細菌戦の系譜!!

2020-07-03 09:08:19 | Weblog

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中国侵略戦争
第5回「戦争の加害」パネル展in横浜
細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会





 
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る



米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
 
 
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
 
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

731部隊被害者遺族の訴え!!        
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検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)
 

第3章 国家機密の抹殺

 

柳澤謙の遺稿集発見                                         、

 『わが一生の思い出』は、「第一編 誕生から結婚まで」「第二編 研究生活とその周辺」「第三編 海外旅行の印象記」からなっていた。

 この自叙伝は、19778月、彼が国立予防研究所(現国立感染症研究所)所長を70歳で退職後、毎年夏の1ヵ月半、山中湖の別荘にこもり、執筆していたものである。

 ところが、『悪魔の飽食』が198111月に発売され、発売と同時にベストセラーになった。高橋義夫と同様に彼もまた、自分の過去が暴かれる可能性に恐れ慄いたと思われる。

 彼にとって人生最大のストレスだったのではないかと予測される。『悪魔の飽食』の出版半年後の198253日に心筋梗塞を起こし、一時良くなるも618日には再発作を起こし死亡した。75歳であった。

 『わが一生の思い出』はまだ未完であったが、彼の息子は父の遺志を実現しようと考え、遺稿集(非売品)を出版した。出版の前に第二編は伝研で検閲を受けたのである。その結果、彼の業績目録の中から伝研の機関誌「実験医学雑誌」に投稿されていた論文すべてが削除されていたし、またツベルクリン反応基準の医学的根拠となった「厚生科学」2巻(1941年)の論文も削除されていた。

 

 



  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 
 
   
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
埋もれた細菌戦調査書

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●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

細菌戦裁判第1審判決ドキュメント

                                 ー嵐の4日間ー

                                                      中谷真紀子 (大学生)

827日午前10時~   東京地裁正門前

◆中国からの裁判訪日団の熱気

朝から日差しが強かった。8月27日、731細菌戦判決の日である。旧日本軍・731部隊による細菌戦の戦争責任を追及し、日本政府に謝罪と賠償を求める裁判の判決公判が東京地裁で行われる。今日は大変な一日になる、そんな予感がした。

 新橋の駅で、留学生のNさんと待ち合わせて、一緒に弁護団事務局へ向かう。

 

 

 

 
 
●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

731部隊の行なった細菌戦

 
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
 
           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。
           
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 
 
731部隊新文書公開   赤旗200620
京都 隊員の敗戦時の行動
 旧日本陸軍の細菌戦部隊・731部隊に所属した隊員の敗戦時の行動などについて、公文書により新たに明らかになった資料が19日、公表されました。研究者2氏が、京都市内で記者会見しました。
 会見したのは、滋賀医科大学の西山勝夫名誉教授と、「15年戦争と日本の医学医療研究会」幹事の原文夫氏。
 今回明らかにされた資料は、731部隊を本部とする関東軍防疫給水部(関防給)の各支部、隊員の詳細について記された「関東軍防疫給水部部隊概況」。国立公文書館から今年3月に西山氏らが入手し、判読できるよう両氏によって翻刻(ほんこく)されました。
 これまで関防給の部隊員名薄は、当時、陸軍の全部隊が作成していた「留守名簿」が初めて公となった文書でしたが、隊員の詳細までは明らかになっていませんでした。今回の資料では、五つの支部ごとの所属隊員の氏名が、行動群別に階級、本籍、行動状況とともに記されています。また関防給の敗戦時隊員数が、総計3262人であったことも明らかになり、「公文書によって明らかになったのはおそらく初めて」としています。
 会見で西山氏は「『留守名簿』で不明だったことが明らかになった意義は大きい。731部隊生き残りの方たちの証言の裏付けにもなる」と強調。原氏は「政府は731部隊を公式には認めていない。およそ全体像が明らかになってきたもとで、研究者が協力して、早く解明すべきだ」と述べました。
 
 
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細菌戦の系譜!!

2020-07-03 09:06:49 | Weblog
1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
 

 

 
 
 
「1931」斉藤準太郎の日記
 
 
 

14

煙台炭坑 分遺隊上番 晴れ温度最高零上5度 最低零下18

 

 此の煙台炭坑に於いてもまた同じ事であらう 露人が発見―これを守るために一個小隊の露軍が派遣され採炭を始めたのに今では日本が此れを行ひ 二千名からの支那人を使用し日夜探炭しつつある現状は まず日本に生まれたことを喜ぶ前に 最初此れに手をつけた露西亜人の心情 又は自分の手で自分の国を掘り 人に取られる支那人の事を思えば感慨無量である。これを守りこれを末永く・・・机上の外交や単に軍隊の力でこれを確保してゆくことが出来るであろうかしら ああ、正月の初めから大きなことばかり書いて仕舞った

