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聴刻堂日乗

荒木村重 その1

荒木村重という人。
どういう人だったのか。

生年は天文4年(1535年)。
摂津池田の池田氏家臣の嫡男。

池田家の内紛に乗じて掌握する。
三好氏へ寝返り、織田氏へ寝返り。

信長の家臣になったのは36歳。
天文3年生れの信長より1つ下。
翌年に摂津一国を任される。

以後、織田方として各地を転戦。
越前、石山、紀州等の討伐戦。

播磨での戦の最中に伊丹で謀反。
天正6年(1578年)村重43歳。

分別も十分ある年齢だろう。
だが謀反を決した後も優柔不断。

一度は明智光秀等の説得で翻意。
安土へ釈明に向かうが、途中茨木
で引き返してしまう。

一年ほど有岡城で籠城抗戦。
突如単身で脱出し尼崎城へ。
有岡城は包囲され落城。

残された村重一族や重臣家族。
その助命と引き換えに降伏を説得
されるが、拒否。
百名以上の婦女子が処刑される。

村重は花隈城、さらには尾道へ。
尾道で入道したと言われる。

天正10年、本能寺の変。
信長の死後、堺に移り住む。

茶人として千利休らと親交。
天正14年(1586年)、堺で没す。
享年52。

この人はどんな人なんや?
何がしたかったんや?

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