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●731部隊
●陸軍軍医学校50周年記念行事について
●南京大虐殺
●昭和天皇
●教科書問題
●陸軍登戸研究所
●日航123便の怪
●日本とドイツの違い
●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!!
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展
秘密保護法撤廃!!撤廃!!撤廃!!
“過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる”
●8・15「70年談話」を考えよう!!
日本学者、政府に歴史を正視するよう促す声明を発表
外交部、日本の政府と指導者が歴代内閣の歴史認識を順守することを望む
「60年談話より」
・・・・先の大戦では、三百万余の同胞が、祖国を思い、家族を案じつつ戦場に散り、戦禍に倒れ、あるいは、戦後遠い異郷の地に亡くなられています。
また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。・・・
日本は戦後70年談話で歴史の過ちをはっきりと認めるべき―米専門家
安倍首相、70年談話に「反省」盛り込むと語るも、「謝罪」は言及せず=香港テレビのインタビューで―韓国メディア
あなたの祖父は中国で何をやったのですか?731・毒ガスとももちろん深くかかわった?
安倍首相の祖父 偽満州国の次長としての写真
※この中に、毒ガス・731部隊のことをいかに入れるか?
残虐な人体実験、細菌兵器・毒ガス兵器の使用。
地図から消されていた広島県 大久野島の忘れてはいけない過去
NHKは「沖縄戦の全記録」をつくったが、「中国に於ける毒ガス戦・細菌戦の全記録」は作らないのだろうか?
痛み「70年消えたことない」=戦争被害、国に謝罪求める―沖縄戦訴訟・地裁
沖縄でも中国でも戦争被害に悩んでいる!!
たくさんの加害の事実があるのに一度も謝罪しなくていいの?(証拠を開示することなく隠すばかり)
(参考)
日本は、戦争に勝つためには、手段を選ばなかった。中国政府の発表では200O回以上毒ガスを使い、民間人を含め死亡者は9万人以上。後遺症に悩む人は?
旧日本軍はジュネーブ議定書無視。今でも政府は旧日本軍の毒ガス兵器の使用について全容は不明であるとしている。(関係書類を開示する意思は全くない)
毒ガス戦
大久野島2(毒ガス)
中国人を「チャンコロ」と呼んで、人間として見なかった!八紘一宇の世界とはこんなもんだ!!(日本民族の優秀性?)こわい!!
毒ガス証言1
「催涙ガスを打ち込んで、逃げ出す村民を撃ち殺し皆殺し。婦女を強姦しようとして失敗したら、婦女を井戸の中へ落とした。そしたら、小さな息子がママを追って井戸の中へ身を投げた。そこへ手榴弾を投げ込んだ。」「天皇の軍隊=皇軍」とは、恐しい!!
毒ガス証言2
731部隊は、516、526部隊(毒ガス戦部隊)、陸軍習志野学校と協力して毒ガスの人体実験も行っていた!!いったい何人がその実験の犠牲になったのだろうか?
毒ガス実験【731】
斉藤美夫関東憲兵隊司令部警務部長(特移扱担当の最高幹部 ※特移扱(とくいあつかい)・・・731の人体実験の材料?としておくること)1956年の書き足しには次のようにある。
「押送された人員の中で30名はハルビンで下車させられ、石井部隊の細菌化学生体実験に供せられた。孫呉に下車させられた押送人員60名のほうは、習志野学校(ガス部隊)と石井部隊の協同による毒ガス弾効能実験に当てられ、その特別演習に供せられた、ということを後に白濱大尉の事後報告によって知った、と付け加えている。」
NPO法人 731資料センター会報10号より
毒ガス兵器製造でたくさんの被害者が出るのだから、使用して毒ガスにさらされた人はいかに苦しむ事か?日本人なら国の補償も出たが、中国の被害者は誰が補償する?
大久野島(毒ガス)1
毒ガス使用
旧日本軍が中国に遺棄して処理されていない毒ガスは200万発、化学剤は100t(1995年当時)
日本鬼子のおきみやげ(毒ガス)
中国の陸軍病院でも生きた人間を使った「生体手術演習」が行われていた。戦時中の日本の病院ではどうだったのだろうか?
消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」
・憲法9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
●ニュース
被爆者ら認定求め集会 「原爆症訴訟の解決を」
安保法案「慎重審議を」 中井町議会が意見書
安保関連法案は「憲法違反」 日弁連が意見書まとめる
<瀬戸内寂聴さん>「戦争に近づいている」安保法案に反対
強制的な入院が必要かどうかなどを判定する専門の医師の指定が不正に取得されていた問題
聖マリアンナ医大病院「改めておわび」
米海軍、横須賀基地に最新鋭イージス艦配備
沖縄戦で一家全員死亡 糸満市で慰霊祭
(昭和天皇がマッカーサー元帥に宛てた「米軍による長期沖縄占領継続を依頼するメッセージ」)
沖縄戦
大学は国家機関ではなく、志と資質を持つ万人に門戸を開く教育研究機関であってほしい。
国立大学の入学・卒業式は日の丸・君が代それとも学旗と学歌
南京事件記念館に「勝利広場」=今年12月にオープン―中国
三重県議会が意見書 「安保関連法案の強行容認できぬ」
理研、iPS網膜の移植見送り 2例目に遺伝子変異
「基地に生産性ない」 前泊教授、自衛隊誘致めぐり講演
小泉元首相「発想が不思議」 原発再稼働で政権批判
小出裕章先生:国がやってることは、全く科学の原則から逸脱している
小出裕章先生:国がやってることは、全く科学の原則から逸脱している
●ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(上)より
第3部 陛下の戦争(1931年~1945年)
第9章 聖戦
その間、ヒトラーはすでにこの5月、配下の将軍たちに連合軍の軍隊を攻撃、破壊し、ヨーロツパ大陸の支配権を掌握するという戦略を示していた。イギリス、フランス、ポーランドに対比して、ドイツの軍事力が頂点に達したとき、ヒトラーはその包括的な計画の一部を実行した。阿部内閣の発足まもない1939年9月1日ドイツ軍はポーランドに侵攻し、新たな欧州大戦が勃発した。2日後、英仏介入し、ドイツに宣戦布告し、9月8日、ヒトラーの最大の敵ルーズベルト大統領は限定的な国家非常事態を宣言した。P305
ノモンハン事件と細菌戦
日本鬼子のおきみやげ(毒ガス)
●『天皇の陰謀』
天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
ディビット・バーガミニ 著
松崎 元 訳より
第一章
南京強奪(その1) 日本と中国
裕仁は、自分が中国に何らかの憎しみを抱いているからではなく、祖父および曽祖父から引き継いだ国家的計画(3)による必要において、中国と戦うのであると主張していた。1853年、米国のペリー提督が大砲を突きつけ、西洋諸国との通商と決済を行うため港を開くよう強いて以来、裕仁の曽祖父は、その家臣たちと、ひとつの誓いを立てていた。すなわち、「紅毛の野蛮人」は日本の聖なる国土から追放されなければならず、日本は、さらなる冒涜を防ぐために、緩衝地帯を形成するべく「海外進出」しなければならない、というものであった。
・・・・
旧日本軍は明治時代から中国侵略を考えていた?
潜入盗測
『日本が世界征服をたくらんでいた』
「ポツダム宣言・東京裁判受け入れた」 首相が明言
停止線茶番劇
松井にあてた最初の電報(48)はこう告げていた。
南京攻撃への一致した決定を得るべく、当本部の面々は着実な議論に取り組んでいるが、最終決定にはいまだ至らず。ともあれ、決定は間近であるので、安心されたし。
松井のもとの参謀将校たちにあてた、第二の、極秘、至急電報(49)はこうなっていた。
余は、余の最高幹部の決定いまだ得ずとも、当本部の核心は南京攻撃に傾注しつつあり。しかるに、これを理解し、予断を打ち捨て、前進計られたし。
ここに言う「当本部の核心」とは、電報を打った下村少将を別にして、天皇裕仁のみであった。また、「最高幹部」とは、もちろん、苦闘する多田中将のことである。
前線の参謀将校たちは、この第二の電報を受け取ると直ちに、第二の停止線上にある二つの町の酒場や売春宿から兵士を招集し、前進の用意を整えた。東京の多田は、部隊が命令なしで行動を起こす可能性――参謀本部副長官としてその責任を負わされ、軍人としての名誉に汚点を残す――を按じていた。一方で、退役や不面目を、また他方で、輝かしい将来への約束を考え、多田は、この二通の電報が打たれた日の夕方、自らの信念を曲げた。ただ、その命令の日付を四日後の12月1日とするよう条件を付けた――強制された事実を記録として残そうとする、奇妙な日本式方法。彼はまた、天皇裕仁に、その命令の天皇責任を認めるよう、それが天皇の全国民への勅令としての形式をとるよう、天皇に求めた。
南京大虐殺:侵華日軍南京大 南京電影制片庁 21分
南京大虐殺
フィルムは見ていた!検証「南京大虐殺」
河村たかし名古屋市長の南京事件否定発言に抗議し撤回を求める
なんでこんな教科書が検定に通る?
