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●731部隊
●陸軍軍医学校50周年記念行事について
●南京大虐殺
●昭和天皇
●教科書問題
●陸軍登戸研究所
●日航123便の怪
●日本とドイツの違い
●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!!
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展
秘密保護法撤廃!!撤廃!!撤廃!!
“過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる”
「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」と言えり、
・戦争を主導した大元帥、昭和天皇を始め、陸軍参謀総長、閑院宮、海軍軍令部総長、伏見宮、南京大虐殺に関わった上海派遣軍司令官、朝霞宮、影で動いた三笠宮、731部隊と関係のあった竹田宮等々、天皇、皇族は誰一人東京裁判で裁かれなかった!!
金と地位がそうさせたのか?
裕仁の朝廷は1940年10月、戦争が敗北に終った場合に天皇制を守ることを目的とした後方計画を開始した。
第1段階は皇族を責任ある地位から退ける事であった。
第2段階は彼らが戦争準備の過程で何の役割も演じなかったかのように見せかける表向きの筋書きをつくることであった。
菊の垂幕の背後への引退は、10月3日に・・・・75歳の閑院宮が、陸軍参謀総長の職を辞した時に始まった。・・・(『天皇の陰謀』下 バーガミニ著P134 より)
・アジアで多くの人々が虐殺されたのに、天皇はじめ皇族方は誰も処刑されなかった?
・731部隊での人体実験と細菌戦の最高責任者は誰だ?
・沖縄戦で多くの日本人が犠牲になった。その沖縄をアメリカに渡したのは誰だ?
・恐怖政治により、思想犯は拷問にかけられ、投獄され、死んだ者も多かった。
・1945年5月25日の東京の空襲では皇居の一部が燃えた。火事を防げなかった消防士は後に射殺体となって発見された!!
・(1942年)3月10日、マッカーサーがコレヒドールから脱出の大逃避行に出発する数時間前、英国外相イーデン卿は下院での演説において、全世界に向かい、日本が香港において忌まわしい残虐行為を広範に行ったことを明らかにした。・・・・3月13日に木戸内大臣は裕仁にイーデンの香港事件暴露の演説のことを報告した。裕仁はこのようなことの再発を防ぐ方策は何もとらなかった。裕仁の叔父達や軍関係の助言者達の立場は日本軍は残虐行為を犯すことによって自己の任務を一層忠実に遂行するようになるし、また敵に降伏してはならない、もし降伏すれば彼らが敵に対してした事を自分達に対してされるのだ、ということを彼らに信じさせるためにも必要であるというものであった。(『天皇の陰謀』下、バーガミニ著P335)
日本軍より虐殺と強姦も多発していた
●「旧日本軍による細菌戦に関する中国民衆の戦争記憶」
東京女子大学教授:聶莉莉(にえりり)
常徳細菌戦1
常徳細菌戦2
常徳細菌戦6
常徳細菌戦7
●あの戦争を起こした裕仁の誕生日が「昭和の日」として休日にされるのには抵抗がある。
裕仁の戦争責任を感じる者にとって、なんともやりきれない!!
「裕仁」は、戦争を起こした人だからヨーロッパでは有名だろう!!
安倍は侵略戦争の反省をしないからアジアで有名?
欧米は昭和天皇、アジアは安倍首相=「知っている日本人」1位―新聞通信調査会
やはり、安倍と天皇家はつながっていた!!
天皇と親戚の安倍晋三首相
積極的平和主義の名のもとで・・・日本で「武器ビジネス」に火がついた=中国メディア
●陛下の戦争
治安維持法等で「思想の自由」「良心の自由」は奪われ、ただただ国民は「天皇教」に帰依せざるを得なかった!!
陛下の戦争
・大元帥裕仁の命令がなければ、一兵卒さえ、動かせなかった。
・裕仁は生まれたときから、将来の天皇として期待され、また大元帥としても教育された。
・天皇教は、天皇を世界の中心におき、八紘一宇をめざす。裕仁は大日本帝国をめざした。
『日本が世界征服をたくらんでいた』
ポツダム宣言「受諾し降伏したことに尽きる」
日本とアメリカの密約
731問題
私は、アメリカ(マッカーサー最高司令官)と日本(昭和天皇)との間に戦後、取り交わされた幾つかの密約があると思う。
1つ目はサンダースが証言しているように「日本は731部隊の全てのデータを渡す代わりに、731部隊員を戦犯免責にする。」ということ。この密約のほかにも、「天皇と皇族たちも、円滑な占領軍統治を進めるために、戦犯免責にする。」や「731部隊が主に中国で行った非人道的な細菌戦と人体実験、日本軍の毒ガス使用や中国等の都市での無差別爆撃を裁判に取り上げない代わりに、アメリカによる日本各都市の無差別爆撃、2発の原爆投下の非人道性を日本政府は国際社会に訴えない。」ことを密約したのではないか?と想像する。昭和天皇とマッカーサーの11回に及ぶ会談で。
サンダースが語る裏取引の真相
東京裁判は2年間続き、1948年に終了。しかし何千ページにわたる証拠書類や証言の中に731部隊に関する一言の記述もありませんでした。
アメリカは待望のデータを手に入れ、石井とその部下達は罪を逃れたのです。
しかし、その事とは別に一つの重要な問題が残されました。
天皇は石井が行った人体実験とのかかわりを追及される事を逃れたばかりか、国民の戦争犯罪に対して法廷に立つ事もなかったのでした。連合国が天皇の必要性を重視したからです。
アメリカと日本が意図的に天皇の戦争責任の追及をやめたということは疑いの余地がありません。
裁かれなかった731部隊員と天皇
天皇は知っていた!!
天皇と731
アメリカ政府の責任
原爆投下、ソ連参戦
なぜ、日本は原爆投下直後、調査をやったのか?
原爆投下直後、軍部によって始められた原爆被爆調査は、敗戦とともにその規模を一気に拡大し、国の大号令で全国の大学などから1300人を超す医師や科学者が集まった。
なぜ、行われたのか?日本が中国などで行っていた、毒ガス戦や細菌戦の特殊研究は、戦争犯罪の対象になるので証拠を湮滅して隠し、原爆の威力を調べる調査書を渡せば、落とした国のアメリカは喜ぶだろうし、日本にとっても、心証がよくなり、戦後の新たな日米関係を築くのに有効なカードになるとの判断があった。2年以上かけた調査は181冊に1万ページに及ぶ報告書にまとめられ、英訳されて、アメリカに渡された。被爆者は何等治療される事なく、調査された!!
・オバマ大統領が広島でアメリカの原爆投下を謝罪しようとした時、外務省が丁重に断ったと言う。
外務省と言えば、昭和天皇とマッカーサーの通訳をした寺崎英成氏も外務官僚だった。
外務省は、天皇制が続いたので、密約をきちんと伝えていたが、アメリカは、大統領が変わるものだから、そこの違いが出たのではないだろうか?
2009年オバマの広島訪問を妨害したのは外務省(=米務省)だったとは、広島市民よ怒れ!
竹田恒泰語録【原爆投下】オバマ大統領が広島で謝罪する要請があったのに断った日本
百田尚樹VS田嶋陽子 バトル勃発!東京大空襲・原爆投下は虐殺か?
原爆投下間違ってなかった米国民5割...松本人志怒る
昭和天皇は、鬼塚氏によれば「天皇はたった一度だけの原爆批判を、終戦の詔書の中でのみ赦(ゆる)された。しかし、天皇は死ぬまで一度も原爆投下の批判をしなかった。天皇と深く結び付いたヨハンセン(吉田反戦)・グループも同様であった。」
●天皇は原子爆弾の悪口を一生語らず、生涯を終えた!!
1975年10月31日の天皇の記者会見
昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」【「日本のいちばん醜い言葉」の一つ(鬼塚氏)】
中村康二(ザ・タイムズ):天皇陛下のホワイトハウスにおける「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言がございましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします。
天皇陛下:そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないで、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。・・・・・
(鬼塚氏のコメント)
これについては批評の書きようもない。「日本のいちばん醜い言葉」の一つであるとのみ書いておく。
秋信利彦(中国放送):天皇陛下におうかがいいたします。陛下は昭和22年12月7日、原子爆弾で焼け野原になった広島市に行幸され、「広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない。われわれはこの犠牲をムダにすることなく、
平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない」と述べられ、以後昭和26年、46年とつごう三度広島にお越しになり、広島市民に親しくお見舞の言葉をかけておられるわけですが、戦争終結に当って、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか、おうかがいいたしたいと思います。
天皇陛下:原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。
[天皇家の秘密]より
広島、長崎に原爆が落とされ死傷者が苦しんでいる最中、天皇は自分の蓄財を海外に次々と逃がす事に専念していたのです。
この問題を調査したマーク・ゲインは、海外に天皇が逃した蓄財は累計で5~10億ドルに上るとしています。(マーク・ゲイン「ニッポン日記」 筑摩書房)
(鬼塚氏のコメント)
私は「エ・・・エ・・・・エ・・・・投下された、ことに対しては、エ・・・・・エ・・・・」の中に、直感的に、天皇が8月6日午前8時15分の広島への原爆投下の件を知っていると思った。この考えに私は拘泥し続け、この考えの正しさを証明しようと追求し続けたのである。
・・・・・・・・
天皇はたった一度だけの原爆批判を、終戦の詔書の中でのみ赦(ゆる)された。しかし、天皇は死ぬまで一度も原爆投下の批判をしなかった。天皇と深く結び付いたヨハンセン(吉田反戦)・グループも同様であった。
