●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
四月二日
班に帰ればネズミと猫と云うように飛び回る者があれば 貴重品袋を前にかけて木銃を担いでやじきたをやり始める。本当にうららかだね。
酔っぱらった武田と鈴木の呑み助が中島をつかまえて貴重品を調べてる。やーったーあった よーし酒保に行くぞ みんなおごってやるぞー中身は・・・ハハハハーチャランチャランーたった一銭だ・・・
俸給もらったばかりなのに最早一銭だ。心持よいほど呑んでたんではないか どーしたか僕にはわからない
Ⅱ 広島再訪
そこにも又、広島という≪宿命の地≫の独特な性格を証だてるものがある。広島で最も恐ろしい体験を通じて生残り、そして生き残った人間としての最も誠実な生き方を示している、彼ら、まさに広島的な人間たちは、恐らくその本質的な深みでシャム双生児のようにしっかりつながっているのである。僕は人間的悲惨の極を証だてることで核兵器時代の人間的希望の確実な見通しを立てようとする、1965年の、表裏一体の2つの試みに期待をかける。それこそが20年目の死者たちと、生きてなお苦渋にあえぐ人たちへの、日本人に可能な唯一の有効性ある努力なのだから。それは又直截に新しい平和運動のイメージをもたらすものでもある筈である。
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅰ 731部隊
小笠原 明(おがさわら あきら)
731部隊・少年隊
〈経歴〉
1928年生まれ。
1943年4月 731部隊少年隊に入隊
1944年4月 第2部(実験部)第2課田中班に配属。ペスト菌などを宿らせ伝染させるためのノミ増殖に従事。
1945年8月 日本への撤退途中で中国人民解放軍に入隊、4年間従軍
1949年 帰国。
■この証言は石川(金沢)731部隊展(1993年11月)、栃木(宇都宮)同展(94年9月)、沖縄(那覇)同展(94年1月)、広島同展(94年3月)の『報告集』よりまとめたもの
田中班への配属
1年間の教育が終わって、昭和19(1944)年4月、私は他の8人の少年隊員と共に第2部第2課の田中班に配属されました。当時部長は碇常重軍医中佐で、課長は田中英雄少佐でした。田中少佐は軍医ではなく兵技少佐で、日本に帰ってきてからは、大阪市立医科大学長を経て、後に私立の兵庫医科大学で教鞭をとっていた方です。
●『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
六 第731部隊の各支隊
鑑定書(1956年5月28日)
162支隊ではノミの繁殖も同時に行った。繁殖したノミは㎏単位で計算する程のものだった。いかなる医学、科学研究もこうしたノミの大量繁殖を必要とするものではなく、それは唯、これにペスト菌を運ばせて細菌戦を行うためにのみなされたと断言できる。
以上の5点から、榊原秀夫の指揮した162支隊の業務の目的は、細菌兵器を大量生産し、細菌戦実施の準備をすることであったと証明するに足る確かな事実がそろっている、と我々は考える。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第3章
2 国内民間人の防毒訓練