『新しい歴史教科書』(自由社)
まやかし裁判
君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか?
●日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!
中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!
夏草をふみしめ引込み線を歩いた
視界が不意に三角形に切り取られ
やがて歴史の暗渠(あんきょ)に足を踏み入れる
見上げれば天を突く巨大な残骸
ただれ崩れ落ち、悲しみの肉塊のように
灰色の空の下で泣いている
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
・『731部隊 細菌戦の医師を追え(今も続く恐怖の人体実験)』(高杉晋吾著 徳間書店)
Ⅷ 731部隊隊長と百日咳人体実験
強毒ワクチンを強制接種法で売る
北野は「防疫秘話」(続7)の中で「中村滝公衆衛生研究所では、昭和23年より26年まで、百日咳の研究に対して文部省の科学試験研究費補助金の交付を受け根津と増井と共同研究を行った」と書いている。
そして「総合医学」(昭和23年)に、「百日咳の新鮮株濃厚ワクチン療法」という論文を書き、「普通のワクチンは1ミリリットル中菌量は0.5ミリグラムだが、当社製品は1ミリリットル中2ミリグラムだから菌量は普通の製品の4倍だ」と宣伝した上、新鮮さと濃厚さの両面で優れているのだから、「物価庁も例外価格を認め」、「近く接種法が制定され、ある一定の年齢層には種痘のごとく強制的に接種することになるゆえ、百日咳ワクチン製造の国家基準も造って定められると思うが、必ずやこの質量の面より準拠を定めらるる事を信ずる」と書いている。
(参考)
子宮頸がんワクチンの危険性 - Thinker
子宮頸がんワクチン接種、通学できぬ少女 推奨中断2年
「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」と言えり、
・戦争を主導した大元帥、昭和天皇を始め、陸軍参謀総長、閑院宮、海軍軍令部総長、伏見宮、南京大虐殺に関わった上海派遣軍司令官、朝霞宮、影で動いた三笠宮、731部隊と関係のあった竹田宮等々、天皇、皇族は誰一人東京裁判で裁かれなかった!!
金と地位がそうさせたのか?
裕仁の朝廷は1940年10月、戦争が敗北に終った場合に天皇制を守ることを目的とした後方計画を開始した。
第1段階は皇族を責任ある地位から退ける事であった。
第2段階は彼らが戦争準備の過程で何の役割も演じなかったかのように見せかける表向きの筋書きをつくることであった。
菊の垂幕の背後への引退は、10月3日に・・・・75歳の閑院宮が、陸軍参謀総長の職を辞した時に始まった。・・・(『天皇の陰謀』下 バーガミニ著P134 より)
・アジアで多くの人々が虐殺されたのに、天皇はじめ皇族方は誰も処刑されなかった?
・731部隊での人体実験と細菌戦の最高責任者は誰だ?
・沖縄戦で多くの日本人が犠牲になった。その沖縄をアメリカに渡したのは誰だ?
・恐怖政治により、思想犯は拷問にかけられ、投獄され、死んだ者も多かった。
・1945年5月25日の東京の空襲では皇居の一部が燃えた。火事を防げなかった消防士は後に射殺体となって発見された!!
