Captain Cook Yoshiki

私はフランスに住んでいます。プログを始めたばかりですが日々の記録を残していきたいと思っています。

【DJI OSMO POCKET】パリの穴場観光『パリの摩天楼・ラデファンス地区』 Walk to La Défence

2019-09-18 16:27:34 | パリ観光

【DJI OSMO POCKET】パリの穴場観光『パリの摩天楼・ラデファンス地区』 Walk to La Défence

 

 

今回は、パリ西部に位置し、市街地の芸術的建造物とは異なり、


ニューヨーク、東京に負けず劣らずパリの高層ビル群がそびえ立つ


ラデファンス( La Défence)地区に行ってきました。


パリ市内では、高層ビルはエッフェル塔、モンパルナスタワー(210m)しかなく、


現在でもこれを超える高層建築は建てられていません。


しかし、このビルの展望台に上るとはるか向こうに高層ビル群が見られます。


エッフェル塔やモンパルナスタワーに登らず、


市内観光をするだけなら、


決して知ることのないパリの高層ビル群があるラデファンス地区。


日本の高層ビルあべのハルカスよりも高い高層ビルいくつも見られました。

 


【DJI OSMO POCKET】パリの夜景シリーズ① 自由の女神〜パッシー〜シャイヨ宮からエッフェル塔を望む WALKING TO PARIS NIGHT VIEW①

2019-09-18 16:13:45 | 料理

【DJI OSMO POCKET】パリの夜景シリーズ① 自由の女神〜パッシー〜シャイヨ宮からエッフェル塔を望む WALKING TO PARIS NIGHT VIEW①

今回は、Osmo Pocketと一緒に夜のパリを歩いてきました。 「自由の女神像(Statue of Liberty Paris)」から「白鳥の小道(Allee des Cygnes」、 パリジャンも憧れる16区の高級住宅地「パッシー(Passy)」、 最後に 「シャイヨ宮(Palais de Chaillot)」から見る「エッフェル塔(La Tour Eiffel)」までおよそ2時間のトリップです。 ちなみに自由の女神像はパリに2つあります。この他にオルセー美術館にももう一体あります!!

「自由の女神像(Statue of Liberty Paris) 」(危険度☆)

「白鳥の小道(Allee des Cygnes」(危険度☆)

自由の女神像からまっすぐ伸びるセーヌ川の真ん中を歩ける小さな道です

「シャイヨ宮(Palais de Chaillot)」(危険度☆☆☆)

「エッフェル塔(La Tour Eiffel)」(危険度☆☆☆)


【DJI OSMO POCKET】パリの穴場観光、【ショパンら、著名人の永眠の地】ペール・ラシェーズ墓地 WALKING TO THE CIMETIÈRE DU PÈRE-LACHAISE

2019-09-18 16:07:45 | パリ観光

【DJI OSMO POCKET】パリの穴場観光、【ショパンら、著名人の永眠の地】ペール・ラシェーズ墓地 WALKING TO THE CIMETIÈRE DU PÈRE-LACHAISE

 

 私はパリの東部、20区にあるペール・ラシェーズ墓地を訪問してきました。ここはエディット・ピアフ、ショパン、ビゼー、ポール・デュカス、プルースト、マリア・カラス、モディリアーニ、ジム・モリソン等の世界的な著名人の墓が多くあることで知られています。また、レ・ミゼラブルのジャン・ヴァルジャンもここにおります。 パリ・コミューン最後の戦いが行われた場所である。

 ペール・ラシェーズ墓地の正式名称は、東墓地(cimetière de l'Est )である。パリ最大の墓地であり(ただし、パリ郊外にはもっと大規模の墓地もある)、パリ東部の20区に位置している。ペール・ラシェーズは、世界で最も有名な墓地の一つである。年間数十万人以上の人々が、過去200年以上に亘りフランスの文化や歴史に名を残した人々の墓に参るため世界中から訪れるという、世界で最も訪問者の多い墓地だという人もある。ここには、5度の大きな戦争の記念碑もある。

