おごらず、
人と比べず、
面白がって、
平気に生きればいい
亡くなられた樹木希林さんが
娘 也哉子さんに伝えていた言葉だそうです。。
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粗にして野だが卑ではない
―石田礼助の生涯― 城山三郎著
10月4日(木)放送の カンブリア宮殿に出演された
六花亭 亭主 小田 豊 さん の 座右の銘。。
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埴生の宿
―スコットランド民謡―
日本では、
里見 義(さとみ ただし)さんの訳詞で唱われています。。
1.埴生の宿も わが宿
玉のよそひ うらやまじ
のどかなりや 春のそら
花はあるじ 鳥は友
おーわがやどよ 楽しともたのもしや
2.ふみよむ窓も わがまど
瑠璃の床も うらやまじ
きよらなりや 秋の夜は
月はあるじ むしは友
おーわが窓よ 楽しともたのもしや
これは、私が幼き日に覚えた歌の中で 好きなNo.1かも。。
じつは、
息子の子守歌でもありました
(余談)
息子の幼き日の子守歌は、
イコール私の 心のふるさと 的なもの
Best3 を挙げるとすれば、
1.「埴生の宿」
2.ウェルナーの「野ばら」
3.ブラームスの「子守歌」
(or「ゆりかごのうた / 北原白秋」)
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人の心の機微に触れるもの(深く心に染み入るもの)
というものは、
素朴(そぼく)な旋律(&言葉の表現も含む)にこそ在る!
私は、そういうものが好きです・・ね
表裏一体
二つのものの関係が、表と裏のように密接で切り離せないこと。
▽「表裏」はおもてとうら。
「一体」は一つのものの意。
表裏は同体で切り離すことができない関係にあること。
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「つかの間」の のんびり生活が終わる・・・と思う気持ちからか
矛盾する感情 を 実感しています(もとの日常へ。。。)
「矛盾」も いわば 「表裏一体」の感情です
日常というものは、さまざまな矛盾の連続。。。
子育ても・・・そうだったかなぁ と
子どもの成長を願う気持ち(期待) と 不安 は、常に表裏一体でした。。
親 と 子 の関係を思うとき、
「親」 という字は、
木の上に立って (遠くを)見る
その字の如く、
親というものは そうやって 子どもの先を眺めて行くものだ
・・・と 過去に、子育て中の先輩からお話を聞いて
私も心がけて来ましたけ・れ・ど。。。
その表裏一体として、「灯台下暗し」という事態に陥りやすい。。。
人生(進路)を 「山登り」に例えて
迷いに留まって一歩踏み出せない・・・というよりは、
とりあえず 何かを選択して
事が始まってからの 「期待 と 不安」 という
矛盾する感情を抱えながらも 前進することが大切
※よく 例)として出させて頂いている 息子の出身高校の教え
遠くにあるからこそ 全貌が見えているのであって
いざ 登ると決めてからは その山中に在って
見えなくなってしまうもの。。。
「親」が、
子供の先を案じる気持ちと
見失ってしまうもの (足元=子どもの本質)
という矛盾も 同様であるような気もします。。。
自分自身について振り返れば!?
自分が求めて来ているもの(=願い)は、
日々の 何気ない 日常生活 や 今日に至るまでの体験の中で
あらゆる場面で、手に入れていること(足元)に 気づかされました
「のんびりしたい」 と思えば、
たとえ「つかの間」でも のんびりできたし、
「のんびり」は「退屈」 という矛盾を感じ始めたころには、
「忙しい」といえども 「充実」した「日常」に戻る。。。
禍福は糾える縄の如し
これぞ! 究極の「表裏一体」です ね
※支離滅裂ですが・・・、
子どものころから、 単に「四字熟語」好きであり、
そこからの思考の展開 や
言葉に潜む「人としての知恵(=やがて辿りつく考え)」が好きなのです
それを難しく表現すると・・「哲学」と 言うらしいです
「哲学」は 日常生活から生まれた「知恵」の結集だと 私は思っています!
誰でも 辿りつける真理・・・だと。(ちなみに私は無宗教)
こういう日常的な問答は、子どものころからの習性(祖父母からの学び)です
あしからず
大義名分
「表裏一体」というように、
何ごとにも表 と裏・・・二面性がある。。
「大義名分」の「大義」 というのは、
1 人として守るべき道義。
2 重要な意義。大切な事柄。
(goo辞書から引用)
「名分」は、
1 立場・身分に応じて守らなければならない道義上の分限。
2 事をするについての表向きの理由。名目。
(goo辞書から引用)
「大義名分」は、
時として詭弁的(「名分」の2の意味)に使うこともあり、
そういう意味で、良い意味と 悪い意味 との 二面性がある。。
素直に捉えれば、
「大義名分」というものは、自分が自分である意義付けにもなり得る
とても大切な志し・・・とも言える。。
何かに迷ったとき、
何かを選択しなければならないとき、
最後に決断をするとき、
「大義名分」というものが重要になってくるのではないでしょうか。。。
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何度か書きましたが。。。
まずは、目指す山を決めなさい!
目指した山を登るときに、道はいくつかある!
自分の登り方(道)を決めたなら
途中で迷うことがあったとしても
選んだ道を信じて 最後まで登りきる(到達する)ことが大切!
これは、息子の高校の教え。。。
迷いの中での指針となるものが「大義名分」かな・・・と思います。。
はじめに志したもの、
それを全うすること、
目指したところに到達すること、は 容易ではありません。。
「臨機応変」に 多少、登り方(道)の変更があったとしても、
決めた山の頂きに到達するまで歩き続ける、
それは大切なこと。。。
息子もいよいよ、8合目あたり?
頂きが見え隠れする段階に入ってきました