16日16時
80時間クラスのスタート
すごい熱気と歓声だ
MCがまくし立てるように盛り上げて会場はお祭り騒ぎ
自分たちはラストの20時スタートだからその前に腹ごしらえ
予約していたミール(ごはん)を食べようと列に並ぶ
んーなかなか中に入れない。入口にはチケット係りの黒人さんが目を光らせてる
やっと中に入ったがぜーんぜん前に進まない
一時間くらい待ったかなあ
突然、スタッフの方が
「ノーフード!ノーフード!」と大声で行列に向かって叫ぶ
え???なに?ノーフードってどういうこと???
・・・・たべものなんもないから出てゆけ!みたいなかんじ~?
ないものはない。しかたない。パリブレストっていうお菓子が楽しみだったのに・・・
なーんもない
パンも水もない皿もない割り箸もない。いやフォークもない。
食べ残したみたいな葉っぱと冷凍のチョコケーキみたいのがひとかけら・・・うっ。
運営者に言いたいことはある。モバイルバッテリーにしても、このミールにしても・・・
「ザゲンナヨコノヤロメ~~」
スタッフも献身的にボランティアで働いてるのだ。がまんがまん。
ツワモノどもたちと再開。パリで会えるなんてすごーいね!
北海道や九州や日本縦断、超ロングブルベでともに闘ってきた仲だ。
20時スタートの日本人多すぎない?(笑)
たまちゃんず~~
まもなくスタートです。20時でもまだまだ明るいパリです。
18時にスタートした人たちはもう50km先にいるんだよなあ
日本人ほど写真撮ってる国民もいなかったかも。
かくいう私もそのひとり。ベルサイユ宮殿の前で自撮り棒を黒人が売ってたけど買えば良かったかなあ
よ~~~しいくぞ~~~
お!和服姿の美女!!
90時間組のほぼ最後尾からスタートゲートをくぐった
アレアレ~~!!
スタートしてしばらくは応援と見物の方々がた~くさん
きもちいいぞ~~
交差点や信号もスタッフが規制して、スタート時の事故防止のためにがんばってくれてる
きもちいいね~たなかさ~~ん
馬だ~!
最初は、牧場だ!馬だ!牛だ!とうもろこしだ!教会だ!とか感動してました・・
夜中まで開けててくれるレストランは貴重な補給と休憩ポイント
コカは世界共通だねともひろさ~~ん
ほとんどのライダーが立ち寄ってました
PCはこんなかんじです
お~~これがうわさに聞いてた、ゆですぎてぶよぶよのパスタに、なんだか味がよくわからないソースがかかってるもの
チキンは蒸しただけで塩味足りないから塩かけまくりました~
スープのようななんか摺おろしたようなもの
だいたいどこのPCも似たような感じで、パンやサラダ、デザートなど好きなものをトレイに載せて最後にレジへ並びお金を払ってからテーブルで食べるシステム。だいたい一回の食事で10~15ユーロだったかな
正直うまいとは思えなかったけど食わないと今度いつ食えるかわからないので胃袋に詰め込む。
漬物食べたいなあ。米食いたいなあ。味噌汁飲みたいなあ。
記憶だと踏切があったのは序盤の一箇所だけだったかなあ
夜間走行は前と後ろのライト点灯が義務付けられている
日本人選手のライトはみんな明るいが、外国人の中にはあ?それでいいの?っていうくらいしょぼい灯りで走ってる人もいました。
だいたいどの街もこんなかんじ
教会が丘の上にあり、それを取り巻くように学校や公共施設。そして家並み。街のまんなかにラウンドアバウト。街灯はちょびっと。
景色はほぼこんなかんじ。どこまでもどこまでも美瑛富良野がつづいてるみたい。
雲は刻々と形や色を変えます。日本とおなじですね
街の中はたいがい坂道
一部ことしのツールドフランスで通った道も走ったのでオブジェがたっくさんあり楽しかったです
自転車はPCごとにバイクラックがあって置き場所には困りません
バンブーフレームの自転車
どうなんだろうなあ。乗りにくい気もするけど。
