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●731部隊(1) ●731部隊(2) ●731部隊(3) ●731部隊(4) ●陸軍軍医学校50周年記念行事について ●南京大虐殺 ●昭和天皇 ●教科書問題 ●陸軍登戸研究所 ●日航123便の怪 ●日本とドイツの違い ●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!! ●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか? ●731部隊展 ●731問題 731部隊の設置許可、人体実験、毒ガス戦・細菌戦実施の許可した昭和天皇とそれに協力した日本医学界の責任、戦後、その人体実験、毒ガス戦・細菌戦を全く裁判にかけなかったマッカーサーとアメリカ政府の責任、1990年代から2000年代にかけて行われた裁判において、事実を認めながら、それを放置している司法・政治の責任、国民の認識は? 戦後70周年、中国の人々から日本の我々に届いた重いメッセージ! 虐殺された人々(日本人を含む)の声なき声にどう応えるか? 日本人はこの731問題にどう向き合うか?重い課題!! 731(1) ●横浜「戦争と加害」のパネル展 細菌戦(「戦争と加害」のパネル展in横浜) 毒ガス(「戦争と加害」のパネル展in横浜 参観者の感想 ・他の事例はともかく、毒ガス兵器を頻繁に使用していたことについて知識がなかったりで大きなショックを受けた。 731部隊の展示を見ているうち気分が悪くなってきたが、これも実際に行われたことであり、戦争と差別の産物であることを忘れてはいけない。 慰安婦にせよ、毒ガスにせよ、現在にまで障害を及ぼしている。戦争などするものではないということを加害の立場から改めて認識させられた。40代男性 「戦争の加害」テーマに 13日まで横浜でパネル展 ●戦争が起きたら、必ず原発が狙われ、地球は汚染される!!脱原発!! 戦争の足音が聞こえる!! 三権分立などしていない日本の現状!! 海自機、比海軍に貸与へ…南シナ海の監視に利用 北朝鮮よりもこちらを批判すべきではないのか!! 米軍、2度のICBM発射実験 核抑止力を示威 原発事故めぐる「初の刑事裁判」で何が問われる?――東電元会長ら強制起訴へ 日米合同訓練、離島防衛を強化 高浜1、2号機の「40年超」認可差し止めを 住民、名古屋地裁に提訴へ 原発、別の道ないのか 89歳加古里子さん「若者よ考えて」 大飯高浜原発の差し止め却下 福島原発事故 東電がメルトダウン判断遅れを謝罪 制服組自衛官が権限大幅移譲要求 防衛省、背広組は拒否 国産初のステルス戦闘機開発に向け、試作機の滑走試験 武器輸出にも投融資 国際協力銀、豪潜水艦など検討か ・日本医学界は、なぜ731のことに謝罪しない?なぜ脱原発の声明を出さないのだ!! ・国策:原発推進反対!! 小出裕章先生:多くの国民にこんなことが起きてるということに気づいてほしい 小出裕章先生:多くの国民にこんなことが起きてるということに気づいてほしい 小出裕章先生:一刻も早く原子力の夢からさめて… ●彼らは本気だ。安倍晋三首相は、夏の参院選で改憲勢力による「3分の2」の議席を目指すという。どうしたらいい? 彼らと真逆の憲法は作れないか? ・憲法9条を守る!!・外交を強化する・自衛隊は災害救助隊に・象徴天皇制を廃止して、大統領制にする ・脱原発 ・靖国神社を廃止して、戦争懺悔慰霊碑の建立 ・日米安保条約見直し・国連改革 ・憲法9条(侵略戦争の反省から憲法9条が生まれた!) 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 09 想像してごらん、 9条がゆきわたった世界を。 Imagine, A world filled with Article 9. Представить, Мир заполнен со статьей 9. 想像, 的世界充满了第九条。 IMAGINE9 (『イマジン9 想像してごらん、戦争のない世界を。』(文:星川淳・川崎哲、絵:成瀬政博 2007年12月1日発行、合同出版) 解説 考えてみよう、 日本の憲法9条のこれから。 「日本の憲法9条をあたりまえのものだとはどうか思わないでください。それは、 ある日突然なくなってしまうかもしれません。