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●731部隊(1)
●731部隊(2)
●731部隊(3)
●731部隊(4)
●陸軍軍医学校50周年記念行事について
●南京大虐殺
●昭和天皇
●教科書問題
●陸軍登戸研究所
●日航123便の怪
●日本とドイツの違い
●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!!
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展
●戦争が起きたら、必ず原発が狙われ、地球は汚染される!!脱原発!!
・日本医学界は、なぜ731のことに謝罪しない?なぜ脱原発の声明を出さないのだ!!
・国策:原発推進反対!!
・東芝、日立・三菱などは原発から撤退しなければ!!
東芝、赤字大幅拡大へ 6千億円超見通し 16年3月期
小出裕章先生:原子力に関する限り、米軍のに一切文句を言えないとい、そういう立場に日本の国がある
小出裕章先生:原子力に関する限り、米軍のに一切文句を言えないとい、そういう立場に日本の国がある
核燃料の搬入完了=2月下旬に再稼働-高浜4号機
福島第一原発 凍土壁ほぼ完成も運用めど立たず
小出裕章先生:一刻も早く原子力の夢からさめて…
●彼らは本気だ。安倍晋三首相は、夏の参院選で改憲勢力による「3分の2」の議席を目指すという。どうしたらいい?
彼らと真逆の憲法は作れないか?
・憲法9条を守る!!・外交を強化する・自衛隊は災害救助隊に・象徴天皇制を廃止して、大統領制にする
・脱原発 ・靖国神社を廃止して、戦争懺悔慰霊碑の建立
・日米安保条約見直し・国連改革
・憲法9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
01
想像してごらん、
軍隊のお金をみんなの
暮らしのために使う世界を。
Imagine,
A world that spends money
not on armies,
but on people’s lives.
Представить,
Мир, который тратит деньги
не на армии,
но на жизнь людей.
想像,
该花钱的世界
没有军队,
但对人们的生活。
IMAGINE9 (『イマジン9 想像してごらん、戦争のない世界を。』(文:星川淳・川崎哲、絵:成瀬政博 2007年12月1日発行、合同出版)
解説
01
軍隊のお金を
みんなの暮らしのために使う世界
1年間に世界で120兆円、日本で5兆円という、想像もつかないほど巨額のお金が、戦争のため、またはその準備のために使われています。1発数千万円ないし数億円もかかるようなミサイルを何百発も準備することが、「国を守るため」として正当化されています。
世界の軍事費は、今世紀に入ってからとくに増え続けています。世界の軍事費の約半分はアメリカの軍事費なのですが、そのアメリカが、2001年の「9.11テロ」をきっかけに、「テロとの戦い」と称してイラクを攻撃したり、世界中のアメリカ軍を強化したりして、軍事費を増やしているからです。
その一方でアメリカ国内では、社会保障や教育すら十分に受けられない人びとが増えています。ハリケーンがアメリカを襲ったとき、これらの貧しい人びとがもっとも大きな被害を受けました。これによって「超大国アメリカ」の中の貧困問題が目に見える形で浮かび上がりました。
世界的には、いわゆる北の先進国が莫大な軍事費を使う一方で、南の途上国では貧困が広がっています。「人類の5分の1が住む国々では、人びとは1杯2ドルのコーヒーを当たり前に飲んでいるのに、べつの5分の1が住む国々では、人びとは1日1ドル以下で暮らし、子どもたちは蚊帳がないためにマラリアなどの病気で死んでいる」(国連開発計画=UNDP、2005年)というのが、世界の格差の現実です。
世界中の政府は、2000年に、貧困をなくすための一連の目標に合意しました。国連の「ミレニアム開発目標」と呼ばれるもので、2015年までに、次のような目標を達成するとしています。
●極端な貧困や飢餓をな くす (1日1 ドル以下で暮らす人を半減する)。
●すべての子どもたちが、女の子でも男の子でも差別なく、学校に行けるようにする。
●赤ちゃんが栄養失調で命を落としたり、お母さんが出産時に亡くなってしまうことを防ぐ。
●HIV(エイズ)、マラリアなどの感染症の広がりを止める。
こうした目標を達成するためには、世界的に軍事費を減らし、人びとの暮らしや発展のためにお金を回すことが不可欠です。
国連憲章には、「世界各国は軍事に回すお金や資源を最小限にしなければならない」(第26条)と書かれています。世界のNGO(非政府組織)は、この国連憲章26条をいまこそ実行し「軍事を減らして人びとの発展に回そう」という運動を始めています。そうした世界の人びとの中からは「国連憲章26条と日本国憲法9条は、同じ目標のための双子のようなものだ。ともに発展させよう」という声が上がっているのです。
●ご案内
残留孤児:中島幼八さんのお話
731日本軍細菌戦部隊などの戦争遺跡を巡る旅【5月3日(火)~5月7日(土)】
お問い合わせ・申込先 国際ツーリストビューロー
TEL 078-351―2110
FAX 078―351-2140
メール ktb@silver.ocn.ne.jp
・締切 3月17日(木)
●ニュース
衆院予算委員会 安倍首相、憲法9条改正の必要性に言及
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NHK予算案の了承、自民また見送り 不祥事対応を批判
国内唯一・中国残留孤児の研修施設 最後の修了式
マニラ市街戦、東京大空襲
フィリピンの元慰安婦、天皇陛下に公式な謝罪を要求へ
●昭和天皇の戦争責任を考えると、「君が代は、千代に八千代にさざれ石の・・・」とは歌えない!!
