Step forward one step!(夢の実現へ)

新たな「夢の更新&実現」への一歩を踏み出す息子!

『普遍』(憤りをこめて)

2019-09-21 | 言葉
普遍』 とは、
 1.全体に広く行き渡ること。
   例外なくすべてのものにあてはまること。
 2.哲学の用語。   
    ㋐ 宇宙や存在の全体にかかわっていること。
    ㋑ 複数の個物について共通に述べられ得る事柄。
      普通名詞に対応する項辞ないし概念。      
(デジタル大辞泉より)
 

哲学』が専門ではありませんが、
 子どもの頃から
『哲学』は思考の源 & 生活に密接なもの
 という概念があって、
 人の思考には、
 その人の置かれた環境や時流によって
 移ろう(流動的な)ところもあるけれども
 決して 揺るがないもの(=本質)というものもある
 という意味で
普遍』『普遍的』な物事に
 強い関心を抱いて来ました。。

 
 また、
宗教』というのも 『哲学』の一つですが、
 私の結論としては、
『哲学』は『生活の知恵』という
 大雑把な解釈でしかないので、
 ✖✖教・・的な 一神教の信者にはなり得ません。

 要は、
『生活の知恵』という意味では、
 私が育った環境では、
 祖父母が居て 
 その祖父母との暮らしの中での教え
 というものがあった。。

 そして、
 その言葉の中にこそ!
『哲学』に値する 経験からの知恵
 というものがあって
 自然に継承されていくことで
 やがて『普遍的』な思考に通じ、
 それが『伝統』という歴史に化すのではないでしょうか。。


 現代人を見ていると、
 日本人としての『普遍的』なもの、
 簡単に言えば 『伝統』『文化』に対する
 畏敬の念が薄れていることは然りですが、
 異文化を内在している様々な『日本人』が増えたので
 日本人としての『普遍的』な価値観が
 時代とともに希薄になって来ているような気がします。

 ・・・というか、
 どんどん進化していっているために
 もう『普遍』などということに価値がなくなり、
『多様性』が求められる時代に則することが
 現代日本人のトレンド
・・・みたいな思考が定着しているかのよう?


 こんなところに疑問を感じたり
 違和感を抱くことこそが
 私が 古い時代の日本人になりつつある
 ということなのでしょうけれど(苦笑)
 
 老婆心・・という言葉の意味する通り、
 このままの感覚で 大丈夫なのかな
 と 深く思い至る出来事がありました。。。

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 それは!
 台風15号の被災が深刻な状況下

 現地の被災者の気持ちを逆撫でしながらも
 もともと予定されていたイベントを
 主催者の勝手な大義を表明して決行した
 氣志團万博2019のことです!
 ※14日・15日の二日間
  袖ヶ浦市の公園で!
  当時袖ヶ浦市ばかりか 千葉県全域は
  停電・断水の状況が際立っていました

 
 結局のところ、
 開催された後の批判になりますが、

 43歳にもなる氣志團の綾小路翔さんが中心になり、
 夜露死苦 的な あのツッパリスタイル
  イベント会場で「マブダチ募金」をして
  1,184万円を寄付した
 ということや
「地元愛」を結果オーライの美談にしている感、
 それについてのネット上の批判の声も多い中、
 そこに賛同した(会場にいたすべての人)に対して
 私は、道理として違和感以外のものはありません⤵


 停電中で地域住民が深刻な時に
 発電装置を持ち込んで 
 飲食や酒販売その他、
「結果募金したし」みたいな感覚・・・
 こだわりのある古い日本人としては
 評価できません⤵
 

 日本人の美徳=普遍的な心が
 現代日本人流のパフォーマンスで
 蹴散らされることが・・・ね⤵


 しかも、
 先導者は 決して若くはない
 40過ぎの大人なら
 もう少し分別が欲しかった。。。


 あまりにも
 価値観=個人の哲学が勝りすぎて
 共通した、
『普遍的』な価値観は
 否定されているような気がしました


普遍』 とは、
 1.全体に広く行き渡ること。
   例外なくすべてのものにあてはまること。
 2.哲学の用語。   
  ㋐ 宇宙や存在の全体にかかわっていること。
  ㋑ 複数の個物について共通に述べられ得る事柄。
  普通名詞に対応する項辞ないし概念。      
(デジタル大辞泉より)


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痛みをわかちあう
人を思いやる気持ち
寄り添う心

その形態が
あの氣志團のパフォーマンスであり
現代若者がそれを支持するのだとしたら

なんと
この現代日本の文化は
節操のない
乱れた方向の一途をたどっているのか

悲しい・・・というより
情けなくなりました涙

 

機微に触れる

2018-10-06 | 言葉

おごらず、

人と比べず、

面白がって、

平気に生きればいい


亡くなられた樹木希林さんが

娘 也哉子さんに伝えていた言葉だそうです。。



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粗にして野だが卑ではない

       ―石田礼助の生涯― 城山三郎著


10月4日(木)放送の カンブリア宮殿に出演された

六花亭 亭主 小田 豊 さん の 座右の銘。。

 

 

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埴生の宿

      ―スコットランド民謡―

 

日本では、

里見 義(さとみ ただし)さんの訳詞で唱われています。。

 

1.埴生の宿も わが宿
 玉のよそひ うらやまじ
 のどかなりや 春のそら
 花はあるじ 鳥は友
 おーわがやどよ 楽しともたのもしや

2.ふみよむ窓も わがまど
 瑠璃の床も うらやまじ
 きよらなりや 秋の夜は
 月はあるじ むしは友
 おーわが窓よ 楽しともたのもしや

 

これは、私が幼き日に覚えた歌の中で 好きなNo.1かも。。

じつは、

息子の子守歌でもありましたらぶ②


(余談)

息子の幼き日の子守歌は、

イコール私の 心のふるさと 的なものらぶ②

 

Best3 を挙げるとすれば、

1.「埴生の宿」

2.ウェルナーの「野ばら」

3.ブラームスの「子守歌」

   (or「ゆりかごのうた / 北原白秋」)


 

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人の心の機微に触れるもの(深く心に染み入るもの)

というものは、

素朴(そぼく)な旋律(&言葉の表現も含む)にこそ在る!


