を長とし・・・」
-起訴状には細菌戦部隊の罪が列挙されている。
・細菌戦を準備した罪。
・生きた人間を実験に使用した人道上の罪。
・中国で細菌兵器を実際に使用した罪。
・ソビエトに対して戦争を準備した罪。
ソビエトは、細菌戦部隊にかかわった個人としての責任を問い、さらには日本の戦争責任を追及しようとした。
「強制感染によって数千人の囚人を殺戮するごとき、あらゆる凶悪な行為をあえてなしたことが判明した。」
起訴状を書き上げるのに元になった内務省の捜査記録、この中には100人以上の証人の証言や被告たちの尋問調書が含まれている。
(プライム10「731細菌戦部隊」より)

アメリカは細菌戦のデータを独占し、天皇と731部隊員を裁かなかった!!アメリカにも大きな責任がある!!
ニュルンベルグ裁判では、非人道的な実験をした医師を裁いた!!

山本太郎10/11沖縄大学1「原発・TPP・秘密保全法」 IWJ_OKINAWA1

秘密保全法 「黒塗りさえ出なくなる」

20131010 UPLAN 【抜粋】西山太吉講演(秘密保護法を考える超党

まさか!?と思うのは甘すぎる!(´・ω・`)

日本政府は、731部隊をはじめ、大事な戦史資料を廃棄するな!!
公開せよ!!

ABC企画ニュース



日本政府は、アメリカから返還された731部隊の資料を速やかに公開せよ!!



日本政府は、過去の日本軍の忌まわしい史実を教科書から消し去っている!!
人体実験被害者、細菌戦被害者の悲鳴が聞こえませんか?

731部隊の犯罪(生体実験、生体解剖、細菌戦等)は、アメリカ政府が免罪しても、世界の目が許さない!!

戦後マッカーサーと昭和天皇の極秘会談は11回行われ、その中で沖縄や731のことも話し合われたのだろう。GⅡと731部隊幹部との話し合いは鎌倉で行われ、731部隊員の戦犯免責と引き換えにアメリカに情報を提供するということで合意した。
東京裁判では、天皇と731部隊員は戦争犯罪人から外されたが、その人たちの行った中国をはじめとするアジアでの加害行為は、消し去ることはできず、子々孫々まで語り継がれるだろう!!
今の安倍自民は、過去の史実をことごとく消し去ろうと必死になっている!!

「731部隊展開催20周年記念シンポジウム」


731細菌戦部隊 1(前編:プライム10) よりの書き起こし
現代史スクープ・ドキュメント
731細菌戦部隊 前編(1992年)
アメリカ、ユタ州。今年(1992年)3月、私達はグレートソルトレイク砂漠の只中に位置する米軍基地を訪ねた。
アメリカ陸軍ダグウェイ実験場
実戦を想定した生物化学兵器の使用実験が行われるアメリカ唯一の施設である。
現在、生物化学兵器は、国際条約で禁止されているにもかかわらず、多くの国でその開発が続けられている。
この基地の設立目的は生物化学兵器への防御のためとされている。
湾岸戦争で使用された毒ガスマスクも、この基地でテストされた。
基地の一角にある文書館。
1942年に基地が作られてから今日までの生物化学兵器に関するあらゆる研究報告書が保存されている。
私達は、この文書館で旧日本軍の細菌戦部隊、731部隊の膨大な報告書を発見した。
2000ページに及ぶ細菌の感染実験のデータ並びにアメリカの科学者による731部隊の調査報告書である。
細菌を使った感染実験のデータ。
実験材料として使用されたのは、400体以上の人間である。
報告書には、実験に使われた細菌の種類、そしてアメリカの調査に協力した日本人研究者の名前が列挙されている。
石井四郎、731部隊部隊長である。
甲状腺、肝臓、リンパ節、脊髄、肺。
実験材料にされた人体はすべて解剖され、あらゆる臓器、器官がつぶさに観察されている。
前編・後編全文を読みたい人は「ノブのノート」で

・・・・・
現代史スクープドキュメント
(1992年放送、NHK[プライム10 731細菌戦部隊後編〕より)
裁判直後の1950年2月1日。裁判結果をまとめたソビエトは、アメリカのアチソン国務長官に文書を渡した。
ソビエトはその文書で「日本の細菌戦部隊の行為は天皇を頂点とする日本軍部の組織的な犯罪であることを指摘し、改めて国際軍事裁判を開くことを要求している。そして、直接人体実験を行った科学者である石井たち731部隊幹部を新たに訴追し、これを裁くことを求めた。
アメリカはこの時までハバロフスク軍事裁判に表面上は無関心を装っていた。
しかし、その裏で裁判の情報を盛んに集め、分析を進めていた。
ソビエトのアピールを受け取った2日後アメリカ国務省は記者会見を開き声明を発表した。
「今回のハバロフスク軍事裁判は37万人の日本人抑留者の問題から目をそらすためのソビエトのカムフラージュに過ぎない。」

