城陽人のフォトアルバム

季節の移ろい、日々の情景、目に映る景色、町並みの風情や、カメラに映った画をそのままに貼り付けてゆきたいと思っております。

西国三十三ヶ所遍路旅<第三回・前編>

2016年07月31日 | 西国三十三ケ所遍路旅
前回の続きです

では第3回を2014年2月13日に行ってきました。
と云っても、実は回数としては2回目です
第3回に行くところが前後して2回目になったのです
ですから次回は、第2回になります(バスツアーの都合上です)

京都駅八条口を朝8時に出発し第五番葛井寺⇒第八番長谷寺⇒番外法起院⇒第七番岡寺(龍蓋寺)⇒第六番壷坂寺(南法華寺)の順に向かいます

それではまずは「第五番・葛井寺

住宅街の中を行くと見えてきました

 
正門「南大門」・江戸時代再建された重層の楼門

 
 
「仁王さん」にご挨拶

 
「本堂」・7世紀に百済王族の子孫葛井氏の氏寺として創建されました
 
 
巡礼札所には御詠歌が必ずあります
「まゐるより たのみをかくるふちゐてら はなのうてなにむらさきのくも」
合掌手2本を合わせて42本の手で「千手」を代表させるものが多いのですが、このご本尊は本当に1000本の腕を持つ「十一面千手観音坐像」で春日仏師作の国宝・天平仏(秘仏)です

 
 
聖武天皇の勅願により薬師寺式伽藍配置が整えられました

 
豊臣秀頼が寄進した朱塗りの「四脚門」・西門

 
「弘法大師堂」・お四国さんと同じようにお大師さんをお祀りされております

 
「弁財天」・水難や芸能の神様

 
「十三重の塔」「宝篋印塔」 

 
                                          
  鐘楼と梵鐘

 
 
青銅の燈籠  四天王が彫られています
 
 
 
そしてもう一つ「聖武天皇御寄進 寫紫雲石燈篭」(模作・実物は寺宝)
花山法王の願いを聞き届けられた際に本尊の眉間より、紫雲がこの燈篭までたなびいたと云う逸話が残って、それが山号「紫雲山」の由来です
 
 
平安時代の初期には観音信仰と共に霊場として知られたが、後期には荒廃し、鎌倉時代に飛鳥の藤井安基により復興し、以後藤井寺と呼ばれるようになりました
また、この藤井安基は暴れ者で寺に逃げ込んだが力尽き、地獄に落とされ悪行を反省する様子をご覧になった観音様は哀れに思われ蘇生させられました。こんなあかんやつでも救ってもらえるのならこの寺へ参ろうと「あかん河内の葛井寺」と云われるようになったとか
 
 
吊り灯篭
南北朝の藤井寺の合戦や、室町時代の応仁の乱などにより伽藍は焼失しましたが、本尊は無事で尊い信仰により江戸時代には復興されました

 
これは仁王門に描かれた地獄極楽図で地獄には閻魔大王が、極楽にはお地蔵様が描かれております
   
 
      
葛井寺山門前にあった道標・古くからの街道の道標ではないようです
「左 道明寺 たつた  ほうりゅうじ なら」「右 つぼさか よしの はせ い勢」

 
続いて第5番を南東方向に奈良までやってきました「第六番・南法華寺(壷坂寺)
かなり境内は広いです。古い歴史の面と、新しいインド渡来の石像といった独特の雰囲気があります

 
山門(仁王門)
室町期と安土桃山期に大修理され、昭和には解体修理が行なわれ、平成10年の台風により屋根が半壊し、平成15年壷阪寺開創1300年を期に、建立場所を現在の場所に移し、再度解体修理が行なわれたようです
                                                 
 
   
