パネル展『白バラ―ヒトラーに抗した学生たち―』の開催に伴い、学術コロキウムを開催!!(以下転載)
(以上、転載)
731部隊の罪業をアメリカは免責しても、世界の眼はごまかせない!!
新たな証拠発見!!
旧日本軍の「731部隊」が中国雲南省で大規模な細菌戦や毒ガス戦を実施した証拠が大量に見つかった。31日付で中国新聞網が伝えた。
ハルビン市社会科学院731問題国際研究センターが今年5月、雲南省の西、保山、騰冲、龍陵、梁河、盈江などで現地調査を実施。
松山戦場遺跡や国墓園、中国遠征軍抗戦地など15カ所のほか、ペスト菌細菌戦による被害が大きかった地区、旧日本軍の慰安所跡などを回った。
「日本の南方軍は1942年5月3日、雲南省を侵犯し、怒江以西を2年近く占領しました」。同センターの責任者、楊彦君氏は語る。
現地では「731部隊と南方軍岡第9420部隊所属の各防疫給水部」が緬公路(昆明とミャンマーを結ぶ国際道路)で細菌攻撃を実施し、
第一の攻撃目標は保山と昆明だったと言い伝えられてきたという。
調査の結果、1942年5月に旧日本軍が保山と昆明で細菌攻撃を実施した確かな証拠が見つかった。「旧日本軍が残した化学防護服、
大量のネズミを飼育したカゴ、毒ガス応急箱などの実物から、日本軍が細菌戦を実施したことが証明できます」と楊氏。
楊氏らの調査チームは今回、旧日本軍の遺留品などの写真を600枚撮影し、75人から証言を集めた。
楊氏は「今後は731部隊のどの支部が西地区で細菌戦を行ったのか、何度行ったのかなど、さらに詳しく調査したい」と話している。
XINHUA.JP 7月31日(水)15時20分配信(編集翻訳 小豆沢紀子)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130731-00000015-xinhua-cn
韓国人「日本の731部隊の蛮行」
『人間の価値』より(ドイツの「過去の克服」)
ドイツの悲しい歴史!!
ドイツ:アーリア民族の優越性を強調、長は総統、ヒトラーは1945年4月30日自殺
日本:日本民族の優越性を強調、長は天皇(大元帥または現人神を名乗る)、戦後、占領軍と密談と取引きにより戦犯免責、その後も在位!!
略年表
1942年8月5日
ダッハウ強制収容所で低温人体実験始まる。
1942年11月1日
フィッシャー、カイザー・ヴィルヘルム人類学・人間遺伝学・優生学研究所を退く。彼の後を継いだのはヴェルシェアだった。
1942年12月16日
ヒムラー、「ジプシー問題の最終的解決」を命令。シンチとローマはアウシュヴィッツへ移送された。
1943年2月3日
スターリングラードでドイツ軍敗退。
1943年3月30日
ヨーゼフ・メンゲレ、アウシュヴィッツ強制収容所の医師となる。彼はヴェルシェアに「研究報告」を送った。
1944年5月9日
神経病理学者のユリウス・ハラーフォルデンはブランデンブルグ病院で殺害された697人の患者の注文済みの脳を受け取った。
1944年夏ー秋
メンゲレがアウシュヴィッツからベルリンのカイザー・ヴィルヘルム研究所へ大量の「科学資料」を送った。
1945年5月8日
ドイツ降伏。
1946年12月9日ー1947年7月19日
ニュルンベルグ米軍第1法廷で、強制収容所、研究所での人体実験や安楽死を計画実行した23人の医師、SS将校、官僚に対する裁判(「ニュルンベルグ医師裁判」)が行われた。
日本の医療行政は、患者を救うのではなく権力側・企業側に寄り添っている!!
水俣病(みなまたびょう)は、日本の化学工業会社であるチッソが海に流した廃液により引き起こされた公害病である。 世界的にも「ミナマタ」の名で知られ、水銀汚染による公害病の恐ろしさを世に知らしめた。なお、舞台となった水俣湾は環境庁の調査によって安全が確認され、現在では漁が行われている。(ウキペディアより)
※しかし、微量の有機水銀を含んだ魚を接種し続ける場合の健康被害は不明である。
水俣と福島の状況は酷似していませんか?
水俣病では工場が設置したサーキュレータが全く機能しなかった!
福島ではシルトフェンスは大丈夫なのか?
質問なるほドリ:シルトフェンスで汚染水を防げるの?=回答・鳥井真平
水俣病は克服などしていない!!まだ多くの人が苦しんでいる!!