 また、墓地周辺には花屋も多く、墓地の入り口で案内図やポスト・カードも販売している。ペール・ラシェーズ墓地はかなり広く、大小さまざまなお墓が無数にあるので、すべての有名人のお墓を探して回ろうとすれば、かなりの時間と体力を必要とします。墓標が小さかったり、古かったりして、見過ごしてしまうこともしばしば。効率よく回られたい方は、訪れたい有名人のお墓をリストアップしてから行かれることをお勧めします。

 また、墓地の入口には有名人のお墓の所在地が書かれた看板があるので、それを参考にすると良いでしょう。

 

 


【DJI OSMO POCKET】パリの穴場観光【採石場跡地】ビュット・ショーモン公園〜ベルビル〜サンマルタン運河 Belvédère des Buttes Chaumont &Rue mouzaïa

2019-09-18 16:00:26 | 料理

【DJI OSMO POCKET】パリの穴場観光【採石場跡地】ビュット・ショーモン公園〜ベルビル〜サンマルタン運河 Belvédère des Buttes Chaumont &Rue mouzaïa

 

パリにありながら在仏日本人でも知らない穴場な場所に行ってきました。聞くとフランス人でも知らない人がたくさんいるそうです。それからベルビル、サンマルタン運河まで徒歩で行ってきました。下にそれぞれの場所の説明をつけています。 " 『ベルヴェデール・デ・ビュット・ショーモン(Belvédère des Buttes Chaumont)』 (危険度⭐️☆☆☆☆ )

パリ北東部、19区の南部にある公園。ビュット・ショーモン公園は、24.73haの面積を持ち、ヴァンセンヌの森、ブーローニュの森、ラ・ヴィレット公園及びテュイルリー庭園に次ぐ、パリで5番目に大きな緑地である。 採石場の跡に作られた公園であり、30メートル以上の高低差がある(概ね北側中央部が低く、周辺が高い 。)。 公園は、逆さにした凹型で、北東のクリメ通り沿いのみが直線である。 南側に2箇所の突端部があり、両者の間がこの公園の最長辺(820メートル)である。 公園の最大幅は450メートルで、周囲は2475メートルである。 公園北側の低部に約1.5ヘクタールの湖があり、その中央部には険しく切り立った30メートル程の高さの島がある。 公園には、12ヘクタールの芝生、6ヘクタールの植栽、1ヘクタールの岩石群と4.5ヘクタールに及ぶ庭園道路(道路が5.5キロメートル、小道が2.2キロメートル。)があるビュット・ショーモン公園(当時は"Butte Saint Chaumont ビュット・サン・ショーモン"と名付けられていた)の地下は、フランス革命後に開発され、パリ中心部の建物建築のための石膏や石臼の採掘場となった。また、この場所は、浄化槽やゴミ捨て場としても機能した。 当時ベルヴィルというコミューンにあった採石場は、このコミューンがパリに併合されたパリ再編の年である1860年まで運営されていた。石膏の採掘のため禿山になったことから Chaumont(Chauve-mont=裸の山)の名がつき、採石場閉鎖後は、処刑場、場、汚物処理場などに使われてゴミ捨て場と化して荒れ果てていたものを、セーヌ県知事だったジョルジュ・オスマンが公園として整備することを計画した。


『ムザイア通り(Rue de Mouzaïa)』 (危険度⭐️⭐️☆☆☆)

19区はパリの端に位置し、高層アパートなどが建ち並ぶ所もあり、20区と並んで地価が比較的安いので、移民の多い区です。その高層ビルのすぐ横のrue de la Mouzaïaムザイア通り周辺は、高くても4-5階止まりの、パリ市の平均よりずっと低い建物が並び、静かで、所どころにアールデコなどの建物も混じり、100年前にタイムスリップしたような地区です。1870年まで採石場として縦横に地下道が掘られていたため、高層ビルを建てる地盤が無かったからだそうです。何とラッキーな!そのため全部の家が2階建てとミニチュアサイズ。どの家の前にも、文字通り猫の額ほどの庭があり、パリ市内はみなアパート住まいなので、羨ましい限りです。パリの中心から外れ、何の宣伝もされないので、パリジャンでも知らない人が多く、もちろん観光客も来ません。

