Step forward one step!(夢の実現へ)

新たな「夢の更新&実現」への一歩を踏み出す息子!

少年。。。(2015-11-28)

2019-11-07 |  _(思春期)
(2015-11-28)の記事です。
  注)ここに出てくる「事件」や「少年」に纏わる情報は
   2015-11-28当時の内容です


ある出来事がきっかけで知ることとなった少年事件。。。
強盗致傷』 ほかに 『窃盗』 などなど。。。
   ※ニュース記事によると、
    おそらく 16歳の高校生たちだと思われます。  
 
 
少年・・・とは、満20歳に満たない者を意味し、 
家庭裁判所の審判に付される少年は、
 
(1)犯罪少年
    (満14歳以上で罪を犯した少年)
(2)触法少年
    (満14歳未満で(1)に該当する行為を行った少年
      -14歳未満の少年については刑事責任を問わない)
(3)ぐ(虞)犯少年 
    (保護者の正当な監督に服しない性癖があるなど、
     その性格又は環境に照らして、将来、罪を犯し、
     又は刑罰法令に触れる行為をするおそれがある
     と 認められる少年)

に区別されます。

 
家庭裁判所は、  
犯罪少年のうち、  
死刑、懲役または禁錮にあたる罪の事件について、
調査の結果、  
その材質及び情状に照らして
刑事処分を相当と認めるときは、  
検察官送致決定をします。 

また、  
故意の犯罪行為により被害者を死亡させた事件で、
罪を犯したとき  
満16歳以上の少年については、  
原則として検察官送致にしなければなりません。

(中略)
 その他の犯罪少年、触法少年、ぐ犯少年については、
 知事・児童相談所長送致(18歳未満に限る。)、
 保護処分(保護観察、児童自立支援施設又は児童養護施設送致、
         少年院送致)の処分を受ける場合があります。
 
―以上は検察庁HP文の引用―
  
 
幸いなことに、
私の息子は
その 『少年』 という年代を過ごす過程で
このような事柄に該当する行為とは無縁でした。。。

もちろん、
私自身の今日までの人生でも、
ニュースで知る以外に、
少年事件を 身近に感じる機会は皆無でした。。。


けれども、間接的に
(そう、ほとんど無関係ではありますが、)
この少年法で言うところの少年の事件
知るきっかけがありました

それは・・・、
まったく無縁 かつ 無関係な
どこかの家庭の少年の起こした事件 ではありますが、
男子を育ててきた母親として 
一つの事件を知ったことによって、
あらためて
子供を育てることの難しさ・・・・、
子供の置かれた環境=社会の影響・・・・、
などなどを
大人として 複雑な心境で受け止めています。。。


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話は 突然に跳びますが

最近のあるTV番組(=世界の村で発見・・だったかな~?)

 インドの奥地に住む若い日本人の女医さんだったか。。。
 (あまり しっかりとは見ていないのですが

 その方は、
  かつては
  某名門女子大付属校で中高時代を過ごしていた
  けれど、
  ある日突然
  同じ制服を着て
  同じ方向を向いて授業を受けている・・・
  そういうシチュエーションに
  疑問を感じはじめ、不登校になった。。。。
    (その後の経緯は あまりよく聞いていなかったのですが、)

  年上の彼氏と出逢って幸せな時代もあったのに、
  彼の突然の事故死・・・という現実を受け入れて(乗り越えて)
  その後の自分の生き方を求めた結果(云々)


その他の番組でも
世界の僻地(秘境)・・・といった処で
案外 恵まれた都会的な環境で育った若い世代が
日本での豊かさに疑問を抱いたり
挫折感を抱いたり。。。

その結果 今日に至る・・・
といったような生き方を求めている。。。。

それを、
この恵まれた文化的な国に住んでいる日本人から観ると
なぜ? という疑問、
あるいは 物珍しさ? や 好奇心 からか?