写真集『水俣』(W.ユージン・スミス、アイリーンM.スミス、中尾ハジメ訳 三一書房より)
水俣条約:外交会議 首相ビデオメッセージ 「水銀による被害とその克服を経た我々」 「苦しみ知らぬ」患者反発
医学界はここでも水俣病の否定にはしった!!
水俣病では、田宮委員会が、水俣病をもみ消し走った。(宇井純)
昭和35年に入り、医学者は水俣病の発生は止んだと発表した。こうして患者は、以後10年まったく忘れ去られた!!
(20:40あたりから)福島原発事故を想起させる!
水俣病=その20年=
水俣病と731部隊の影
田宮猛雄について
◆731部隊関連科学者たちの戦後
東京帝国大学にあって、731部隊のための人材スカウトの役目を果たしていた田宮猛雄博士は、1945(昭和20)年4月東大医学部長になった。そして後にリッケチアによる伝染病、かの有名なつつが虫病の研究で世界的名声を獲得する。彼はさらに日本国立ガンセンターの初代の所長になり、日本医師会の会長にもなった。
【『731部隊の生物兵器とアメリカ』
(バイオテロの系譜) 2003年発行
(ピーター・ウィリアムズ / デビッド・ウォーレス=著 西里扶甬子=訳 かもがわ出版)より】
◆京大閥「731部隊」、東大閥「同仁会」
そのころ、東京帝大伝染病研究所(伝研)は激動に見舞われていた。昭和20年9月2日、岡本啓氏(伝研2部)が自分の研究室でガス自殺をし、ついで、昭和20年9月16日、米軍が伝研を接収しようとしたが、これは田宮猛雄所長らの抵抗で阻止するなど大忙しであった。
北野(北野政次・・・731部隊2代目隊長)が東大伝研に現れたとき、最も北野を庇護したのがこの田宮猛雄伝研所長であった。田宮は日本医学界の大ボスで、多くの伝研所員を「徴兵逃れ」を餌に731部隊や同仁会に送り込んでいた。
731部隊の大ボスが京大閥の石井であるならば、当時の軍隊を頂点とする権力構造に、民間の側から医学的に奉仕したのが同仁会である。
【『731部隊細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)高杉晋吾著より】
◆水俣病と田宮猛雄
「原発はいますぐ廃止せよ」より転載
歴史は繰り返す 水俣病の有機水銀説を否定する「田宮委員会」御用学者たち
(3)日本化学工業協会の田宮委員会
見舞金契約の決着で年を越した昭和35(1960)年以降は、通産省の指導によりチッソは表立って有機水銀説に反論を出すことはなくなり、代わって、有機水銀説への反論・異論を唱える役割は日本化学工業協会(以下「日化協」という。)が担うことになった。
その場として日化協は「田宮委員会」を用意した。
チッソに代わって業界団体が水俣病問題に乗り出してきたことは、有機水銀説すなわち工場原因説による影響がチッソだけでなく国内の他の同種工場へ波及することを懸念したものと思われる。
昭和34(1959)年9 月には、既に大島日化協理事が爆薬説を主張していた。日化協は、同年12 月に水俣病問題に関連した排水対策のため、産業排水対策委員会の中に塩化ビニール酢酸特別委員会を設立した。
昭和35(1960)年4 月8 日、日化協は、酢酸特別委員会の付属機関として、田宮猛雄日本医学会会長を委員長に、錚々たるメンバーを集めて「水俣病研究懇談会」を設けた。
この会は委員長の名を取って「田宮委員会」と呼ばれ、日化協は、これを中立的、科学的見地からの水俣病への取り組みであると強調した。
[注釈]主なメンバーとしては、顧問に小林芳人東京大学名誉教授(薬理学)、沖中重雄東京大学医学部教授(内科学)、幹事に勝沼晴雄東京大学医学部教授(公衆衛生学)、委員に山本正東京大学伝染病研究所教授、斉藤守東京大学医学部助教授(病理学)、大八木義彦東京教育大学教授(分析化学)のほか、同月12 日の第2 回水俣病総合調査研究連絡協議会で「有毒アミン説」を発表した清浦雷作教授と戸木田菊次東邦大学教授(薬理学)らも加わった。
熊本大学医学部も参加を要請されたが、世良完介医学部長(法医学)はこれを断り、昭和36(1961)年に医学部長が忽那将愛教授(くつな・まさちか)(解剖学)に代わってから参加するようになった。
http://www.nimd.go.jp/syakai/webversion/pdfversion/houkokushopdf.html
原因についてはさまざまな説があり、いまだ確定していないという委員会の主張がそのままマスコミによって報道され、 有機水銀説を相対化させ、原因は未解決という印象を与えることになった。この点で、日化協の田宮委員会が水俣病の原因究明を後退させた影響は大きく、 新潟における第二水俣病の発生を許す一因にもなったと考えられている。
http://www.supercourse-japan.org/lecture/other/Minamata3/10.html
これは過去に現実に起こったこと、本当にあったことだよ、日本の医学界の代表、学会のトップの東京大学だよ、
みんな全員うそつきなんだよ。マスコミも連動してうそつきだよ。
今起こっている福島原発問題、子供たちの被曝線量の安全安心のうそ発表を、これでもまだあなたは、信じるの?
