私たちの、ヘァエピテーゼ協会の仲間だった、同じ京都出身だった福本志穂さんが天国に旅立たれて、7年を迎えます。
かつら美容師さんが京都におられるって話を聞いたことがありました。
私が乳ガン告知になった頃に志穂ちゃんは天国に旅立たれました。その事を知ったのは、手術、治療が終了して仕事復帰し同じ職場で勤務するネイリストさんからでした。
彼女の妹さんは偶々志穂ちゃんと同じ病院で、あまりにも自然なウィッグを被られていた志穂ちゃんにウィッグのことを尋ねた事がきっかけで妹さんと志穂ちゃんがお友だちのなったと聞きました。
直接、お会いしたことがなかった私はネイリストの彼女から、当時の思い出話を聞いていました。
志穂ちゃんが天国に旅立たれてから2ヶ月後に、ネイリストの彼女の妹さんも天国に旅立たれました。
京都にまだ居たときに、ネイリストの彼女と私は、お互いの未来の話をよくしていました。私は志穂ちゃんのようなサロンを持ち美容を通じて患者さんの手助けをしていきたいとよく話ていました。彼女は、亡くなった妹さんがお世話になっていた色んな病院に足を運ぶことがきっかけで、ネイリストを辞めて、30代で看護学校に入学し、この春から看護師さんとして出発されます。
天国から、志穂ちゃん&妹さんも応援して下さっていることでしょう。
私も応援しています!
福本志穂さんの想いを皆さんにも読んでもらいたいなと感じてブログ投稿をしました。
福本志穂さんの残された記事です。
私の運営する美容室は、ピンクのリボンを意味する
このドイツ語をお店の名として掲げています。
2年半前、京都の自宅を改装して始めたこの美容室は、
口コミでお客様の輪が広がり、
いまでは遠く沖縄から足を運んでくださる方までいらっしゃいます。
ピンクリボンは、乳がんの早期発見を促し、
撲滅を目指す啓発運動のシンボルマークです。
お店には、抗がん剤の副作用で
髪の毛が抜けてしまった方が全国から相談に来られ、
私は通常の理美容だけでなく、持参される
カツラのカットも承っています。
人工の毛はどうしても違和感があるため、
そこにハサミを入れて自然に、おしゃれに仕上げ、
外に出る勇気を取り戻すお手伝いをしているのです。
大切な体に手術の痕跡が残る上に、
髪が抜けてしまうことは、
女性にとっては大変なショックです。
人目が気になり、殻に閉じこもってしまう方も
少なくありません。
実は私も、3年前に乳がんを発病しました。
薬の副作用で初めて髪が抜けた時はとても惨めで、
鏡を見るたびに泣いていました。
それだけに、カツラのカットを通じて
皆さんの心の殻を破り、少しでも
前向きな気持ちを取り戻していただきたいのです。
カットの最中に、それまで抱えていた悩みを
打ち明けて涙を流される方もいらっしゃいます。
「髪形を変えることができて嬉しい」
「これでまた職場に復帰できる」
と笑顔でお店を後にされることが、
何より私の生きるパワーになっています。
一生続くといわれた治療も、いまでは生きていく一部として、
プラスに受け止められるようになりました。
私はもともと美容師にあこがれていたわけではありません。
高校時代に父親の商売が傾き、
別れて暮らすことになった両親を何とか元に戻したい、
そのために手に職を付けたいと考えてこの道に入ったのです。
美容の仕事はとてもハードですが、
早く一人前になりたい一心で、ひたすら前を見て頑張りました。
よいオーナーにも恵まれ、3年でひと通りの技術を身につけた後、
いくつかのお店で修業を積みました。
幸いにも家族はその間に再び一緒になることができ、
私は職場で出会った男性と結婚。
いずれ二人でお店を持ちたいと考えて、
子育て中も美容の仕事を続けていました。
■人は一人では生きられない
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体に異変が生じたのはその頃でした。
疲れが酷く、肩の凝りや、
腰痛からくる足の痺れがいつまでもとれないのです。
知り合いの紹介で鍼治療を試みましたが、
一向によくならず、逆に体はどんどん痩せ、
腰の痛みが酷くてとうとう歩けなくなってしまいました。
母に促されて病院で検査を受けると、
乳がんの細胞が検出されました。
腰の痛みはそれが転移したためだろうとのこと。
二十八歳の冬でした。
がん? 転移?
思いもよらない告知に、
頭の中は真っ白になりました。
あぁ私はもう死ぬんだ。
あと何か月だろう
──そんな思いだけが頭の中を巡りました。
家族を取り戻した、結婚して新しい家を買った、
子どもにも恵まれた、さぁこれからという時に、
これでは家族がまた潰れるかもしれない。
なぜ、いったいどうすれば……。
いくら考えても答えは出ません。
結局、自分が何とか生き続けるしかないのです。
気がかりだったのは夫のことでした。
2つ年下で当時はまだ26歳。
これから人生を開いていく夫の負担になりたくない。
いっそ別々に歩んだほうがいいのでは、と真剣に悩みました。
「一緒に頑張ればいいだろう」
夫は当たり前のようにそう言ってくれました。
彼は、私の髪が抜けると告げられた時も、
自分から先に頭を丸めてきて笑わせ、
ショックをやわらげてくれました。
夫が医者から、私の余命があと半年と
聞かされていたと知ったのは、ずっと後でした。
そのことをおくびにも出さずに支え続けてくれた夫。
あぁ、自分は一人じゃないんだ。
夫の存在が、どれほど生きる力になったことでしょう。
初めてカツラを買った時は、何度もハサミを入れ、
ようやく納得できる形にすることができました。
それをつけて病院へ行ったところ、
待合室の患者さんから声をかけられ、
ぜひ自分のカツラもお願いしたいと頼まれました。
噂が広まって病院に行くたびに頼まれるようになり、
それがきっかけでいまの美容室を始めることになったのです。
お店で出会ったお客様から、
私は生きるパワーをたくさんいただきました。
人は一人では生きられないことを、
いまはつくづく実感しています。
その思いから乳がんの患者会を主宰し、
この美容室に皆さんをお招きして
お互いの体験を分かち合っています。
がんになった、髪が抜けたからといって
決して人生を諦めてはいけない。
お互いに支え合って、前向きに人生を歩いていきたいのです。
そんな思いを人に伝えられるのは、
自分が生きているいま、この時だけです。
以前の私は、明日がくるのを当たり前と思っていました。
しかし病気になってからは、
将来に夢を描くことや、明日のことを
あれこれ考えることがなくなりました。
元気に生きているいまを大切にして、
精いっぱい楽しみたい。
その思いで、私はきょうもお客様と向き合っています。
『致知』2008年3月号「致知随想」より
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