・(1942年)3月10日、マッカーサーがコレヒドールから脱出の大逃避行に出発する数時間前、英国外相イーデン卿は下院での演説において、全世界に向かい、日本が香港において忌まわしい残虐行為を広範に行ったことを明らかにした。・・・・3月13日に木戸内大臣は裕仁にイーデンの香港事件暴露の演説のことを報告した。裕仁はこのようなことの再発を防ぐ方策は何もとらなかった。裕仁の叔父達や軍関係の助言者達の立場は日本軍は残虐行為を犯すことによって自己の任務を一層忠実に遂行するようになるし、また敵に降伏してはならない、もし降伏すれば彼らが敵に対してした事を自分達に対してされるのだ、ということを彼らに信じさせるためにも必要であるというものであった。(『天皇の陰謀』下、バーガミニ著P335)
日本軍より虐殺と強姦も多発していた
●講演会のお知らせ
●731に関係する簡単な映像作品を作ってみませんか?
731部隊映像コンテスト
●映像でみる731部隊とは
(参考)黒い太陽731
終戦50年特別企画
終戦50周年731部隊
知ってるつもり「731部隊と医学者たち」
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
●1941年に日本軍は大量のペスト菌で汚染されたノミ、米、綿を空中投下したため、常徳権県庁所在地及び郊外農村でペスト病の大規模な流行を引き起こした。
・「旧日本軍による細菌戦に関する中国民衆の戦争記憶」
東京女子大学教授:聶莉莉(にえりり)
常徳細菌戦
・日本軍は常徳だけでなく、農安、農安大賚(のうあんだいらい)や衢県(くけん)廣信(こうしん)、廣豊、玉山などでも細菌戦を行った。
中国に於ける旧日本軍の細菌戦
中国の被害者も同じ心境では?
沖縄戦、心の傷深く 体験者65%「今も思い出す」
闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)
●陛下の戦争
治安維持法等で「思想の自由」「良心の自由」は奪われ、ただただ国民は「天皇教」に帰依せざるを得なかった!!
陛下の戦争
・大元帥裕仁の命令がなければ、一兵卒さえ、動かせなかった。
・裕仁は生まれたときから、将来の天皇として期待され、また大元帥としても教育された。
・天皇教は、天皇を世界の中心におき、八紘一宇をめざす。裕仁は大日本帝国をめざした。
『日本が世界征服をたくらんでいた』
ポツダム宣言「受諾し降伏したことに尽きる」
日本とアメリカの密約
731問題
私は、アメリカ(マッカーサー最高司令官)と日本(昭和天皇)との間に戦後、取り交わされた幾つかの密約があると思う。
1つ目はサンダースが証言しているように「日本は731部隊の全てのデータを渡す代わりに、731部隊員を戦犯免責にする。」ということ。この密約のほかにも、「天皇と皇族たちも、円滑な占領軍統治を進めるために、戦犯免責にする。」や「731部隊が主に中国で行った非人道的な細菌戦と人体実験、日本軍の毒ガス使用や中国等の都市での無差別爆撃を裁判に取り上げない代わりに、アメリカによる日本各都市の無差別爆撃、2発の原爆投下の非人道性を日本政府は国際社会に訴えない。」ことを密約したのではないか?と想像する。昭和天皇とマッカーサーの11回に及ぶ会談で。
サンダースが語る裏取引の真相
東京裁判は2年間続き、1948年に終了。しかし何千ページにわたる証拠書類や証言の中に731部隊に関する一言の記述もありませんでした。
アメリカは待望のデータを手に入れ、石井とその部下達は罪を逃れたのです。
しかし、その事とは別に一つの重要な問題が残されました。
天皇は石井が行った人体実験とのかかわりを追及される事を逃れたばかりか、国民の戦争犯罪に対して法廷に立つ事もなかったのでした。連合国が天皇の必要性を重視したからです。
アメリカと日本が意図的に天皇の戦争責任の追及をやめたということは疑いの余地がありません。
裁かれなかった731部隊員と天皇
天皇は知っていた!!
天皇と731
アメリカ政府の責任
原爆投下、ソ連参戦
なぜ、日本は原爆投下直後、調査をやったのか?
