竹林亭白房

八代目小燕枝「真田小僧」★落語

□本日落語一席。
◆八代目柳亭小燕枝「真田小僧」(衛星劇場『衛星落語招待席』)。
東京都北区北とぴあペガサスホール、令和6(2024)年8月12日(柳亭小燕枝独演会「1トライ~色気噺~」)。
昨今主流の型になってきている(と言ってよいのか)、真田の話が出でこないで途中で切る「真田小僧」である。まあ、ぜひとも最後まで聴きたいと熱望するほどではないので、途中で切る型でもかまわないのだが、時代的に背景が曖昧に語られると、噺の世界に入っていきにくい。

落語は、客の想像力に委ねられる芸だと言われるのは、そのとおりだ。演者も、ときには
そこを強調して、ともすれば、ウケるのもウケないのも客のせいだと言わんばかりにマクラなどで語る向きもある。まあ、それもそうかもしれないともいちおうは思う。

ただ、客のがわが想像の世界を頭のなかで構築するためには、それなりの演者の御膳立てがいるのも事実である。
「真田小僧」では、職人の父が住まう長屋が舞台で、噺のなかに按摩が登場するから、どう考えても現代の噺とは思われない。そこに、ちょっとしたクスグリやギャグにせよ、現代社会にかかわる要素が混入してくると、これはいったいどんな生活様態なのだ?と混乱する。今日聴いた「真田小僧」はそんな感じ。

また、いちおういったん想像の世界を現代だと思いこませてリセットし、噺を聴き進めていくと、父親が息子に出す小づかいの額が10円だとする。結果的にこれは小出しに取られて60円になるのだが、これっていつの時代の小づかいなんだ?と、またここで混乱する。やれやれ……。

思うに、これは中途半端に現代の噺にしないほうがよい。そして、もしするなら徹底的に再構築して現代の噺だとわかる展開として語られるべきだろう。
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