そういう番組が増えているのかも知れません。。。

 

思うに
そのインドに出て行かれた若き日本人女性が抱いた
現代日本の社会における
(一見)恵まれた境遇への違和感
そういう・・・、
馴染めない感覚
自己の目的を見出せない憂慮 
などを抱いて少年期を過ごしている若者が
溢れているような気がします涙


悲しいことです。。。


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親になるのは難しい
という川柳があったか・・・と思います。。

一個の人を育てるということは、

 当人が自分に
 満足できる人格を形成して行くためのサポート

それが親の役割だと感じています。。。


愛情 穿き違えがちなのが親 というもの。。


考えさせられる少年事件に遭遇しました涙

 
 

思春期の君へ

2019-11-04 |  _(思春期)
(2009-01-25)の記事

 受験シーズンですね。
 我が家は おかげ様で 一足先に片付きました。
 高校受験の場合は、
 私立単願の子から順々に決定して行きます。
 単願で・・・というのは
 かなり目的意識が明確であることを意味しており、
「その学校に入りたい!」 という 発的な選択と言えるでしょう。
 できれば、
 すべての人が そういう目的を持って
 新たな希望に向かって進学して欲しいですね。


 自分の時代と比べると・・・、
 現代は まだまだ学力偏重傾向はあるものの、
 かなり 個性 を重視して
 それぞれの希望に沿った選択肢が増えている と思います。


 偏差値は・・・!
 あくまでも学力面だけを重視して比較対象する手段でしかありません。
 息子の受験を通して、
 志望校を決定するまでには 難関校と言われる高校の見学会にも行きました
 が、 最終的には
 文武両面でのバランスの良さという観点で高校を決めました。


 それ・・・、
 息子が たまたまスポーツをする子だったから かも知れません。
 スポーツ以外の何でもいいから、
 勉強だけの学校生活ではない、
 自分の人間性を発揮できる何か に打ち込みながら
 本分としての学業を大切にする・・・・
 そういう学生生活が送れたら
 毎日が楽しく
 後々も 懐かしい時代となって思い出されるでしょう。


 中・高生
 これからどのようにでも
 自分の人生を豊かに生きる機会があります!

 どんな時でも
 強いられているような被害者意識ではなく、
 自分にとって必要なこと! として
 前向きにチャレンジして欲しいです。

 


こころの問題 (2012-02-24)

2019-10-25 |  _(思春期)

山路を登りながら、こう考えた。

智に働けば角が立つ。

情に棹させば流される。

意地を通せば窮屈だ。

とかくに人の世は住みにくい。 

 
 
 夏目漱石 『草枕』 の 冒頭文です。。。 
 人 というものは 本当に厄介な生き物 
 つくづくと 思い至る今日この頃。。。
 
 
 
 
 
 これは 人の存する空間=宇宙を意味するマーク 

 中国哲学に基づく概念が根底にあって 
 自己を中心とした環境(=宇宙)は 
 矛盾する物事が 流動的に調和を取りあい 
 同時に 
 自分自身の中(=感情)にも 常に矛盾があって 
 それらは 互いに影響しあいながらも 
 調和を取って一つのもの(=人格)である 
 といった意味を表現しています。
 
 
『丸く収まる』 という 言葉があるように
『調和=円』 を意味しているので 
 一人ひとりが このことを理解して
 心がけが保たれているならば 
 夏目漱石が嘆いたような『角がたつ』といった 
 ギスギスとした人間関係は 
 私たちの日常から削減されるのではないでしょうか。。。
 
 
 けれども現実は
 些細なことで 身近な人との 『感情のもつれ合い』 という状況は
 茶飯事に起こってくる。。。 
 そういう類のいざこざの要因として
 もっとも厄介なのが『自尊心』 であり、
 最終的に 双方が拘るのは プライドの問題になっていたりする。。。

 いざ! 渦中の人と成ったならば 
 無我夢中になって 自分の正当性を主張しようとする。。。 
 時に・・・、
 無意識なのか 意図してなのか 
 小さな 嘘=詭弁 を放ったりもする。。。。
 
 
 プライド・・って 
 個人の価値観に作用されるものであり、 
 ある意味 『どうぞ ご自由に!』 というレベルのものでもあるからこそ、
 自分のプライドを主張する前に、 
 他人を尊重することを優先するやさしさがあって然るべきではないか 
 と 私は思う。。。