原爆投下直後、軍部によって始められた原爆被爆調査は、敗戦とともにその規模を一気に拡大し、国の大号令で全国の大学などから1300人を超す医師や科学者が集まった。
なぜ、行われたのか?日本が中国などで行っていた、毒ガス戦や細菌戦の特殊研究は、戦争犯罪の対象になるので証拠を湮滅して隠し、原爆の威力を調べる調査書を渡せば、落とした国のアメリカは喜ぶだろうし、日本にとっても、心証がよくなり、戦後の新たな日米関係を築くのに有効なカードになるとの判断があった。2年以上かけた調査は181冊に1万ページに及ぶ報告書にまとめられ、英訳されて、アメリカに渡された。被爆者は何等治療される事なく、調査された!!
・オバマ大統領が広島でアメリカの原爆投下を謝罪しようとした時、外務省が丁重に断ったと言う。
外務省と言えば、昭和天皇とマッカーサーの通訳をした寺崎英成氏も外務官僚だった。
外務省は、天皇制が続いたので、密約をきちんと伝えていたが、アメリカは、大統領が変わるものだから、そこの違いが出たのではないだろうか?
2009年オバマの広島訪問を妨害したのは外務省(=米務省)だったとは、広島市民よ怒れ!
竹田恒泰語録【原爆投下】オバマ大統領が広島で謝罪する要請があったのに断った日本
百田尚樹VS田嶋陽子 バトル勃発!東京大空襲・原爆投下は虐殺か?
アメリカ側の原爆投下に対するコメント
長崎の悲劇「避けられた」 原爆投下、技術者も反対
原爆投下間違ってなかった米国民5割...松本人志怒る
昭和天皇は、鬼塚氏によれば「天皇はたった一度だけの原爆批判を、終戦の詔書の中でのみ赦(ゆる)された。しかし、天皇は死ぬまで一度も原爆投下の批判をしなかった。天皇と深く結び付いたヨハンセン(吉田反戦)・グループも同様であった。」
●天皇は原子爆弾の悪口を一生語らず、生涯を終えた!!
1975年10月31日の天皇の記者会見
昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」【「日本のいちばん醜い言葉」の一つ(鬼塚氏)】
中村康二(ザ・タイムズ):天皇陛下のホワイトハウスにおける「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言がございましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします。
天皇陛下:そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないで、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。・・・・・
(鬼塚氏のコメント)
これについては批評の書きようもない。「日本のいちばん醜い言葉」の一つであるとのみ書いておく。
秋信利彦(中国放送):天皇陛下におうかがいいたします。陛下は昭和22年12月7日、原子爆弾で焼け野原になった広島市に行幸され、「広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない。われわれはこの犠牲をムダにすることなく、
平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない」と述べられ、以後昭和26年、46年とつごう三度広島にお越しになり、広島市民に親しくお見舞の言葉をかけておられるわけですが、戦争終結に当って、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか、おうかがいいたしたいと思います。
天皇陛下:原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。
[天皇家の秘密]より
広島、長崎に原爆が落とされ死傷者が苦しんでいる最中、天皇は自分の蓄財を海外に次々と逃がす事に専念していたのです。
この問題を調査したマーク・ゲインは、海外に天皇が逃した蓄財は累計で5~10億ドルに上るとしています。(マーク・ゲイン「ニッポン日記」 筑摩書房)
(鬼塚氏のコメント)
私は「エ・・・エ・・・・エ・・・・投下された、ことに対しては、エ・・・・・エ・・・・」の中に、直感的に、天皇が8月6日午前8時15分の広島への原爆投下の件を知っていると思った。この考えに私は拘泥し続け、この考えの正しさを証明しようと追求し続けたのである。
・・・・・・・・
天皇はたった一度だけの原爆批判を、終戦の詔書の中でのみ赦(ゆる)された。しかし、天皇は死ぬまで一度も原爆投下の批判をしなかった。天皇と深く結び付いたヨハンセン(吉田反戦)・グループも同様であった。