入学式、卒業式では、強制的に起立させられ、公務員が拒否すると、罰せられるという異常な時代!!
重苦しい!!
・満州国は全くの日本の傀儡国家だった!!満州を治めていたのは昭和天皇であった!!
(満州国の頂点)
・731の頂点も昭和天皇であった!!【内藤良一(731部隊員)のメモ】
●防衛省、外務省は積極的に国民に情報開示し、戦争を防止する義務がある!!
秘密保護法撤廃!!
731の情報を取得する行為も罰せられる?戦争の反省は全くしない?
自衛の名のもとに、戦後も生物戦・核戦争の研究は秘かに行われている?
「国家政策の中で国防機関の発言力が強化され、軍事的観点が占める比重が高まるに伴い、軍事機密は外交、治安、経済など国政のあらゆる分野をおおい尽くすにいたる。この過程に照応して国民は政治の意思決定過程から排除されていく。参政権は骨抜きにされ、知る権利と表現の自由が抑圧される。国会は国権の最低機関に転落する。これこそ軍国主義の発生と成長の一般的法則なのである。最後に来るのは戦争である。
戦争を始めるかどうかの決定に、もはや国民はまったく参加することができない。戦争準備は極秘裏に進められ、ある日突如として戦争の火蓋が切られる。国民はただ肉弾として運命を甘受する他なかったのが、かつての軍国主義日本であった。いや、政府や参謀本部の決定さえ無しに、関東軍が勝手に戦争をおっぱじめ、その「既成事実」を否応なく追認させられつつ、破壊的な侵略戦争にエスカレートしていったのであった。アメリカのベトナム戦争もまた、そうであった。」(『日本の国家機密』藤井治夫著より)
※柳条湖事件も、初めから作戦の一環で、昭和天皇も知っていた。決して軍の独走ではない。
●今の情報を公開しない姿勢は、戦前からずっと続いている!!
秘密保護法施行・・・何を政府はたくらんでいる?
防衛の名のもとに、軍事力は増強されている!!
特定秘密保護法はジャーナリズムに何をもたらすか(ラジオフォーラム#158)
ちょっと古いが、参考になる本なので紹介します。1972(昭和47)年10月9日初版藤井治夫著『日本の国家機密』より
第一章 国家機密と軍国主義
2 シビリアン・コントロールの欺瞞
イチジクの葉の国防会議
文民統制のシンボルにまでもちあげられている国防会議は、四次防予算先取り問題、沖縄への装備秘密輸送問題で明らかになったように、その形骸的役割さえ果たしていない。国防会議は防衛庁設置法第62条により「国防に関する重要事項を審議する」内閣の諮問機関とされ、内閣総理大臣は国防の基本方針、防衛計画の大綱なについて、これにはからなければならないと定められている。ところが、ここにいう防衛計画の大綱とは、国防会議が設置された当時の内部資料によれば、「国防の基本方針に基づく防衛力整備計画案などをさすのであって、狭義の作戦、用兵に関する計画は含まない、と解させる」とされている
南京大虐殺があったことは国民に知らせず、陥落を喜ぶニュース映像!