(松浦総三の著書より)
裕仁理論=「終戦の詔書」によれば、アジア諸国に対する“侵略”も“防衛戦争”の一環となる。裕仁らはこの“理論”を盾にとって、南京大虐殺、シンガポール虐殺、重慶大爆撃、朝鮮人強制連行、慰安婦問題などを黙殺しようとするのだ。
そのような「防衛戦争」つまり“正義の戦争”も「敵は新に残虐なる爆弾を使用してしきり(頻)に無辜を殺傷す・・・・」というわけで原子爆弾によって「終戦」にせざるを得なくなる。この部分は、裕仁の『昭和天皇独白録』で「ソビエトはすでに満洲で火蓋を切った。これではどうしてもポツダム宣言を受諾せねばならぬ」と本音を言っていることと完全に矛盾する。
歴史的事実としては裕仁がポツダム宣言を受諾したのはソ連参戦によって、ソ連の発言権が強まれば国体・天皇制が危うくなるからである。原子爆弾を投下された8月6日や8月9日には、裕仁は「なるべく早く講和を」といっている。それが、「ソ連参戦」で即時御前会議が開かれるのだ。
というわけで、「正義の戦争」は終戦となる。では戦死者、戦災者、その遺族はどうなるのか。それを思うと朕は「五内為に裂く」とオーバーなことをいう。が、「時運のおもむくところ」「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」というのだ。「五内為に裂く」といっているが、その内容は、被爆者援護法や空襲の補償はしないぞ、ということであろう。
※昭和天皇は極秘ルートで、広島・長崎の原爆投下、ソ連の参戦の情報を知っていた?
畑元帥と高野広島県知事はなぜ無事で、第2総軍は畑元帥の指示で8月3日から広島市内に出動していたのだ!?
●広島原爆投下時の真相(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
畑俊六は8月6日の原爆投下のことを知っていた!!
この原爆で、第2総軍の司令部の数々の建物は壊滅し、多数の死傷者が出たのである。
8月6日朝8時頃に、多数の第2総軍の参謀や将校が集まっていた。そこに原爆が落ちたというわけである。有末精三は畑俊六元帥のことを書いている。
山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥(俊六、第12期、元侍従武官長、支那派遣軍総司令官)に敬意を表し、今夕、仁科博士等の到着を待って調査に着手する旨申告した。将軍は被爆当時日課として朝のお祈りで、神棚に向かっておられたため、幸いに被害はなかったとのことであった。
有末精三は「それぞれ頭や頸元や胸に包帯をしていた岡崎清三郎参謀長(中将、第26期)、真田穣一郎少将(参謀副長、第31期、前大本営陸軍部作戦部長)、井本熊男作戦主任参謀(大佐、第37期、後の陸将)、同参謀橋本正勝中佐(第45期、後の陸将)などが草の上に胡坐(あぐら)をかいたり横になったりして論議しているところへ挨拶否見舞に行った・・・・」と書いている。生き残った第2総軍のトップクラスも全員負傷して、草の上で胡坐をかいていたのである。
この日、間違いなく、第2総軍の全員は、8時頃に集まって会議か、あるいは演習の準備に入っていた。ほとんどの第2総軍の人々は死に、あるいは傷ついていたのである。
ひとり、畑元帥のみが理由はともあれ、この総司令部に行っていないのである。
「山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥」と有末精三は書いている。
私は東郷茂徳外相の依頼か、他のヨハンセン(吉田反戦)・グループの依頼を受けた松本俊一次官が原爆投下前のある日、秘かに畑元帥と会談し、8月6日午前8時すぎころの広島に原爆を落とす計画を打ち明けたと思う。そのときに松本俊一外務次官は、この日の8時過ぎに、第2総軍の全員が集合するようにして欲しいと依頼したとみる。この第2総軍を全滅状態におけば、陸軍の反乱の半分は防げるからである。・・・・
・・・・・・・・・・・
学徒を殺し、一般市民を殺し、第2総軍の軍人を殺し、木戸幸一は大井篤の尋問に答えている。
陛下や私があの原子爆弾によって得た感じは、待ちに待った終戦断行の好機をここに与えられたと云うのであった。特に皇室や上流階級にも身命の危険が及んで来たからではない。
※ウキペディアには 畑俊六は「昭和20年8月6日の広島市への原子爆弾投下により、国鉄広島駅付近で被爆するも奇跡的に難を逃れた。被爆直後から畑は広島市内で罹災者援護の陣頭指揮を執り、広島警備命令を発令した。その職にて終戦を迎える。」と書いてある。真実を書いていないのではないか?
