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マハロ船長の航海日誌2

弘法筆を選ばず ヨット乗りは船を・・・

「弘法筆を選ばず(こうぼうふでをえらばず)」とは、名人や達人と呼ばれる人は、道具や材料の良し悪しなどは問題にせず、どんな道具でも見事に使いこなすという意味のことわざです。 
「書の達人であった弘法大師は、どんな筆であっても立派な書を書いた」との言い伝えがもとになっています。 実際は、名人は筆を選ばないといった意味よりも、技術の乏しい者や下手な者が、できないことの言い訳として道具や材料についてとやかく言うことを戒める言葉として使われることが多いといえます。 「弘法筆を選ばず」は、どんな状況であっても結果を出すのがプロであるという考え方を示すたとえとして使われたり、うまくいかないことを道具のせいにするのはプロとして失格だ、といったような精神論として使われます。

・・・・・・・・・とはいえ、スポーツでは道具の善し悪しが結果を左右するのは事実。ゴルフ、スキー、テニス、・・・・・ヨットもそうですね。今時のヨットレースはブラックセイル(カーボンセイル)でないと出場するのも恥ずかしい感じになっちゃってます。わざわざホワイトセールクラスとして”お助けクラス”を設けてるレースさえあります。

クルージング派のヨット乗りも、キャビンの広さ、便利さ、豪華さをどこまでも追求しがちです。「雨露しのげれば良い。」なんていうストイックなヨット乗りには絶えて久しく会った事がありません。

でもまあ、弘法大師だって初めから「筆を選ばず」という境地に達したわけじゃないと思うんですよねぇ。
初めは、筆がどうの、墨がこうの、紙がどうこう、なんて言ってたんじゃないかと思うんです。
でも、修行を積んで、ようやく「筆を選ばず」の境地に達したんじゃないかと想像してるんですがどうなんでしょうね。

だから俗界に徘徊するヨット乗りがヨットの種類に迷うなんざぁあったり前な話だと思います。
あったり前ではありますが、超々ベテランのレジェンドヨット乗りになったとき、もしかしたら「ヨットを選ばず」の境地に達する時が来るかもしれないですねぇ。


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コメント一覧

マハロパパ
行燈入道さん
バイオリニストはバイオリンを選ぶけれど、ピアニストはピアノを選べないという訳なのですね。それだけに品質の均質性は高いレベルで求められるのでしょう。厳しい世界ですね。
ところで、以前ある音楽大学を見学させてもらった時に、音大での重要行事として卒業時のピアノの発表会(卒業判定?)があるのだそうです。その時に使う専用のピアノ(スタインウェイ)かあるのですが、弦が切れた時用に全く同じピアノが常に脇に用意されていました。使う楽器をまったく一緒にして、純粋に技量だけで判定されるのですね。怖い世界ですね。
行燈入道
アメリカの思想家で哲学者のラルフ・エマーソンの言葉に「どんな芸術家でも最初は素人だった」とあります。
パパさんのおっしゃる通り、道具を選ばなくなるには長い年月が必要ですよね。
一方選びたくても選べないのが、ピアニストさん達です。使い慣れた愛用のピアノを、コンサート会場まで担いで行く訳にもいきません。そんな彼らは熟練していくにつれ、楽器を自分に合わせ自分の音を出す術を身につけている様です。多分ですが日本のピアニスト達にとって 「弘法筆を選ばず」は幼少期より何度も言われた耳タコな諺なのかもしれません。
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