憲法9条があるからこそ、みなさんは戦争に行くことなく暮らせてきました。しかし憲法9条が救っているのは、日本人の命だけではありません。世界中の人びとが救われています。9条がなければ、みなさんはアメ リカが第2次大戦後に攻撃してきたすべての国、つまり、朝鮮半島、ベトナム、パナマ、グラナダ、イラク、アフガニスタンなどへ戦争に行かされていたのです」 これは、アメ リカの元海兵隊員で、いまでは世界的に平和活動を行つているアレン・ネルソンさんの言葉です。 日本が「9条を変えて、戦争に行ける国になるべきだ」と言う人たちがいます。だれが、何のためにそう言つているのか、考えてみましょう。 2001年の「9・11事件」以来、アメリカは「テロと戦う」といって、アフガニスタ ンやイラクなど世界のあちこちで戦争やその準備をしています。そしていろいろな国に「いっしょに戦おう」と協力を求めています。日本の自衛隊はイラクに派遣されましたが、アメリカはこのような協力を、さらに本格的に日本に求めています。そこでじゃまになるのが、「戦争に参加してはならない」と定めた9条です。 また、日本国内にも、戦争のためのミサイルやハイテク兵器をつくってもうけようとぃぅ企業があります。彼らにとってじゃまになるのは、「武器を売つてはいけない」と定めた9条なのです。こうした理由から、アメ リカ政府や日本の一部の大企業は、9条を変えたいと思っています。 そうやって日本が「戦争できる国」になっていくことを、かつて日本に苦しめられたアジアの人びとはどう感じるでしょうか。近隣の国々は、日本の軍事化をどう見るでしょうか。そしてみなさんは、世界の中の日本のあり方を、どう考えるでしょうか。 防衛相 豪外相に潜水艦開発でアピール ぐんじ と ひんこん アベちゃんのもくろみ…(´ε`;) 武器輸出三原則 今の現状防衛装備移転三原則 ●ご案内 残留孤児:中島幼八さんのお話 731日本軍細菌戦部隊などの戦争遺跡を巡る旅【5月3日(火)~5月7日(土)】 お問い合わせ・申込先 国際ツーリストビューロー TEL 078-351―2110 FAX 078―351-2140 メール ktb@silver.ocn.ne.jp ・締切 3月17日(木) ●ニュース 安保法「ノー」訴え MM21地区で200人デモ 国の司法手続き批判 緊急辺野古シンポジウム イラクで自爆テロ 70人死亡 「イスラム国」が声明 <交通事故>また梅田で 通行人3人軽傷 63歳容疑者逮捕 ダイコーに廃棄食品撤去を命令へ 無届け倉庫で超過保管 低周波音で「不眠」「食欲低下」…健康被害の相談、年200件超 霧島連山・硫黄山に火口周辺警報 3.1ビキニ記念のつどい2016が開催される~核兵器の被害者を防ぐために何ができるのか 【お知らせ】と「第163回小出裕章ジャーナル」 「育鵬社」の教科書不正問題について。- 2016.02.23 マニラ市街戦、東京大空襲 フィリピンの元慰安婦、天皇陛下に公式な謝罪を要求へ ●昭和天皇の戦争責任を考えると、「君が代は、千代に八千代にさざれ石の・・・」とは歌えない!! 入学式、卒業式では、強制的に起立させられ、公務員が拒否すると、罰せられるという異常な時代!! 重苦しい!! ・満州国は全くの日本の傀儡国家だった!!満州を治めていたのは昭和天皇であった!! (満州国の頂点) ・731の頂点も昭和天皇であった!!【内藤良一(731部隊員)のメモ】 ●防衛省、外務省は積極的に国民に情報開示し、戦争を防止する義務がある!! 秘密保護法撤廃!! 731部隊の生体実験、細菌戦、また、毒ガス戦などの戦争犯罪についての反省は全くしない? 自衛の名のもとに、戦後も生物戦・核戦争の研究は秘かに行われている? アメリカの圧力を受けて「機密」が増大し、軍事費が膨らんでいる!! 戦後も自衛隊はアメリカから情報を入手し、サリンやVXガスなどの毒ガス製造をしている?? 化学兵器禁止条約があるにもかかわらず!! 防衛省は、地下鉄サリン事件の発生することを事前に知っていた??オウムは自衛隊から解毒情報入手?? 地下鉄サリン事件 「国家政策の中で国防機関の発言力が強化され、軍事的観点が占める比重が高まるに伴い、軍事機密は外交、治安、経済など国政のあらゆる分野をおおい尽くすにいたる。この過程に照応して国民は政治の意思決定過程から排除されていく。参政権は骨抜きにされ、知る権利と表現の自由が抑圧される。国会は国権の最低機関に転落する。これこそ軍国主義の発生と成長の一般的法則なのである。