 
 思春期・・・と言われる時代から 
 次第に 自分を取り巻く環境 や 自分自身の中に矛盾するものを感じ始めて
 様々な感情が沸き起こってくる。。。

 
 いづれ 社会に解き放たれたならば、 
 あり得ないような理不尽な状況に追いやられたり 
 荒波に翻弄されそうな自分
 というものを 思い知らされたりもするだろう。。。


 けれども 独りで 絶えたり 戦ったりする必要は無い。。。。
 人は皆 平等なスペース(=自己という雄大な宇宙)を確保している。。。 
 それは 尊厳 という言葉の下に 
 生きる権利として保障されている
 と同時に 
 分を弁える 言う 制 を強いられるところもある。。。。  
 結局のところ そこに至る。。。
 
 
 相反するもの を 融合する=バランスを保つ力 こそが 
 人のこころを育む上で重要なのではないか・・・ 
 と 思うこの頃です。。。。
 
 

和魂洋才(2012-03-12)

2019-10-25 |  _(思春期)

 僕の前に道はない
 僕の後ろに道は出来る

           - 高村光太郎 『道程』-

 

息子の高校の卒業式で 校長先生からの祝辞の中に
ルネ・デカルト(フランス哲学者&数学者)の 
方法序説』からの引用がありました。


 数学の問題なら また時間を置いて考えるということも可能ですが、
 これからの人生においては ほとんどの場合
 即座に回答を求められ 行動に移すことを強いられることの方が増えてきます
  
   もし? 森の中で道に迷ったならば、
   そこに立ち止まって何も行動しないよりは
   とりあえずの道を定めて 信じてその道を進む方が良作である

   誰もはじめは 自分の選択が正しいかどうか? などはわかり得ない
   しかし、信じて進むのと同時に
   やがて行き着く頃には 『この道は正しかった』と確信が持てるような
   努力を惜しまないことだ

といった意味のお話でした。


卒業とともに母校から羽ばたいて行く生徒たちへの
心のこもった餞の言葉に感動しました。

まさしく 僕の前に道はない 
     僕の後ろに道は出来る

新たな道への一歩を踏み出さん いざ!

 

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「和魂洋才」・・・Web参照 

  ●日本古来の精神を大切にしつつ、  
  西洋からの優れた学問・知識・技術などを摂取・活用し、  
  両者を調和・発展させていく 

 ●日本人が伝統的な精神を忘れずに西洋の文化を学び、    
  巧みに両者を調和させること。 
 
 
 

蒼い時代(青春)

2019-10-18 |  _(思春期)

 

(2011-12-19)の記事
 
  久しぶりに息子の高校へ行ってきました
 もう卒業ですし・・・、
 3学期は 大学受験のために 「家庭学習」 となるので
 親子に対する受験前指導がありました。
 
 なかなか 高校生ともなると
 母親と同席する・・・などという機会も少なくなりますが、
 そういうシチュエーションを
 必要以上に照れたり・・・、格好をつけたり・・・、
 そんな素振りもなく
 友人らといつものように交わっている息子の様子や
 日常的に話題に上っているクラスメイトたちも
 初対面の友人の母に対して 物怖じをすることもなく
 心地好い 自然体できちんと挨拶をしてくれたことに
 不思議な感動を覚えました
 
 
いいなぁ  
高校時代の この友人らは  
きっと 生涯 懐かしく思い出され  
いづれ お酒を酌み交わし   
互いの いま(現実)を語り合い  
励まされる間柄になるに違いない
 
 
 
 に向かって 一歩踏み出そうとしている 
 彼らの背中を見ながら 
 頼もしくも 誇らしくも 感じられました
 

孤独。。。(2009-10-30)

2019-10-18 |  _(思春期)

夕方 ラジオから流れる YELL(いきものがかり)を聴いた。
感動的な旋律 と 力強い歌声。。。
訴えかけるような 言葉。。。
ふと 涙が 溢れそうになる。。。

    サヨナラは悲しい言葉じゃない 
    それぞれの夢へと僕らを繋ぐ YELL
    ともに過ごした日々を胸に抱いて飛び立つよ 
    独りで未来(つぎ)の空へ