南京陥落 東京の風景
●現在の日本
日本政府・天皇家は戦争犯罪をきちんと認めないから今の日本がある。今の日本はまた、八紘一宇の世界を目指しているのではないか?
平頂山、731・南京・毒ガス・細菌戦・・・等の戦争犯罪、日本の戦争犯罪はアジア全般にわたったが、特に中国では、731部隊などの石井機関で生体実験が行われ、細菌戦も実施された。また、毒ガスを多用し、残虐な殺害もした。アメリカは、中国からの情報を得て、それらを察知し、日本に非人道的な行為を止めるよう再三警告していた。それにより、日本軍の細菌戦と毒ガス戦の頻度は減ったが、アメリカ自身の受けた被害も相当だったために、アメリカは最後に実験的に原爆の使用に踏み切ったのではないか?これら非人道的な戦争犯罪(日本軍の行った大虐殺、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃、アメリカの行った原爆投下や無差別爆撃等)が東京裁判できちんと裁かれていればもっと今の世の中は変わっていただろう。戦後十分に裁かれないで、また戦争の深い反省もなく来たものだから、旧軍関係者がそのまま自衛隊や大学・製薬会社などに滑り込み、実権を握り、戦後も軍国主義思想が根強く残り、軍隊の復活、人命・環境軽視の医療、経済がそのまま進み、9条の形骸化、水俣病をはじめとする公害が多発、医療事故などが起こっている。そして戦争や原爆への批判が不十分だから、アメリカに取り込まれ、原発推進に走り、3,11が起こっても方針を変えられない。いや、日本は生物、化学兵器や核兵器を開発しているのではという疑念さえ強く感じる。今の社会は一見華やかに見えるが、秘密保護法が施行され、ますます国家機密の名のもとに秘密主義が蔓延し、思想・信条の自由は制限され、戦中のように報道規制が強くしかれ、政治・医療・教育・食料・建築・農業・・・で様々なゆがみが出て、生きずらい社会になっている。
・731部隊は天皇の勅令で巨費をかけて作られ、人体実験、細菌兵器の開発をし、実際に細菌戦を行った!!
闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)
・住民は、アメリカ兵を虐殺した!それを見逃す警察、軍隊。当時の日本の状況がよくわかる。捕虜に対する国際法は全く無視されていた!生体解剖は、軍、大学がグルになってやった?個人の意思ではない?陸軍病院、大学病院、精神病院でもいろいろな人体実験がなされていたのでは?九大、京大、東大、慶大等は戦中の資料をきちんと公開せよ!!
九州大学生体解剖事件を語る
中国の陸軍病院でも生きた人間を使った「生体手術演習」が行われていた。戦時中の日本の病院ではどうだったのだろうか?
消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」
アトピーなどいろいろな子供の病気は食べ物や環境に大きく影響される。添加物屋の存在?石油メジャーに支配されている食品業界!!農業も同じ!!
食品の裏側「安部司講演会」DVDの一部紹介
今の医療は根本的に病気を治さない!!対症療法!!
内海聡の新説異説!「医学不要論」謎学WONDER⑤DVDダイジェスト
●南京大虐殺
・証言
1937年の冬月に、日本兵が洲まで来て、至る所でホアクーニャンを探したので、婦女たちは全然彼らと顔を合わせられませんでした。一度日本軍が洲に上がって来て、私たち何人もの婦女がみんな自分で掘った穴の中に隠れたので、暗くなるまでずうっとひもじく、丸々一日何も食べずにいて、やがて外は動きが無くなったと聞いて、日本軍が行ってしまったと思いやっと上がって来れました。そこで、ご飯をつくって食べ、私はお粥を一杯両手で持って行って栄老四の娘に食べさせました。そうしていた時に、日本軍が1人入って来て見るなり、栄老四の娘を分捕って行ってしまい、その女の子はやっと16歳で、大声で泣き叫びましたが、やはり強姦されてしまいました。
日本人は中国人を人として扱いませんでした。1937年の冬月19日に、日本軍は顔大強を捕まえて、その衣服をはぎ尽くし、銃剣を顔にぴったり当てて、4時間も凍えさせましたが、その時はすごく寒かったんですよ。
家ではその頃豚を2匹飼っていたのですが、2匹とも前後して日本兵にもって行かれてしまいました。
南京大虐殺 世界記憶遺産登録で世界の教科書に掲載可能性も
南京攻略戦に参加した日本兵の息子 「父に代わって謝罪」
“南京大虐殺”の国家追悼日、中国が歴史問題でアピール強める
南京事件の追悼式典 李建国氏、中国側の主張あらためて繰り返す
南京事件の国家追悼日で式典、南京大虐殺記念館に半旗―中国
昭和天皇・皇族はすべてを知っていた!!
ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(上)より
第3部 陛下の戦争(1931年~1945年)
第9章 聖戦
日本軍が将来犯すことになる戦時虐殺の土台がこの時期に築かれた。・・・・・
1929年には、枢密院が軍の要求に応えて、ジュネーブ捕虜条約(1929年調印の「捕虜の処遇に関する条約」)の批准を保留した。枢密顧問官は、天皇の兵士は捕虜になる事を許されない以上、捕虜の処遇に関する条項は寛大すぎて実行できないという。陸海軍大臣と外務大臣の主張を容れたのである。・・・p171
・・・・・・・・
(南京大虐殺)
皇族は皆、大虐殺があり、軍紀が崩壊同然にあることを知っていた。そして、この皇族には、松井大将指揮による南京攻略戦で司令官を務め、虐殺が最も激しかった時点で南京駐在の最高級将校だった、皇后良子の叔父で50歳の朝香宮、関東航空本部長で、やはり皇后良子の叔父にあたる49歳の東久邇宮、参謀総長を務める71歳の閑院宮が含まれていた。もとより、杉山陸相も知っていた。大本営の多くの中級、上級将校も知っていた。衆議院議員で予備役の江藤大将も知っていた。外務省は確実に知っていた。外務省東亜局長の石射猪太郎(いしいいたろう)はその日記に、「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦目も当てられぬ惨状とある。嗚呼(ああ)之れが皇軍か」と嘆いている。外交官であり、老練な中国通であった重光葵(しげみつまもる)は、その後、戦時中に特命全権大使として南京に駐箚(チュウサツ)した際に「南京占領当時の罪科を償ふ為め支那に善政を布くことを極力努めた」と記している。
したがって、近衛内閣は南京での強姦や強奪を知っていたが、多くの報告を受けていた天皇は知らなかった、というのはありそうもないことである。昭和天皇は指揮命令系統の頂点にあり、たとえその指揮系統にどんな欠点があろうとも命令のまさに初期の起点に位置する天皇が、上位、中位の段階での決定を知らずにいることは容易にありえないことだった。天皇は、あらゆる日本軍の動静を詳細に追っており、外信に目を通し、毎日、新聞に目を通し、そして、そのようにして知ったことについて、しばしば側近に質問をしていた。南京奪取と占領を裁可した最高司令官として、日本の精神的な指導者―中国の「膺懲」に正当性を与えた個人―としての天皇は、公にではないにせよ、軍紀崩壊に少しは関心を持つ義務を、憲法上はもちろんとして、最低限の道義的義務として負っていた。天皇は決してそれを行ったようには見えない。p290より
世界初の「南京大虐殺辞典」出版される
済州の旧日本軍飛行場跡地から南京虐殺を振り返る
仏画家が南京大虐殺を題材にした油絵『暴行』を寄贈
先進国は、ある期間が過ぎたら情報を公開する。
なぜ、日本は南京・731の情報をオープンにせず隠し続ける??
国家権力が腐敗しているのではないか?
1937年日本軍は上海から当時の中国の首都南京を目指して、進撃した。
途中でも、略奪、強姦、虐殺を行い、南京城内に入っても、掃討と称して大規模な虐殺を行った。南京攻略戦後、帰還する兵士には緘口令を敷き、しゃべらないように指示を出したが、つい酒が入ると周りの人に残虐なことをしたことを口にする者も多くいた。
〔『続 隠された聯(れん)隊史』下里正樹著〕より
南京大虐殺記念館の新館がオープン、新たなテーマを追加―中国
南京に新たな抗日施設 「勝利」テーマに開館、戦後70周年、13日に追悼式典開催
東京で南京大虐殺78周年の証言集会が開催され
「南京大虐殺」が狂わせた人生~日本兵が犯した「生肉の徴発」の罪はまだ消えない
記憶という遺産をめぐって~なぜ「南京」はこれほど問題化するのか?~(ラジオフォーラム#151
「南京 引き裂かれた記憶」
しゃべってから死ぬ!南京大虐殺
●中国残留孤児問題!!(中国残留孤児の書いた奇跡の書「この生あるは」)
この自費出版の本を、どこかの出版社が引き受けてくれないものだろうか?映画化したら、過酷な運命・そして中国人の人間愛がよくわかる!!
