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●731部隊 ●南京大虐殺 ●昭和天皇 ●教科書問題 ●陸軍登戸研究所 ●日航123便の怪 ●日本とドイツの違い ●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!! ●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか? ●731部隊展 秘密保護法撤廃!!撤廃!!撤廃!! “過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる” 「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」と言えり、 ・戦争を主導した大元帥、昭和天皇を始め、陸軍参謀総長、閑院宮、海軍軍令部総長、伏見宮、南京大虐殺に関わった上海派遣軍司令官、朝霞宮、影で動いた三笠宮、731部隊と関係のあった竹田宮等々、天皇、皇族は誰一人東京裁判で裁かれなかった!! 金と地位がそうさせたのか? 裕仁の朝廷は1940年10月、戦争が敗北に終った場合に天皇制を守ることを目的とした後方計画を開始した。 第1段階は皇族を責任ある地位から退ける事であった。 第2段階は彼らが戦争準備の過程で何の役割も演じなかったかのように見せかける表向きの筋書きをつくることであった。 菊の垂幕の背後への引退は、10月3日に・・・・75歳の閑院宮が、陸軍参謀総長の職を辞した時に始まった。・・・(『天皇の陰謀』下 バーガミニ著P134 より) ・アジアで多くの人々が虐殺されたのに、天皇はじめ皇族方は誰も処刑されなかった? ・731部隊での人体実験と細菌戦の最高責任者は誰だ? ・沖縄戦で多くの日本人が犠牲になった。その沖縄をアメリカに渡したのは誰だ? ・恐怖政治により、思想犯は拷問にかけられ、投獄され、死んだ者も多かった。 ・1945年5月25日の東京の空襲では皇居の一部が燃えた。火事を防げなかった消防士は後に射殺体となって発見された!! ・(1942年)3月10日、マッカーサーがコレヒドールから脱出の大逃避行に出発する数時間前、英国外相イーデン卿は下院での演説において、全世界に向かい、日本が香港において忌まわしい残虐行為を広範に行ったことを明らかにした。・・・・3月13日に木戸内大臣は裕仁にイーデンの香港事件暴露の演説のことを報告した。裕仁はこのようなことの再発を防ぐ方策は何もとらなかった。裕仁の叔父達や軍関係の助言者達の立場は日本軍は残虐行為を犯すことによって自己の任務を一層忠実に遂行するようになるし、また敵に降伏してはならない、もし降伏すれば彼らが敵に対してした事を自分達に対してされるのだ、ということを彼らに信じさせるためにも必要であるというものであった。(『天皇の陰謀』下、バーガミニ著P335) 日本軍より虐殺と強姦も多発していた ●陛下の戦争 治安維持法等で「思想の自由」「良心の自由」は奪われ、ただただ国民は「天皇教」に帰依せざるを得なかった!! 陛下の戦争 ・大元帥裕仁の命令がなければ、一兵卒さえ、動かせなかった。 ・裕仁は生まれたときから、将来の天皇として期待され、また大元帥としても教育された。 ・天皇教は、天皇を世界の中心におき、八紘一宇をめざす。裕仁は大日本帝国をめざした。 ・インパール作戦 インパール作戦に対して貴重なコメントいただきましたので紹介します。 「大学時代の恩師古賀教授は左腕がない方でしたが、母校早稲田大学から学徒出陣でインパールに送られて負傷したとのことでした。講義では必ずのように「牟田口の馬鹿野郎」と言っていました。地獄を見てきた者の怨みは本当に深いものです。増して、犬死にさせられた多くの兵士は哀れです。戦死・餓死させられた怨霊を封じるために作られた「靖國神社」を祭る者に呪いあれ!」 ・硫黄島でも玉砕を覚悟で、必死の激戦をした。その結果、アメリカ軍の損害が日本軍の損害を上回った。 何でこんなにまでして、天皇制を守りたいのか?私には分からない? ウィキペディアより・・・日本軍に増援や救援の具体的な計画は当初よりなく、守備兵力20,933名のうち96%の20,129名が戦死或いは戦闘中の行方不明となった。一方、アメリカ軍は戦死6,821名・戦傷21,865名の計28,686名の損害を受けた。