地図のない旅

地図を持たない行き当たりばったりの旅日記です。旅先で触れたこと、感じたことを写真を織り交ぜて綴っていきます。

小江戸 川越/寺社めぐり2

2008-11-17 00:01:51 | ☆埼玉の散歩みち
2008.11.9 

「成田山川越別院」の次に向かったのは、「喜多院」
参道の途中に「亀屋」の支店がありました。


 「亀屋」




 「喜多院」



この日の喜多院は、七五三参りで半端ない人混みだった。
前回に輪をかけて混雑している。
また、境内では「小江戸川越菊祭り」が行われていた。
菊にはそんなに興味が無いけど、ちょっと気になったものがあって写真を撮った。

 菊人形



犬神家の一族の佐武を思い出したのは、おいらだけ?

境内の人混みに嫌気がさして、なるべく人のいない方へ歩いて行った。


 喜多院慈眼堂



天海僧正は寛永20年(1643)10月2日寛永寺において入寂し、慈眼大師の諡号をおくられた。
そして三年後の正保2年(1645)には徳川家光の命によって御影堂が建てられ、厨子に入った天海僧正の木像が安置されたのが、この慈眼堂。
国指定重要文化財です。


次に向かったのは、

仙波東照宮



喜多院第二十七世住職天海僧正が、徳川初代将軍家康公を祀ったもの。
日本三大東照宮の一つ。国宝です。

立入禁止の先には、




 仙波東照宮 門




 天台宗別格本山 中院(なかいん)





 中院 門






 中院 釣鐘



東照宮の南に位置し、趣のある静かな境内です。
本堂前にはみごとな「しだれ桜」があり、桜の季節には、もう一度ぜひ訪れたい所です。
ここは島崎藤村の義母、加藤みきの墓があり、藤村が義母に贈った茶室「不染亭」が移築され、藤村書の「不染の碑」があります。


 光西寺



光西寺は、永禄九年(1566)に石州浜田(島根県浜田市)に、恵誓法師を開基として寺が建立されたのに始まる。浜田藩士の菩提寺として尊崇されていた。
浜田藩が、奥州棚倉(福島県)に左遷転封された時に、家臣ともども光西寺も移転した。
さらに幕府は、藩主松平周防守康英公の英才と外交的手腕を重視し、老中職に任じ川越城主に転封させ、国内国外の重要任務の責任者とした。
慶応三年、光西寺も家臣とともに移転し、南町養寿院門前に仮寺を求めた。
藩についてきた寺ということで、士族寺とかお伴寺と呼ばれている。


 光西寺 門



立派な造りの門でした。


川越は、お気に入りの街になったので、時折通うと思います。
喜多院の「家光誕生の間」とか「五百羅漢」など見残している場所もたくさんあるし、「寿庵」のそばも食べてないし。

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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
写真見ると (雪女)
2008-11-17 06:42:43
風情があって、趣がありますよね全部自分で撮ってるんでしょう…凄いにゃあ

寺とかに、詳しいとより楽しめそうだね


でも、毎週出掛けて破産しないようにね
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そうそう (雪女)
2008-11-17 10:34:06
犬神家には、見えんばぁい

・・・やっぱり携帯でみるのと、PCで見るのとでは、画像の感じが全然違うのぉ
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Unknown (みかん)
2008-11-17 12:03:00
侮り難し川越と言う感じです

歴史には詳しくないので残念ですが
国宝があったり川越凄い町です

立ち入り禁止の先には・・・
写真は何処で撮ったのかな~
禁止の先に入っちゃったの?
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☆雪女さん (礼次郎)
2008-11-17 21:42:36
破産はしない。
いちおー、人並みぐらいは稼いでるのだ 

犬神家だよう。絶対。
だって佐武首切られて、菊人形の首ととっかえられてたじゃんかぁ 
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☆みかんさん (礼次郎)
2008-11-17 21:48:57
そうだねぇ。
「川越恐るべし」っしょ。

立入禁止の先の「本殿」は、柵の間からレンズば出して撮ったとたい。

ここは、女性の案内人(というより、監視人)がいてはるので、滅多な事はできしまへん。

国宝じゃけ、逮捕されるきに。

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