私は、そういうものが好きです・・ねラブラブ


 

 

 


表裏一体

2018-04-14 | 言葉

 

表裏一体 (出典:新明解四字熟語辞典(三省堂)

  二つのものの関係が、表と裏のように密接で切り離せないこと。

  ▽「表裏」はおもてとうら。

  「一体」は一つのものの意。

  表裏は同体で切り離すことができない関係にあること。


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「つかの間」の のんびり生活が終わる・・・と思う気持ちからか

矛盾する感情 を 実感しています苦笑もとの日常へ。。。) 


「矛盾」も いわば 「表裏一体」の感情ですらぶ②

日常というものは、さまざまな矛盾の連続。。。

子育ても・・・そうだったかなぁ とらぶ②

 

子どもの成長を願う気持ち(期待) と 不安 は、常に表裏一体でした。。

 

親 と 子 の関係を思うとき、

 「親」 という字は、

 の上にって (遠くを)

 その字の如く、

 親というものは そうやって 子どもの先を眺めて行くものだ

・・・と 過去に、子育て中の先輩からお話を聞いて

私も心がけて来ましたけ・れ・ど。。。

 

その表裏一体として、「灯台下暗し」という事態に陥りやすい。。。

 

人生(進路)を 「山登り」に例えて 

迷いに留まって一歩踏み出せない・・・というよりは、

とりあえず 何かを選択して

事が始まってからの 「期待 と 不安」 という

矛盾する感情を抱えながらも 前進することが大切

  ※よく 例)として出させて頂いている 息子の出身高校の教え

 
これに付随して 思ったこと!
 
  「迷い」や「灯台下暗し」という状況は、
  「見えなくなっている」状態に陥っているだけで、
  じつは!
  その手の内(or 足元 or 懐)に 既に 在る! 状態なのだろう
  と。。。
 
 
目指した山は、

遠くにあるからこそ 全貌が見えているのであって

いざ 登ると決めてからは その山中に在って

見えなくなってしまうもの。。。

 

「親」が、

子供の先を案じる気持ちと 

見失ってしまうもの (足元=子どもの本質)

という矛盾も 同様であるような気もします。。。



自分自身について振り返れば!?

自分が求めて来ているもの(=願い)は、

日々の 何気ない 日常生活 や 今日に至るまでの体験の中で

あらゆる場面で、手に入れていること(足元)に 気づかされましたらぶ②


「のんびりしたい」 と思えば、

たとえ「つかの間」でも のんびりできたし、

「のんびり」は「退屈」 という矛盾を感じ始めたころには、

「忙しい」といえども 「充実」した「日常」に戻る。。。

 

禍福は糾える縄の如し 

これぞ! 究極の「表裏一体」です ね苦笑


※支離滅裂ですが・・・、

子どものころから、 単に「四字熟語」好きであり、

そこからの思考の展開 や

言葉に潜む「人としての知恵(=やがて辿りつく考え)」が好きなのですらぶ②

それを難しく表現すると・・「哲学」と 言うらしいです 苦笑

「哲学」は 日常生活から生まれた「知恵」の結集だと 私は思っています!

誰でも 辿りつける真理・・・だと。(ちなみに私は無宗教)

こういう日常的な問答は、子どものころからの習性(祖父母からの学び)ですらぶ②

あしからず




大義名分

2018-03-19 | 言葉

「表裏一体」というように、

何ごとにも表 と裏・・・二面性がある。。

 

「大義名分」の「大義」 というのは、

 人として守るべき道義。

 重要な意義。大切な事柄。

(goo辞書から引用)

「名分」は、

 立場・身分に応じて守らなければならない道義上の分限。

 事をするについての表向きの理由。名目。

(goo辞書から引用)


「大義名分」は、

時として詭弁的(「名分」の2の意味)に使うこともあり、

そういう意味で、良い意味と 悪い意味 との 二面性がある。。

 

素直に捉えれば、

「大義名分」というものは、自分が自分である意義付けにもなり得る

とても大切な志し・・・とも言える。。


何かに迷ったとき、

何かを選択しなければならないとき、

最後に決断をするとき、

「大義名分」というものが重要になってくるのではないでしょうか。。。


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何度か書きましたが。。。

  まずは、目指す山を決めなさい!

  目指した山を登るときに、道はいくつかある!

  自分の登り方(道)を決めたなら

  途中で迷うことがあったとしても

  選んだ道を信じて 最後まで登りきる(到達する)ことが大切!

これは、息子の高校の教え。。。


迷いの中での指針となるものが「大義名分」かな・・・と思います。。

はじめに志したもの、

それを全うすること、

目指したところに到達すること、は 容易ではありません。。

「臨機応変」に 多少、登り方(道)の変更があったとしても、

決めた山の頂きに到達するまで歩き続ける、

それは大切なこと。。。


息子もいよいよ、8合目あたり?

頂きが見え隠れする段階に入ってきましたらぶ②