太平洋戦争後期の上陸戦でのアメリカ軍攻略部隊の損害(戦死・戦傷者数等[3]の合計)実数が日本軍を上回った稀有な戦いであり、また、硫黄島上陸後わずか3日間にて対ドイツ戦(西部戦線)における「史上最大の上陸作戦」ことノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)における戦死傷者数を上回るなど、フィリピンの戦い (1944-1945年)や沖縄戦とともに第二次世界大戦屈指の最激戦地のひとつとして知られる。 硫黄島の戦 「天皇が戦争中の役割、特に日本の軍隊に忠誠心や勲功より倫理性を重視する行動基準を持たせることができなかった事を理由に裁判にかけられ、法廷で尋問されることがなかった以上、日本の侵略戦争の正当性―アジア太平洋地域の国々への侵攻は解放のためだったという信念―は、かなりの説得力を持ったのである。結局のところ、多くの日本人は、戦争の遂行について天皇と共犯関係にあった。そして、国民は全体として、天皇が責任を負わないのだから、自分達に責任を負う必要などあるわけがないと考えた。 日本の国民は、戦争に対する罪の意識ときわめて真剣に向き合い始めていた。ところが、木戸と東条に天皇の責任を肩代わりさせるなど、責任を不公平に認定したマッカーサーとトルーマンのいち早い決定が、国民のこの取り組みをさえぎってしまった。・・・・」(ハーバード・ビックス著「昭和天皇」下p229~230 天皇は知っていた!! 天皇と731 ●日本政府は731部隊で行われた人体実験、またそこで製造された細菌兵器によって中国で行われた細菌戦について公式に認め、謝罪しないのですか?安倍首相もよくご存知だと思いますが? 戦後70年談話で「謝罪の必要なし」、有識者会議の西室座長 フランスのメディア:日本側の懺悔は足りない 日本政府の731部隊に関する今までの見解(一部) 2012年社民党の服部良一議員が行なった質問に対する、当時民主党の野田佳彦総理が行った国会答弁である。 (提出された質問書と答弁書より) (質問1)アジア歴史資料センターが公開している昭和十七年九月二十二日付けの陸密第二七八五号で陸軍省副官川原直一が発した「不健康業務加算ニ關スル件陸軍一般ヘ通牒」には「關東軍防疫給水部(大連出張所ヲ含ム)ニ於ケル左記ノ危險ナル細菌ノ研究檢索並ニ診断液又ハ豫防液ノ製造業務ハ大正十三年内閣告示第二號ノ第二號末項ニ該當スルモノトシテ本年九月十六日内閣恩給局長ノ指定アリタルニ付同部隊ニ在リテ直接該業務ニ從事スル公務員ニ對シテハ右指定ノ月以降恩給法第三十八條ノ不健康業務加算ヲ為シ得ル儀ト承知アリ度左記コレラ菌、ペスト菌、チフス菌、パラチフス菌、赤痢菌、流行性脳脊髄膜炎菌及其ノ他危險ナル病原細菌」との記述がある。 1、右の「危險ナル細菌ノ研究檢索並ニ診断液又ハ豫防液ノ製造業務」で、七三一部隊が行っていた業務とはどのようなものか。細菌の培養やワクチン製造を含むのか。また、右の「其ノ他危險ナル病原細菌」で、七三一部隊で取り扱っていた細菌とは何か。炭疽菌、鼻疸菌、結核菌を含むのか、以上明らかにされたい。 (答弁1-1)いわゆる七三一部隊が旧日本軍の関東軍防疫給水部のことであることは、防衛研究所戦史研究センター史料室が保管している旧日本軍の関連資料から明らかとなっている。 しかしながら、外務省、防衛省等の文書において、関東軍防疫給水部におけるお尋ねの「研究檢索」、「製造業務」及び「其ノ他危險ナル病原細菌」の具体的内容を示す資料は現時点まで確認されておらず、お尋ねにお答えすることは困難である。 ※日本政府は資料を確認しようする努力は全くせず、反対にずっと隠している!! (参考) 満州国で安倍の祖父・岸信介もアヘンで大儲けし、巨大な富を築いた!生体人体実験の731部隊の指揮も岸信介 天皇は知っていた!!(積極的に関与していたでは?) 一方、裁判所の判断は ・1997年の家永教科書裁判第3次訴訟では、最高裁で731部隊の記述は正当と認められた。 ・証拠もある 731部隊で行われた人体実験 医師・金子ー順-論文の発見 731部隊幹部が人体実験で京大博士号 15年戦争と日本の医学 ・731部隊に関する書籍、テレビ報道で国民は事実を知っている!! 天皇の裁可した軍令に基づいて!! 731部隊 ・中国政府も化学兵器と生物兵器の被害国であることを訴えている!! 