高野源進広島県知事は県下福山に出張中だった。
「天皇が戦争中の役割、特に日本の軍隊に忠誠心や勲功より倫理性を重視する行動基準を持たせることができなかった事を理由に裁判にかけられ、法廷で尋問されることがなかった以上、日本の侵略戦争の正当性―アジア太平洋地域の国々への侵攻は解放のためだったという信念―は、かなりの説得力を持ったのである。結局のところ、多くの日本人は、戦争の遂行について天皇と共犯関係にあった。そして、国民は全体として、天皇が責任を負わないのだから、自分達に責任を負う必要などあるわけがないと考えた。
日本の国民は、戦争に対する罪の意識ときわめて真剣に向き合い始めていた。ところが、木戸と東条に天皇の責任を肩代わりさせるなど、責任を不公平に認定したマッカーサーとトルーマンのいち早い決定が、国民のこの取り組みをさえぎってしまった。・・・・」(ハーバード・ビックス著「昭和天皇」下p229~230
●東京大空襲
東京大空襲
解説)1945年3月18日,死体など〈見苦しい物体〉の後片付けがされた現場を視察する昭和天皇の有名な写真である。お付きの者たちも含め,服装とくにピッカピカにみえる長靴に注目。
「天皇が視察にくるので,空襲で死亡した人たちの遺体をまとめて東陽公園に埋葬したという話を聞かされたある男性は,自分の妻子がそこにいっしょくたに放りこまれ,もう探しようもない事態となっていた顛末に,「憤懣やりきれぬ自分をおさえながら,それからは深川枝川町で,朝鮮人とともに生活するようになった」という。
というのは,洋服屋だった彼は空襲のため「もう洋服屋はできず,その財力もない」ので,朝鮮人たちと同じように「日雇いになって,あちこちで働き,不安定な労働生活が今もなおつづいているが,『わしを助けてくれたのは,政府じゃなかった,朝鮮の人たちだった』と,きっぱりいいきる」(早乙女,224頁)ような,その後における生活状態になっていたからだという。」(1945年3月10日東京下町大空襲の記憶-昭和天皇と敵将ルメイ-より)
政府は被災者に戦後も何の補償もしない!!
1945年の春を過ぎると日本民衆はこれ以上持ちこたえることが、いよいよ出来そうもなくなってきた。3月9日から10日にかけてアメリカの太平洋空軍は、B29、334機で最初の焼夷弾による夜間空襲を東京の人口密集地に対して行った。首都の約4割が灰燼に帰し、推計8万から10万名が焼死した。火災はすさまじく、そのため河川は沸騰し、ガラスは溶け、そして熱風にあおられて墜落した爆撃機もあった。9日後の18日、昭和天皇は侍医と侍従を伴い、車で首都を視察した。当時、別の車で随行した吉橋戒三時中武官は、後に罹災者の様子を次のように回想していた。
「焼け跡を掘り返している罹災者のうつろな顔、うらめしそうな顔が、お辞儀もせずに御車を見送っている。平時の行幸とは違って予告していなかったとはいうものの、菊の御紋章をつけた赤塗りの自動車が、3、4台も通るのだから、行幸であることが判りそうなものなのにと思ったりもした。肉親を失い、家財を焼失した罹災者達は、陛下を恨んでいるのか、それとも虚脱状態でただボーっとしているのか、この不幸な人たちを真近にご覧になる陛下の御胸中はいかばかりかと、拝察したわけである。」p118「昭和天皇 下」(ハーバード・ピックス著)
※裕仁はまだ戦争を続行する。国民の苦しんでいる姿に同情もないようだ。(天皇家の資産管理に余念がなかった?)
「沖縄戦で甚大な損害を被り、アメリカ軍の焼夷弾爆撃により60以上の都市をあらかた焼け野原としてしまってから、ようやく昭和天皇は和平の希望を示唆し、戦争終結の方途を模索し始めたのである。」p120「昭和天皇 下」(ハーバード・ピックス著)
最高裁で敗訴が確定した東京大空襲訴訟が問いかけたもの 戦争被害を国民は受忍できるのか
●日本の立場
日本政府が、昭和天皇の戦争責任を回避するために、731部隊の資料を隠蔽し、南京虐殺についても謝罪しない立場をとり続け、アメリカの核の傘のもと、アメリカの軍事同盟強化の方向に走っているが、これでは世界に向かって「核兵器廃絶」を訴える説得力は弱い!!