 目玉が飛び出そう



外見は二重塔ですが、裳階がついた形の「多宝塔

平成14年に落慶され、ご本尊は大日如来さまです

 
三重の塔が見えてきましたが、もう少し石段が続きます

 
そこに、お四国さん、西国など多くのお寺に行きましたが、初めて見ました「電動一人乗りリフト」です
あと一息のとき非常に有りがたく助かりますね

 
慈眼堂」・石段はここまで
江戸時代に建立の阿弥陀堂がありましたが、酷く痛んでいたので、解体修理を行うと共に、回廊の部材を有効利用し、二層目に阿弥陀仏を奉り、初層に夫婦観音像のご分身を奉り、新しい御堂「慈眼堂」とされ、平成18年に落慶されました

 
この手前の「禮堂」は本尊を礼拝するために創建当初から建てられたと伝わっています。3度目の焼失後、昭和の解体修理で室町期 の様式に戻され本堂に繋がっています
うしろの「本堂八角円堂」は江戸時代の再建と言われ、法隆寺東院夢殿・栄山寺八角堂・興福寺北円堂などに同じ遺構がありご本尊はもちろん「十一面千手観世音菩薩
 

703年に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、その感得した観音像を刻んでまつったのが始まりといわれます
 
 
 
本堂・禮堂の北側にご存知「壷坂霊験記」のお里・澤市が飛び込んだと云う谷とがありました
『毎夜、座頭の夫が開眼するよう観音さまに願掛けをする妻お里に情夫が出来たものと勘違いした夫澤市は、事実を知って恥じ入り身を投げ、お里はその非常な現実に遭い、自らも身を投げるが観音さまが現れ二人の命を救い、澤市は開眼したと云われます』(「壷坂霊験記」)
 
 
 
清水寺のような舞台があり、千社札が貼られていました

 
この四体の石像は「天竺渡来の大石像」で、1番から13番まであり、ご朱印が集められるようになっていました
ちなみに「第2番・壷坂大仏」「第3番・千手観音」「第4番・普賢菩薩」「第5番・文殊菩薩」さんでした
クリックすると元のサイズで表示します歴史のある古い側面の南法華寺と、新しい天竺との交流の壷坂寺の対比が面白いですね

 
大石堂内には「第7番・千手観音」と「番外・仏舎利塔」が納められていました

 
 
外には所謂ガンダーラ仏像も見られました

 
「慈眼堂」内にはヒンズー教の神々の仏頭も展示されておりました

 
何となく艶かしいお姿に感じるのは、邪念があるからでしょうか?

 
天竺渡来佛伝図レリーフ「釈迦一代記」と云って釈尊の道が描かれております

 
天井には梵字が書かれていました。たくさんの仏様がいらっしゃるのでしょうね

 
仁王さんのジャンボな物といえば藁草履が一般的ですが、仁王さんの履く下駄は初めてですね

 
こちらは「第七番・東光山龍蓋寺(岡寺)」
第六番を北に行った明日香村にあります

上の参道は実はこの説明にある「治田神社」の境内で、岡寺の伽藍は創建当時はこの治田神社の境内にあったと推定され白鳳時代の瓦が出土しています。常夜燈は神社のもので、四角い石柱から今の岡寺になります

 
「西国七番霊場岡寺」・厄除け祈願の文字が見えます

 

「日本最初厄除け観音」と碑が建っています。扁額には「龍蓋寺」と書かれています

 
山門・櫻門様式の入母屋造りの仁王門です。「厄除開運二の午大法会」2月16日とあります

 

彩色が褪せていて古そうです。門は慶長十七年(1612年)再建されているそうです。

 
寺は平安時代後期には西国観音霊場として信仰され、「厄除け」を謳っているように鎌倉時代初期までに「厄除け信仰」も広まりました

 
楼門」・慶長年間頃に建立

 
開山堂」・寛政九年(1797)頃の建立
創建は天智天皇2年(663)に義淵僧正が岡宮の跡地に寺を建立したと伝えられ、義淵僧正は日本の法相宗の祖といわれています
義淵僧正は寺伝によると子供に恵まれない夫婦が祈願した末に、家の柴垣の上に白い布にくるまれて置かれていた赤子で香気が満ち、その霊異を聞かれた天智天皇が引き取り、孫の草壁の皇子とともに岡の宮で養育され、後に岡宮を譲りわたされました