昼間は草むらにてきとーに寝っ転がってお昼寝。
ただ・・・おいらは昼間は眠くならないのでホントは走りたかったなあ。
スタート後は4人で走ってましたが、やっぱ1200km一緒に走るのは余程ペースが合ってないと無理です。
日頃からそういう走り方を練習しておくとか必要ですね。
とくに自分はいっつも単独走なので、眠くないのに寝るとか、ペース上げたいのにゆっくり走るってのが
だんだん苦痛になってしまいました。
誤解を招くといけないのでちゃんと書きます。
そもそもPBPでみんなで一緒に走りましょうって提案したのは俺です。
それは俺自身がPBP初めてで外国語も話せないのでみんなに助けてもらいたいっていう甘えからでした。
実際走り出す前までは不安だらけでしたしPCでのチェックの受け方や食事の取り方も一緒じゃなきゃわからなかったことばかりです。そのことはすごく感謝しています。
ただ・・・・PBPって特別なブルベだけど、ブルベには変わりなく、やっぱり個人競技だってことを忘れていました。走るペースも休む頻度も睡魔が来るタイミングも人それぞれ十人十色だってことを。
オダックスではなく、BRMは一人で走り切る楽しさが魅力。
いま思うと最初のPCで個人走行に変えるべきでした。
結局は300kmくらいからはそれぞれ単独走行に切り替えたわけですが・・・
どこまで行ってもかわらない風景に何故かふいっと
急につまらなくなってしまって
おまけに夜は眠くて寒くて
ああ
やめよう
終わりたい
田中さんとふたりで寝たラウンドアバウトの寒さ。6℃しかなかったっけね。SOLのヴィヴィエマージェンシーシートの威力は絶大でした。
平地なのにくっきりと浮かぶ天の川。感動しました。
一生忘れないだろうなあ。
綺麗な町並みとレストラン。こういう場所が100kmごとくらいにあったらもう少しテンション上がったかもしれません
写真と文章がずれてますはい。
ルディアックには夜着きましたがここでやめても朝までは電車無いし、駅も遠いらしいから先へ行ったほうがいいみたい。
次のポイントは食事と休憩だけでチェックはないから、ブレストまでとりあえず走ろうか。
だらだら走って
夜が開けて
朝靄をぬけて
ブレストの手前は少し長い登りがあって、登りきると景色のいい沼や丘の上に出ました。
2時間くらい沼のほとりでぼーっとしてたかな。
都会でした。ブレストは。下関や神戸や函館や、なんかそんな感じの港街でした
ブレストへ向かう波、ブレストから折り返してくる波。自転車は途切れない波のよう。
ああこれが土田さんが言ってた橋か
ブレストへやってきたぜ!
ついた~~
コントロールに行くとまだ二時間近くタイムリミットまであったけど・・
もう・・・
なんていうか
海を見てたらもうじゅうぶん満足してしまって
コントロールの部屋でDNF宣言。
でも何故か通じなかったのか、「ABANDON」と言わなかったせいか
なかなか認めてくれなかった
ここで何時間か寝ていけばいいだろう、とか、腹減ってるなら飯食え、とか
どっか痛いのか?とかマシントラブルか?とかいろいろ聞いてくるわけで・・・・
簡単には認めないよリタイアは!みたいな雰囲気。
「いやいや、もうやめたいんだでばー!」
声を荒立ててみても日本語通じる訳もなく(ましてや東北弁だしね)
困った。あたりには日本人の姿ないしどうしたらいいだろう
スタッフの女性にこのあたりにホテルないか聞くと、空室はおそらくないだろうみたいなフランス語。
しかたない、走り続けるしかないかなあ。また夜になるし同じ景色のところ戻るの嫌だなあ・・・・
どうしようか悩んでたら
・・・
同じギアンコートのレジホームホテルにいたタイのジョリーンさんがユデタマゴの殻を割りながらニコニコ手を振ってる。
(ホテル出るときにたくさんもらったよねみんなで)
カタコトの英語で、このあたりにホテルってないんですかね~?