いつまでも、日本はアメリカに隷属することになるだろう。ポツダム宣言に於ける日本の立場(“shall be subject to”)と同じように!!
ドイツがソ連軍の捕虜4000人に賠償、韓国メディア「日本とはあまりに違う」=韓国ネットは「日本とドイツでは度量が違う」「比較はもううんざり」
日本側に軍国主義と一線を画するよう再び促す 安倍首相夫人の靖国神社参拝で中国外交部
米バージニア州で慰安婦記念碑設置1周年記念式典、出席者から日本批判=「慰安婦ではなく性奴隷!」「ベトナム戦争を持ち出されたら…」―韓国ネット
侵略戦争と認めることは日本が越えなければならない関門
侵略者が「被害者」を装うことは永遠にできない
<日中関係>9割近くが相手国への印象「悪い」、日本と言えば「南京大虐殺」―13億人のアンケート
731部隊はソ連人93人に人体実験していた、中国の専門家が考証―中国メディア
日本の遺棄化学兵器は関係地域の中国国民の生命と財産および生態環境の安全に深刻な脅威と危害を与えている。
外交部、日本側は遺棄化学兵器の廃棄を一層加速するべき
(戦争責任者の)天皇が同一人物として残り、現人神から変わっただけであった。
日本は旧満州など他人の土地に踏み込み侵略したのでドイツより悪質=天皇の戦争責任、あいまい処理も尾を引く―拓殖大教授が「日独戦後処理」比較
「国の借金」1053兆円=過去最大、1人当たり830万円―14年度末
●731と原発の構図はそっくりだ!!
小出裕章
その教訓は、自分達がどんなに酷い事故を起こして、人々をどんなに苦しめたところで、自分達は処罰されないということです。それが、彼らが得た最大の教訓になっているわけで、どんな古い原子力発電所を動かして事故になろうと、自分達は絶対に責任を問われないし、処罰もされないということが、福島第一原子力発電所の事故で分かってしまったわけですから、彼らとしては、何としてももうやるということになっているなと思います。・・・
ドイツがどうして脱原発ができたかと言うと、政府の中に倫理委員会という技術的な問題を考える委員会のほかに、倫理委員会というまた別の委員会を作って、そこで原子力をやるということがどういう意味を持ってるかということを考えたんです。・・・・・
使用済み燃料というものが日本でもどんどんどんどん溜まってくるわけですけれども、その始末の仕方すら世界中どこも知らない。日本も知らないし、ドイツも知らないわけです。そういう時に、ドイツのその政府の中にできた倫理委員会は、自分達が始末ができないようなゴミを生み出す。そのこと自身が間違えているから原子力をやってはいけないという、そういう結論を下すわけです。
小出裕章先生:自分達が生きているということがどういうことか。人間の生き方の問題として考える…
小出裕章先生:自分達が生きているということがどういうことか。人間の生き方の問題として考える…
日本では原発でも医学でも倫理がしっかり検討されているのだろうか?
脱原発!!
長崎新聞3月9日
●日本政府は731部隊で行われた人体実験、またそこで製造された細菌兵器によって中国で行われた細菌戦について公式に認め、謝罪しないのですか?安倍首相もよくご存知だと思いますが?
戦後70年談話で「謝罪の必要なし」、有識者会議の西室座長
フランスのメディア:日本側の懺悔は足りない
日本政府の731部隊に関する今までの見解(一部)
2012年社民党の服部良一議員が行なった質問に対する、当時民主党の野田佳彦総理が行った国会答弁である。
(提出された質問書と答弁書より)
(質問1)アジア歴史資料センターが公開している昭和十七年九月二十二日付けの陸密第二七八五号で陸軍省副官川原直一が発した「不健康業務加算ニ關スル件陸軍一般ヘ通牒」には「關東軍防疫給水部(大連出張所ヲ含ム)ニ於ケル左記ノ危險ナル細菌ノ研究檢索並ニ診断液又ハ豫防液ノ製造業務ハ大正十三年内閣告示第二號ノ第二號末項ニ該當スルモノトシテ本年九月十六日内閣恩給局長ノ指定アリタルニ付同部隊ニ在リテ直接該業務ニ從事スル公務員ニ對シテハ右指定ノ月以降恩給法第三十八條ノ不健康業務加算ヲ為シ得ル儀ト承知アリ度左記コレラ菌、ペスト菌、チフス菌、パラチフス菌、赤痢菌、流行性脳脊髄膜炎菌及其ノ他危險ナル病原細菌」との記述がある。
1、右の「危險ナル細菌ノ研究檢索並ニ診断液又ハ豫防液ノ製造業務」で、七三一部隊が行っていた業務とはどのようなものか。細菌の培養やワクチン製造を含むのか。また、右の「其ノ他危險ナル病原細菌」で、七三一部隊で取り扱っていた細菌とは何か。炭疽菌、鼻疸菌、結核菌を含むのか、以上明らかにされたい。
(答弁1-1)いわゆる七三一部隊が旧日本軍の関東軍防疫給水部のことであることは、防衛研究所戦史研究センター史料室が保管している旧日本軍の関連資料から明らかとなっている。
しかしながら、外務省、防衛省等の文書において、関東軍防疫給水部におけるお尋ねの「研究檢索」、「製造業務」及び「其ノ他危險ナル病原細菌」の具体的内容を示す資料は現時点まで確認されておらず、お尋ねにお答えすることは困難である。
※日本政府は資料を確認しようする努力は全くせず、反対にずっと隠している!!