731部隊の行為を国際軍事法廷で改めて裁くことを求めたソビエトのアピールは無視された。
アメリカは、このときすでに人体実験の詳細なデータを入手していたのである。

731部隊の人体実験の事実を世界に初めて告発したハバロフスク軍事裁判。
この裁判には、戦後世界の主導権を握りつつあったアメリカを牽制するという政治的意味合いも込められていた。 
しかし、その政治性ゆえに、ハバロフスク軍事裁判は黙殺され、幻の裁判として忘れ去られていく運命をたどったのである。

こうして米ソ対立のはざまで日本の細菌戦部隊が行った人体実験の罪は闇に葬り去られた。

当事者である日本はその責任を自ら問うことなく半世紀が過ぎようとしている。

前編・後編全文を読みたい人は「ノブのノート」で

しかし、帰国の直前、そのうちの1人が世を去った。
元731部隊第4部課長(細菌培養課課長)、柄沢十三夫。彼は自らその命を絶ったのである。
「彼は恩赦になると知っていました。日本に帰れたのです。ところがそのことを知っていながら、ある夜、彼は自殺することに決めた。これが、私の知っている全てです。日本に戻ることができない訳が何かあったのだろう。私達は、そう噂しあいました。」
村はずれの墓地。ここには収容所で死んでいった人が葬られている。この墓地の一画に柄沢が眠っていた。
柄沢はソビエトに抑留されていた細菌戦部隊員の中で人体実験の事実を最初に認めた1人である。
告白を始めるとき、柄沢はその心境をこう語っている・
「このことは、いずれ誰かが語らなければならないと思って、苦しい思いをしてきた。今、私は、医者としての良心をかけて、すべてを話そう。」












良心の呵責を起こし、苦しんで自決したのは柄沢だけではない!!
優秀な医学者の中には、自分の犯した罪に苦しみ、自決した人もいた!!【詳しくは『細菌戦部隊と自決した2人の医学者』(常石敬一・朝野富三著、新潮社)をお読みください!!】

2013年部隊展資料より


実は日本軍はペスト菌をばら撒き、その威力を調べるために、生体解剖もしていた!!こわいことだ!!



天皇はもちろん731部隊の人体実験を知っていただろう!!
(3:30あたりから)

UNIT3
・・・・
日本の防衛庁資料室で見つかった記録によると、731部隊は天皇の裁可によって設立されたということが明らかになりました。
この書類には天皇の印章が押されてあったのです。また、天皇の弟の三笠宮は平房を訪れていたことがわかりました。
部隊のカメラマンだった山下氏です。
「当時の貴族はみな軍人になっていました。ときどき、我々の部隊にもそういう方々がやって来ました。私は三笠宮のご訪問を特によく覚えています。私が彼の写真を撮ったのですが、太陽がメガネに反射して目がよくわからなくなってしまったのです。石井隊長は関東軍の科学のメッカたる我が部隊の写真班としては科学的にこれを修正する方法があるはずだと言って、すぐに修正するように迫りました。そんなことがあったので、私は三笠宮の来訪をはっきりと覚えています。」
それどころか、天皇自身も平房での研究が最盛期であった1939年に満州に少なくとも1度は行っています。しかし天皇は人体実験について知っていたのでしょうか。
「日本の制度として主要な研究の報告書は、組織内のすべての人に回覧されることになっており、その流れが途中で止まることは考えられません。私の考えでは、あのように重要な情報が天皇に届いていなかったと考えるのは馬鹿げていると思います。」・・・・・


unit 731 3
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国家犯罪!731・水俣・原発・天皇制!!

2013-10-31 09:06:09 | Weblog

2013年 731部隊シンポジウム1  単長清女史(陳列館書記)、


2013年   731部隊シンポジウム 2  張可偉氏(731部隊被害



731部隊は中国各地で細菌戦を行った!!