最後に来るのは戦争である。 戦争を始めるかどうかの決定に、もはや国民はまったく参加することができない。戦争準備は極秘裏に進められ、ある日突如として戦争の火蓋が切られる。国民はただ肉弾として運命を甘受する他なかったのが、かつての軍国主義日本であった。いや、政府や参謀本部の決定さえ無しに、関東軍が勝手に戦争をおっぱじめ、その「既成事実」を否応なく追認させられつつ、破壊的な侵略戦争にエスカレートしていったのであった。アメリカのベトナム戦争もまた、そうであった。」(『日本の国家機密』藤井治夫著より) ※柳条湖事件も、初めから作戦の一環で、昭和天皇も知っていた。決して軍の独走ではない。 ●今の情報を公開しない姿勢は、戦前からずっと続いている!! 秘密保護法施行・・・何を政府はたくらんでいる? 防衛の名のもとに、軍事力は増強されている!! 特定秘密保護法はジャーナリズムに何をもたらすか(ラジオフォーラム#158) ちょっと古いが、参考になる本なので紹介します。1972(昭和47)年10月9日初版藤井治夫著『日本の国家機密』より 第二章国家機密の構造 1 国家機密と軍事機密 「庁秘」と 「防衛秘密」 秘密保護に関する内部規定としては、防衛秘密についてMSA秘密保護法施行令にもとづく「防衛秘密の保護に関する訓令」があり、庁秘については1958年11月、「秘密保全に関する内訓」の全部を改正して定められた 「秘密保全に関する訓令」(以下、庁秘訓令という)がある。自衛隊が在日米軍と濃密な共同作戦関係にある以上、とうぜん防衛秘密(アメリカから供与された装備・艦艇等にかかるもの)以外に、刑事特別法によって保護されている在日米軍の秘密情報・資料が一定限、提供されているはずである。だが、これを庁秘と区別して保護する内規はないといわれている。したがつて、同じく庁秘訓令によって秘密区分を指定されているもののなかに、漏洩すれば刑特法により10年以下の懲役に処せられるものも含まれているわけである。一般庁秘については、防衛庁長官、国防会議議員などが漏らしても刑事罰は科せられない。しかし、防衛秘密および在日合衆国軍隊の秘密については、すべての者がMSA秘密保護法および刑特法によって拘束されている。したがって国会で答弁しても刑事罰の対象となるのである。 南京大虐殺があったことは国民に知らせず、陥落を喜ぶニュース映像! 南京陥落 東京の風景 |
●現在の日本
日本政府・天皇家は戦争犯罪をきちんと認めないから今の日本がある。今の日本はまた、八紘一宇の世界を目指しているのではないか?
平頂山、731・南京・毒ガス・細菌戦・・・等の戦争犯罪、日本の戦争犯罪はアジア全般にわたったが、特に中国では、731部隊などの石井機関で生体実験が行われ、細菌戦も実施された。また、毒ガスを多用し、残虐な殺害もした。アメリカは、中国からの情報を得て、それらを察知し、日本に非人道的な行為を止めるよう再三警告していた。それにより、日本軍の細菌戦と毒ガス戦の頻度は減ったが、アメリカ自身の受けた被害も相当だったために、アメリカは最後に実験的に原爆の使用に踏み切ったのではないか?これら非人道的な戦争犯罪(日本軍の行った大虐殺、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃、アメリカの行った原爆投下や無差別爆撃等)が東京裁判できちんと裁かれていればもっと今の世の中は変わっていただろう。戦後十分に裁かれないで、また戦争の深い反省もなく来たものだから、旧軍関係者がそのまま自衛隊や大学・製薬会社などに滑り込み、実権を握り、戦後も軍国主義思想が根強く残り、軍隊の復活、人命・環境軽視の医療、経済がそのまま進み、9条の形骸化、水俣病をはじめとする公害が多発、医療事故などが起こっている。そして戦争や原爆への批判が不十分だから、アメリカに取り込まれ、原発推進に走り、3,11が起こっても方針を変えられない。いや、日本は生物、化学兵器や核兵器を秘かに開発・研究している。今の社会は一見華やかに見えるが、秘密保護法が施行され、ますます国家機密の名のもとに秘密主義が蔓延し、思想・信条の自由は制限され、戦中のように報道規制が強くしかれ、政治・軍事・医療・教育・食料・建築・農業・・・で様々なゆがみが出て、閉塞感を感じる社会になっている。
・731部隊は天皇の勅令で巨費をかけて作られ、人体実験、細菌兵器の開発をし、実際に細菌戦を行った!!
闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)
・住民は、アメリカ兵を虐殺した!それを見逃す警察、軍隊。当時の日本の状況がよくわかる。捕虜に対する国際法は全く無視されていた!生体解剖は、軍、大学がグルになってやった?個人の意思ではない?陸軍病院、大学病院、精神病院でもいろいろな人体実験がなされていたのでは?九大、京大、東大、慶大等は戦中の資料をきちんと公開せよ!!
九州大学生体解剖事件を語る
中国の陸軍病院でも生きた人間を使った「生体手術演習」が行われていた。戦時中の日本の病院ではどうだったのだろうか?
消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」
アトピーなどいろいろな子供の病気は食べ物や環境に大きく影響される。添加物屋の存在?石油メジャーに支配されている食品業界!!農業も同じ!!
食品の裏側「安部司講演会」DVDの一部紹介
今の医療は根本的に病気を治さない!!対症療法!!
内海聡の新説異説!「医学不要論」謎学WONDER⑤DVDダイジェスト
●南京大虐殺
・証言
1937年の冬に、日本軍が南京を占領する2日前に、警官の棍棒に追い立てられ、一家4人で砲火を冒して琅琊路5号の難民区に逃げ込みました。その時、夫の伍必鑫は年の80に近い両足の利かない祖母を自転車に乗せて押し、私は満1歳にならない赤ん坊を懐に抱いて、伯父伯母が借りた難民区の中の家屋まで逃げました。夜私は日本軍が所構わず火を放って城外の住民の家を焼き、空が一面に火で紅く映えわたったのを見ました。次の日、日本軍が入って来たのですが、銃剣を肩に担いで、難民区に闖入して来て、人と見れば殺し、夫は戸の隙間から日本軍に銃剣で2人つつき殺されるのを見ました。しばらくしたら、裏門から日本兵が7、8人入って来て、顔いっぱいに殺気を漲らせ、伯父の襟をぐっとつかみ、もう一方の手にした銃剣を老人の喉に着けて刺そうとしたので、私たちはその時床に座り込んで恐くて震えていましたが、伯父がポケットから銀貨や小銭をまさぐり出すと、日本軍は金をひったくって行ってしまいました。夕方又日本兵が何人か来て、伯父が焼いていた鳩を見るなり、がつがつ食べてしまい、食べ終わったらご飯茶碗や鍋を投げ付けて壊し、それから又部屋の中になだれ込んで長い腰掛けを祖母の麻痺した足の関節の上に置いて、力任せに踏みつけたので、かわいそうに老人は痛くてわめき通しでした。(明日に続く:王瑞屏が口述、魏福仲が記録)
南京大虐殺 世界記憶遺産登録で世界の教科書に掲載可能性も
●日本や中国各地に毒ガスが遺棄されている!!生活に支障をきたさないのか?
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
「旧海軍の毒ガス」に新資料 1987年4月7日(朝日新聞)
本土決戦へ相当量備 米軍報告書
第2次大戦中の日本海軍の毒ガス兵器研究、生産などについて全容をまとめた米軍報告書が、6日までにワシントンの米国立公文書館で見つかった。致死性のびらん性ガスであるイペリットの年間生産量は終戦前の時点で、陸軍より海軍の方が多く、国内には本土決戦に備えて相当量の毒ガス爆弾を貯蔵していたほか、占領直前に海軍司令部の指示で、保管していた大量のガス爆弾を廃棄したことなども明らかになった。資料は占領期間中に米国側が当時の日本軍関係者らの尋問をもとに作成したもので、海軍の毒ガス開発、製造について詳細な資料が見つかったのは初めて。
自衛隊は防護のためと称して昭和20年代後半から毒ガスの研究をし、1964年にはサリンを合成し、VXガス、タブンも作った。最新の無能力化ガスBZは1973年に成功している。1970年日本政府ジュネーブ議定書締約、1993年化学兵器禁止条約日本署名、1994年6月松本サリン事件、1995年3月地下鉄サリン事件発生、自衛隊とオウムの関係は?