このサビの言葉は・・・、
それぞれの年齢に応じて その意味の深さも違ってくるだろう。


高校生となった息子の いま に寄り添いながらも
社会人になって 世間に羽ばたく日も
そう遠くは無い・・・と その先(将来)を想う時

    サヨナラは悲しい言葉じゃない 
    それぞれの夢へと僕らを繋ぐ YELL
    ともに過ごした日々を胸に抱いて飛び立つよ 
    独りで未来(つぎ)の空へ

希望に満ち満ちて 社会に巣立つ姿が 目に浮かぶ。。。
一方で 独り という文字の表す意味を
いつしか 噛み締めることもあるだろう。。。

夢と希望 と 表裏一体にある 孤独 。。。
これから ますます 逞しく成長して欲しい!
独り で 耐え得る人格を築きあげることこそが
親としての責任・・・ と つくづく思う。。。



心に沁みる。。。(2009-10-10)

2019-10-18 |  _(思春期)

誰しも通り抜けてきた時代
それを“思春期”と呼ぶ
切なくも 愛おしい10代の君


昨年の今頃の出来事↓↓↓
http://www.nhk.or.jp/ncon/arch_letter/index.html
アンジェラ・アキさんの 『手紙』 という歌に感動し
その頃の自分を想い 涙し・・・、
忘れていた? いいえ 消し去ろうとしていた ピュアなこころ・・・、
“ほんとうの自分” ”わたし” に もう一度出逢いたくなった。。。

  十五の僕には誰にも話せない 悩みの種があるのです 

  今 負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は
  誰の言葉を信じ歩けばいいの?
  ひとつしかないこの胸が何度もばらばらに割れて
  苦しい中で今を生きている  今を生きている 

  ああ負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は
  自分の声を信じて歩けばいいの?

  いつの時代も悲しみを避けては通れないけれど
  笑顔を見せて 今を生きていこう 今をいきていこう 


当時は、子供がまさしく15歳!
人生で初めての 道(未来)を選択する息子を想って
鬱々とした気分に陥っていたのでした。。。

子供の大切な時期 と 同年代の気持ちを総括したかのような歌詞
それが 過去の自分のものと重なって 
思春期の自分=原点に向き合う機会を このBlogの場に設けたことで
少しずつ 少しずつ “ほんとうの自分”“わたし”が
見えてきたような気がします。。。

今年もまた その時期が来たのですね。。。
今年の中学生の部の課題曲『YELL』(いきものがかり)も感動的です

  「“わたし”は今 どこに在るの」

  僕らはなぜ 答えを焦って 宛ての無い暗がりに 自己を探すのだろう

  永遠など無いと 気づいたときから
  笑い合ったあの日も 唄い合ったあの日も
  強く深く 胸に刻まれて行く
  だからこそ あなたは だからこそ 僕らは
  他の誰でもない 誰にも負けない
  声を挙げて“わたし”を生きていくよ と
  約束したんだ ひとりひとり ひとつひとつ 道を選んで行く

  サヨナラは悲しい言葉じゃない それぞれの夢へと僕らを繋ぐ YELL
 

たった1年なのに・・・、
この1年の間にいろいろなことがありました。。。


他には・・・、
GReeeN の 『遥か』の歌詞の中にも
心に響くことばがたくさんありますね!

  窓から流れる景色変わらない
  この町旅立つ
  春風舞い散るさくら
  憧ればかり強くなってく

  どれだけ寂しくても
  自分で決めた道信じて


  あの空流れる雲思い出すあの頃の僕は
  人の痛みに気付かず情けない弱さを隠してた
  気づけばいつも誰かに支えられ
  ここまで歩いた
  だから今度は自分が誰かを支えられるように


  サヨナラ
  また会える日まで不安と期待を背負って
  必ず夢を叶えて笑顔で帰るために


  どれだけ淋しくても
  僕らは歩き続ける

  必ず帰るから

  思いが風に舞う
  あなたの誇りになる

これは・・・、もう少し成長した“自分”の気持ちですよね。。。


10歳~30歳までの期間を 思春期・青年期 と言うそうです。
その内の17~18歳までが 思春期(若しくは 青年期前半)。
中高生の年代は 肉体的な発達に対して
精神的な成長は少し遅れて訪れる。。。
従来までの自分と離れ行く(心身の)成長に
戸惑いながらも 新たな自己(価値観)を求めて
大人への入口に向かって行く。。。。。