 
ご本尊「如意輪観音」は高さ4.6mの塑像で、インド、中国、日本と三国の土を合わせて弘法大師が造ったという奈良時代末期作の日本最大の土佛で、重文に指定されておりす。もともとは彩色がありましたが、今はほとんどが剥落して僅かに唇に朱が残っているのみです。お姿はこちら

 
 
寺号の由来となった「龍蓋池

 
義淵僧正が大雨や強風を巻き起こし村民を苦しめていた龍をその法力をもって池に封じ込め、そこに大きな石で蓋をしたといわれています

 
境内には「弘法大師堂」や「三重の塔」

 
「鐘楼堂」

 
「十三重の塔」などがあります

 
「葛井寺」と同じような燈篭です

 
「三重塔 」文明4年(1472)に台風で転倒し、昭和61年約500年振りに再建されました

 
 
三重の塔のご本尊は「大日如来」様で、智拳印を結んでおられます

 
こちらは本堂に打たれた納め札(木製)で、今は紙ですが江戸時代は木だったそうです
遍路することを「打つ」と云いますが、この札を打つことからきていると云います

 
龍蓋寺(岡寺)は龍の眠る寺。龍にちなんだ授与品です

 
再建された三重の塔の軒先には珍しい形の「琴形の風鐸」が掛けられていました

 
仁王門を支える四隅は阿吽の竜、虎、獅子の形をしています

 
こんな山の中に立っています
 
ブログの文字数の制約上、ここまでを前半とし、この後は後編にゆずります
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西国三十三ヶ所遍路旅 <第一回>

2016年07月31日 | 西国三十三ケ所遍路旅
 
四国八十八ケ所遍路旅は平成22年(2010年)に打ち終わっていますので、今度は西国三十三ヶ所を遍路してみようと始めました。
 実は「西国さん」は平成10年(1998年)に1度打ち終わっております。今回で2度目を打つことになります。

前回はマイカーで巡りましたが、今回は「お四国さん」を巡ったときと同じように、
12回で満行するバスツアーに参加しました。

昔の人は歩いて回られたのでしょうが、現代では到底歩いて巡るのは至難の業です。ですから本当の意味の遍路旅にはなりませんが、

取敢えず全行程を回って来ますので、このブログに記録してゆきたいと思っています。

 

先ずは2004年1月23日4日に行ってきました第1回をご覧下さい。


 

京都駅八条口を朝8時に出発をし第2京阪⇒阪和自動車道⇒湯浅御坊道路⇒田辺バイパス(「熊野街道」)を経て⇒朝来より「朝来街道」(311号線)を東に入り⇒熊野川に突当り168号線を経由し⇒一路「新宮」を通り⇒那智山に向かいます。

途中の紀伊田辺の南部(みなべ)にある南高梅の工場・店舗に立ち寄ったとき、この地方特産の南高梅が紹介されていました(画像をクリックすると拡大しますのでご覧下さい)

 

こちらでトイレ休憩とお買物です。梅干の試食が出来ます。私は梅酒を試飲させてもらいました

 
 

先の所より約1時間ほど走ると、「古道歩きの里つかつゆ(近露)」で又トイレ休憩です
私たちトイレの近いものはありがたいです

こちらに熊野古道マップを見つけました
熊野三山と熊野古道が紹介されています。世界遺産に登録されていますよね

熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)家都美御子(けつみみこ)大神=すさのおのみこと

熊野速玉大社
(くまのはやたまたいしゃ)熊野速玉(はやたま)大神=いざなぎのみこと

熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)熊野夫須美(ふすみ)大神=いざなみのみこと
那智山青岸渡寺(なちさんせいがんとじ)本地仏は、現世利益を授ける「千手観音菩薩