敗戦時3歳、この中国残留孤児の過酷な運命に対して、国はきちんと補償したのだろうか?
この本の中に、米軍が1950年代の朝鮮戦争時、北朝鮮に行った細菌戦に神経を尖らせている中国の一般民衆の生活や反核運動の様子が描かれている。
中国の恩に報いたいー半生記を出版した残留孤児 中島幼八さん
2016年1月18日記(武漢大学客員教授・日本記者クラブ会員)
残留孤児の一冊<本澤二郎の「日本の風景」(2238)
<一コマ一コマに壮大なドラマ>
主人公の日本語表現は、驚くほどの才能を裏付けている。日本では通訳業で活躍してきたという、それが語学力を向上させたものだろう。
行間の一コマ一コマに、壮大なドラマの存在が想像できる。最初の養父は、狂犬病で亡くなってしまうという、当時の食うや食わずの厳しい東北の貧困生活を物語っている。そんな中でも、敵国の孤児を育ててくれた中国人の人間性に圧倒される。
その養父も3人。養母の不思議な魅力のせいなのか。貧しい農村の、大人の世界の、複雑な男女関係も学ぶことができる。
発売元 亜東書店 03-3835-7091
中国語版 北京三聯書店「何有此生」
●731問題
・「医の倫理」を追及する動きと日本医師会の対応
『No More 731日本軍細菌戦部隊』(文理閣:15年戦争と日本の医学医療研究会編)
あとがき(より)
本書で問いただされたように、 3000人以上の中国人などが 「マルタ」と呼ばれ、死に至らしめられた「人体実験」「生体解剖」等が行われた731部隊には、当時の大学医学部などの医学者・医師たちや4年に1回開催される日本医学会も加担した。また、戦後、米国の「実験結果の隠蔽」「免責取引」により、731部隊に関与した医学者・医師たちの多くは罰せられることなく、医学界・医療界の要職などに就いた。
戦後、日本医師会の幹部は公職追放され、日本医師会は新生した。日本医学会は日本医師会の傘下として、日本の主要な医学会が加盟する日本の医学界を代表する組織となった。
日本医師会は、世界医師会理事会の「第二次世界大戦における残虐行為を非難する声明文」の求めに応えて1949年3月30日に開催された日本医師会の年次代議員会において、「日本の医師を代表する日本医師会は、この機会に、戦時中に敵国人に対して加えられた残虐行為を公然と非難し、また断言され、そして時として生じたことが周知とされる患者の残虐行為を糾弾するものである」 という会長の声明文を満場一致で決議・採択した。
日本医師会はこれを提出し(1951年5月 22日加盟各国医師会に回覧された世界医師会文書36.18/51抜粋)、世界医師会への加盟が認められた。それにもかかわらず、日本医師会は、自らがかつての戦争に加担したことや、日本の医学者・医師により行われた人道に反する残虐な「人体実験」「生体解剖」等(以下、「過去」)に真摯に向き合うことなく、医学界・医療界ではむしろタブー扱いされてきた。
ドイツでは80年代末にベルリン医師会が、「ナチズムの中で医師層がはたした役割と犠牲者の苦しみを思い起こし、医師組織を結成する彼ら自身の過去とナチズムに関与した医師の責任を問題に」した公式の反省を表明し、ドイツ連邦医師会の協力を得て、『人間の価値-1918年から45年までのドイツの医学』 を刊行(1989年)した。
日本の医学・医療の分野でのドイツのような動きが皆無という状況の下で、大阪府保険医協会理事会は、わが国の医師団体として初めて、1995年8月10日、「戦後50年にあたり、侵略戦争の反省と反戦・平和への開業医の決意」を、12月17日には全国保険医団体連合会(以下、保団連)が「戦後50年にあたり、反戦・平和への日本の医師としての決意」を決議した。保団連は2005年には国際シンポジウム 「医師、医学者の戦争責任を考える一関東軍731部隊をめぐって」 を開催した。
2000年には、私たちが「15年戦争と日本の医学医療研究会」(以下、戦医研)を創立した。
