ここが哲学の道の始まりです。
30年ほど前に行ったときの印象と、少し変わったところがありました。
桜の木が大きくなっているからでしょうか?
花筏がうかんでいました。
右から「銀閣寺前町」と書いてありますね!
法然院の入口に着きました。
ここに去年亡くなられた歌友のKさんが眠っています。
お墓の場所を教えてもらって、お参りをしてきました。
大好きな京都に来て、歌を詠みながら余生を過ごすはずでした。
大腸に癌が見つかり、手術して養生されていましたが、
10月に召されたのでした。
半分は故郷の栃木に帰られたのですが、半分は京都です。
これも、花手水なのかな?
「人は人吾はわれ也とにかくに吾行く道を吾は行なり」
哲学者、西田幾多郎の歌碑があります。
連翹、雪柳、染井吉野と続いていて、手前にある枝は、これから咲く八重桜です。
きょうの潮流
「サイタ サイタ サクラガ サイタ」から「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」へ。1年生の国語の教科書がかわり
ました。国家が要求する「皇国民」を養成するために。
▼日本が太平洋戦争に突入する1941年の4月。明治から70年近く続いてきた小学校が廃止され、国民学校が始まり
ました。目的は「皇国の道に則(のっと)り、国民の基礎的錬成を成す」こと。アサヒは「大東亜共栄圏」を照らす日の
丸の象徴でした。
▼神である天皇をいただく日本は神の国だとして、天皇のために死ぬことをうえつける。それは戦争を支えた「お国のた
め」の教育でした。当時1年生として入学した入江曜子さんは、学校で「天皇陛下を直視すると目がつぶれる」と教わっ
たそうです。
▼後に作家となった入江さんは国民学校の教育を検証した『日本が「神の国」だった時代』を著しました。そのなかで、
あの戦争の侵略を解放と言い換える国家主義が再び台頭してきたことに警鐘を鳴らしています。
▼いまウクライナに侵略したロシア軍による集団虐殺が伝えられ、国際社会は一斉に非難しています。犠牲者は今後さら
に増えるとも。ところがロシアは欧米諸国によるフェイクニュースだと言い張ります。
▼そんなことをするはずがない、これはウクライナ解放のたたかいだと。いまや国内では8割をこえるというプーチン大
統領の支持率。彼我のあまりの差にがく然としますが、どんなに国民に刷り込もうとも、いずれ侵略者は滅びる。日本も
経験した歴史の教訓です。
(しんぶん赤旗より)
「サイタ サイタ サクラガ サイタ」声揃へ唱へし子らはヘイタイになり
と何年か前に詠みました。
桜はきれいだけど、悲しい花だなとも思います。毎年思います。
7年前に来られたことがあるんですね!
「哲学の道」は砂利道が残っていていいですよ!
わたしも写真を撮りながら、ただただ歩きました。
投票日まであと二日になってしまいました。
立憲と社民が梶川さんを応援してくれたら、きっと
暮らしやすい京都になるのに・・・。
28年間かかっていた「憲法を暮らしに生かそう」
の垂れ幕を今こそ、もう一度見たいです。