(松浦総三の著書より)
裕仁理論=「終戦の詔書」によれば、アジア諸国に対する“侵略”も“防衛戦争”の一環となる。裕仁らはこの“理論”を盾にとって、南京大虐殺、シンガポール虐殺、重慶大爆撃、朝鮮人強制連行、慰安婦問題などを黙殺しようとするのだ。
そのような「防衛戦争」つまり“正義の戦争”も「敵は新に残虐なる爆弾を使用してしきり(頻)に無辜を殺傷す・・・・」というわけで原子爆弾によって「終戦」にせざるを得なくなる。この部分は、裕仁の『昭和天皇独白録』で「ソビエトはすでに満洲で火蓋を切った。これではどうしてもポツダム宣言を受諾せねばならぬ」と本音を言っていることと完全に矛盾する。
歴史的事実としては裕仁がポツダム宣言を受諾したのはソ連参戦によって、ソ連の発言権が強まれば国体・天皇制が危うくなるからである。原子爆弾を投下された8月6日や8月9日には、裕仁は「なるべく早く講和を」といっている。それが、「ソ連参戦」で即時御前会議が開かれるのだ。
というわけで、「正義の戦争」は終戦となる。では戦死者、戦災者、その遺族はどうなるのか。それを思うと朕は「五内為に裂く」とオーバーなことをいう。が、「時運のおもむくところ」「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」というのだ。「五内為に裂く」といっているが、その内容は、被爆者援護法や空襲の補償はしないぞ、ということであろう。
※昭和天皇は極秘ルートで、広島・長崎の原爆投下、ソ連の参戦の情報を知っていた?
畑元帥と高野広島県知事はなぜ無事で、第2総軍は畑元帥の指示で8月3日から広島市内に出動していたのだ!?
●広島原爆投下時の真相(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
畑俊六は8月6日の原爆投下のことを知っていた!!
この原爆で、第2総軍の司令部の数々の建物は壊滅し、多数の死傷者が出たのである。
8月6日朝8時頃に、多数の第2総軍の参謀や将校が集まっていた。そこに原爆が落ちたというわけである。有末精三は畑俊六元帥のことを書いている。
山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥(俊六、第12期、元侍従武官長、支那派遣軍総司令官)に敬意を表し、今夕、仁科博士等の到着を待って調査に着手する旨申告した。将軍は被爆当時日課として朝のお祈りで、神棚に向かっておられたため、幸いに被害はなかったとのことであった。
有末精三は「それぞれ頭や頸元や胸に包帯をしていた岡崎清三郎参謀長(中将、第26期)、真田穣一郎少将(参謀副長、第31期、前大本営陸軍部作戦部長)、井本熊男作戦主任参謀(大佐、第37期、後の陸将)、同参謀橋本正勝中佐(第45期、後の陸将)などが草の上に胡坐(あぐら)をかいたり横になったりして論議しているところへ挨拶否見舞に行った・・・・」と書いている。生き残った第2総軍のトップクラスも全員負傷して、草の上で胡坐をかいていたのである。
この日、間違いなく、第2総軍の全員は、8時頃に集まって会議か、あるいは演習の準備に入っていた。ほとんどの第2総軍の人々は死に、あるいは傷ついていたのである。
ひとり、畑元帥のみが理由はともあれ、この総司令部に行っていないのである。
「山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥」と有末精三は書いている。
私は東郷茂徳外相の依頼か、他のヨハンセン(吉田反戦)・グループの依頼を受けた松本俊一次官が原爆投下前のある日、秘かに畑元帥と会談し、8月6日午前8時すぎころの広島に原爆を落とす計画を打ち明けたと思う。そのときに松本俊一外務次官は、この日の8時過ぎに、第2総軍の全員が集合するようにして欲しいと依頼したとみる。この第2総軍を全滅状態におけば、陸軍の反乱の半分は防げるからである。・・・・
・・・・・・・・・・・
学徒を殺し、一般市民を殺し、第2総軍の軍人を殺し、木戸幸一は大井篤の尋問に答えている。
陛下や私があの原子爆弾によって得た感じは、待ちに待った終戦断行の好機をここに与えられたと云うのであった。特に皇室や上流階級にも身命の危険が及んで来たからではない。
※ウキペディアには 畑俊六は「昭和20年8月6日の広島市への原子爆弾投下により、国鉄広島駅付近で被爆するも奇跡的に難を逃れた。被爆直後から畑は広島市内で罹災者援護の陣頭指揮を執り、広島警備命令を発令した。その職にて終戦を迎える。」と書いてある。真実を書いていないのではないか?