 

 

 ●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)
 

2月9日(日)

15. 展示内容は迫力満点見に来て良かった。2/9ミニ講演は話が細かすぎてついていけない。もっとポイントを簡潔にしてほしい。何時終わるのかわからないのもつらい。(男、70、チラシ)

 
 
 
 
 
 
 
 
    
●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報

58.戦争というと国家間レベルでのスケールでしか考えられなかったが、一般市民の目線でその恐ろしさを体感できた。原爆自体の威力もそうだが、その後にも苦しさが続くということがわかり、風化することの大変さを知った。

(男性・30代・新宿区・親族から)

 
 
日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

●細菌戦
【真相】(unit731)

・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

V 私は中国軍の捕虜だった

<ー総務部調査課翻訳(情報)班 H・M

命令、満洲第731部隊に転属を命ず

 ハルピンに宿舎があった私は、通勤バスで平房の翻訳班に出勤したり、あるいは、ハルピン特務機関第2課に行って、そこの花房通訳官室で仕事をした。ソ連保健制度調査を援助するという形で、ソ連の細菌学、微生物学、免疫生物学関係の刊行物を探し出し、借り出すのである。
 借り出した文献は、部隊に持ち帰り、翻訳班で日本語に訳す。前に述べたように、北野部隊長の関心は、当然、シベリア森林ダニ脳炎にあった。ところが、これに関する文献は、きわめて少なかった。
 私は、自分の郷里福島にある郷土病と類似の野兎病(ウィルス感染)に関する書物などを見つけてきて、むしろこちらの方を熱心に研究したりしていた。温厚な北野部隊長から、「君は、何のためにやっているんだ」と叱られたこともある


 
 
・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』

中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 
 

成井昇供述書(1954年104日)

問:富錦憲兵分隊に在職中、どのような犯罪行為を犯したか。

答:1937年12月から1940年3月まで、私がチャムスで憲兵隊富錦憲兵分隊で、庶務係助手及び庶務主任として勤めていた際に犯した犯罪行為は次の通りである。

 1938年3月15日、チャムス憲兵隊は湯原一帯で中国共産党吉東省委員会、即ち北満省委員会(実際には、吉東省委員会と北満省委員会はそれぞれ別の組織)に対して、大掛かりな鎮圧と逮捕を行い、併せて約300名の中国共産党員及び抗日工作員を逮捕投獄した。

 

 

 
  
 
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発

4 対ソ戦を想定した毒ガス兵器開発と人体実験
 

日中全面戦争の開始と毒ガス兵器開発の進展

 

 その頃中国戦線では、中支那派遣軍によって日中戦争最大の作戦と言われる武漢攻略作戦が行われており(19381026日、漢口占領)、日本軍は中国軍に対してくしゃみ性・嘔吐性ガスと催涙性ガスを頻繁に使用した。この経験から、同軍司令部が381130日に作成した毒ガス戦の報告書では、くしゃみ性・嘔吐性ガスを高く評価しつつも対ソ戦を意識するとこれだけでは不充分だとして、「別に少量を以て即効致死的効果ある瓦斯資材等を研究改善することは国軍として絶対に必要」だと陸軍中央に提言していた(中支那派遣軍司令部「武漢攻略戦間に於ける化学戦実施報告」『資料集』9)。青酸の制式化の直後には即効致死的な毒ガスを求める意見が第一線部隊から出されていたのである。

 

 

 

  
  ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
付記・忠海病院及び行武正刀院長訪問記

「私たち人類の気管、喉の内壁には極めて細い繊毛があって、絶えず動き続け、気管や喉に付着した細菌を人体から分泌された粘膜とともに排出しています。ところが大久野島で働いたい人達は、長年にわたって毒ガスに汚染された地域で暮らしたために、繊毛の運動能力が壊れてしまったのです。あのときからもう50年近く経ちました。これらの人たちはいったん病気に罹ると、それが軽い風邪であっても、炎症を起こしやすく、呼吸困難などの疾病を招いてしまいます。癌の発病もこうした原因と関係があります」。

 

 
 
 
              毒ガス工場の焼却
 
 
現在、大久野島国民休暇村


日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

細菌戦ー731部隊の蛮行
 田村良雄(たむらよそお)防疫診療助手 兵長
(略歴〉
1939年5月  元関東軍防疫給水部本部(731部隊)に入隊
1943年3月  退職
1944年3月  元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊
1945年8月  元関東軍125師団軍医部兵長
1952年6月  逮捕さる。河北省永年県において
 