化学兵器と生物兵器の全面禁止と徹底廃棄を 中国は生物兵器を持っていないが、かつて生物兵器の被害国である。中国は、生物兵器の全面禁止と徹底廃棄を主張し、いかなる国も生物兵器を開発、生産、貯蔵することに断固反対し、いかなる国がどのような方式にせよ、この種の兵器とその技術を拡散することにも反対する。「生物兵器禁止条約」締約国として、中国は自らの担う義務を真剣かつ全面に履行するとともに、「生物兵器禁止条約」と関係ある信頼醸成措置面のデータと状況を逐年国連に報告している。 ・防衛医科大学校の教官も認めている!! ・米国陸軍感染症研究所のホームページにも載っている!! 生物兵器被害者医療管理ハンドブック(抄訳) 1937年には日本軍が生物戦計画を始め、満州国奉天近郊に731部隊と呼ばれる研究施設を設立した。石井部隊は1945年まで研究を続け、施設は焼き払われた。部隊は多くの菌を研究し、戦争捕虜に人体実験をおこなったことが戦後判明した。1000体近くの人体実験がなされ、多くは炭疸吸入によって死亡している。3000人にのぼる中国人がここで犠牲となった。さらに、飛行機からペストに汚染したのみを散布し、中国、満州にペストの流行を引き起こした。日本軍は、爆弾用として、400㎏の炭疸菌のストックを持っていたと言われる。 ●731部隊の証言者 笠原四郎のような731部隊で行われていた事を証言してくれる医学者が、もう1人いたら、日本医学界は大きく変わっていたかも知れない? 笠原四郎証言 篠塚良雄証言 三尾豊証言(元憲兵) 731部隊員の証言 1 731部隊員の証言2 731部隊員の証言3 佐世保の女子学生や名古屋の女子大生は、731の何らかの本を読んでいたのだろうか?生体解剖したり、タリウムを飲ませたり・・・731を想像してしまう。 ペスト菌、コレラ菌、チフス菌・・などを中国に撒き、生体解剖をしていた部隊を。 佐世保女子高生殺害事件 被害男性、女子学生の名挙げる=タリウム混入捜査で―容疑者と判断せず・宮城県警 ニュース 湖南省で1938年の日本の中国侵略作戦軍用地図を発見 名護市長「沖縄の現状は植民地」 米で市民団体に説明 感染広がるMERS 韓国長官が謝罪=「拡大防止に総力」 日本は平和の名のもとに戦争に向かって進んでいる?「日本の武装化は中国が招いた」「日本人より恐ろしいのは…」―中国ネット 日本の右傾化は誰にとって得なの?「日本は勘違いしている」「天皇の話をしたり、独島に行かなかったら...」―韓国ネット 日韓関係は「史上最悪」と韓国TV報道も!?・・中国と韓国が連携して、「歴史問題」で日本をけん制=中国メディア 南シナ海めぐり、米中の対立が鮮明に 「発生を防げなかった歴史的事実を重く受け止め、教訓を国内外に発信する」 新潟水俣病:50年 「公害、繰り返さぬ」 国、県、患者、企業一堂に 翁長知事ワシントン到着 県外移設要望へ 韓国国防部、「自衛隊は同意を得ないで朝鮮半島に進入してはならない」―中国メディア 第1原発の港湾内4カ所で最高値 汚染水漏えい影響か 在韓米軍、「大量殺傷」炭疽菌の実験室17年前に設置 日本への警告 ~ドイツの場合~ なぜ自民・村上議員は安保法案に反対なのか 世界遺産登録、日本が妥協案も韓国譲らず=「日本は大きなプレッシャーを受けてほしい」―中国メディア 119人目の犠牲者 福岡市立の中学校で柔道死亡事故 典型的な事例 指導内容の徹底した検証を 「原発是非で国民投票を」 署名16万筆集まる 核のごみ 非公開で処分地説明会 政府 自治体向け、住民反発も 【安保法制】安倍首相「早く質問しろよ」のヤジについて。- 2015.05.29 韓国政府、「慰安婦白書」の世界記憶遺産申請作業を推進・・解放70周年記念事業として 安倍首相は中国の忠告を聞き入れられるか 武力行使の「例外」拡大 他国領域で米艦防護・機雷除去 首相ら見解 社説[安保法制審議入り]この法案は問題の山だ 「・・・大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされたことは、既に資料と証言が明らかにしている通りです」 (朝鮮日報日本語版) 入江昭氏「謝罪は当然、日本政府は実行を」 HIV、20代は過去最多=14年感染者、横ばい続く―厚労省 やらないほうがいいのでは? 「都から法的に認められる支出は50億円程度であり、500億円は理解できない。