『ベルビル( Belleville)』

かつてのベルヴィルは採石労働者やワイン生産者が暮らす土地だった。ブルボン朝の王政復古後、ダンスホール、ギャンゲット、飲食店が丘のふもとにでき、パリからやってくる人々に人気の場所となった。現在は中国人や外国人がたくさん住み、娼婦などがいたり治安はあまり良くないので女性の一人歩きは十分注意が必要です。ただ、ここは13区のチャイナタウンと同様、安くて美味しい中華料理がいただける場所として有名です。

『サンマルタン運河(Canal Saint-Martin)』(危険度⭐️⭐️☆☆☆)

映画「アメリ」で石切りをするシーンに登場。ウルク運河(フランス語版)から続くラ・ヴィレット貯水池(フランス語版)と、セーヌ川へ続くアルスナル港とを結んでいる。開通したのは1825年である。25mの高低差があるために9つの閘門がある。幅が狭いため当初はパリに飲料水を導くために使われたが、現在はレジャー用になっている。運河の一部は地下水路になっている。地下化でパリ11区内で交差する北側レピュビュリック大通りから南側バスティーユ広場南端にかけて、リシャール・ルノワール大通りが1862年に、11区北側でリシャール・ルノワールに接続するジュール・フェリー大通りが1907年にできた。 運河が地上に出ているところはパリ10区になり、ヴァルミー(河岸)通りとジュマペ(河岸)通りが運河両岸に沿って走り、ジュマペ側に有名な北ホテルがある(マルセル・カルネ監督の1938年の映画『北ホテル Hôtel du Nord 』に登場した)。また、シスレーの絵画の題材にもなっている。

 サン・マルタン運河は1970年代の初め、4車線の都市高速道路を造るために無くなりそうになったが、すぐにこの計画は中止された。現在では河岸が整備されている。このエピソードについては映画『L'An 01(フランス語版)』でふれられている。   (Wikipedia転載)


【DJI OSMO POCKET】【4K】ヴァンセンヌの森を歩く〜BOIS DE VINCENNES〜

2019-09-18 15:54:17 | パリ観光

【DJI OSMO POCKET】【4K】ヴァンセンヌの森を歩く〜BOIS DE VINCENNES〜

 

ヴァンセンヌの森(Bois de Vincennes)は、パリ中心部から東に4kmほどの場所に広がる森林公園である。行政区画ではパリ12区になり、同森北側にヴァンセンヌ、サン=マンデの街が広がる。 森の広さは9.947km2であり、ロンドンのハイドパークの4倍、ニューヨークのセントラルパークの3倍の大きさである。

 この森はもともと王家の狩猟場だったが、フランス革命の後は軍の演習場になっていた。その後1860年にナポレオン3世によって市民のための公園になった。そして1929年にパリ市の12区に編入された。 森の北方にはヴァンセンヌ城がある。14世紀の王は好んでこの城に訪れた。森の南西には19世紀、ルイ・フィリップの時代に建てられた砦がある。東にはヴァンセンヌ競馬場と自転車競技場がある。また西には広さ14.5ヘクタールの動物園があり、アジアゾウを飼育しているほかムフロンの住む高さ65mの人口岩山もある。

 また、ヴァンセンヌ城の向かいには35ヘクタールのパリ花公園がある。 さらに4つの湖があり、これらはマルヌ川とつながっている。 万国博覧会の折にパビリオンとして建てられた仏教寺院がヴァンセンヌの森に移設された。(Wikipedia転載)