平頂山事件92年 歴史を学び合い、不再戦を誓う集会!!
2024 11 16平頂山集会
2024 11 16平頂山集会 纐纈講演
平頂山事件92年「歴史を学び合い、不再戦を誓う」集会 アンケート集計
(集会をどこで知ったか)(記入者年代)
8、友人知人から、50代
・纐纈講演
気づかされることがたくさんあった。歴史から学べることを生かして平和を作っていかないといけないと思った。そのためには軍事史を知ることが大切であると教えてもらったことが印象に残っている。
・パネルディスカッション
平頂山事件のこと、対中戦争から何を学んで平和を作っていく必要性がよく分かった。
メディアの隠蔽に騙されてはいけないと思った。
・集会全体。
聞きやすくよくまとまって勉強になった。
作品によせて
1945年8月6日のソ連が参戦した時、私は12才だった。旧満州国の奉天市(現瀋陽市)に住んでいた日本人の女性と小学生以下子どもは、戦火から避難するためにリュック1つを背負って南下する列車に乗った。8月15日の敗戦の知らせによって在満のすべての日本人は日僑(他国に住む日本人)として扱われ、この日を境に私の流民の旅が始まった。
疎開地から奉天市に戻ったものの支配関係は全く逆転し、異民族から受ける迫害は想像を超えるものであった。自分の命や財産は勿論のこと、人間そのものの尊厳さえ奪われた極限の状況での体験は、私の人生観を決定づけた大きな要因であることに間違いない。
居住地を離れてから日本への帰還船 (私には流民船)に乗るまでの約2ヶ月の出来事はまさに難民生活そのものであり“衣"は着のみ着のまま、“食"はこうりゃん、“住"は倉庫などであった。
本籍地の北海道には墓地と何軒かの親類があっても、生活の基盤はなく、その後落ち着く場所を求めて転々と移動し、やっと定住したのは敗戦から15年を経過した1960年であった。
10、「開拓団の人々」
千数百キロの北満から、辛うじて奉天市(現瀋陽市)にたどり着いたが、栄養失調と病気の為に亡くなる人が続出した。窓にむしろを掛けた程度の廃屋で零下20度の夜を過ごしていた。
1945年12月
少年Mの記憶ー「満州」からの帰還ーDVD上映会には70余名の来場者があった。
9・29アミダステーション(八王子)
近藤滿さんの紙芝居をDVDに、近藤仁子さんの話 class="MsoNormal" style="layout-grid-mode: char; mso-char-indent-count: 0.5000; mso-pagination: none; text-autospace: ideograph-numeric; text-indent: 5.75pt;">上映途中、肩のけがで入院中の近藤仁子さんが、主治医の許可(1時間以内)を得て、会場にお越しになりました。 style="color: #274e13;">2024.9.29 style="color: #274e13; ">4、この集会を何で知りましたが? style="color: #274e13; ">(感想)早速購入します。
*DVD購入ご希望の方は、nobu.goi@gmail.com(五井)までお問い合わせください。
どこまで、防衛省は、自分たちで作った機関誌の存在を隠し続けるのか!!
次回判決『化学学校記事』、3月19日13:15~東京地裁522号法廷
自衛隊合憲論反対!!
1995年3月20日地下鉄サリン事件発生
自衛隊化学学校は事前に起こることを知っていた。
オウムの中に自衛隊信者がいた。その自衛隊員と化学学校の間で、情報のやり取りがあった。
化学学校は、戦後も毒ガス開発をしている!!(サリン、VXガス等)
地下鉄サリン事件 被害者カルテを電子保存へ 医師の口述記録も作成
地球沸騰化!問われる現代人の生活様式、原発、戦争等!!
石川 能登地方 “土砂が川に堆積 氾濫リスク高い”専門家
日本政府は、真摯に過去に向き合っているのだろうか?
戦争の加害者は過去を忘れても、被害者は覚えている!!
平頂山事件92年追悼集会
731部隊元少年隊員、清水英男さんが見た悪夢
元731部隊員清水英男さんの記者会見
青山貞一さんのXにこんなことが書かれていました。
https://x.com/TeiichiAoyama/status/1831478953967821090
ロシアで機密解除された日本の731部隊のアーカイブ文書をロシアメディア(AIF)が公開した。今朝、そのうちの6本を概訳したが、その内容の凄まじさは前例がない日本初出のものが多い。近日中に各全文を一挙掲載する予定である。
元731部隊員清水英男さんの訪中が意味するもの
リニア新幹線反対!!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます