●第19回「衛生学校記事」情報公開裁判
●シンガポールで、731部隊は何をやっていたのか? ●peace8(八王子)「731部隊と100部隊の現在の課題」(アミダステーション) ●沈黙(横浜) ●731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月 ●京大 軍医博士論文の検証 ●731部隊『留守名簿』公開 ●ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」 ●第9回『化学学校記事』情報公開裁判 9月26日 16:00~東京地裁522号法廷 ●第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】 ●731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる ●「明治150年礼賛式典」 ●お知らせ ●「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」 ●NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 『満洲天理村「生琉里(ふるさと)」の記憶 ●第4章天理村と隣接した731部隊 4、相野田健治の回想(1)-731部隊に召集 「あしきをはろうて 助けたまえ 天理王命」という言葉さえ虚しくなった。同法や他国の犠牲者たちの灰塵をどこへ運んでくれるのだろうか―遺骨を捨てた松花江を眺めながら、相野田はぼんやりと考えた。 敗戦前に行われた一連の行為は、戦争犯罪の隠蔽工作である。このことは次節で詳しく述べるが、戦争という大義名分の中での「公然とした殺人」に動員された少年兵たちの鮮明な記憶は、若き日の体験ゆえに命ある限り消え去ることはなかった。 満蒙開拓団 「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」 日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!! ●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より 第2章 地図から消えた神秘の大久野島 最初の毒ガス被害者 また、毒ガス工場で働いた人々の話では、1933年の夏(7月16日)、青酸ガスの工室の作業員は蒸し暑い中で、みんな懸命に仕事をしていた。この時期室内外の温度はとても高く、多くの者は機械的な作業と疲労から眠気が襲われていた。その時作業員たちは突然の叫び声に驚いて眠気も吹き飛んだ。声のする方を見ると青酸のタンクの側に1人が倒れている。幸見亀吉さんだ。すぐに医師が飛んできた。人びとは手を貸して亀吉さんを室外の木陰に運び、筵の上に寝かせ、防毒マスクと衣服を脱がせて人工呼吸をした。だが、彼は痙攣して全身が丸く縮んでしまった。医師もこんな状態は見たもなかった。仕方なく医務室に運んで救急処置をしたが何の効果もなかった。幸見さんの若い妻と子どもは知らせを聞いて飛んできたが、ただ、苦しむ彼を見ているだけだった。○時15分、結局、幸見亀吉さんの呼吸は停止した。 日本鬼子のおきみやげ ●特集 軍拡に走る安倍政権と学術① 15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために 1、戦争における医学者・医師たちの犯罪 西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表 ■「医学犯罪」の舞台はどうつくられたか ―医学界・医療界、医学者・医師は、先の戦争にどのように加担したのでしょうか。また、731部隊をはじめ、どのような規模で、どのような形でおこなわれていたのでしょうか。 「戦争医学犯罪」というと「731部隊」と思われがちですが、私たちは、そのような予断を避け、解明しようということで始めました。 2000年に15年戦争と日本の医学医療研究会(略称、戦医研)が発足した当時、先の戦争、すなわち1931年から1945年8月の日本敗戦(ポツダム宣言受諾) に至るまでの15年戦争の間における史実解明の課題として、 ①日本の医学医療の軍事化の経過、 ②医学医療の軍事化に積極的に協力し、進めた学会・医学者、そして協力を拒否した人々の経緯、 ③研究テーマの軍事的な制約、 戦時体制からくる研究費・研究体制の制約による医学医療の歪み・停滞、 ④欧米諸国との交流の断絶による日本の医学医療の停滞、 ⑤戦時体制による日本の医療の崩壊をあげました。 その後の調査研究で、日本の医学者・医師らが主に海外の地で、何万人ともいわれる人々を、様々な実験の材料や手術の練習台にして殺害した主たる舞台となったのは、 石井四郎(1920年、京都帝国大学医学部卒業)が組織した、731部隊をはじめとする軍事医学研究機関のネットワーク(「石井機関」ともいわれる)だけでないことを明らかにしました。さらに、日本の医学界・医療界、医学者・医師の戦争加担を間題にする際、731部隊を抜きにして語ることはできないことや731部隊はかつての日本の医学界・医療界における最悪の戦争医学犯罪であることを明らかにしました。 ●『人間の価値』 ―1918年から1945年までのドイツ医学 Ch.ブロス/G.アリ編 林 功三訳 ■犠牲者を使った研究 81 1940年にボン大学の神経科の教授クゥルト・ポーリシュがつくった患者書類用ラベル。 ポーリシュ自身は同時に「安楽死」鑑定者で、患者の生死を決定した人物である。〔ラベルには「教育・研究用/重要症例/出版は差し控えるようにとポーリシュ教授からの要望あり」と書かれている。〕 82 1940年10月28日ブランデンブルグのガス室で虐殺されたある少女に関する医師の最終意見書。この同じ日に33人の子どもと若者が殺戮されている。ハラーフォルデンがブランデンブルグへやって来て、みずから解剖した。子どもたちは、彼の「生まれつきの精神薄弱」というプロジェクトの注文によって殺されたのである。 〔意見書は次のように書いている。 「××。イルムガルト 1924年1月27日ベルリンに生まれる。 34年10月20日より40年10月28日までゲールデンに居住。 癇癪。16歳になるこの少女は私生児として生まれた。成長の過程については一切不明。神経病については異常なし。血清学的にも異常なし。読み書きの教育を受けていない。彼女の日常活動は4歳児のそれに相当。実際的労働には不向き。外部環境へのコンタクトは持てず。臆病で不機嫌、もしくは馬鹿げた挙動を示す。精神病の疑いあり。」〕 知ってるつもり「731部隊と医学者たち」 ●ニュース 韓国高官「日本の反応は不適切」と不快感 徴用工判決で韓国が声明、日本の対応強く批判 得点操作で不合格の100人を入学許可へ 東京医科大 辺野古移設で国と県、1か月協議で合意 「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ 松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示 “旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27) 真相を解明していないからこうなるのだろう!! オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!! ●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 条約をめぐる議会の論争は、このように、外交政策の形成に国民の意思を入れまいとする支配エリート間の合意を明るみに出した。それは同時に、天皇を政治に引きこまないようにすることから、「『累を皇室に及ぼす』政争」へと、政治的考慮それ自体の過程に論理のうえで、重要な変化が起きたことも示していた。 さらに日本において不戦条約が十全に受け入られなかたのは、天皇が外交と国際法の教師立(たち)作太郎からこの問題で助言を受けていたためでもあった。当時、立は、条約の意図と重要性に対する批判を公表していた。確かに天皇は、西洋諸国との協調を保つため、議会が彼の主権についての議論を終えて条約の批准が実現することを望んでいた。1929年3月から6月初めまで、彼は折にふれて議会と枢密院における条約の扱いについて田中首相に問いただしている。しかし彼は、(治世中に期限が切れるであろう)満州における日本の租借権をめぐる中国との紛争解決も、すべてこの条約の定める平和的手段によらなければならないとは考えていなかった。清朝との交渉で結ばれた条約に端を発し、のちに軍事的既成事実を背景とする合意で拡張された満州に関する条約と権利は、彼にとっては侵すべからざる、武力によってでも保護すべき祖父の遺産であった。 ●日本国憲法第9条 1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 憲法9条を生かそう!! |