竹林亭白房

壱之輔「真田小僧」@J:COM寄席★落語

□本日落語一席。
◆桂壱之輔「真田小僧」(J:COMテレビ『J:COM寄席』)。
DAIHATSU心斎橋角座、令和4(2022)年1月1日(「新春揃踏角座落語づくしの会」)。
今やもう定番になりつつある、「真田」の件(くだり)までいかない「真田小僧」である。自分が落語を聞き始めたころは、「真田小僧」と言えば、きちんと「うちの真田もサツマへ落ちた」と落げる型がふつうだった。
が、いつころからだろうか、亭主が女房に「話が聞きたかったら、おまえも……」で落げる型が圧倒的に多くなったのである。確かに、ここでこのようにすると、一つの完結した落語の形になっているのはおもしろくはある。そして、短く終えるときには好都合だ。

まるで、「宿替え」で、「明日からここまで箒を掛けに来なければ……」で、落げになってしまうのと似ている。実際東京落語「粗忽の釘」はここで切って落げた形である。
ただし、「宿替え」は、もともと落語のなかに「明日からここまで箒……」という台詞があるのだけれど、本来の「真田小僧」には、「話が聞きたかったら……」はない。だから、最初にこれを作った落語家がいるはず。しかも、当代の誰かにちがいない。

もともとこの落語は「六文銭」なる演目で上方種だったようだが、自分はまったくこのようにして演られたものを上方落語として聞いたことがない。だから、基本的に「真田小僧」は東京落語と認識しているので、「話が聞きたかったら……」を考えたのも、きっと東京の誰かだ。そして、それが上方に逆輸入したのだろう。

それにしても、壱之輔の演る子どもは、父親から金をせびるのを5銭ずつ取っていって最後は10銭にまでつりあげていた。ふつうは1銭ずつ何回かに分けて取る型だ。
壱之輔の演った時代は、もっとインフレが進んだ時代として演ったのか。といっても、そもそもの「真田小僧」がどの時代の噺として演られているかは判然としない。ただ、「うちの真田も……」の落げまで演るところを聞けば、6銭でサツマイモを買うと子どもは言っている。

ちなみに、朝日新聞社刊行『値段の風俗史』(続)を見ると、サツマイモに近そうな食材でたいやきの項目がある。これによると、たいやき一個1銭だったのは大正10年。それが、昭和7年は2銭、同12年は3銭、同13年は5銭と変遷している。
もし、サツマイモとたいやきが同じような値段だったら、昭和のはじめころから昭和10年前後の噺ということになろうか。

壱之輔の子どもは、5銭を三回ほどに分けて取った。そして、最後に10銭もせしめて全部で25銭。たいやきを五個くらいは買える計算か。
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