城陽人のフォトアルバム

季節の移ろい、日々の情景、目に映る景色、町並みの風情や、カメラに映った画をそのままに貼り付けてゆきたいと思っております。

史跡・宇治川太閤堤跡

2013年05月20日 | フォトエッセイ

 

偶然通りかかった「太閤堤発掘現場」です。

以前からだいたいの場所は知っていたのですが、実際訪れたのは初めてでした。

下の案内板にもあるように、『文禄3年(1594年)、伏見城を築いた秀吉は、伏見城下を水陸交通の拠点にするために、前田利家や徳川家康ら諸大名に命じて宇治川と巨椋池に堤をつくらせました。槇島堤と小倉堤です。槇島堤は、ほぼ現在の宇治川左岸堤防にあたりますこの堤が築かれたことで、それまで巨椋池に流れ込んでいた宇治川が池から切り離され、伏見・向島を流れ淀川につながる現在の宇治川がつくられました。小倉堤は、小倉村から伏見をつなぐ堤で、大和街道として利用されました。』宇治市HPより

平成十九年に発見され、二十四年十一月に調査が終了しました。今は碑も建てられ埋め戻されています。

発掘調査された箇所は、右下の吹き出し「宇治川太閤堤」と赤字で記されたところです。

今現場には写真で現された案内板が設置されています。

 

その案内板より写真を拡大して掲載させてもらっています。

左はその写真で発掘現場上空を北より南を写されたものです。 右は発掘調査測量図で、これも同じ場所を北から南を見たところとなっています。斜めに青い線が描かれているのが、堤跡です。ポコンと膨らんでいるのが撮影箇所です。

左の写真の左下の緑の森は「菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)墓」で、右の下真ん中の前方後円墳がそれになります。

そして左右とも上方に宇治橋が見えます。

    

北より南へ発掘時の写真と埋め戻された今の写真を並べて対比してみました。

これはのものです。左に発掘時の写真を・・・・・    右に今の写真を・・・・・・  

  

真ん中です。中の写真に石らしいのが写っていますが、これは立体模型となったレプリカで、石積みが再現されています。 

  

 そしてのものです。

 解り辛いでしたが、ちょっと気になりましたのでUPしました。


城陽インター・その2<埋蔵文化財>

2013年01月12日 | フォトエッセイ

政治にはあまり関心はありませんが

政権が交替し、またまた古い自民党体質に戻ろうとしています。

と云うわけではありませんが、名神高速道路に

新・名神が亀山より草津まで開通し、公共事業が

復活しそうです。

わが城陽にもその延長になる新名神高速道路が認認可されて

京奈和道路と接続する24号線(大久保バイパス)の

90度東に折れるところにインターチェンジが建設されようとしています。

今、それに伴い、工事着工前の「埋蔵文化財発掘調査」が行われております。

丁度インターチェンジとなるラインに沿って田圃を掘り起こしているところです。

前回まではこちらです

2012/4/9~18に撮影したインターチャンジのアウトラインらしき赤い測量杭です

何となくインターの形がご覧になれると思います

新名神高速道路は、右(東)より国道24号線の南側より来て京奈和道路(南北)の城陽インターを西えと跨ぎ木津川を渡ってゆきます

赤い小さい丸点赤い杭に当たります。何となくインターの形が見えてきますよね

〇数字黄色のラインで、撮影したおおよその範囲を表しています

アルファベットはおおよその撮影位置を表しています

***どの写真もクリックすると拡大写真が別ウィンドウで開きます***

 

杭に沿って掘られています

画面中央を境にしてインターの境界線が見て取れます

工事中危険なため柵が設けられます

(財)京都府埋蔵文化財調査研究センターが調査を行っています。

先ず重機で表面の土を掘り下げます

平らにして盛り土も整えます

埋め戻しの盛り土

トレンチや手で表面を削ってどかした土はベルトで運ばれ積み上げられます

表面や側面を滑らかにします

トレンチも表面は滑らかにされます

調査や撮影を待つ状態です

 