「医学界・医療界の戦争責任を自らの問題として明らかにし、日本の医学医療にたずさわるものの良心を発揮しよう」と、15年戦争を軸にして史実を具体的に明らかにし、教訓を得る協同研究が始められた。年2∼3回の研究例会の他に「研究成果の公表」の独自の場としての会誌も同年秋から年2回のペースで発行され、2002年日中医学大会での戦医研の活動の紹介報告を機に2004年からは 「戦争と医学」 訪中調査団の派遣が始まった。
2006年には、「戦医研」の呼びかけに応じて、大阪府保険医協会、大阪民主医療機関連合会、現代医療を考える会(以下、考える会)などの参加する、第27回日本医学会総会―「戦争と医学」展実行委員会(以下、実行委員会) が設立された。実行委員会は日本医師会に対して「過去」に真摯に向き合うよう要請を行った。この要請にもかかわらず、残念ながら2007年4月の第27回医学会総会は「過去」に向き合う公式の企画を行わなかった。
実行委員会は、第27回医学会総会開催中の大阪市において、独自に「戦争と医学」展と国際シンポジウムを開催した。
その後、実行委員会は、保団連、全日本民主医療機関連合会、戦医研、考える会や有志が参加する 「戦争と医の倫理」 の検証を進める会 (以下、進める会)に発展した (2009年)。この会は全国の心ある医学者。医師・医療従事者と関係する諸団体などが「過去」 に向き合う恒常的な活動を行うもので、わが国では初めての全国的な組織であった。しかし、2011年4月の第28回医学会総会も「進める会」の要請にもかかわらず、「過去に向き合う」自らの企画を行わなかった。
「進める会」は、「戦争と医学」を検証する展示と ドイッからパネリス トの参加も得て全国の医学者・医師や市民と共に考え討論する国際シンポジゥムを独自に企画し、2012年11月17日に京都大学百周年時計台記念館大ホールにて開催した。
この間、日本医学会は、「代議員会の決議がない」「加盟を認めた各学会から上がってきたテーマを調整するのが主目的であり、それ以外のテーマは原則扱わない」「企画内容が総会参加者の関心を呼び、多数の入場者が見込まれるかどうかが重要」などという理由で、戦争加担の過去に真摯に向き合う責任を放棄してきた。各学会や全国の大学医学部、医科大学は、「進める会」から展示パネル冊子や質問紙調査票が送られるなど、自らの「過去]に向き合う機会が数々あったにもかかわらず、残念ながら検証にすら着手しないで現在に至ってぃる。
2015年4月、第29回日本医学会総会は、石井四郎731部隊長や多くの部隊員を送り出した京都大学が中心になって、四半世紀ぶりに開催されることになった。 京都大学の総長、 医学部長であった・・・・会頭の名で開催された第29回医学会総会は、戦後70年の節目でもあることから、日本医学会が真摯に「過去」に向き合うまたとない機会であった。「進める会」の要請に応えて、2013年末には第29回医学会総会の・・・・会頭、・・・・組織委員会事務局長、・・・・展示委員会副委員長(京都大学教授)、・・・・京都大学総合博物館館長(京都大学教授)との公式の懇談も実現した。
2014年1月12日には、この「日本医学会総会2015関西」にむけて、「医の倫理―過去・現在・未来―企画実行委員会(略称:「医の倫理」実行委員会代表・京都府保険医協会・・・・理事長)が設立された。
その直後の2月11日に行われた京都大学基礎医学記念講堂の完成記念式典において、731部隊への同医学部の関与を示す資料が展示されたことは、戦争へ加担したという負の遺産を京都大学医学部として初めて明らかにした点で注目に値する兆しであった。しかし、しばらくして同展示は撤去され、その理由は明らかにされなかった。
「第29回日本医学会総会2015関西」も、「過去」に真摯に向き合う企画を行わなかった。
「医の倫理」 実行委員会は、この医学会総会に並行して4月12日、「歴史を踏まえた日本の医の倫理の課題」と題する映像・講演・対談・シンポジゥムを京都市の知恩院で開催した。会場溢れる来場者の真摯な熱意によって、「戦争と医の倫理」の検証がさらに進められた。・・・・
・戦争法体制・731部隊・「責任の歴史学」を考える
※次回情報公開裁判は1月22日(金)16:00~
・なぜ、慶応大学は、「毒ガスの人体実験報告書」等の731関連資料をその後公開しない?