文部科学省などに任せていては大変なことになる」 文科相 “開催都市の知事の自覚を” 元自衛官「敵が撃てば戦争」 負担増し「士気下がる」 日本政府がアメリカの原爆の非人道性を強く訴える事ができないのは、日本が中国などで非人道的な細菌戦や毒ガス使用をやったが、アメリカが天皇・皇族や731部隊関係者を戦犯免責にしてデータをアメリカに渡した経緯があるからだろう。 核兵器禁止 誓約文書も賛同せず 被爆国で「核の傘」 二重基準露呈 ●どうして731部隊や南京大虐殺についての歴史教科書の記述が薄いのですか?日本が反省していない証拠ですか? そうです!! |
●憲法9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
●731部隊の情報を出してください!!情報公開裁判
「衛生学校記事」の全面開示を要求(今までの流れ)
●ご案内
1、「731部隊関連資料(衛生学校記事)情報公開裁判」
6月2日(火)16時~ 東京地裁419号法廷
これまで28冊が発見公開されましたが、肝心の14冊は未だ「不存在」です。元衛生学校長・金原節三氏が寄贈しているにもかかわらず「不存在」であるため、裁判長は寄贈資料の行方を明らかにするよう防衛省に要求しました。結果は? 2日の法廷で明らかになる予定ですが、、、。傍聴支援をお願いします。
2、「旧日本軍の細菌戦による中国民衆の戦争記憶」講演会
6月6日(土)16時~18時
日中学院 302・303教室 (電話:03-3814-3591)(飯田橋駅下車、日中友好会館/後楽賓館裏 小石川後楽園入口手前)
講師:聶莉莉さん(東京女子大・現代文化学部教授)
湖南省・常徳の細菌戦被害者の聞き取り調査を丹念に行っている。同じ中国人だから聞くことが出来た貴重な証言を交えて話して頂きます。どなたでも参加できます。
参加費300円
主催:日中学院憲法9条の会
●ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(上)より
第3部 陛下の戦争(1931年~1945年)
第9章 聖戦
何の勝利の兆候もなく、打開策なき戦争という事態に直面して、日本の指導者は戦争の最終目標を、変更したくないというよりは、むしろ変更する事ができないかのように強引に戦争を推し進めた。国家総動員、厳しい報道検閲、かつてないほど高額な軍事支出といった背景とは対照的に、彼らは数多くの和平工作を始めた。これは中国国民党と中国国内の敵対者の対立を助長する事となった。1938年11月、近衛首相による有名な「東亜新秩序」建設の声明は、その最も重要な先導だった。近衛は蒋介石の敵対者を通じて中国との和平を達成する希望を表明した。その敵対者とは国民党政権内部の一派閥の指導者、汪兆銘(おうちょうめい)である。この軍事行動を政略により補完しようとする独特の試みは、やがて1940年3月末の南京に於ける汪兆銘政権の樹立、そして1940年11月の日華基本条約調印により最高潮に達した。しかし、実際にはけっして汪を信任し、彼が戦争を終結させることができると信じていたのではなく、近衛政府は南京政府の承認を先送りにした。汪政権を愧儡政権とした条約には、軍事的、経済的、政治的に日本に大きな特権を付与することが規定されていたが、ほとんどの中国人の目からすれば何の正当性もないものであり、のちにこの条約により汪は日本亡命を余儀なくされたのである。p299
●『天皇の陰謀』
天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
ディビット・バーガミニ 著
松崎 元 訳より
第一章
南京強奪(その1) 日本と中国
裕仁は、自分が中国に何らかの憎しみを抱いているからではなく、祖父および曽祖父から引き継いだ国家的計画(3)による必要において、中国と戦うのであると主張していた。1853年、米国のペリー提督が大砲を突きつけ、西洋諸国との通商と決済を行うため港を開くよう強いて以来、裕仁の曽祖父は、その家臣たちと、ひとつの誓いを立てていた。すなわち、「紅毛の野蛮人」は日本の聖なる国土から追放されなければならず、日本は、さらなる冒涜を防ぐために、緩衝地帯を形成するべく「海外進出」しなければならない、というものであった。
・・・・
旧日本軍は明治時代から中国侵略を考えていた?
