●帝銀事件と登戸研究所
●第19回「衛生学校記事」情報公開裁判 ●シンガポールで、731部隊は何をやっていたのか? ●peace8(八王子)「731部隊と100部隊の現在の課題」(アミダステーション) ●沈黙(横浜) ●731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月 ●京大 軍医博士論文の検証 ●731部隊『留守名簿』公開 ●ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」 ●第9回『化学学校記事』情報公開裁判 9月26日 16:00~東京地裁522号法廷 ●第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】 ●731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる ●「明治150年礼賛式典」 ●お知らせ ●「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」 ●NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 『731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~』の起こし 『満洲天理村「生琉里(ふるさと)」の記憶 第5章 ソ連参戦と731部隊の撤退 1 証拠隠滅 1945年8月9日未明、ソ連軍のおよそ5000キロにわたる一斉進撃が開始した。 その4年前、1941年に日本とソ連の間で締結された中立条約は5年間有効で、期限は1946年4月までであったが、もろくも破られた。 連合国は1943年のテヘラン会談でソ連の参戦を呼びかけたが、ソ連側は明確な姿勢を示さなかった。しかし、1945年2月のクリミヤ半島におけるアメリカ、イギリス、ソ連によるヤルタ会談において、ヨーロッパ戦線すなわち対ドイツ戦終結後、3か月のうちに日本との戦争を開始することをソ連が言明した。 その背景にはアメリカの要求があった。その理由は第1に、この時点で実験中の原爆使用が可能であるか、アメリカ国内でも決定的な結論が出ていなかったことによる。第2に、アメリカは日本軍との本土決戦を考慮に入れ、兵力を温存しておきたかった。満州や朝鮮へ兵力を注ぐわけにはいかなかったのだ。それゆえに、ソ連軍の力を借りたかった。そして第3に、この時点でアメリカ軍は、関東軍の勢力は健在であるとみなしていた。 満蒙開拓団 「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」 日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!! ●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より 第2章 地図から消えた神秘の大久野島 最初の毒ガス被害者 当時、病院で看護婦をしていた橋浜さんは、「病院では朝門を開いてから患者が切れ目なく訪れ、午前中に内科だけで100余人を診療した。全工場の作業員は最も多い時でも1000人~2000人位だったから、病人の比率はとても高いと言える。現有の病院ではとても処理できずに、工場区に3ヵ所の診療所を設け、作業員が近くで治療を受けられるようにした」と、語っている。 だが、けがをした人々が皆完全な治療を受けられたかというと、決してそうではなかった。毒にあたった人の治療はとても難しく、ほとんど特効薬などはない。 日本鬼子のおきみやげ ●特集 軍拡に走る安倍政権と学術① 15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために 1、戦争における医学者・医師たちの犯罪 西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表 ■731部隊による人体実験・細菌兵器使用 ―731部隊の罪悪をもう少し具体的にお話しください。 2015年には、731部隊の跡地で心臓部ともいわれていた建物「ロ号棟」の基礎部分(東西170m、南北140 m四方)の中国による全面発掘が完了し、新館の展示スペースとともに8月15日に公開されました。この発掘は、元731部隊員の証言に基づいて作成された平面図を実証したもので、「ロ号棟」の存在が戦後70年にして白日のもとにさらされました。 ●『人間の価値』 ―1918年から1945年までのドイツ医学 Ch.ブロス/G.アリ編 林 功三訳 ■公然と 「その後、患者たちは毎日写真を撮られました。だいたい5日か6日後に最初の死者が出ました。以前、死者たちはシュトラスブルグへ送られていました。この強制収容所には固有の火葬場がなかったからです。しかしこの実験の死者は再び送り返されて来て『血統遺産』(SSの研究所)で解剖されました。内臓、肺などは完全に腐食していました。その後数日間に、この実験でさらに7名が死にました。実験は約2ヶ月続けられました。患者が何とか移送に耐えられるようになるとp、彼らは他の強制収容所へ移されました。」 知ってるつもり「731部隊と医学者たち」 ●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇 ●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く 水俣病問題 ●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去 ●小泉親彦と宮川米次の絆 ●ヒロシマからフクシマへ ●宮川正 ●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ— ●ビキニ「死の灰」世界各地へ ●自衛隊とサリン ●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場 ●日本の国家機密 ●兒嶋俊郎さんを偲ぶ ●ニュース トランプ大統領「雨だから」とドタキャン 戦没者の追悼式典への欠席で批判殺到 米軍、抗議申し入れさえも拒否 嘉手納・北谷町議会がヘリ事故で 東京も地方も「24時間型社会」はやめるべきだ 強制徴用賠償請求、今度は消滅時效が争点に 目に見えぬ環境危機、海の生物に何が起きているか? 「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ 松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示 “旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27) 真相を解明していないからこうなるのだろう!! オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!! ●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 歴史研究者の伊香俊哉が指摘するように、ジュネーブの国際連盟日本代表団は連盟規約を改善し、安全保障を促進する道を探ろうとはしなかった。それとは逆に、外相幣原の指示で、侵略戦争を禁止する新条約に合わせた規約の改正に抵抗した。連盟の平和維持機能は東アジアでは発揮できないと主張して、彼らは中国をめぐる紛争の第3国による調停に繰り返し反対した。1928年から31年に至るどの事件においても、政党内閣は自衛の名のもとに中国で武力を行使する可能性を残しておこうとした。もし天皇やその側近や外務省が、連盟規約の強化と日中紛争への連盟の介入の受け入れにこれほど消極的でなく、満州事変の勃発までに新しい集団安全保障の合意が成立していれば、関東軍がその恣意的な武力行使を正当化するのはもっと困難になっていただろう。 ●小泉親彦と昭和天皇 ●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~ ●近代天皇制の真髄は ●福沢諭吉 ●神武と戦争 ●日本国憲法第9条 1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 憲法9条を生かそう!! |