(参考)
満州国で安倍の祖父・岸信介もアヘンで大儲けし、巨大な富を築いた!生体人体実験の731部隊の指揮も岸信介
天皇は知っていた!!(積極的に関与していたでは?)
「ミドリ十字」という会社
ウィキペディアより
内藤の起業した日本ブラッドバンクは、当初は輸血用血液の売買を主とするものの、各地に中小の血液銀行が乱立し、 競争が激化するに連れ人工血液製剤への移行を模索した。
ライシャワー事件から売血批判が巻き起こり、1964年8月28日の閣議決定により、血液銀行の業務が日本赤十字に一本化された。路線転換を迫られた内藤は、人工血液と血液製剤への移行を模索する一方、社名を創業以来の社章だった「緑十字形」からミドリ十字に改称した。
1996年8月から10月に帝京大学医学部附属病院の医師だった安部英、ミドリ十字の代表取締役だった松下廉蔵・須山忠和・川野武彦、厚生省官僚だった松村明仁が業務上過失致死容疑で逮捕・起訴された。(薬害エイズ事件)1986年1月に加熱製剤の日本における販売が開始され、十分な供給量を確保することが可能となったにもかかわらず、非加熱製剤の回収などの措置を講じなかったとして2000年にミドリ十字の3被告人に実刑判決
ミドリ十字は、血液製剤の企業として安定した収益があり、合併先には大手製薬会社の名前も取りざたされたが、吉富製薬と合併して法人格は消滅した。その後、医薬品業界の大規模な再編が進む中で三菱ウェルファーマとなり、医薬品業界の合併を経て現在は田辺三菱製薬となっている。
一方、裁判所の判断は
・1997年の家永教科書裁判第3次訴訟では、最高裁で731部隊の記述は正当と認められた。
・証拠もある
731部隊で行われた人体実験
医師・金子ー順-論文の発見
731部隊幹部が人体実験で京大博士号
15年戦争と日本の医学
・731部隊に関する書籍、テレビ報道で国民は事実を知っている!!
天皇の裁可した軍令に基づいて!!
731部隊
・中国政府も化学兵器と生物兵器の被害国であることを訴えている!!
化学兵器と生物兵器の全面禁止と徹底廃棄を
中国は生物兵器を持っていないが、かつて生物兵器の被害国である。中国は、生物兵器の全面禁止と徹底廃棄を主張し、いかなる国も生物兵器を開発、生産、貯蔵することに断固反対し、いかなる国がどのような方式にせよ、この種の兵器とその技術を拡散することにも反対する。「生物兵器禁止条約」締約国として、中国は自らの担う義務を真剣かつ全面に履行するとともに、「生物兵器禁止条約」と関係ある信頼醸成措置面のデータと状況を逐年国連に報告している。
・防衛医科大学校の教官も認めている!!
・米国陸軍感染症研究所のホームページにも載っている!!
生物兵器被害者医療管理ハンドブック(抄訳)
1937年には日本軍が生物戦計画を始め、満州国奉天近郊に731部隊と呼ばれる研究施設を設立した。石井部隊は1945年まで研究を続け、施設は焼き払われた。部隊は多くの菌を研究し、戦争捕虜に人体実験をおこなったことが戦後判明した。1000体近くの人体実験がなされ、多くは炭疸吸入によって死亡している。3000人にのぼる中国人がここで犠牲となった。さらに、飛行機からペストに汚染したのみを散布し、中国、満州にペストの流行を引き起こした。日本軍は、爆弾用として、400㎏の炭疸菌のストックを持っていたと言われる。
●731部隊の証言者
笠原四郎のような731部隊で行われていた事を証言してくれる医学者が、もう1人いたら、日本医学界は大きく変わっていたかも知れない?