聞いてみたらなんと!ジョリーンさんはサポートで回っていてタイチームをとりまとめているらしく
DNFや仮眠のためのホテルを取ってるとのこと。
白人のボブさんを呼んでくれてそのホテルへ案内していただいた。
言葉がよくわからず、最初はボブさんがそのホテルのオーナーさんかと思ったのだが大きな勘違いで
ボブさんはジョリーンさんの旦那さんで井出マヤさんとも友達でした。
ホテルのフロントで、「彼も一泊したいが私たちが予約している部屋のひとつを彼にゆずりたい」
みたいなことを話していた。たぶんジョリーンさんとボブさんは一人部屋でそれぞれ予約していたのだとおもうが、そのひと部屋を俺に譲ってくれたのだと思う。そしてジョリーンさんとボブさんは同室にしたのだろう。
ありがたくて涙が出そうになりました。
自分の部屋に荷物を置いてから、ボブさんの部屋へ行き、ペットボトルに何本か水を汲むのを手伝ってそれを運び、ブレストのコントロールの場所へ戻り、ジョリーンさんやタイ人たちのもとへ。
「わたしたちタイチーム、あなたジャパンチームひとりね!よろしくね!」と冗談で笑わせてくれた。
タイの方々は気さくで思いやりのある人たちでした。45人でやってきたそうです。
コントロールのクローズの時間もとっくにすぎいよいよホテルへみんなで行くことに。
見事完走した方々、時間オーバーでも最後まで走りきった方々には本当に頭が下がります。
「なぜ?どうして!?まさか!ちゃりけん、なんでやめたの?」
会う人々から異口同音にそう言われました。自分でもなぜやめたのかうまく言葉にできません。
時間的にも余裕あったし、体力的にもまだまだ走れたはず。
言葉の壁はあったにしてもいつもの俺だったら、やめたいなんて思わなかったはず。
強いて言うならば・・・
神様に
「おまえはまだPBP完走すべきじゃない、今回はやめときなさい」
そう告げられた、ということにしておきます。
人生で一回限りのPBPと思って参加しましたが、このままじゃ終われません。
4年後なのか8年後なのかわからないけれど、必ず戻ってきます。
そしてその時は必ず完走してみせます。
そう決意してホテルへの道を歩いたのです。
ホテルの空は西向きで21時まで夕日が窓を染めていました。
向かいのスーパーでワインを買ったのですがコルク抜きが部屋になく、フロントから借りるのもめんどくさくて
飲まずに寝てしまいました。
630kmでおいらのPBPは終了。
DNF後の記事へ続きます。
https://www.youtube.com/watch?v=FE7nkfWRFiQ&feature=youtu.be
挿入歌は高校の頃聴きまくってたフレンチプログレバンド「アンジュ」
1 ange 「Exodo」
2 ange「Jour après jour」
3 ange「La route aux cyprès」
以前お会いしたときは滋賀県在住でしたが、現在は北九州です。
DNF残念でしたね。
ここ2年ほどブルベから遠ざかっておりましたが、来年から仕切り直しで走ろうと企んでおります。
自分もそうですが,PBP以外海外の経験がないので,出発前は不安が多いですよね.
走りだしちゃうと,なんとかなるんだと思うんですが.
ドロップバックの返却場所でお話した感じや,このブログの文章みても,やり残してきたことやり遂げるために,いつかパリに行くと確信しております.
当方PBPで痛めたヒザの影響で,新潟に戻ってきてから,まだ自転車に乗れていませんが,10月の宮城ブルべには間に合わせて,ぜひ走りたいと思っていますので,よろしくお願い致します.
北九州方面のブルベは何度か参加させていただきましたが、山の感じや木々がこちらとは違って新鮮でした。
いつか一緒に走れる日が楽しみです!
それぞれの難しさ。いろいろありますね。
今回のDNFは自分のトレーニング不足とメンタルの弱さがモロに出てしまいました。
PBPがお祭りに思えなかったんですもの!修行だとか感じてた時点でだめですよね。
次に行く機会があればうーんと楽しみたいと思います。
クラブ東北。混ざれるように足を作らねば。
膝のダメージ早く回復されること祈ってます。
1011に向けて準備を進めてますのでぜひ!お待ちしております
タイのブルベ走りに行こう
それにしても、もう少し走ってくれたらウワンと走れたのに(笑)
ウワンさんとならペース合ってたかも。
なかなか見事な展開のDNF記事でした。思わず吹きました。人のことは言えないけど。
今度仙台ブルベにおじゃましたいのでよろしくお願いします。来年かな?
吹いていただけて本望でございやす(笑)
ぜひぜひ宮城ブルベ(東北ブルベ)にお越しくださいませ。