2013年 731部隊シンポジウム3 李宏華氏、易友喜氏(常徳細菌戦被害者)









2013年 731部隊シンポジウム 4 山田朗氏(明治大学教授、登戸研究所資料館館長)


2013年 731部隊シンポジウム5  吉中丈志氏(京都民医連中央病院院長)



2013年 731部隊シンポジウム 6 奈須重雄氏(細菌戦資料センター理事)、伊勢弘志氏(明治大学講師)

731部隊の人体実験のレポート見つかる(NHKニュース)

731細菌戦部隊 1(前編:プライム10)


731細菌戦部隊 4(後編、プライム10)

・・・・

unit731  1


731部隊・元部隊員の証言 1


満州医科大学及び731部隊での生体実験


731部隊・元部隊員の証言 5

731部隊で行われていた残虐行為はアウシュビッツ以上だ!!

今も続く細菌戦の恐怖  1 国立予防衛生研究所(現在の感染症研究所) ・登戸研究所

今も続く細菌戦の恐怖 2 日米医学会義

発見!731部隊 衝撃の新事実!!

日本に細菌戦生体実験場があった !?

闇に消えた虐殺 731部隊(10分版)

闇に消えた虐殺ー731部隊 1

闇に消えた虐殺ー731部隊 2

闇に消えた虐殺ー731部隊 3


知ってるつもり 731部隊



黒い太陽731部隊

●ベトナム戦争の枯葉剤と731部隊の関係は?

Ⅲペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
・・・・
第2部には、我々の他に、八木沢班というのがあった。ここは植物や穀物を枯らす細菌の研究をしていた。ベトナム戦争の時に、アメリカ軍が、ベトナムで枯葉作戦というのを行なったということを知った。そして、この枯葉作戦は、731部隊八木沢班の研究が発展させられたものであるということを聞いた。何ともやりきれない想いにとらわれてしまった。
戦争は2度と起こしてはいけないと、心の中で念じつつ、筆を置くことしかできない今の自分を残念に思うことしきりである。
【真相:石井細菌戦部隊 郡司陽子編】より
ベトちゃんドクちゃん
皮肉な話(ウキペディアより)
分離手術が行われ、この手術は日本赤十字社が支援し、日本から医師団が派遣され高度な医療技術が提供された。ベトナム人医師70人、日本人医師4人という医師団を編成しての17時間に及ぶ大手術は成功し、ベトには左足がドクには右足がそれぞれ残された。ドクには日本から義足が提供された。



2013年「731部隊パネル展」より

27分あたりから川田龍平さんの意見。
語り部 731部隊 少年隊員の見た細菌戦部隊


エイズウィルス

ヒト免疫不全ウイルス(ヒトめんえきふぜんウイルス、英: Human Immunodeficiency Virus、HIV)は、人の免疫細胞に感染して免疫細胞を破壊し、最終的に後天性免疫不全症候群(AIDS)を発症させるウイルス。(ウキペディアより)

エイズウィルスと731部隊の関係
山崎淑子の「生き抜く」ジャーナル!
【731部隊と帝銀事件と薬害エイズ】米、人体実験のデータと引き換えに、731部隊の戦争犯罪は問わないと約束。アメリカ陸軍フォート・ディートリック基地の生物化学研究所にデータは持ち込まれたという。エイズウィルスは、731部隊のデータを利用した可能性。
1969年、軍の生物兵器担当者の議会での驚愕の議会証言がある。「我々は、ヒト免疫システムを破壊する新しいウィルスを作る計画を持っています。」それがエイズウィルスであり、ジャーナリストのデイブ・エモリー氏によるとエイズウィルスは、アメリカの生物兵器開発の過程で人工的に作られたもので、731部隊のデーターを利用した可能性があるという。731部隊の隊員によって作られたミドリ十字という製薬会社から、薬害エイズが広がった。

731細菌部隊と帝銀事件との真相1

731細菌部隊と帝銀事件との真相2


731部隊とエイズとの関係
◆『日本ブラッドバンク/ミドリ十字(現:三菱ウェルファーマ)』
創設者:「内藤良一」元軍医中佐(帝国陸軍細菌戦731部隊の中枢メンバー)
1950年11月:厚生省(現:厚生労働省)、日本赤十字、GHQに働きかけて、「日本ブラッドバンク」が設立される。
「宮本光一(日本特珠工業社長、陶器製爆弾、石井式濾水器製作)」
「北野政次(帝国陸軍細菌戦731部隊の中枢メンバー)」
「二木秀雄(帝国陸軍細菌戦731部隊の中枢メンバー)」が協力して設立される。