高野源進広島県知事は県下福山に出張中だった。
「天皇が戦争中の役割、特に日本の軍隊に忠誠心や勲功より倫理性を重視する行動基準を持たせることができなかった事を理由に裁判にかけられ、法廷で尋問されることがなかった以上、日本の侵略戦争の正当性―アジア太平洋地域の国々への侵攻は解放のためだったという信念―は、かなりの説得力を持ったのである。結局のところ、多くの日本人は、戦争の遂行について天皇と共犯関係にあった。そして、国民は全体として、天皇が責任を負わないのだから、自分達に責任を負う必要などあるわけがないと考えた。
日本の国民は、戦争に対する罪の意識ときわめて真剣に向き合い始めていた。ところが、木戸と東条に天皇の責任を肩代わりさせるなど、責任を不公平に認定したマッカーサーとトルーマンのいち早い決定が、国民のこの取り組みをさえぎってしまった。・・・・」(ハーバード・ビックス著「昭和天皇」下p229~230
●日本政府は731部隊で行われた人体実験、またそこで製造された細菌兵器によって中国で行われた細菌戦について公式に認め、謝罪しないのですか?安倍首相もよくご存知だと思いますが?
戦後70年談話で「謝罪の必要なし」、有識者会議の西室座長
フランスのメディア:日本側の懺悔は足りない
日本政府の731部隊に関する今までの見解(一部)
2012年社民党の服部良一議員が行なった質問に対する、当時民主党の野田佳彦総理が行った国会答弁である。
(提出された質問書と答弁書より)
(質問1)アジア歴史資料センターが公開している昭和十七年九月二十二日付けの陸密第二七八五号で陸軍省副官川原直一が発した「不健康業務加算ニ關スル件陸軍一般ヘ通牒」には「關東軍防疫給水部(大連出張所ヲ含ム)ニ於ケル左記ノ危險ナル細菌ノ研究檢索並ニ診断液又ハ豫防液ノ製造業務ハ大正十三年内閣告示第二號ノ第二號末項ニ該當スルモノトシテ本年九月十六日内閣恩給局長ノ指定アリタルニ付同部隊ニ在リテ直接該業務ニ從事スル公務員ニ對シテハ右指定ノ月以降恩給法第三十八條ノ不健康業務加算ヲ為シ得ル儀ト承知アリ度左記コレラ菌、ペスト菌、チフス菌、パラチフス菌、赤痢菌、流行性脳脊髄膜炎菌及其ノ他危險ナル病原細菌」との記述がある。
1、右の「危險ナル細菌ノ研究檢索並ニ診断液又ハ豫防液ノ製造業務」で、七三一部隊が行っていた業務とはどのようなものか。細菌の培養やワクチン製造を含むのか。また、右の「其ノ他危險ナル病原細菌」で、七三一部隊で取り扱っていた細菌とは何か。炭疽菌、鼻疸菌、結核菌を含むのか、以上明らかにされたい。
(答弁1-1)いわゆる七三一部隊が旧日本軍の関東軍防疫給水部のことであることは、防衛研究所戦史研究センター史料室が保管している旧日本軍の関連資料から明らかとなっている。
しかしながら、外務省、防衛省等の文書において、関東軍防疫給水部におけるお尋ねの「研究檢索」、「製造業務」及び「其ノ他危險ナル病原細菌」の具体的内容を示す資料は現時点まで確認されておらず、お尋ねにお答えすることは困難である。
※日本政府は資料を確認しようする努力は全くせず、反対にずっと隠している!!
(参考)
満州国で安倍の祖父・岸信介もアヘンで大儲けし、巨大な富を築いた!生体人体実験の731部隊の指揮も岸信介
天皇は知っていた!!(積極的に関与していたでは?)
