昨日は数十年ぶりと言われる大雪の中、渋谷へと行ってまいりました。
雪がふぶく中・・・それも夜・・・帰れるのか?と思いつつ。
昨年の成人式の日も雪がたくさん降る中、観劇に行ったんですよね。
ジャ○ーズワー○ドに。
この日も行こうか行くまいか悩んだけど、やっととれたチケットだし・・・!って
ことで行ったんですよね・・・・。
でも、これは行って正解でした。
なんと堂○光○さんが舞台に遊びに来てくれたんですよね。
さて、今日行った舞台は「国民の映画」です。
ネタばれありで。
これは、数年前にも上演されたお芝居で再演となります。
前回も見れたわけですが、今回も見れる機会がありそれで見に行くことにしました。
一回目より感じることが多かったです。
その分、大きくなったのかな?(ってもういい大人だろ!)
最近、考えていることに近いことがあって、それで余計に感じる部分が大きかったかも。
人ってなんでも分類したがるものですよね。
そうすることで、真実が見えなくなってしまうように思うんですよね。
その分類の言葉のイメージでそれを見てしまうっていうんでしょうか。
そのもの自体をちゃんと見ようとしなういようになってしまうように思うんです。
分類することで安心して。
私ももちろん、そんなところがあって、そういう部分を直したいなぁと思いつつも、
それってすごく難しいことだなぁと感じているところです。
今回は、差別としてユダヤ人とか同性愛とかそのような言葉が出てきました。
人は分からないものを恐れる。
理解できないものを恐れる。
だから、それに名前を付けることで知ったつもりになって安心する生き物。
でも、それらを大きくくくったとして、それ一つとして全く一緒なものなんて
存在しないんですよね。
う~ん、消化しきれてないのでうまく言えないけど。
でも、さいきん、そういうことを考えだして、自分という存在を何だろう?と
思ってたことが何だろう?と思っているのは、自分を何かに分類しようと
していることだったんだなぁと思いました。
だから答えはでない。
それっぽい、その傾向があるという言い方はできても、
じゃぁ、いざ、「あなたは、○○ですね」と言われると違和感がある。
だから、よくいう、私は私でいいんだろうなぁと思いました。
別に誰のまねとか縛られるでない自分。
ああ、でも、この考えもまだよちよちなので、すぐに昔の考えに引き戻されるのですがね。
言葉って便利でもあって、いろいろと真実を歪めるものでもあるなぁと思います。
うまく使えばいいのかもですが。
そんなことを思いながら今回は見ました。
今、ブログを振り返ったら「国民の映画」以前は書いてなかったようです、感想。
以前は難しく感じたんですよね・・・。
でも、今回は大分理解しながら見れたような気がした。
さて、こっからは芝居前後の話。
まず、雪の影響を恐れ、早めに会場に行き、お茶をしたのですが、
そのウェイトレスがみな不自然で。
1人目、注文をとるのがやけに時間かかる。
2人目、コーヒーカップが明らかに斜め状態で持ってくるものだから、
珈琲がカップから流れていて、さらに、おじきをしたもんだから、
カップから珈琲が滝の様に流れ・・・!
3人目、「○○(ケーキ)はどちらがご注文ですか?」と聞くので、私ですと答えると、
私の方でなく相手の方のケーキからおいてみたり・・・!
友達ともう笑ってしまいました。
店自体は雰囲気ある店だったんですが・・・店員さんが残念でした。
となりのテーブルはパスタを頼んだのに、ピザが運ばれてました。(汗)
そんなに混んでるわけでもなかったんですけどね・・・。
そして、舞台後。
家の近くまでの電車が折り返し運転になっていて、家の方まで着かない状態と判明、
地下鉄で動いているのは、銀座線と丸の内だったのですが、
JR山手線を利用したら途中で止まり。
でもアナウンス等を聴いて、乗り換え乗り換えしているうちに、
折り返しだったのが、家まで走るようになりなんとか最寄り駅まで行けました。
しかし、バスがもう終わっていて、歩いて帰るかなと思っていると、
友達の友達が車で送ってくれて助かりました。
しかし、道路の雪がすごくごんごんと揺れがすごかったです。
途中乗り捨てられた車があったり。
しかし、こうやって考えてみると、自分って幸運だなぁと。
あ、もしかしたら一緒に行った友達が幸運なのかもですが。
大雪だったけど、そんなに困ることなく見に行くことができてよかったなぁと。
いろいろ考えていることの助けになるものがたくさんあり、
今回また見れてよかったです。
・・・といってもまだ考えは確立はされてませんが。(汗)