731部隊時に開発(1943年から開始)された乾燥血しょう(内藤良一は、乾燥血しょうを作る為の凍結真空乾燥という技術を持っていた。この凍結真空乾燥という技術は、細菌を粉末状態にする特別な技術であり、細菌を長持ちさせることが可能で、これを爆弾に詰めて落とす「細菌戦」を可能にする)などの技術を朝鮮戦争時にアメリカ軍へ売り込んで莫大な利益を得た。

1954年:「血液製剤」を薬と同じように、健康保険の対象にすることに成功する。
1964年:駐日アメリカ大使が刺される事件が発生。その時の輸血で肝炎に感染する事故が起きる。そして保存血液以外の「血液製剤」が、民間企業によって作られることになる。
1964年:「ミドリ十字(現:三菱ウェルファーマ)」に改名する。同年アメリカに子会社「アルファ社」を設立する。日本国内で最大規模を誇る大企業へと変貌していく。

◆『731部隊関係者の力によって作られた血液産業企業』
「日本ブラッドバンク/ミドリ十字(現:三菱ウェルファーマ)」「日本製薬」「熊本化血研(ワクチン産業)」など。

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これらの事実を目の当たりにして、「エイズは米軍がつくった生物兵器だ」といいきれるかは微妙な立場になってきた。というのも、朝鮮戦争時に日本の一企業が、莫大な利益を上げているのだから。

細菌兵器として一目を置いたのは、世界制覇を目指す米国に間違いない。だが、その米国の意志を実現させる為の技術提供をしたのは日本の731部隊だ。

そして、今や細菌兵器のみならず、医療という名目で日本の国民を薬漬け・治療付けにしようとしている医学界の存在が見えてくる。


731部隊石井四郎軍医中将と、薬害エイズのミドリ十字社の奇妙な接点より
薬害エイズの何が問題か、血液製剤を介した薬害エイズは、サリドマイドやキノホルム中毒(スモン)、薬害ヤコブ病と同様に、国や製薬企業が適切な対策をとらなかったために拡大した。1人ないし2人分の国内産血液からつくるクリオ製剤を用いる、非加熱製剤を速やかに回収し加熱製剤に切り替える、などの対策を早期にとっていれば、HIV感染の拡大は防ぐことができたのである。ところが、数千人の血液を混ぜ合わせてつくる非加熱血液製剤の危険性がUSAで明らかになってからも、医師はその危険性を患者に告知せず、製薬企業も漫然と輸入と販売を続け、厚生省はなんの対策もとらなかった。


薬害エイズ事件は、元731部隊員の内藤良一によって設立されたミドリ十字によって引き起こされた。

 薬害エイズ事件(やくがいエイズじけん)とは、1980年代に、主に血友病患者に対し、加熱などでウイルスを不活性化しなかった血液凝固因子製剤(非加熱製剤)を治療に使用したことにより、多数のHIV感染者およびエイズ患者を生み出した事件である。非加熱製剤によるHIV感染の薬害被害は世界的に起こったが、日本では全血友病患者の約4割にあたる1800人がHIVに感染し、うち約600人以上がすでに死亡しているといわれる。(ウキペディアより)


薬害エイズ事件後に建てられた、厚労省の「誓いに碑」





問われる戦争責任!!戦後責任!!
戦争遺跡!「731部隊」

聞こえませんか?「マルタ」の叫びが!!
不帰の門


象徴的な事例をあげてみたい。今はもう無くなったが、数年前には731部隊遺跡の本部楼から「ロ号棟」を結ぶ回廊の一部が残されていて(それは現在も確認できるが)、「煉獄門」(「不帰の門」)と書かれた文章が壁の金網越しに中国語、そして英語、日本語、韓国語の訳が添えられてあった。
これは誰が考えた文章か、筆者は確認することができない。以下、原文のままを再掲する。

これは731部隊が設立した人生の「不帰の門」である。当時たくさんの被実験者は此処を経由して生命の終点に行った。そして生還者が1人もいない。この門の中で飽くことを知らない野心と喪失した人間性とを無情な殺戮が充満したことがある。ただ「人間」として自分の罪を反省する事だけ発見できない。「煉獄門」の前に立って誰かが何かを述べているような感じがする。誰かが悲惨な歴史と未来の平和を述べているような感じがする。

決して正確ではない日本語がここではよけいに現実的な情景として見る者に訴えかける。「被実験者」とは通称マルタのことで、ここを通ったが最後、生きて帰ることはなかった。「飽くことを知らない野心」と「人間性を喪失した無情な殺戮」とは当時の医学の倫理的破綻であろうか。彼らは人道を、罪という自覚を失した集団であった。「煉獄門」の前に立てば、そこから人間の叫びが聞こえる。私もまた耳をそば立ててみた。未来の平和ではなく、憎しみばかりが募った。・・・・・
(『戦争遺跡と歴史認識」』ー「731部隊」遺跡保存活動を通して私が学んだことー田中 寛著より)

731部隊の遺跡2


731部隊からフクシマまで、日本医学界は何の反省も無く医療が続けられている!!