染み出した水や雨水は集められます

さらにトレンチ溝が掘られます

彫刻のように滑らかに掘られます

調査箇所は養生されています

現れた調査箇所。

縞模様になった断面が土の層を見せています

層の境目に線が入っています

調査が終わった跡は埋め戻されます

因みに高速道路は、正面中央の高架辺りを手前(西)に、撮影している木津川を渡り

西に向かいクレーンの建つ辺りに現在工事中です

第2名神インターの工事が始れば又UPしてゆきます

 

[更新]2013/8/18

この遺跡は「下水主遺跡、水主神社東遺跡」と呼ばれています

地元紙に発掘調査の記事が掲載されました。記事はこちらです。

又発掘を行っている(財)京都府埋蔵文化財調査研究センターから

2013・8・3に現地説明会が行われております

そのときの説明資料です

記事や説明資料によりますと

「島畑」と呼ばれる全国でも珍しい遺構のようです

現存しているのはここ城陽と愛知県一宮だけのようです

又平安時代の掘立柱建物・井戸、

弥生時代後期の竪穴建物などが見つかっております

「島畑」は13世紀の条理形割が現在に受け継がれて

形は変わっていないようです。

本当に何処にでも遺跡文化は残り継承されているものなのですね!!

「島  畑」 と云われる遺構(画像をクリックすると拡大します)

 


城陽インター・その1<測量・杭打ち>

2012年04月20日 | フォトエッセイ

政治にはあまり関心はありませんが

 

政権が交替し、またまた古い自民党体質に戻ろうとしています。

 

と云うわけではありませんが、名神高速道路に

 

新・名神が亀山より草津まで開通し、公共事業が

 

復活しそうです。

 

わが城陽にもその延長になる新名神高速道路が認認可されて

 

京奈和道路と接続する24号線(大久保バイパス)の

 

90度東に折れるところにインターチェンジが建設されようとしています。

  

2012/4/9~18に撮影したインターチャンジのアウトラインらしき赤い測量杭です

  

新名神高速道路は、右(東)より国道24号線の南側より来て京奈和道路(南北)の城陽インターを西えと跨ぎ木津川を渡ってゆきます

赤い小さい丸点赤い杭に当たります。何となくインターの形が見えてきますよね

〇数字黄色のラインで、撮影したおおよその範囲を表しています

アルファベットはおおよその撮影位置を表しています

***どの写真もクリックすると拡大写真が別ウィンドウで開きます***

  

左は の南寄りからのラインを眺み、南側の木津川の堤防が写っています

右は同じ辺りから振り返った北側ののラインで、右上にインターのクロスする辺り( のライン)が写っています

インターになる敷地は掘り返されていますね。何時から本格工事が始るのでしょうか?

辺りからのラインを東に見ています。うしろは京奈和の木津川を渡る手前を捉えています

同じのラインをB辺りから東を写し、インターの中心あたり(のライン)が見えています

この農道も分断されどうなって行くのでしょうか?

 

左右とも同じのラインを辺りから、手前より向こうに東向きに捉えています。見事に田圃が分断されています

 

そのラインの中間辺りの地点で、左は東を(のライン)、右は西を(のライン)写しています。こんな草むらにも杭は打たれていました

  

田圃の中を2分する赤い杭。杭を打つために畦道のように土が盛り上げられています

のラインの北の端辺りを、の辺りより北を向いています

 

左は杭の左右に違いがありますのが分かりますか?

右はもともとの田圃の畦道を横切り、杭が走っています

 

左はまだ田圃に杭が打たれたままで、工事も農作業も手つかずの状態ですね。こんなところにインターが出来るのです

右は、杭の行く先はあの白い農作業小屋のようで、どうやら横切っているようで、小屋は分断されるようです

 

左はショベルカーの見えるほうが、インターの敷地になり堀返しが始っているようです

右側はまだ工事は始っておらず、農家の大切なこんな田圃や畑がインターの敷地にされ失われていき、農家の思いはどんななのでしょうか?

次回はどのように変わっているのでしょう・・