を熊野三山と呼び、熊野詣に熊野に至る道が熊野古道と呼ばれ、途中に熊野権現の御子を祀る祠が「王子社」と呼ばれています



熊野古道は一つの道ではなく大きくは5本の主要道の総称だったようです
「紀伊路(渡辺津・田辺)」「小辺路(高野山・熊野三山)」「中辺路(田辺・熊野三山・那智勝浦)」「大辺路(田辺・串本・那智勝浦)」そして
「伊勢路(伊勢神宮・熊野三山)」の5つです
今ここの道は「中辺路(なかへち)」と云うようです。古道はこの車が通る311号線ではなく、僅かに北にある古道でした

改めて気が付いたのですが今行こうとしている西国三十三ヶ所の第一番「青岸渡寺」は、この熊野古道の熊野三山の一つだったのですね。私だけだったのでしょうか?西国の札所巡りばかりが頭にあり気が付きませんでした。まったく迂闊でした



この駐車場に平家伝来「夫婦杉」と書かれた杉の大木が2本そびえておりました。推定400年とも書かれています


そして5時間30分掛けてやってきた所が「那智の大滝」でした。やー疲れました。添乗員さん曰く「日本で一番時間の掛かる観光地」だそうです



瀧への降り口に「飛瀧神社」と書かれた扁額が鳥居に掛かっていました

この瀧にまつわる神域が案内されております



もちろんここはユネスコの世界遺産に登録されております



瀧の水は今冬の渇水期で僅かしか流れておりませんでした



瀧の上は注連縄が張られ、三筋に流れ落ちております



水量が少なく神秘さや重厚さあまり感じられませんでした



「飛瀧神社」の案内がされております



その神社が左側に見えます



瀧からバスで3分、駐車場のそばにいよいよ「青岸渡寺」への表参道の入り口があります

さぁー両側にお土産屋さんが並ぶ参道を、お寺までは400数十段の石段を登ります



入山心得を横目に見ながら頑張って登りましょう

登り始めてすぐレトロな今も現役の真赤なポストのある郵便局がありました



初めての突当りの角になんだかよろずやさんのようなお土産屋さんがありました
なにやら「健康の心得」や「健康石」といった不思議なものまで売られていました

趣のある石畳の参道のそばに並ぶお土産屋さん



さすが地元、紀伊勝浦那智黒石を使った「硯」や「碁石」が並んでいました



こちらは何でしょうか?
「実方(さねかた)院跡」とあります。「中世行幸啓御宿泊所」だそうで『熊野行幸は百十余度も行われ、ここはその参拝された上皇や法皇の御宿泊所となった実方院の跡で熊野信仰を知る上で重要な史跡であります』と説明されておりました



その向かいには石垣と石段に囲まれた石仏がお祀りされております



さてまだまだ石段は続きます。頑張りましょう



前方に「那智山熊野権現」の赤い鳥居と神社のお社が見えてきました



右のほうを見上げれば朱色の山門も見えてきました


ようやくと山門下の石段までたどり着きました
この石灯篭、一寸変わった形をしています。丸く三角に尖った傘に丸味を帯びた火袋、円形の台に円柱形をした常夜燈です。ここではあちこちに見かけました



ようやくやって来ました「根本札所 西国第一番 なちさん霊場」

クリックすると元のサイズで表示します

あと一息山門が見えています。

たどり着きました。仁王さんがお出迎えです。門には「那智山」と扁額が揚がっています

 

「あ形」「ん形」二体の仁王さん(金剛力士像)の阿吽の呼吸です。

 

うらっ側に鎮座する古さを感じさせる木製(?)の一対の狛犬。鮮やかであったろう彩色がまだ残っています




最後の石段の途中から振り返って見た「仁王門(山門)」



そしてたどり着いたのがここが「那智山・青岸渡寺」です

 創建の時期は定かではないようで、『伝承では仁徳天皇の時代(4世紀)、天竺(インド)から渡来した裸形上人による開基とされ、同上人が那智滝の滝壺で得た金製の如意輪観音を本尊として安置したという。後に推古天皇の勅願寺となり、6世紀末 - 7世紀初に生仏聖(しょうぶつひじり)が伽藍を建立し、丈六の本尊を安置して、その胎内に裸形上人感得の如意輪観音を納めたという。』(ウキペティアより)



「本堂」

平安時代中期から上皇(花山院)の熊野御幸が盛んになり「本宮」「新宮」と併せて「熊野三山」と呼ばれ「神仏習合」の修験道場であり「如意輪堂」呼ばれ、また室町時代頃から庶民にも熊野詣が始ったとされています。

クリックすると元のサイズで表示します

西国三十三ヶ所の霊場巡りは熊野詣をした花山院によって再興されたためと云われ、ここ那智山が一番とされたとされいますが、また修験道の修行として始ったともされており、お伊勢参りのあと、西国巡りをしたと云われます。
戦国時代に兵火で焼失した本堂(如意輪堂)は秀吉の命により天正15年に再興されています

この「大鰐口」は秀吉が寄進したと云われ1.4mの青銅製です



この「宝篋印塔」は元享二年の銘が入った、高さ4mのほぼ完形で残っております



その右に見える鐘楼に掛かる梵鐘には、伝説があります
『室町、戦国とも言われる時代に身の丈数mの妖怪、「一つだたら」がこの梵鐘を盗み兜替わりにし、那智三山で暴れまわった。那智色川郷に住んでいた狩場刑部左衛門が退治し梵鐘を取り戻し、褒美に那智の瀧の水源になっている「寺山」をもらったと云われます』



「三重の塔」と「那智の大瀧」
この塔は戦国時代、天正9年に焼失し、昭和47年に400年ぶりに再建されています

先に「神仏習合」であった「如意輪堂」に触れましたが、現在の「青岸渡時寺」と「熊野那智大社」は、実は近年明治時代に廃仏毀釈によって分離されたのです。「青岸渡時寺」が熊野三山の一つだと知らなかったのはそのためでした(蛇足)

蛇足ついでにもうひとつ。こちらは「大門坂」への山頂側の入り口です。登り口は木立の中を石段を40分ほどで歩けるようです

この朱色の門を入ると「熊野那智大社」です。元は一つだったのですね

拝殿

熊野夫須美大神を主祭神としてお祀りされています。もとは那智神社、熊野夫須美神社、熊野那智神社などと呼ばれていました。また、熊野十二所権現や十三所権現、那智山権現ともいわれます。



拝殿の奥には鈴門・瑞垣を挟んで本殿があり、向かって右から滝宮(第一殿)、証誠殿(第二殿)、中御前(第三殿)、西御前(第四殿)、若宮(第五殿)が並んでおり、正殿の第四殿が最も大きく、若宮の左手前には第六殿(八社殿)があります。


なお、現在は山の上に社殿があるものの、元来は那智滝に社殿があり瀧の神を祀ったものだと考えられており、那智の滝は「一の滝」で、その上流の滝と合わせて那智四十八滝があり、熊野修験の修行場となっています。

今回はここまで、一番遠い札所でしたので一ヶ寺しか行けませんでした。次回は5番から8番の予定です

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四国八十八ヶケ所遍路旅<第12回>

2016年07月31日 | 四国八十八ヶ所遍路旅
 第12回目の最後になる四国八十八ケ所の遍路旅に4年振りになる2009年9月3日、4日に行ってきました。
 
今回は79番の天皇寺から結願の第88番大窪寺の10ヶ寺と満願の第1番霊山寺の計11ヶ寺です。
 
例によってバスツアーで二日に亘って34人のお遍路さんと一緒でした。
 
二日間とも天候に恵まれ結構でした。ただ行った時期が9月2~3日とは言え残暑が厳しくてバスの中は涼しいですが、お参りするときは日陰を求めていました。
 
 
第79番天皇寺・本堂



大師堂



境内に同居の白峰宮、この門をくぐり納経堂へ

  

境内             寺号碑  

  

左)白峰宮               右)近隣の民家の壁の装飾

 
第80番国分寺・山門(仁王門)・門前の松が見事です

国分寺・本堂



大師堂
 


ミニ八十八ケ所がありました
 
 
塩江町の百々渕にいた大蛇がかぶっていたこの鐘を高松城に持ち帰ったところ城内外に怪異が続出し、これは祟りに違いないと国分寺に返したところ変事は収まったといわれている