笠原四郎証言
篠塚良雄証言
三尾豊証言(元憲兵)
731部隊員の証言 1
731部隊員の証言2
731部隊員の証言3
佐世保の女子学生や名古屋の女子大生は、731の何らかの本を読んでいたのだろうか?生体解剖したり、タリウムを飲ませたり・・・731を想像してしまう。
ペスト菌、コレラ菌、チフス菌・・などを中国に撒き、生体解剖をしていた部隊を。
佐世保女子高生殺害事件
被害男性、女子学生の名挙げる=タリウム混入捜査で―容疑者と判断せず・宮城県警
ニュース
<安保法案>会期内の衆院通過断念 「違憲」指摘が影響
日本政府の引き起こす戦争によって、日本の人々も世界の人々も殺されない権利がある、という意味なのです。
「安保法制は違憲」と断じられた安倍政権が「平和的生存権」を持ち出すので戦場ジャーナリストがツッコミ!
IOC会長、新国立競技場の建設問題で苦言
社説[安保法案「違憲」]撤回して別の対応探れ
憲法を「安保法案」に適用させる――中谷防衛相の発言に「憲政史上最悪」と非難の声
MERSコロナウイルス 韓国で死者6人に
小出裕章先生:この国の指導者達・経済界の首脳達に…私は大変残念だし情けなく思います。
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日本兵の撮った日中戦争の現場――加害の歴史映し出し
写真展で中国の抗日戦争を援助したフランス人医者ビュシエール氏の烈しい歳月を偲ぶ
<広島原爆>「黒い雨」体験者の肺にウラン残存
谷垣氏に帰れコール 「帰れだけで平和は来ない」と反論
<安保法制反対集会>大阪で開催 4000人が参加
辺野古ゲート前、市民150人抗議 元NHK堀潤さんが取材
●どうして731部隊や南京大虐殺についての歴史教科書の記述が薄いのですか?日本が反省していない証拠ですか?
そうです!!
●ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(上)より
第3部 陛下の戦争(1931年~1945年)
第9章 聖戦
辞任した近衛首相の推薦にしたがって、昭和天皇は1939年初頭、平沼を後継内閣に任命した平沼は陸軍の強力な支持者であり、天皇がかつて完全なファシストと見なしていた人物だった。しかし、1936年の陸軍の叛乱以来、国本社を解散させ極右とは多少、距離を置き―西園寺の主張により―宮廷側近との関係を築いてきた。
このようにして、池田成彬蔵相と宮中ルーの指導のもと、平沼はナチス・イツとの軍事同盟にあわてて加入することによって英米を敵とするようなことはしないと約して、さらに自論の見直しを図った。ドイツとの同盟について平沼が部分的に考えを変えたことは、天皇の歓心を買うのに十分だった。p301
日本鬼子のおきみやげ(毒ガス)
●『天皇の陰謀』
天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
『日本が世界征服をたくらんでいた』
ポツダム宣言「受諾し降伏したことに尽きる」
ディビット・バーガミニ 著
松崎 元 訳より
第一章
南京強奪(その1) 日本と中国
裕仁は、自分が中国に何らかの憎しみを抱いているからではなく、祖父および曽祖父から引き継いだ国家的計画(3)による必要において、中国と戦うのであると主張していた。1853年、米国のペリー提督が大砲を突きつけ、西洋諸国との通商と決済を行うため港を開くよう強いて以来、裕仁の曽祖父は、その家臣たちと、ひとつの誓いを立てていた。すなわち、「紅毛の野蛮人」は日本の聖なる国土から追放されなければならず、日本は、さらなる冒涜を防ぐために、緩衝地帯を形成するべく「海外進出」しなければならない、というものであった。
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旧日本軍は明治時代から中国侵略を考えていた?
潜入盗測
『日本が世界征服をたくらんでいた』
ポツダム宣言「受諾し降伏したことに尽きる」
苦境の上海
陸軍の中で天皇がもっとも信頼していた部下たちが、それぞれに、不吉の前兆の地位に着任し終わった十月、裕仁は、「中国の厳粛なる反省をうながし、東亜の平和を遅滞なく確立するために」、日本はその軍事力を発揮しつつある、と勅語(28)を発表した。近衛宮と上海の司令官である小男松井大将は、ともに、南京侵攻の政治的目的を明細化するために、この勅語を誇大解釈し、二項目の原則へと結びつけていた。すなわち、第一に、中国人は「抗日愛国」が必ずもたらす費用を正しく認識しなければならず、第二に、中国人は蒋介石とその国民党の運動を放棄しなければならない、というものであった。
南京大虐殺:侵華日軍南京大 南京電影制片庁 21分
南京大虐殺
フィルムは見ていた!検証「南京大虐殺」
河村たかし名古屋市長の南京事件否定発言に抗議し撤回を求める
なんでこんな教科書が検定に通る?