本籍地=千葉県長生郡 出身階級=雇農 年齢=34歳
 

「オイ準備だ」と言いながら入って来た課長・大木は、いつになく顔に笑いを浮かべながら、「今度やるのは須藤良雄だ、いいな極秘だ」。私は、もう少しで手に持っていた指頭消毒器をとり落とすところでした。大木は私の表情から、何ものかを汲み取ろうとして、ジーッと鋭い眼で見つめておりました。この眼は私に特別班の出入りを許可したときの眼でした。テストしていることを感じ取った私は、内心の動揺を押えて平静を装い、「そうでありますか」と大木の顔を見ました。

「よし、お前も1人前になった。須藤良雄をここに入れておいたのも、みんな天皇陛下の御為だなあ」大木は珍しく私の肩を叩き、自分で防菌衣を着始めました。須藤良雄は第4部第1課の雇員として、最近のペスト菌の大量生産でペストに感染し、私は病院に入院しているものとのみ思っていたのでした。それが中国人を監禁し、細菌実験を行なう特別班に入れられているのでした。私は何が何だか分からず、自分の頭を叩きさえして解剖室に入りました。

 

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
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細菌戦の系譜!!

2020-07-03 09:04:10 | Weblog


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

第4 私達の情報公開裁判闘争の目的

このような経過を経て、自衛隊の中には対生物戦の専門部隊が、2007年に創設された「陸上自衛隊中央即応集団」隷下の衛生部隊として編制されました。

また、2015年に改訂された新「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」で、「作戦支援活動」として「CBRN(化学・生物・放射能・核)防護」が重視されています。このような背景の下で自衛隊が米軍と結託して北朝鮮や中国に対して謀略的な生物戦を実戦展開する危険性が指摘されています。

 

 

 
 
・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。
 
・次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷の予定でしたが、
新型コロナウィルスの影響の為、延期になりました!!


第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
          


金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。

 

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

1、 生物・化学兵器の開発の歩み

恐るべき人体実験

 

(問)「実験に関して貴方(川島)の知っていることを全部述べてもらいたい。」

(答) また、次のような証言もある。西俊英の証言によると、

「第731部隊長の命令で、1945年1月、私は安達駅に赴きました。ここで私は第2部長碇と二木研究員の指導下に、ガス壊疽菌による感染実験がいかに行われていたかを見ました。このために囚人が10人使用されました。これらの人々は柱に面と向かって縛り付けられ、相互の間隔は5mから10mでした。囚人の頭は鉄帽で、胴体は楯でそれぞれ覆われていました。身体は全部覆い隠され、ただ臀部だけが全部露出されていました。感染のために約100mの所で電流によって榴散爆弾が爆発せしめられました。10人とも全部露出部分に負傷しました。この実験が終了した後10人とも、特別の自動車に乗せられ、再び平房駅の監獄へ運ばれました。後に至って私は碇及び二木研究員に、結果について質問しましたところ、彼らは10人全員負傷し、ガス壊疽に感染されて死去したと語りました。」

 

 

 

 第5代衛生学校長

井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
            

イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
小泉親彦と宮川米次の絆
ヒロシマからフクシマへ
宮川正
「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ビキニ「死の灰」世界各地へ
自衛隊とサリン
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
日本の国家機密
兒嶋俊郎さんを偲ぶ


●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。




 

●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 
2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
          


第12章大元帥の試練

1943年初頭、ソロモン海の敗北から19447月のサイパン陥落にいたる間、近衛を中心とした宮中・重臣の小グループは、岡田啓介提督を中心とした海軍のグループに支持されて、ひそかに東条に辞任を追る工作に着手していた。東条の権力がそれよりもはるかに強大な天皇の力に支えられている以上、彼らは昭和天皇が決断さえすれば、いつでも東条を退陣させることができると信じて疑わなかった。実際、彼らは天皇を平和への道の最大の障害と見なしていた。+

 
                    
 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

水蒸気の作用

さらに、地球の気温が温暖化するほど、夏の蒸し暑い時のような水蒸気の空気中の飽和量が高くなるので、大気中の水蒸気が増えてゆく。そして地表からの赤外線を反射して、さらに温暖化作用が高くなる。これが、水蒸気の温暖化効果である。

 しかしここから、多くの科学者が、迷路に入って計算できなくなるのである。というのは、たくさんの種類の雲があって、それぞれの特性を持った雲がどのように、どれだけ熱を放射するのか、実際の測定に基づくデータがない。

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


歴史上重要な核実験の一覧を次に示す。広島と長崎の原子爆弾の投下に加え、既定の兵器のその国における初の核実験、さもなければ、例えばこれまでに最も大きな核実験だったなど顕著だった核実験が含まれる。すべての核出力(爆発力)は、推定エネルギーと等価とされるTNTの質量(kt)で与えられる。

表中の「実用兵器/非実用兵器」は、実験された装置が(理論実証装置と対照的に)実際の戦闘において仮定として使われることができたかどうかを意味する。


 

 
 
 
 
 



●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について




日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)

今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??

国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!

なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
       
      
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書

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水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
       
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病

731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!
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