資金をかき集めて、東京に避難しろ、東電に行って補償金をふんだくれ、金が出来たらさらに遠方に疎開しろ、それからゆっくり今後の仕事や学校のことをのんびり考えろ、人生は長い慌てることはない、ただ子供の健康にだけ気をつけろ、まだ子供を作る気なら、自分の健康も注意しろ、私からは以上だ。(以上転載)
水俣病では、海洋汚染のメチル水銀によって人々は神経細胞が冒された!1942年には水俣病の患者はいた!!
国も期待していたのでは?
1931年、水俣工場を昭和天皇が臨幸(11月16日)
昭和天皇は、チッソ水俣工場を昭和六年と昭和24年に訪問あそばされました。孫はチッソの経営者の孫娘と結婚しました。
チッソは、戦前国策会社の一つだった。
水俣病を引き起こしたチッソと皇太子妃雅子様は、いったいどのような関係があるの...
では、福島で現在起こっている大気・土壌・海洋汚染で引き起こされる放射能被害はどの様になるのだろうか?計り知れない!!
水俣病ビデオQ&A(1996年)
「水俣病の大なる原因は人を人としてあつかわなかったこと」-原田正純先生をしのぶ
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見舞客を笑顔で迎え、亡くなる2週間には、原田先生が胎児性水俣病患者に深くかかわるきかっけとなった人物・金子スミ子さん(81)との面会も実現し、感謝の気持ちを伝えたそうだ。スミ子さんとの出会いは60年代の水俣にさかのぼる。
ある日、原田先生は、縁側で遊んでいる兄弟の症状が全く同じことにきづき、母親のスミ子さんに、二人とも水俣病なのかと聞いた。すると「お兄ちゃんは水俣病だけど、弟は違う」という。
どうしてかたずねると、「先生たちがそういっているじゃないですか」といわれた。兄のほうは魚を食べて発病したから水俣病だが、弟のほうは生まれたときから病状があったから水俣病ではないという。
母親は続けて、「先生たちは魚を食べないと水俣病にならないといっているけど、私はそう思っていない」というのだ。夫も長男も発病し、同じものを食べていた自分がうんだ下の子は、うまれながらに障害をもっている。自分に症状がみられないのは、体内の水銀がおなかの子どもにいったのではないかと。
当時の医学では、「胎盤は毒物をとおさない」が定説だったが、原田先生はスミ子さんの言葉を聞き流さなかった。このことは後に、国に胎児性水俣病患者を認めさせることにつながった。
水俣病と生きる1-6 医師・原田正純の50年 ドキュメンタリー番組
水俣病患者が自らの悩みを語る!!
水俣病と生きる2-6 医師・原田正純の50年 ドキュメンタリー番組
ニュルンベルグ医師裁判では、人体実験に関与した医師が裁かれた!!
医者裁判
ハバロフスク軍事裁判!!
「スミルノフは公開裁判で731部隊の行為を明らかにし、アメリカ主導で行われた東京裁判の不完全さに世界の目を向けようとしたのである。」
・・・・起訴状朗読をもって審理に入った。
「起訴状―多年にわたり帝国主義日本は極東における侵略の主なる根源地であった。
日本の参謀本部及び陸軍省は日本の有名な細菌戦提唱者石井四郎を長とし・・・」
-起訴状には細菌戦部隊の罪が列挙されている。
・細菌戦を準備した罪。
・生きた人間を実験に使用した人道上の罪。
・中国で細菌兵器を実際に使用した罪。
・ソビエトに対して戦争を準備した罪。
ソビエトは、細菌戦部隊にかかわった個人としての責任を問い、さらには日本の戦争責任を追及しようとした。
「強制感染によって数千人の囚人を殺戮するごとき、あらゆる凶悪な行為をあえてなしたことが判明した。」
起訴状を書き上げるのに元になった内務省の捜査記録、この中には100人以上の証人の証言や被告たちの尋問調書が含まれている。
(プライム10「731細菌戦部隊」より)
アメリカは細菌戦のデータを独占し、天皇と731部隊員を裁かなかった!!アメリカにも大きな責任がある!!
ニュルンベルグ裁判では、非人道的な実験をした医師を裁いた!!