・なぜ、防衛省は細菌戦を記してある井本熊雄の業務日誌を公開しない?
松村講演1
松村講演2
・731部隊→ABCC(被爆者は治療もされずに、原爆の影響を調べられた。・・・731部隊員の協力)→放影研→重松逸造・・チェルノブイリ原発事故について・・・汚染地帯の住民には放射能による健康影響は認められない。→福島原発事故・・原子力を進めてきた人たちは、福島で今、甲状腺がんが多発しているけれども、それは被曝との因果関係はないと主張している。
朝枝繁春の証言
なぜ、日本政府は、731部隊の生体実験、細菌戦を認め、謝罪しないのか?
731部隊のドキュメンタリー
アメリカは、将来の戦争で毒ガスや細菌兵器を有効な手段として使うかもしれないということで、東京裁判では、毒ガス・細菌戦などは追及しなかった!!
毒ガス戦はなぜさばかれなかったのか?
※しかし、これは、アメリカにとって「後日、深刻な問題をもたらす」ことになるのではないか?
・但是,如果这是不是成为“在以后的日子,造成了严重的问题”的事情对美国?
・그러나 이것은 미국에게 "나중에 심각한 문제를 초래"하게되는 것은 아닐까?
・However, if this is not to become "at a later date, resulting in a serious problem" thing for the United States?
・Однако, если это не становится "на более поздний срок, в результате чего серьезные проблемы" вещь для Соединенных Штатов?
・Jednakże, jeśli nie jest to, aby stać się "w późniejszym terminie, w wyniku poważnych problemów" rzecz dla Stanów Zjednoczonych?
・Wenn dies jedoch nicht, sich "zu einem späteren Zeitpunkt, was zu einem ernsten Problem", was für die Vereinigten Staaten?
・Toutefois, si cela ne veut pas devenir ≪à une date ultérieure, résultant en un problème grave" chose pour les États-Unis?
アメリカは、ハルピンの731部隊に於ける人体実験、生体解剖、奉天の捕虜収容所における731部隊員による米兵らに対する人体実験、また、化学戦部隊516、526部隊等と組んで行った悲惨極まりない毒ガスの人体実験を、東京裁判で裁くことなく見逃してしまったからだ!!
ドイツのニュルンベルクの裁判では、人体実験に加担した医学者が厳しく裁かれた。ところが、東京では、戦犯免責だ!!このダブルスタンダード!!
「結局、ワシントンは「国家の安全」を理由に731部隊の免責を是認した。免責付与是非を論じる米軍高官の覚書の中にはこんな一文がある。
彼(石井)らの人体実験は、本政府が目下ニュルンベルクで、ドイツの科学者および医学者をそれゆえに訴追している人体実験とはそう違わないものである」
(『731免責の系譜』太田昌克著より)
・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!
中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!
