さいきんの自分は、ずいぶんとゆるゆるとしていると思うようになった。
若いときのぎすぎす、せかせか、きりきりさがとれてきているかのように感じる。
数年前に(正確に何年前と言えないところがそもそもゆるんでいる証拠)人生観が変わるイベントが起こってから、そのあとも心を大きく傷つけられたりしながら、だんだんとゆるさが増してきたところをみると、ははあーん、なるほど、死ぬるための準備は確実にされているのだなと、少し安心したりもする。
実際にまだゆるみがきていない人には、おそらくこのゆるいという意味さえわからないのではないかと思う。
しかし、まずもってこのゆるみは、人生において実に博愛的だ。
若いときのぎすぎす、せかせか、きりきりさがとれてきているかのように感じる。
数年前に(正確に何年前と言えないところがそもそもゆるんでいる証拠)人生観が変わるイベントが起こってから、そのあとも心を大きく傷つけられたりしながら、だんだんとゆるさが増してきたところをみると、ははあーん、なるほど、死ぬるための準備は確実にされているのだなと、少し安心したりもする。
実際にまだゆるみがきていない人には、おそらくこのゆるいという意味さえわからないのではないかと思う。
しかし、まずもってこのゆるみは、人生において実に博愛的だ。
自分の気持ちを言い当てられたような気持ちがしました。
それとともに、
>しかし、まずもってこのゆるみは、人生において実に博愛的だ
という文章は素晴らしすぎます。
すごく、実感できます。もやもやしていたものをシャープに言葉にまとめて頂いた感じ。
aquiraさんにもこの感覚ありますですか。
実は、半分寝ながら書きました。
aquiraさんだから理解してもらえたんですネエ。