日中戦争の最中、国家総動員法が施行され、医学界から多くの優秀な人材が731部隊にも行った。そこで人体実験を繰り返しながら、細菌兵器の開発を進め、中国各地で細菌戦を行い、多くの中国人や日本人にも被害を出した!!敗戦直前に、天皇の責任が問われないよう証拠湮滅のため部隊は破壊され、部隊員はいち早く日本へ帰国した。上級幹部は、アメリカに研究データを引き渡し、戦犯免責を受け、アメリカの細菌兵器開発に協力し、東京裁判にはかけられなかった。

1945年8月6日や9日の原爆投下後の被爆調査には、医学者が動員され、天皇制護持するためのカードとして、アメリカの喜ぶような原爆の威力を示す被害調査が行われ、患者の治療はほとんどされなかった。8月のうだるような暑さの中での原爆投下の惨状は、本当に生き地獄であった!!
医学者たちは、被害調査に没頭し、ほとんど被爆者の医療がなされていないとは驚きだ!!
その中で、治療とは関係ない人体実験が行われ、もしかしたら生体解剖もされていたのではないかと疑ってしまう!!
また、731部隊上級研究員たちは、医学界で出世し、重要なポストに坐ったため、731部隊の非人道的な行為は反省も謝罪もされなかった。 戦後も、人体実験が行われ、それが世間に知られるようになると、社会問題になることもあった。
1954年の水爆実験では、元731部隊員の宮川正が被曝した漁船800隻のうちの1隻「第5福竜丸」だけを問題視し、放射能の影響を過小評価した。
また、
水俣病では、田宮委員会が、水俣病をもみ消し走った。
昭和35年に入り、医学者は水俣病の発生は止んだと発表した。こうして患者は、以後10年まったく忘れ去られた!!
(20:40あたりから)福島原発事故を想起させる!
水俣病=その20年=

「薬害エイズ事件」では、元731部隊員内藤良一の設立したミドリ十字が問題となった。


今回の福島第一原発の事故も、健康被害の調査は表面上は行われているが、治療は行われていないのではないか?
長崎大学の山下俊一を福島県立医大の副学長として派遣し、とんでも発言を繰り返し、問題を起こしている。
山下俊一トンデモ発言


731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書



パネル集「731部隊展」


1993年7月~1994年12月(731部隊展より)

榊原林口支部長の証言(5:30あたりから)
発見!731部隊 衝撃の新事実!!


これまで、「証拠がない」として細菌戦の実施を認めてこなかった日本政府の根拠が、崩れた!!
生物兵器による攻撃についての新資料
発行「戦争と医の倫理」の検証を進める会
発売三恵社より

●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開?/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
ヴォートリン
ヴォートリン
日記の抄訳(1937年12月12日~1938年5月13日)
1月21日、金曜日
きょうは地面では雪でも、天気はほとんど穏やかだった。泥が今やわたしたちの問題だ。炊き出し所へご飯を買いに出かけていく何百人と、ここにいる親戚の者たちに食料を持って来る別の何百人とで、建物に運び込んでくれる泥が、われらがそれに敵対しえるよりずっと多いのだ。
お昼ご飯の後まもなく、午後の婦女たちの集会を知らせに、西北寮へ行こうとしていたら、難民が数人走って来て、裏のキャンパスに兵士たちがいると言う。裏門へちょうどよく駆けつけられたのが、兵士4人がわたしを見て手離した少女3人は、農夫の徐さんの家に近い難民小屋から捕まってきたのだった。兵士たちは丘の向こうへ消え去った。ちょっとしたら、憲兵の一団がキャンパスにきたので、この事件を報告できた。またしばらくして、将校が2人来た―南京城外に駐屯していると、言っていた。



脱原発

京大学原子炉実験所・小出裕章助教のメッセージ「ラジオフォーラム

◆小出裕章ジャーナル~第40回【放射能の沼が海に流れている

社民・吉田党首、小泉元首相と会談へ 脱原発で連携模索

全文を読みたい人は「ノブのノート」で
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