潜入盗測
苦境の上海
こうした複雑な、軍事的、政治的、外交的情況に、小男松井は、裕仁との謁見の8日後の8月23日、35,000の不慣れな部隊を引き連れて乗り込んだのであった。彼がその部隊を上陸させようとした時、中国軍が日本軍の桟橋に砲撃を開始し、数百人の犠牲者を出した。そのうちの一人は、裕仁の妻、皇后良子(ながこ)のいとこ(###)であった。それは、小男松井大将が被った最初の損害であり、これから生ずることのひとつの前触れでもあった。蒋介石の部隊は、予想外の無謀な果敢さをもって向かってきていた。その人海作戦に対しての反撃は、山をなす死体を踏み越えてゆくものであった。5日間の交戦の後、松井大将は、他の正規軍一師団と、数ヶ月前に召集されていた予備軍二師団による増強をえねばならなかった。
(###) 伏見宮博義。彼はその負傷から一時回復したが一年後に併発症で死亡した。彼の父親は、かつては皇后良子とは疎遠であったいとこで、かつ、海軍参謀本部長であったため、中国人は勝ち誇って歓喜した。
南京大虐殺:侵華日軍南京大 南京電影制片庁 21分
南京大虐殺
フィルムは見ていた!検証「南京大虐殺」
河村たかし名古屋市長の南京事件否定発言に抗議し撤回を求める
なんでこんな教科書が検定に通る?
『新しい歴史教科書』(自由社)
まやかし裁判
君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか?
●日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!
中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!
夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
・『731部隊 細菌戦の医師を追え(今も続く恐怖の人体実験)』(高杉晋吾著 徳間書店)
Ⅶ 自衛隊隊員の人体実験
赤痢予防薬人体実験
そのユートピアの頂点に数千人の医師、研究者、軍属職員をようした731部隊はあった。
731部隊隊員が、戦後再建された自衛隊に入り込むのは彼らのしてみればごく自然なのだろう。
私は赤坂プリンスホテルで中村隆らが人体実験予備会議を行なった昭和38年よりさかのぼる2年余の以前、園口一等陸佐ら12人による「勝田駐屯部隊において4年間継続して行なった赤痢防疫の研究」という研究論文(「防衛衛生誌」第8巻1号1961年1月付)があるのを発見した。
●敗戦前から敗戦後の流れを想像してみると?
・東京大空襲のみならず、地方の各都市も空爆にあう。また最悪の地上戦沖縄。そして、原爆だ。どうしてご聖断?(敗戦)が遅れたのか?その答えは、国体護持(天皇制存続)のためだ。このために多くの人たちが犠牲になった。731では施設の破壊と同時にマルタと呼ばれる人たちを全て殺して、隊員はいち早く日本へ引き揚げた。(国体を護持するための証拠湮滅)
・アメリカは、戦争中から日本人が天皇を神とあがめている事を知っていた。それを利用して占領統治円滑に進めようとした。日本とアメリカは敗戦前から、交渉を極秘にしていて、日本政府も空襲の事、原爆投下の情報をあらかじめ入手していた。そして広島に原爆が投下されるときに、畑俊六(当時第2総軍司令官)に第2総軍を広島に集めさせ、敗戦後に日本で天皇制打倒の反乱が起きないように壊滅させた。
・広島に原爆が投下されると、アメリカに心象をよくしようと日本医学者(石川太刀雄丸等、731からも参加)が現地に入り、原爆の被害状況(核兵器の破壊力・人体に対する影響)を調べて181冊の報告書を作成し英文にしてアメリカに敗戦後渡した。(治療はほとんどしない、731の免責をねらう)
アメリカは、原爆の被害の実態の公表などの報道を全て統制し、隠し続けた。治療は行わずABCCを発足させて、731関係者なども参加させて、人体に対する放射能の影響を極秘に調べた。「日本は核兵器の非人道的な訴えを国際社会に向かって発言しない」ということも731の免責をする条件の中に入っていたのでは?
平和とは人間の生命を 尊ぶことです。
(参考)「日本のいちばん醜い日」p524~525
次に藤田尚徳の「侍従長の回想」を引用する。蓮沼侍従武官長の奏上を聞く場面である。
陛下には蓮沼侍従武官長から奏上したが、〔略〕新型爆弾については、特別なおたずねはなかった様子だったが、広島市全域の報に、陛下は深い憂慮の色を浮かべておられた。〔略〕8日朝、東郷外相が決意の色を浮かべて参内してきた。そして御文庫地下壕の御座所に進んだ外相は、原子爆弾に関する米英の放送を詳細に言上すると、陛下は原子爆弾の惨害をよく知っておられ、次のように、一刻も速やかに和平を実現する事が先決問題である点をお示しになった。
天皇は原爆についての知識、投下の日、その場所を前もって知っていたはずである。ヨハンセン(吉田反戦グループの略)・グループはスティムソン陸軍長官の極秘情報をグルーを通じて入手し、その都度天皇に報告していたからである。
では、どうして8月6日なのか。それは、この日までに、スイスの赤十字経由で天皇の貯蓄が無事処理を付けられる見通しがたったからである。
東郷茂徳も天皇から“急げ”と告げられ、赤十字との交渉を急いだ。グルーはヨハンセン経由で天皇に8月6日の原爆投下の予定を告げていた。東郷茂徳は8日、天皇に会い、最初に「無事にスイスの件はうまく処理できました。当分資産は凍結されますが、遅くとも3~5年後には凍結を解除してくれるとスティムソンが申しております・・・」と言ったはずである。それから天皇と原爆を“天佑”として終戦工作に入るべく相談したに違いない。(以上、引用)
8月14日から15日には宮城で某宮様が中心となって偽装クーデターを起こさせ、近衛師団長を惨殺し、偽命令を出したが第1総軍がおさえた。そして阿南(あなみ)陸相を自決させ、降伏の段取りをした。(天皇の敗戦の段取り?)