山本太郎10/11沖縄大学1「原発・TPP・秘密保全法」 IWJ_OKINAWA1
秘密保全法 「黒塗りさえ出なくなる」
20131010 UPLAN 【抜粋】西山太吉講演(秘密保護法を考える超党
まさか!?と思うのは甘すぎる!(´・ω・`)
日本政府は、731部隊をはじめ、大事な戦史資料を廃棄するな!!
公開せよ!!
ABC企画ニュース
日本政府は、アメリカから返還された731部隊の資料を速やかに公開せよ!!
日本政府は、過去の日本軍の忌まわしい史実を教科書から消し去っている!!
人体実験被害者、細菌戦被害者の悲鳴が聞こえませんか?
731部隊の犯罪(生体実験、生体解剖、細菌戦等)は、アメリカ政府が免罪しても、世界の目が許さない!!
戦後マッカーサーと昭和天皇の極秘会談は11回行われ、その中で沖縄や731のことも話し合われたのだろう。GⅡと731部隊幹部との話し合いは鎌倉で行われ、731部隊員の戦犯免責と引き換えにアメリカに情報を提供するということで合意した。
東京裁判では、天皇と731部隊員は戦争犯罪人から外されたが、その人たちの行った中国をはじめとするアジアでの加害行為は、消し去ることはできず、子々孫々まで語り継がれるだろう!!
今の安倍自民は、過去の史実をことごとく消し去ろうと必死になっている!!
「731部隊展開催20周年記念シンポジウム」 731細菌戦部隊 1(前編:プライム10) よりの書き起こし 現代史スクープ・ドキュメント 731細菌戦部隊 前編(1992年) アメリカ、ユタ州。今年(1992年)3月、私達はグレートソルトレイク砂漠の只中に位置する米軍基地を訪ねた。 アメリカ陸軍ダグウェイ実験場 実戦を想定した生物化学兵器の使用実験が行われるアメリカ唯一の施設である。 現在、生物化学兵器は、国際条約で禁止されているにもかかわらず、多くの国でその開発が続けられている。 この基地の設立目的は生物化学兵器への防御のためとされている。 湾岸戦争で使用された毒ガスマスクも、この基地でテストされた。 基地の一角にある文書館。 1942年に基地が作られてから今日までの生物化学兵器に関するあらゆる研究報告書が保存されている。 私達は、この文書館で旧日本軍の細菌戦部隊、731部隊の膨大な報告書を発見した。 2000ページに及ぶ細菌の感染実験のデータ並びにアメリカの科学者による731部隊の調査報告書である。 細菌を使った感染実験のデータ。 実験材料として使用されたのは、400体以上の人間である。 報告書には、実験に使われた細菌の種類、そしてアメリカの調査に協力した日本人研究者の名前が列挙されている。 石井四郎、731部隊部隊長である。 甲状腺、肝臓、リンパ節、脊髄、肺。 実験材料にされた人体はすべて解剖され、あらゆる臓器、器官がつぶさに観察されている。 前編・後編全文を読みたい人は「ノブのノート」で ・・・・・ 現代史スクープドキュメント (1992年放送、NHK[プライム10 731細菌戦部隊後編〕より) 裁判直後の1950年2月1日。裁判結果をまとめたソビエトは、アメリカのアチソン国務長官に文書を渡した。 ソビエトはその文書で「日本の細菌戦部隊の行為は天皇を頂点とする日本軍部の組織的な犯罪であることを指摘し、改めて国際軍事裁判を開くことを要求している。そして、直接人体実験を行った科学者である石井たち731部隊幹部を新たに訴追し、これを裁くことを求めた。 アメリカはこの時までハバロフスク軍事裁判に表面上は無関心を装っていた。 しかし、その裏で裁判の情報を盛んに集め、分析を進めていた。 ソビエトのアピールを受け取った2日後アメリカ国務省は記者会見を開き声明を発表した。 「今回のハバロフスク軍事裁判は37万人の日本人抑留者の問題から目をそらすためのソビエトのカムフラージュに過ぎない。」 731部隊の行為を国際軍事法廷で改めて裁くことを求めたソビエトのアピールは無視された。 アメリカは、このときすでに人体実験の詳細なデータを入手していたのである。 731部隊の人体実験の事実を世界に初めて告発したハバロフスク軍事裁判。 この裁判には、戦後世界の主導権を握りつつあったアメリカを牽制するという政治的意味合いも込められていた。 しかし、その政治性ゆえに、ハバロフスク軍事裁判は黙殺され、幻の裁判として忘れ去られていく運命をたどったのである。 こうして米ソ対立のはざまで日本の細菌戦部隊が行った人体実験の罪は闇に葬り去られた。 当事者である日本はその責任を自ら問うことなく半世紀が過ぎようとしている。 前編・後編全文を読みたい人は「ノブのノート」で |
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