2013年度の「核・生物・化学兵器対処関連事業」費71億8200万円。何に使っているのだろうか?
2013年6月21日号「週間金曜日」より
自衛隊とサリン
死者13人、約6300人の被害者を出した地下鉄サリン事件(1995年3月20日発生)
「『防護』というなら国民を守ってほしかった」
・繰り返された毒ガス殺人と未遂
・事前に漏れた強制捜査の日にサリンは撒かれた
・警察も自衛隊のサリン製造を知らなかった?
・闇に閉じ込めておくとチェックも出来ない!!秘密にするな!!
●中国残留孤児問題!!(中国残留孤児の書いた奇跡の書「この生あるは」)
映画化したら、過酷な運命・そして中国人の人間愛がよくわかる!!
敗戦時3歳、この中国残留孤児の過酷な運命に対して、国はきちんと補償したのだろうか?
この本の中に、米軍が1950年代の朝鮮戦争時、北朝鮮に行った細菌戦に神経を尖らせている中国の一般民衆の生活や反核運動の様子が描かれている。
中国の恩に報いたいー半生記を出版した残留孤児 中島幼八さん
2016年1月18日記(武漢大学客員教授・日本記者クラブ会員)
残留孤児の一冊<本澤二郎の「日本の風景」(2238)
<「この生あるは」(中島幼八著)>
中国・新華社通信の友人に紹介された残留孤児・中島幼八さんの記録「この生あるは」(幼学堂)の日本語版を読んだ。その悲しい運命から、気が重くなる厳しい内容ゆえに、同じ時代を日本で生きてきた者には、とても興味を引く本である。人間は一人では生きられない、そのことを痛切に教えてくれる人間性のあふれる内容である。同時に「2度と侵略や戦争を起こしてはならない」ということを、日本の為政者に訴えている。全国の図書館に置いて、多くの国民が読むべきである。
<訥々とつづる背後は>
418ページに及ぶ16年の記録は、淡々と、かつ訥々とつづっている。そこに、伝えようとしても伝えられない悲しい思い出が読み取れる。
人生は山あり谷ありである。順風満帆などない、といってもいい。苦悩の連続といってもいい。一見楽し気にふるまっている人でも、一歩踏み込むと、そこに悲しい事実に泣いていることも珍しくない。
筆者も近年、妻を含めて3人の親しい友を失ってしまった。重い病気が生きる力を奪ってしまったのだ。医療事故で息子を奪われた妻は、その心労で重い病につぶされてしまった。
筆者の日中友好活動に支援してくれた人権派弁護士も、そのまじめさから来る心労で病に倒れてしまった。
幸せを目の前にしながら、やくざの牙にかまれ、逃げ出そうとして食い殺されてしまった悲劇の友もいた。戦争遺児である。これの徹底追及を月刊誌「財界にっぽん」で開始した。
発売元 亜東書店 03-3835-7091
中国語版 北京三聯書店「何有此生」
●731問題
・「医の倫理」を追及する動きと日本医師会の対応
『No More 731日本軍細菌戦部隊』(文理閣:15年戦争と日本の医学医療研究会編)
あとがき(より)
本書で問いただされたように、 3000人以上の中国人などが 「マルタ」と呼ばれ、死に至らしめられた「人体実験」「生体解剖」等が行われた731部隊には、当時の大学医学部などの医学者・医師たちや4年に1回開催される日本医学会も加担した。また、戦後、米国の「実験結果の隠蔽」「免責取引」により、731部隊に関与した医学者・医師たちの多くは罰せられることなく、医学界・医療界の要職などに就いた。
戦後、日本医師会の幹部は公職追放され、日本医師会は新生した。日本医学会は日本医師会の傘下として、日本の主要な医学会が加盟する日本の医学界を代表する組織となった。
日本医師会は、世界医師会理事会の「第二次世界大戦における残虐行為を非難する声明文」の求めに応えて1949年3月30日に開催された日本医師会の年次代議員会において、「日本の医師を代表する日本医師会は、この機会に、戦時中に敵国人に対して加えられた残虐行為を公然と非難し、また断言され、そして時として生じたことが周知とされる患者の残虐行為を糾弾するものである」 という会長の声明文を満場一致で決議・採択した。
日本医師会はこれを提出し(1951年5月 22日加盟各国医師会に回覧された世界医師会文書36.18/51抜粋)、世界医師会への加盟が認められた。それにもかかわらず、日本医師会は、自らがかつての戦争に加担したことや、日本の医学者・医師により行われた人道に反する残虐な「人体実験」「生体解剖」等(以下、「過去」)に真摯に向き合うことなく、医学界・医療界ではむしろタブー扱いされてきた。