『新しい歴史教科書』(自由社)
まやかし裁判
君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか?
●日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!
中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!
夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
・『731部隊 細菌戦の医師を追え(今も続く恐怖の人体実験)』(高杉晋吾著 徳間書店)
Ⅶ 自衛隊隊員の人体実験
赤痢予防薬人体実験
ポリラクトンの人体実験を依頼した主体のM社についていえば、北野政次(731部隊長、軍医中将)がM社最高顧問、故内藤良一(731部隊、元軍医学校教官)がM社社長(当時副社長)であり、すでにふれたように、戦後、米占領軍と石井四郎を頂点とする戦犯免罪―731部隊の資料提供というバーター取引の中で、GHQの細菌製剤顧問ボーズマンと密着し、血液製剤で大きく伸びたのだ。そして国立予防衛生研究所(特に血液製剤部)との関係も密接である。
●特別取材:日米は731部隊の細菌戦の罪を密かに覆い隠している―日本人学者、近藤昭二氏を取材
【新華社東京4月27日】日本のNPO法人「731部隊・細菌戦資料センター」の共同代表、近藤昭二氏が近ごろ新華社記者の取材に応じた際、日本は戦後米国に全ての731部隊の研究資料を渡すことを条件に、米国は昭和天皇と細菌戦の責任者の戦争責任を問わないという裏取引を行っており、今日まで日本と米国はまだ関連史料を公開していないと語った。
近藤氏は次のように語った。日本への戦後統治を順調に実現させるため、米国は日本の天皇制を維持させる必要があった。天皇の戦争責任を問わないという点で、日米は利益において合意に達していた。同時に、ソビエト連邦に対抗する必要により、米国は731部隊の研究資料がソビエト連邦の手に渡るのを見たくない。石井四郎(731部隊の創始者)はこの機に乗じて米国に交渉を持ちかけ、この裏取引が最終的に成立させた。日本は全ての731部隊のデータ資料を米国に渡し、また米国は昭和天皇と石井らの責任を問うことはなかった。
「私はかつて極東国際軍事裁判の審判に参与した米国人検察官と自ら話をしたことがあります。その検察官の話によると、東京に到着する前に、彼の上司であるキーナム(音訳)氏が天皇の戦争責任は問えないと伝えていたと言っていました。米国は最初から天皇制の維持を決めていたんです」と近藤氏は語った。
近藤氏は、細菌や毒ガスなどの生物・化学兵器は経済的且つ実利的で、銃砲と比べ殺傷能力や致死率が高く、自然資源の乏しい日本にとってはたいへん魅力があった。当時、国際社会では細菌兵器や毒ガスの使用禁止が取り決められていたが、日本は厳守しなかったと指摘している。
近藤氏は「生物・化学兵器の研究は非常に危険で、その濫用を阻止できるのはつまり倫理です。倫理の厳格な制限がない場合、戦時に731部隊が行った細菌戦が繰り返されないとはとても保証しかねます」、「私たちは必ず厳格な審査機関を設立することで関連の研究が生命理論に合っているかを監督しなければなりません。そして過去の歴史に対して厳格な検証を行うことが、ちょうど倫理体制を構築させる重要な材料となるのです。」と語っている。
731部隊めぐる日本と米国の密約、ジャーナリストの近藤昭二氏語る
・・・・また、「当時、中国の東北地域に設置された捕虜收容所には、米国人捕虜もおり、731部隊軍医の実験対象になった。それにより死亡した米国人も、後遺症が残った米国人もいる。戦後、それら米国人兵士は経験したことを、米国政府に訴えたが、米国は日本との密約があったため、それらを覆い隠した」という。
近藤氏は、「米国が、自国の兵士も731部隊の迫害を受けたことを知っていたにもかかわらず、それを覆い隠し、密約を交わしたことを、世界に知られたとすれば、結果は大きく変わっていた。米国政府にとって不利になる。現時点では推測にすぎないが、日本にとっても、米国にとっても、731部隊の事は秘密にしておきたい問題。今でも密約は密約で、両国ともに関連の資料を公開することは今後もないだろう」との見方を示している。
日本で医学シンポジウムを開催、731部隊などの医学犯罪問題について討論す
日本の「医の倫理」-過去・現在・未来-企画実行委員会は12日、京都で医学シンポジウムを開催し、日本の医学界が現在、中国侵略旧日本軍第731部隊の悪行を含む医学犯罪を消極的に隠蔽する姿勢に疑問を投げかけ、学界が戦時中の医学犯罪を検証し、歴史の事実を直視することで、医学界の医学倫理に欠ける現状を是正するように呼びかけた。
・731部隊の罪を暴き続ける、ペスト被害の生存者たち
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