大本営作戦主任参謀朝枝の証言
戦犯免責の過程
「ミドリ十字」という会社
ウィキペディアより
内藤の起業した日本ブラッドバンクは、当初は輸血用血液の売買を主とするものの、各地に中小の血液銀行が乱立し、 競争が激化するに連れ人工血液製剤への移行を模索した。
ライシャワー事件から売血批判が巻き起こり、1964年8月28日の閣議決定により、血液銀行の業務が日本赤十字に一本化された。路線転換を迫られた内藤は、人工血液と血液製剤への移行を模索する一方、社名を創業以来の社章だった「緑十字形」からミドリ十字に改称した。
1996年8月から10月に帝京大学医学部附属病院の医師だった安部英、ミドリ十字の代表取締役だった松下廉蔵・須山忠和・川野武彦、厚生省官僚だった松村明仁が業務上過失致死容疑で逮捕・起訴された。(薬害エイズ事件)1986年1月に加熱製剤の日本における販売が開始され、十分な供給量を確保することが可能となったにもかかわらず、非加熱製剤の回収などの措置を講じなかったとして2000年にミドリ十字の3被告人に実刑判決
ミドリ十字は、血液製剤の企業として安定した収益があり、合併先には大手製薬会社の名前も取りざたされたが、吉富製薬と合併して法人格は消滅した。その後、医薬品業界の大規模な再編が進む中で三菱ウェルファーマとなり、医薬品業界の合併を経て現在は田辺三菱製薬となっている。
一方、裁判所の判断は
・1997年の家永教科書裁判第3次訴訟では、最高裁で731部隊の記述は正当と認められた。
・証拠もある
731部隊で行われた人体実験
医師・金子ー順-論文の発見
731部隊幹部が人体実験で京大博士号
15年戦争と日本の医学
・731部隊に関する書籍、テレビ報道で国民は事実を知っている!!
天皇の裁可した軍令に基づいて!!
731部隊
・中国政府も化学兵器と生物兵器の被害国であることを訴えている!!
化学兵器と生物兵器の全面禁止と徹底廃棄を
中国は生物兵器を持っていないが、かつて生物兵器の被害国である。中国は、生物兵器の全面禁止と徹底廃棄を主張し、いかなる国も生物兵器を開発、生産、貯蔵することに断固反対し、いかなる国がどのような方式にせよ、この種の兵器とその技術を拡散することにも反対する。「生物兵器禁止条約」締約国として、中国は自らの担う義務を真剣かつ全面に履行するとともに、「生物兵器禁止条約」と関係ある信頼醸成措置面のデータと状況を逐年国連に報告している。
・防衛医科大学校の教官も認めている!!
・米国陸軍感染症研究所のホームページにも載っている!!
生物兵器被害者医療管理ハンドブック(抄訳)
1937年には日本軍が生物戦計画を始め、満州国奉天近郊に731部隊と呼ばれる研究施設を設立した。石井部隊は1945年まで研究を続け、施設は焼き払われた。部隊は多くの菌を研究し、戦争捕虜に人体実験をおこなったことが戦後判明した。1000体近くの人体実験がなされ、多くは炭疸吸入によって死亡している。3000人にのぼる中国人がここで犠牲となった。さらに、飛行機からペストに汚染したのみを散布し、中国、満州にペストの流行を引き起こした。日本軍は、爆弾用として、400㎏の炭疸菌のストックを持っていたと言われる。
●731部隊の証言者
笠原四郎のような731部隊で行われていた事を証言してくれる医学者が、もう1人いたら、日本医学界は大きく変わっていたかも知れない?
笠原四郎証言
篠塚良雄証言
三尾豊証言(元憲兵)
731部隊員の証言 1
731部隊員の証言2
731部隊員の証言3
佐世保の女子学生や名古屋の女子大生は、731の何らかの本を読んでいたのだろうか?生体解剖したり、タリウムを飲ませたり・・・731を想像してしまう。
ペスト菌、コレラ菌、チフス菌・・などを中国に撒き、生体解剖をしていた部隊を。
佐世保女子高生殺害事件
被害男性、女子学生の名挙げる=タリウム混入捜査で―容疑者と判断せず・宮城県警
全文は「ノブのノート」で!!