七福神と本堂



第81番白峯寺・山門(七棟門)5つの屋根が連なっています
 


本堂



大師堂



本堂への階段



頓証寺殿の勅額門



崇徳上皇の霊を祀る御廟所



第82番根香寺・山門(仁王門)



本堂



大師堂

    

左)1万体観音堂内            右)延命地蔵・珍しい六角堂になっています

      
  
5大明王を祀る五大堂           1万体観音堂

  

左)巨大白樺  右)牛鬼と言う400年前に弓の名手山田蔵人高清に退治された怪物
 
 
第83番一宮寺・山門



本堂


大師堂



大師堂の屋根瓦・僧形が牛にまたがっています




第84番屋島寺・本堂



大師堂

   

左)仁王門     右)四天門

  

左右)四天門に立つ四天王の内二体

  

蓑山大明神は日本三大名狸の一つ「太三郎狸」を祀る神社で四国の狸の総大将、屋島に異変がある時、一夜、源平合戦の様子を演じたと言われている



第85番八栗寺・本堂
ケーブルで上がる山上の札所



大師堂



「八栗のお聖天さん」と親しまれる札所中では珍しい歓喜天(聖天)道場としても信仰を集めている

   

左)多宝塔          右)十三佛

 
参道

 


五剣山


第86番志度寺・山門(仁王門)・五重の搭



本堂


大師堂

  

左)見事に美しい五重の搭の曲線美です   右)三尊佛

第87番長尾寺・山門(仁王門)

  

左)元寇の役の犠牲者の霊を慰める写経を埋めた経憧で左右一対建っています
   右)静御前の剃髪塚



本堂


大師堂



法輪の形が変わってました
  
 
珍しい雀(?)の紋        右)見事な彫刻


 
第八十八番大窪寺・山門(仁王門)
これがいよいよ最後の「結願寺」です!



大師堂
右横に八十八ケ所をめぐり終えたお遍路が奉納した
金剛杖を納めた寶杖堂の杓杖の先が垣間見えます

 
千体大師堂



境内より望む仁王門

この後第一番霊山寺にお礼参りに行き法話を聞きました
足掛け5年掛かってようやく結願しました。

合掌 南無大師遍照金剛 
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四国八十八ヶ所遍路旅<第11回>

2016年07月31日 | 四国八十八ヶ所遍路旅
2005年12月6日、7日に第11回目の四国八十八ヶ所遍路旅に行ってきました。

毎月1回お詣りしていますが残すところ後1回となりました。
第60番から65番が抜けてておりますが、今回はこの札所にいってきました。
今回で伊予の国(愛媛県)菩提遍路はお終いとなります。



こちら第六十番横峰寺ではすっかり雪化粧の本堂

 
本堂

 
 
大師堂も雪の中



本堂の飛天の彫刻
 


鐘楼も雪灯籠に挟まれて

 
雪の中寒そうな仏達



第六十一番香園寺本堂・なんと!近代的な建物は八十八ヶ所中唯一です

 
本尊金剛界大日如来と不動明王・子安弘法大師の両脇侍

どちらも子安大師
 
     

左)本堂外        右)本堂脇侍



柵の文様
 
 
紅葉に佇む境内の諸石仏

 
第六十二番宝寿寺・正面は旧本堂

 
 
左)本堂       右)大師堂

 
本堂屋根の宝珠


本堂の飛天の彫刻



一寸変わったお顔の十一面観音様


第六十三番吉祥寺・山門



本堂

 
左)本尊は八十八ヶ所中唯一の毘沙聞天様         右)本堂の飛天の彫刻



大師堂

  

左)「成就石」目を閉じて金剛杖が穴に通ったら願いが叶う。      右)くぐり吉祥天・この下をくぐれば御利益があります。



八十八ヶ所の朱印掛け軸
  
 
 
左)風土に触れてみましょうと言うことで石製の四国・石槌山        右)珍しい「像」の狛犬
 


本堂の屋根の流れる線が優美です



第六十四番前神寺・本堂

 
第六十四番前神寺・大師堂・屋根の線が鳳凰が羽根を羽ばたいたように美しい

 
左)鳳凰  右)獅子
 

十三仏



不動明王・投げた一円玉が胴に貼り付ければ願いが叶うと言われている
 
 
 
左)例によってジャンボ花立て      右)何故か擬宝珠にも前掛けが?