ドイツでは80年代末にベルリン医師会が、「ナチズムの中で医師層がはたした役割と犠牲者の苦しみを思い起こし、医師組織を結成する彼ら自身の過去とナチズムに関与した医師の責任を問題に」した公式の反省を表明し、ドイツ連邦医師会の協力を得て、『人間の価値-1918年から45年までのドイツの医学』 を刊行(1989年)した。
日本の医学・医療の分野でのドイツのような動きが皆無という状況の下で、大阪府保険医協会理事会は、わが国の医師団体として初めて、1995年8月10日、「戦後50年にあたり、侵略戦争の反省と反戦・平和への開業医の決意」を、12月17日には全国保険医団体連合会(以下、保団連)が「戦後50年にあたり、反戦・平和への日本の医師としての決意」を決議した。保団連は2005年には国際シンポジウム 「医師、医学者の戦争責任を考える一関東軍731部隊をめぐって」 を開催した。
2000年には、私たちが「15年戦争と日本の医学医療研究会」(以下、戦医研)を創立した。
「医学界・医療界の戦争責任を自らの問題として明らかにし、日本の医学医療にたずさわるものの良心を発揮しよう」と、15年戦争を軸にして史実を具体的に明らかにし、教訓を得る協同研究が始められた。年2∼3回の研究例会の他に「研究成果の公表」の独自の場としての会誌も同年秋から年2回のペースで発行され、2002年日中医学大会での戦医研の活動の紹介報告を機に2004年からは 「戦争と医学」 訪中調査団の派遣が始まった。
2006年には、「戦医研」の呼びかけに応じて、大阪府保険医協会、大阪民主医療機関連合会、現代医療を考える会(以下、考える会)などの参加する、第27回日本医学会総会―「戦争と医学」展実行委員会(以下、実行委員会) が設立された。実行委員会は日本医師会に対して「過去」に真摯に向き合うよう要請を行った。この要請にもかかわらず、残念ながら2007年4月の第27回医学会総会は「過去」に向き合う公式の企画を行わなかった。
実行委員会は、第27回医学会総会開催中の大阪市において、独自に「戦争と医学」展と国際シンポジウムを開催した。
その後、実行委員会は、保団連、全日本民主医療機関連合会、戦医研、考える会や有志が参加する 「戦争と医の倫理」 の検証を進める会 (以下、進める会)に発展した (2009年)。この会は全国の心ある医学者。医師・医療従事者と関係する諸団体などが「過去」 に向き合う恒常的な活動を行うもので、わが国では初めての全国的な組織であった。しかし、2011年4月の第28回医学会総会も「進める会」の要請にもかかわらず、「過去に向き合う」自らの企画を行わなかった。
「進める会」は、「戦争と医学」を検証する展示と ドイッからパネリス トの参加も得て全国の医学者・医師や市民と共に考え討論する国際シンポジゥムを独自に企画し、2012年11月17日に京都大学百周年時計台記念館大ホールにて開催した。
この間、日本医学会は、「代議員会の決議がない」「加盟を認めた各学会から上がってきたテーマを調整するのが主目的であり、それ以外のテーマは原則扱わない」「企画内容が総会参加者の関心を呼び、多数の入場者が見込まれるかどうかが重要」などという理由で、戦争加担の過去に真摯に向き合う責任を放棄してきた。各学会や全国の大学医学部、医科大学は、「進める会」から展示パネル冊子や質問紙調査票が送られるなど、自らの「過去]に向き合う機会が数々あったにもかかわらず、残念ながら検証にすら着手しないで現在に至ってぃる。
2015年4月、第29回日本医学会総会は、石井四郎731部隊長や多くの部隊員を送り出した京都大学が中心になって、四半世紀ぶりに開催されることになった。 京都大学の総長、 医学部長であった・・・・会頭の名で開催された第29回医学会総会は、戦後70年の節目でもあることから、日本医学会が真摯に「過去」に向き合うまたとない機会であった。「進める会」の要請に応えて、2013年末には第29回医学会総会の・・・・会頭、・・・・組織委員会事務局長、・・・・展示委員会副委員長(京都大学教授)、・・・・京都大学総合博物館館長(京都大学教授)との公式の懇談も実現した。
2014年1月12日には、この「日本医学会総会2015関西」にむけて、「医の倫理―過去・現在・未来―企画実行委員会(略称:「医の倫理」実行委員会代表・京都府保険医協会・・・・理事長)が設立された。