そういう過渡期のなかで
矛盾する自分を見つめ “ほんとうの自分”を探して行く時期。。。

それは!
誰しもが通り抜ける長い道。。。。。
そして・・・! 
いまや その頃の思いや悩みが 
すっかり過去のものとなった人たちにとっては
いつまでも愛おしい時代。。。。
だからこそ!
そういう時代を唄った詩は 心に沁みる のでしょう。。。

※歌詞は 抜粋です♪


護られるべき時代 (2010-05-13)

2019-10-18 |  _(思春期)

 育てたように 子は育つ

(相田 みつを)

 深い言葉だと思います。

 未だ 私に子どもがいなかったころ
 親しくさせて頂いていた年上の女性


 彼女の一人娘が 高校の受験期に入った頃に
 母親の本音(?)をポロリ。。。

実社会は 競争の世界なのよ
受験に始まり 
世の中は 好き嫌いに関係なく
自分の意に反して
競争の渦に巻き込まれる。。。

そして
やはり 勝つためには
それなりのテクニックが必要なのよ。。

あの子の性格は 最高なんだけれど
競争の社会には向いていない。。。
でもねぇ・・・、
やっぱり 私がそういう風に望んでいたのよ。。。
あの子の現在(いま)を観ていると
間違いなく 私がそういう風に育てた!
って 思うもの。。。。

 当時の私には
 漠然としていて 深意を理解することはできませんでした。

 でも・・・、
 息子の現在(いま)を観ていると
 その言葉の意味がよくわかる。。 

 無意識のところで 以心伝心があるように思う。。
 鳶 が鷹 を 生むはずがない
 と 言うとネガティブな感じがしますけれど
 それを DNA という言葉に置き換えれば
 なんとなく 納得できる。。
 
 それが! 親子というものでしょう。。。

 女性=母性としては
 自分が産んで 育てて来ているのだもの
 基礎的な人格は やはり 親が仕立てているのです。


*******************************

 
 悲しいニュースが耳に入る。。 
 中学生の自殺

 内向的で 友達ができない。。。
 その子の震える心の痛みを感じます。。

 
 思春期と言われる年代は 思いのほか長い
 子どもから大人への 長~いトンネルを抜ける時に
 一人一人の心の成長が整うための時間は
 それぞれに違うでしょう。。

 何も怖がらずに 真っすぐに走り抜ける子もいれば
 孤独な暗闇から なかなか抜けられない子もいる

 そんな時期を 誰が護ってやるべきか?

 そういうデリケートな時期に
 本来の物事を見失って将来 という事に捕らわれすぎて
 あれもこれも と 余計な荷物を背負わせたりはしていないだろうか。。

 この長いトンネルを抜けようとする時に
 しっかり 前を向いて歩むことができるよう
 また 出口に立って 新たな世界に一歩踏み出す時に
 自信に溢れた気持ちに満たされるよう
 送り出してやることが 親の役割だろう・・・ と。。 

その闇の中で 道に迷った時には
そっと 手を引いてやったり
目印を示してやったり
呼びかけたり

そういう導きが無ければ
ただ ただ 不安な気持ちが募るだけ。。。


思春期にある子どもたちは
護られるべき時期なのです。。

それは・・・過保護という意味ではなく
当然 受けるべき保護。。


親と子との縁は 深いもの
現代! 護られていない子どもたちが多いように思う。
表面的な競争社会に対応することばかりを強いられて
本心を偽りながら 順応して行かなければならない
そのことのフラストレーションを
様々な方法で晴らそうとする。。

自暴自棄 という言葉がある
非行 と言われる行動に走る子も
内向して 自殺に走る子も
救われない思いを抱えているように思う。。

つまづいたっていいじゃないか
人間だもの 

そのままでいいがな

 

救えるのは・・親(家庭)でしかない。。。