夏草をふみしめ遺跡の前に跪(ひざまず)く
オバケ煙突の下、不気味に笑う悪魔の目鼻
ここで焼却されたマルタは虚空に消えた
その無念の粒子を今なお人々は呼吸する
この空間には癒されぬ死の怨霊がくすぶり続ける
だが誰もそのことを声高に語ろうとしない
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
・「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
惨!人間モルモット
第2の扉を開けて、私は再び使役である旨を報告した。
1人の「マルタ」がコールタルを塗ったような真黒い鉄のベッドに縛り付けられて、うめき悶えている。助手たちがそれを強引に押さえつけるのだ。潜水服に似た予防服を着た人間の手は非情な機械のそれのように少しの躊躇もなくこの獲物に襲いかかる。「マルタ」は、すさまじい死力ふるって暴れた。栄養状態もよく適度に入浴もして完全に健康なので、手足を縛られていても、その力は不気味なほど強かった。実験に用いる動物が健康でなくてはならないのと同様、人間の場合も病弱であっては普遍性のある実験結果は生れない。だから、この部隊の監獄では栄養と衛生に特別な注意を払わざるを得ないのである。そこが普通の監獄と異なるところの最たるものと言えよう。
(参考)
イレッサ訴訟
子宮頸がんワクチンの危険性 - Thinker
子宮頸がんワクチン接種、通学できぬ少女 推奨中断2年
ワクチンについて シェリー・テンペニー博士
厚生省・国民健康保険について(消えた細菌戦部隊より:常石敬一著より)
医務局長としての小泉の実績は、確かに先の、「意欲・鋭さ・執拗さ」という言葉に見合ったものとなっている。すなわち今日の厚生省及び国民健康保険法を作ったのが小泉であった。
※小泉親彦(ちかひこ)・・・陸軍軍医学校校長、陸軍軍医総監、陸軍医務局長、厚生大臣を歴任、毒ガス戦、細菌戦を積極的に推し進めた人物
1945年9月、自決。
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健兵対策の一環として厚生省は設立されたのだった。こうした設立の経緯が、今日の厚生省の弱者に冷たく、福祉行政に消極的な理由となっているのかもしれない。
真実を知ろう!!(権力側が流す情報にだまされるな!!)
医学者とは1
ガン治療のウラ 5/8
船瀬俊介の解散総選挙に向けて「国民は、ムサシ!ムサシ!と連呼せよ!」
医学革命!
軍陣医学(戦場医学)から「活人医学」へ
「悪魔の飽食」から「小食へ」(体質改善への道)
医師 甲田光雄3/6 ラジオ深夜便
●ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(下)より
第12章
Ⅳ
席上、天皇は黙って聞いていたが、原嘉道(よしみち)枢密院議長が、天皇に代わって東条、杉山、永野、企画院総裁、商工大臣に質問した。原の質問により、政府は1944年に「飛行機4万機生産」を計画しているが、現在の生産能力は「1万7、8千機」にすぎないことが、東条首相の平然とした回答から明らかになった。原が、4万機があれば、海軍は「絶対確保圏を確保する自信」が持てるのか、と問いただすと、軍令部総長は「戦局の前途を確言することは出来ぬ」と答え、これによって「議場にわかに緊張す」る場面となった。軍令部総長の消極的な発言を救ったのは東条であった。東条は、「今次戦争は元来自存自衛の為やむにやまれず起つたものであり御詔勅の御言葉の通りである 帝国は独の存在の有無に関せず最後迄戦ひ抜かねばならぬ 今後の戦局の如何に関せず日本の戦争目的完遂の決意には何等の変更はない」と述べた。
●『天皇の陰謀』
天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
ディビット・バーガミニ 著
松崎 元 訳より
第二章
(その4)
最後の芝居
裕仁がレコード収録に、阿南陸軍大臣が閣僚たちに別れを告げている間、その長く実に周到に準備されたクーデタはついに姿を現すに至った。午後10時、久々の空襲警報が鳴り渡った時、クーデタの首領の一人、井田正孝中佐は、陸軍省の将校宿舎の寝台に横たわり、胸に迫る暗鬱感を抱きながら、天井をみつめていた。井田は憲兵隊の塚本が台湾から帰還して最初に接触した人物で、ともに阿南の参謀であった。それまでの一週間、井田はそのクーデタの最も熱心な推進者であったが、その朝、裕仁が防空室で最終決定をして以来、止むなくその計画を断念していた。彼は年下の火付け役、畑中中佐に、その午後、自分を当てにするなと告げ、日本陸軍将校の集団自決という新たな企てに没頭していた。もし、十分多くの将校が命を絶ち、戦争敗北をもたらした彼らの責任を表したならば、それは日本の誇りを守り、同時に、アメリカ人に天皇非難を止めさせえるはずであった。しかし、井田が陸軍省において将校たちを調査したところ、わずか20パーセントが自決を望んでいるのみであることがわかった。70パーセントは何も答えていなかったが、10パーセントは、密かに姿を隠すことを考えていた。井田は、この調査結果に余りに落胆させられ、彼自身の自決を果たすため、宿舎に引きこもっていた。
全文は「ノブのノート」で!!