その直後の2月11日に行われた京都大学基礎医学記念講堂の完成記念式典において、731部隊への同医学部の関与を示す資料が展示されたことは、戦争へ加担したという負の遺産を京都大学医学部として初めて明らかにした点で注目に値する兆しであった。しかし、しばらくして同展示は撤去され、その理由は明らかにされなかった。
「第29回日本医学会総会2015関西」も、「過去」に真摯に向き合う企画を行わなかった。
「医の倫理」 実行委員会は、この医学会総会に並行して4月12日、「歴史を踏まえた日本の医の倫理の課題」と題する映像・講演・対談・シンポジゥムを京都市の知恩院で開催した。会場溢れる来場者の真摯な熱意によって、「戦争と医の倫理」の検証がさらに進められた。・・・・
終戦50周年731部隊1
終戦50周年731部隊2
・731部隊→ABCC(被爆者は治療もされずに、原爆の影響を調べられた。・・・731部隊員の協力)→放影研→重松逸造・・チェルノブイリ原発事故について・・・汚染地帯の住民には放射能による健康影響は認められない。→福島原発事故・・原子力を進めてきた人たちは、福島で今、甲状腺がんが多発しているけれども、それは被曝との因果関係はないと主張している。
朝枝繁春の証言
なぜ、日本政府は、731部隊の生体実験、細菌戦を認め、謝罪しないのか?
731部隊のドキュメンタリー
アメリカは、将来の戦争で毒ガスや細菌兵器を有効な手段として使うかもしれないということで、東京裁判では、毒ガス・細菌戦などは追及しなかった!!
毒ガス戦はなぜさばかれなかったのか?
※しかし、これは、アメリカにとって「後日、深刻な問題をもたらす」ことになるのではないか?
・但是,如果这是不是成为“在以后的日子,造成了严重的问题”的事情对美国?
・그러나 이것은 미국에게 "나중에 심각한 문제를 초래"하게되는 것은 아닐까?
・However, if this is not to become "at a later date, resulting in a serious problem"thing for the United States?
・Однако, если это не становится "на более поздний срок, в результате чего серьезные проблемы" вещь для Соединенных Штатов?
・Jednakże, jeśli nie jest to, aby stać się "w późniejszym terminie, w wyniku poważnych problemów" rzecz dla Stanów Zjednoczonych?
・Wenn dies jedoch nicht, sich "zu einem späteren Zeitpunkt, was zu einem ernsten Problem", was für die Vereinigten Staaten?
・Toutefois, si cela ne veut pas devenir ≪à une date ultérieure, résultant en un problème grave" chose pour les États-Unis?
アメリカは、ハルピンの731部隊に於ける人体実験、生体解剖、奉天の捕虜収容所における731部隊員による米兵らに対する人体実験、また、化学戦部隊516、526部隊等と組んで行った悲惨極まりない毒ガスの人体実験を、東京裁判で裁くことなく見逃してしまったからだ!!
ドイツのニュルンベルクの裁判では、人体実験に加担した医学者が厳しく裁かれた。ところが、東京では、戦犯免責だ!!このダブルスタンダード!!
「結局、ワシントンは「国家の安全」を理由に731部隊の免責を是認した。免責付与是非を論じる米軍高官の覚書の中にはこんな一文がある。
彼(石井)らの人体実験は、本政府が目下ニュルンベルクで、ドイツの科学者および医学者をそれゆえに訴追している人体実験とはそう違わないものである」
(『731免責の系譜』太田昌克著より)
・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!
中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!
夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
・「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
謀略班の活動状況
写真は、満人を敵の主要駐屯と仮定して実施された謀略班活動の記録であった。
仮装した謀略員が、夜陰にまぎれて、伝書鳩を入れる携帯バスケットのようなネズミ籠を背負って、敵の前線を離れた遥か後方のに潜入する。
彼らは物陰に身をかがめ、籠のふたを手早く開く。すると、ペスト蚤を附着している1匹のねずみが飛び出す。そして、また1匹。ネズミ籠の内部は幾つかに仕切られていて、ふたを開くごとに1匹ずつ放逐できるようになっているのである。ペストねずみは、やせ細っていて目だけがガラス玉のようにとげとげしく光っている。ねずみは物置や家具のうしろ、壁穴などに隠れて、そこらに棲んでいる家ねずみと合流する。すると、そのねずみについている蚤は血に飢えているので、たちまち他のねずみに移り内のねずみの間にペストが流行する。そしてそれらの血を吸った多数の蚤、あるいは蠅の媒介で、2、3日後にはペスト患者が出始める。無数の蠅。それが患者の喀痰、鼻汁、唾液、糞便などに混在している菌を運んで食物にとまる。うっかり、その食物を食うと急激なペスト肺炎を起こす。
また、この種の伝播方法として、試験管に詰めた生菌を井戸に投入したり万年筆のキャップに入れて道端に落としておいたり、満人に偽装した謀略員が饅頭に詰めて子供に与えたりするのがあった。
(参考)
イレッサ訴訟
子宮頸がんワクチンの危険性 - Thinker
子宮頸がんワクチン接種、通学できぬ少女 推奨中断2年
ワクチンについて シェリー・テンペニー博士
厚生省・国民健康保険について(消えた細菌戦部隊より:常石敬一著より)
医務局長としての小泉の実績は、確かに先の、「意欲・鋭さ・執拗さ」という言葉に見合ったものとなっている。すなわち今日の厚生省及び国民健康保険法を作ったのが小泉であった。
※小泉親彦(ちかひこ)・・・陸軍軍医学校校長、陸軍軍医総監、陸軍医務局長、厚生大臣を歴任、毒ガス戦、細菌戦を積極的に推し進めた人物
1945年9月、自決。
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健兵対策の一環として厚生省は設立されたのだった。こうした設立の経緯が、今日の厚生省の弱者に冷たく、福祉行政に消極的な理由となっているのかもしれない。
真実を知ろう!!(権力側が流す情報にだまされるな!!)
黒い太陽№8
ガン治療のウラ 8/8
「NHKは不払い、新聞は解約せよ!大企業は税金を支払え!50兆円の医療産業は崩壊だ!(船瀬俊介の船瀬塾より)
医学革命!
軍陣医学(戦場医学)から「活人医学」へ
「悪魔の飽食」から「小食へ」(体質改善への道)
医師 甲田光雄3/6 ラジオ深夜便
●ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(下)より
第12章
大元帥の試練
V
1944年8月5日、大本営政府連絡会議は、その名を最高戦争指導会議に変えると、重慶の国民党政権に日本の「信義」を認めさせるべく、新たに積極的な外交を開始し、ソ連にあいまいな事例交渉を求めるための最初の計画を練った。対ソ外交の方策は外務省によって作成され、表向きは中国共産党と蒋介石の国民党との和解の実現についてソ連に支援を求めるというものであった。これにより日本は中国の新政府と平和条約を締結し「大東亜戦争」の遂行に向けて状況を改善することができる。その代わり、日本は同盟国であるナチスのドイツ第3帝国とソ連との関係改善つまり和平の促進に尽力するというものだった。なぜこのようなことをするのか。 その理由は崩れかかった東アジアにおける日本のヘゲモニーを安定化させるためだった。ソ連を軸としたこの最初の和平工作は、ほとんど実を結ぶことなく終わった。
瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」
●『天皇の陰謀』
天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
ディビット・バーガミニ 著
松崎 元 訳より
第二章
(その4)
天皇に奉げられた命
裕仁の放送を通じ、日本人は、戦争の終結を知った世界で最後の民族となった。他の国民は、日本のニュース供給会社の同盟が、東京時間の前日の午後2時49分に、沖縄のアメリカ人担当者に流した以下のメッセージですでに知っていた。「8月14日付け東京発緊急特報; ポツダム宣言を受諾する天皇の声明がまもなくある見込み」。日本人が、自ら「臥薪嘗胆」と表現する天皇の放送を聞き終え、家路を急いでいる時、ロンドンでは、気安く立ち入れるアパートで、まず最初の対日戦勝祝賀会を催させていた。ニューヨークでは、タイムズ・スクェアに続々と集まる兵士、水兵、女たちの群集が〔15日を迎える〕深夜0時の瞬間を待ち受けていた。
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