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さて、もう一踏ん張りして松戸市から柏市内へ進みます。根木内歴史公園を出てから東に向かって歩けば、光ヶ丘団地に至りますが、この辺り一帯は境根原(さかいねはら)と言われ文明10(1478 )年に、おそらく、利権をめぐっての激しい合戦があったとされるところです。
場所を厳密に特定することはできませんが、だいたい、現在の麗澤大学の敷地、光ヶ丘団地やその先の酒井根くらいまでの広い範囲になるでしょう。ここが太田道灌と千葉孝胤(ちばのりたね)の戦場になったのです。多くの犠牲者を出したため、地元では血流れ坂と呼ばれる場所もあるほどです。今のところ、この戦いと小金城や根木内城との関連は分かりません。
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残されたわずかな記録によれば、戦いは12月10日に行われて終日の激戦となり、孝胤はついに臼井城へ退却します。
勝った道灌は、戦死者や武具、馬を埋め塚を築き弔ったと言われ、首塚、胴塚が現存しています。戦闘の何よりの証拠と言えます。
今は木が茂り落ち葉に覆われた1号塚(手前)と2号塚(奥)
光ヶ丘団地内にひっそりと残る塚は二基(1号塚、2号塚)あり、首塚・胴塚と呼ばれています。いずれも直径12,3mの円形で、高さは2mほどあります。地上部分でこの規模ですから、埋まっているものの容積が知れるのではないでしょうか。ただし、この塚も、光ヶ丘団地造成時に削られた形跡もあり、完全なオリジナルとは言えないようです。
昔はこのような塚が数十もあったと言いますから、合戦の規模、犠牲者の多さが窺い知れます(合掌)。塚の多くは、これも城址同様、多くが開発で失われました。
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塚を見学したら光ヶ丘団地からバスでJR南柏駅へ出て帰ります。初冬の一日、一気に廃城を3か所も見学し、合戦場の名残りも見て久し振りに充実した廃城散歩になりました。体力があれば、さらに2、3か所は加えることができますが、腰と首のヘルニアを考え、それは今後にとっておくことにしましょう。
終わりに
今回の廃城巡りは、近郊都市に残された中世城郭と合戦場跡を辿り、私なりに歴史を考えることができたように思えます。500年以上も前の土からいくつものイマジネーションが湧いてきました。残念ながら、まだ歴史的な知識が少ないので想像力に頼るほかないのですが、現地の地形を肌と足で感じて、おぼろげながらも形が見えてきたように思います。また、市街化と保存についても考えさせられ、よい経験になりました。
これで、今回の廃城散歩を終わります。次はジープで遠出をしたいと考えています。
御愛読いただきありがとうございました。
(首塚、胴塚データ)
(見学ノート)
アクセス◯(JR北小金駅から徒歩約30分、JR南柏駅からバス約10分)、保存度◯、整備度△、廃城度-、トイレ無、駐車場無
今回の調査には、いつものとおり、ニコンD7100とAF-S DX NIKKOR 10-24mm f/3.5-4.5G EDをお供にしました。戯れに廃城専用レンズと呼んだ広角ズームレンズはなかなかよい描写をしてくれています。今回はほとんど10ミリ(35mm版の15ミリの超広角)側で撮影しました。細部までシャープで高性能なレンズだと思います。
今回も、ほぼすべて絞り優先オートで撮影しています。
【廢城散歩圖譜シリーズ・バックナンバー】
その壱、風雲逆井城(茨城県坂東市)2013年4月27日
その弐、増尾城址再訪(千葉県柏市)2014年4月12日
その参、花輪城址(千葉県流山市)2014年4月20日
その四、雨と夏草の臼井城址(千葉県佐倉市)2014年8月23日
その五、小金城の在りし日を偲ぶ(千葉県松戸市)2014年12月7日
その六、中金杉城(千葉県松戸市)2014年12月7日
その七、行人台城行方不明(千葉県松戸市)2014年12月7日
その八、根木内城の復活(千葉県松戸市)2014年12月7日
(以降、折りに触れアップ。こっそり修正)