 
境内には紅葉の名残と色付いた柿の実が成っていました
 
  
 
石ではなく珍しい陶器製の狛犬
 
 
第65番三角寺山門と石段

 
山門に鐘楼が同居しています

 
 
本堂の彫刻         本堂側面
 
 
大師堂



四国に紅葉の中に雪を見つけました
 
  

と思ったら桜が側に咲いているではありませんか?どうなっているんでしょうね?
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四国八十八ヶ所遍路旅<第9回>

2016年07月31日 | 四国八十八ヶ所遍路旅
 

四国遍路シリーズ第9回目は、順番に行っていましたが1度抜けてしまい、本来第6回目となるはずの第32番・禅師峰寺~第37番・岩本寺の6ヶ寺を今回2005年7月27日、28日に行ってきました。

 

今回も、今年初めて上陸した台風にも西日本は逃れ夏の日差しの好天に恵まれました。文句を言ってはいけなのでしょうがただ少々日差しが暑つ過ぎました。


第三十二番禅師峰寺



本堂・大師堂


第三十二番禅師峰寺・石段と山門を望む
ご本尊は十一面観世音菩薩です



本堂の内陣のお姿・撮影は失礼だったかな?



真っ黒なびんずる尊者

十一面観世音菩薩の石像



 
境内は岩がゴツゴツとありそこに仏さん達が座っていました 

誰がしたのかこの杖ではお地蔵様も可哀想です

可愛い狸のお大師様

第三十三番雪蹊寺・本堂と線香立て




雪蹊寺大師堂の彫刻



本堂・大師堂・鐘楼



 
雪蹊寺弘法大師像・頭の笠が一寸他と違うように見えるのですが目の錯覚でしょうか?




第三十四番種間寺




第三十四番種間寺・子育て観音
 


底の抜けた柄杓を奉納し安産祈願をしますお産がスコンと出来ますようにとの意味でしょうね

 

本堂軒に一対の龍の彫刻が彫られています
これも「あ」形「ん」形となっているのでしょうか?



子育て地蔵



ずらり並んだお地蔵様




第35番清滝寺

平和観音



薬師如来像
この15メートルの如来像は体内をくぐる厄よけの戒壇巡りがありました。

清滝寺本堂の軒下の方位板と彫刻

第三六番青龍寺・山門

弘法大師が中国修行中日本に向けて投げられた独鈷(仏具)がこのお寺の木の枝に掛かっているのを見つけら開かれたと言われています



修行されたお寺の名前を頂き独鈷山・青龍寺とされた。
又このお寺の階段で高校時代足腰の訓練をし「青龍」の名前をもらったのが、あの横綱「朝青龍」です




三重の塔と十一面観音像(青龍寺)



お寺の名の通り屋根に龍が泳いでいます

 

かなり古い青龍寺の仁王像



波切不動明王像



八十八ヶ所では珍しい弘法大師の師匠・恵果阿砂闇梨が祀られています

 

内陣のお姿

珍しい形の門構えです・宗務所です

第37番岩本寺

岩本寺全景・珍しいまあるいお堂が見えます

この岩本寺はご本尊が五体もいらっしゃいます

不動明王・観世音菩薩・阿弥陀如来薬師如来・地蔵菩薩の五体です



第37番岩本寺・天井画
マリリン・モンローから仏様まで様々な素材で描かれた575枚もの天井画

 

昔の仁王像のお顔

ユーモラスト言うか何ともグロテスクですね

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