マッカーサーの主張などによりアメリカは、秘かに天皇制護持を容認し、日本の占領政策を円滑にいくようにして、731などの戦争犯罪で天皇に戦争責任が及ばないようにした。天皇とマッカーサーの極秘の会談は11回に及んだ。決して公開されることはない密約が多数存在するのでは?
アメリカも日本に配慮し、マッカーサーの日本上陸を余裕を持たせた。それまでに日本政府は、天皇の戦争責任に関わる極秘文書を焼却した。
・1945年8月30日にマッカーサーが厚木飛行場に降り立った時、「ジェネラル石井はどこにいるか?」と言って、部下にその行方を探させた。
・アメリカ占領軍の上層部は、石井四郎を早くから探し出し懇意にしていた。1945年11月20日行方不明のはずの石井四郎と若松町の石井の家で6名の米軍将校と会食をしている。
・占領軍上層部は中国の情報や日本人捕虜によって人体実験・細菌戦の情報の大まかな部分はつかんでいたが詳しい情報は得ていなかった。
・占領軍上層部は、天皇を利用した占領統治を優先するため、天皇の戦争責任が問われる問題は、東京裁判では取り上げなかった。
・731部隊の事は、細菌兵器開発に後れを取っていたアメリカが、極秘に調査団を送って調査させた。
・731を調べる調査団が来日したが、サンダース、トンプソンの時は、731部隊員は人体実験の事を極秘命令なので口を割らなかった。
・1947年1月、ソ連が柄沢の供述から、人体実験の情報を得たので、石井の訊問を要求した。アメリカは、事前に石井から人体実験の情報を聞き出し、ソ連には、アメリカと組み、うまく芝居を打って情報を与えなかった。
・1947年6月にアメリカは、731部隊の人体実験に関するフェルレポート、12月にヒルレポートを作成した。
・GHQ法務部のニール・スミスが、「捕虜に対する人体実験及び解剖」という明確な罪状によって、平房の石井部隊、新京の第100部隊や東京の陸軍軍医学校の医師や関係者などを根こそぎBC級戦犯として法廷に持ち込もうとしたが、参謀2部のウィロビーが法務部の調査を中止させた。
・1948年1月26日「帝銀事件」が起き、捜査が731部隊に及びそうになると、またもやGHQは731部隊の関係者の捜査を中止させた。
・占領時アメリカは、郵便や報道を厳しく検閲し、日本国内で原爆の事や731部隊の情報が出ると厳しく取り締まった。1950年代に入り「ハバロフスク裁判資料」が出たが、ソ連のシベリア抑留などの戦争犯罪を隠すものだとしてまともに取り上げなかった。
・戦後731部隊員がアメリカに渡り、A(炭疸菌感染)レポート、G(鼻疽菌感染)レポート、Q(ペスト菌感染)を書き上げ、アメリカの生物兵器開発に協力した。
・戦後、アメリカ政府・日本政府は731の情報【奉天の捕虜収容所の聞き取り文書やフェルレポートの各論、衛生学校記事(一部開示)、その他】を行方不明として隠して続けている!!
●天皇と731の関係は?
・天皇は生物兵器に関心があった。(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著(p229)
1925年9月赤坂御所に生物学研究所設置「昭和天皇」p61ハーバード・ピックス著(講談社)
1925年、ジュネーブ協定締結・・・毒ガスの禁止だけでなく、ポーランド代表の提案を入れ、細菌兵器の使用禁止もうたっている。・・日本とアメリカは批准しなかった。石井四郎、遠藤三郎に細菌戦の重要性を主張!!「医学者たちの組織犯罪」p60 常石敬一著より(朝日新聞社)
天皇の神格化1928(昭和3)年即位の礼(天皇:大元帥27歳)(約1年間かけて行われ、最後は大嘗祭)裕仁は現人神(あらひとがみ)になる。
27歳の若さで現人神?頭の中では大日本帝国の夢が膨らんでいたのであろうか?
昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼
大日本国憲法では
第三條
天皇ハ聖ニシテ侵スヘカラス
第四條
天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ
第十一條
天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
となっている。天皇が神で神聖であり、元首であり、陸海軍に責任を持つことになっている。
ところが戦後補償裁判では「国家無答責」の法理によって、国・天皇の責任が一切追及されない。
何で、戦後も旧憲法が生きているのか?
(参考)国家無答責の法理(こっかむとうせきのほうり)とは、国家無答責の原理ともいわれ、大日本帝国憲法のもとでは官吏は天皇に対してのみ責任を負い、公権力の行使に当たる行為によって市民に損害を加えても国家は損害賠償責任を負わないとする法理をいう。
1925年・・・治安維持法制定(国体(皇室)や私有財産制を否定する運動を取り締まることを目的として制定された日本の法律。)
・1928(昭和3)年、昭和天皇の即位式・・・ほぼ1年かけて現人神・大元帥になった。(27歳)
日本軍が将来犯すことになる戦時虐殺の土台もこの時期に築かれた。1928年、田中内閣は化学・生物兵器禁止国際議定書〔1925年調印の「窒素生ガス、毒性ガス又はこれらに類するガス及び細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書」のこと。日本の批准は1970年〕の批准を見送った。翌年には枢密院が軍の要求に応えて、ジュネーブ捕虜条約の批准を保留した。枢密顧問官は、天皇の兵士は捕虜になる事を許されない以上、捕虜の処遇に関する条項は寛大すぎてとても実行できないと言う。・・「昭和天皇」p170ハーバード・ピックス著(講談社)
・1929(昭和4)年、昭和天皇、陸軍軍医学校視察、どのような目的があったのか?(軍医学校の中に1932年に防疫研究室が設置され、33年に規模を拡大。多くの京大や東大の教授達が嘱託として働き、731部隊などにいろいろな指令を出した。)「陸軍軍医学校50年史」より
軍刀には不思議な力がある?
・小泉元中将と助教授を結び付ける唯一の“接点”も細菌戦部隊だった。小泉は陸軍省医務局長時代、細菌戦準備を提唱した石井四郎元中将の最もよき理解者の1人であったし、後援者でもあった。小泉元中将の支援なくして日本の細菌戦部隊はありえなかったと言ってもよい。
その細菌戦部隊とかかわり、そこで人体実験を強いられたのが、自殺した助教授である。彼は医学者としては、手を染めてはならない人体実験を繰り返し、その良心の呵責から死を選んだのである。
小泉元中将を、日本の細菌戦を推進し、大きな流れを作った人物と位置づければ、助教授はその流れに巻き込まれ、のみ込まれた1人といえよう。・・・
(『細菌戦部隊と自決した2人の医学者』常石敬一・朝野富三著より)
小泉親彦・・・1932年(昭和7年)、近衛師団軍医部長に就任。1933年、陸軍軍医学校校長。1934年(昭和9年)、陸軍軍医総監(陸軍中将相当官)となり陸軍省医務局長に就任。1937年(昭和12年)、官名が陸軍軍医総監から陸軍軍医中将に改められた。階級としては、軍医中将は軍医として最高位である。1940年(昭和15年)、勲一等旭日大綬章受章。1941年(昭和16年)、第3次近衛内閣で厚生大臣に就任、次の東條英機内閣でも留任した。
1945年(昭和20年)、連合国軍の取り調べを拒否し、割腹自殺を遂げた。
軍医時代の小泉の大きな仕事
1、厚生省設置の推進 2、日本における毒ガス戦の基礎を築く 3、防疫研究室新設に協力し、この近衛師団軍医部長を兼務していた時、近衛師団の土地約5000坪の土地を「譲与」した。(1933年10月、新たな防疫研究室完成)
・厚生省とは国民の健康を増進するために作られたのではなく、強い兵隊を作るために作られたのか?
・毒ガスの人体実験は平房の731部隊の施設で516部隊と合同で行った。
・陸軍軍医学校と防疫研究室は、地下道でつながり、その地下道には、コンクリート製の水槽があって、ホルマリンの中に死体が、15、6体浮かんでいた。(『証言731石井部隊』郡司陽子著)(731部隊で、生体解剖したものを飛行機で研究室まで運んだのか?)
小泉親彦(こいずみちかひこ)
1928年~30年 石井ヨーロッパ視察、1933年背陰河(はいいんが)に秘密裏に東郷部隊設置
1933年防疫研究室完成(731部隊の司令塔)、1936年(陸軍軍医学校50周年)遂に防疫機関(731部隊)の新設をみるに至れり。(天皇の軍令に基く)
ここで、防疫研究室新設の理由として、欧米各国と比べ「我が国に之が対応施設なく」と述べられている。しかしすでに軍医学校にはこの研究室より規模も大きく、名称も似かよっている「防疫部」が設けられていたのである。対応施設云々こそ、細菌戦研究の研究室である事を、暗に認めたものであろう。この表現でも、一般に公開することを予定した文書においては、ぎりぎりの線であろう。・・・・・・
「同機関は内地防疫研究室と相呼応して皇軍防疫の中枢・・・・」の部分
満州の部隊は形式上関東軍に所属するが、東京の軍医学校と密接な連絡を取りながら、業務を行う、ということだろう。
(『消えた細菌戦部隊』常石敬一著より)
『陸軍軍医学校50年史』P184
防疫研究室『陸軍軍医学校50年史』より
731部隊全景(『続・悪魔の飽食』森村誠一著)
・4宮殿下、陸軍軍医学校50周年式典にご臨席・・・731部隊(細菌戦)・毒ガス戦にかける思いも強かったのでは?
閑院宮(かんいんのみや)・・・1931年~40年陸軍参謀総長
梨本宮・・・元帥、敗戦後、神宮祭主であったことから国家神道の主体的な頭目であったとみなされ、皇族としてただ1人A級戦犯容疑者に指定されて、巣鴨プリズンに拘置された。1937年6月、対中戦争への突入を東条と協議するため満州を訪れたのは、他ならぬ梨本であった。この意味では彼は全8年に及ぶ地獄のような戦争の開始者であった。(「天皇の陰謀」(上)p201)
朝香宮・・・1937年(昭和12年)12月2日、上海派遣軍司令官を拝命し、直後の南京攻略戦に参加。南京大虐殺に関与。
東久邇宮(ひがしくにのみや)・・・太平洋戦争時は防衛総司令官・陸軍大将に就く
・4宮殿下陸軍軍医学校の50周年の式典に臨まれる。
陸軍軍医学校50周年記念行事について
細菌戦の予行演習?731部隊員増田薬剤官同乗。(夜の宴会:「よし、細菌戦で行こう!乾杯!」?
久邇宮(香淳皇后の父親)・・・生物学戦争についての情報を提供し続けた?
・永田鉄山・・・石井の特に細菌戦研究についての主張は、陸軍省や参謀本部において次第に支持を集めて行った。彼の意見を支持した人間のうち最も有力な人物が、1931年当時陸軍省軍務局軍事課長(陸軍中佐)で、1934年には実質的に最も力を持っていた局長である軍務局長(陸軍少将)に就任する永田鉄山だった。ちなみに、後に石井部隊が創設されてから、部隊長の石井の部屋には永田鉄山の胸像が飾られていたという。国家総動員を唱えていた。(『消えた細菌戦部隊』常石敬一著)
・1937年(昭和12年)・・国民精神総動員【第一次近衛内閣が1937年(昭和12年)年9月から行った政策・活動の一つで、「国家のために自己を犠牲にして尽くす国民の精神(滅私奉公)を推進した」運動。】「国体の本義」(神勅や万世一系が冒頭で強調されており、国体明徴運動の理論的な意味づけとなった。)
・1938年(昭和13年)・・国家総動員法発令【総力戦遂行のため国家のすべての人的・物的資源を政府が統制運用できる(総動員)旨を規定したもの。】
・1941年(昭和16年)・・「臣民の道」7月の第3次近衛内閣時に文部省教学局より刊行された著作である。欧米の個人主義思想を否定し、ただ国体の尊厳を観念として心得るだけでなく、国家奉仕を第一とする「臣民の道」を日常生活の中で実践する在り方を説いている。
戦陣訓発表 (生きて虜囚りょしゅうの辱はずかしめを受けず、死して罪禍ざいかの汚名おめいを残すこと勿なかれ。)
1940年(昭和15年)皇紀2600年?に東京オリンピックを開催する予定だった。
道徳の強化、「日の丸」・「君が代」の強制、秘密保護法で隠す動き、軍事力強化、集団的自衛権を行使可能にする流れは
何か昔の動きと似ていませんか?
オリンピックよりも、脱原発、福島・東日本の復興にお金をかけたらいかがですか!!
全文は「ノブのノート」で!!