… 霊的

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わたしの革命

2014年06月15日 19時38分20秒 | ノート note
 
 空想と架空と幻想の「日本国憲法」の祀り上げられた体制が終わろうとしている。日本国憲法九条二項 陸海空の軍隊はこれを保持しない
 まったく架空の条文だ。自衛隊は軍隊であろうがそうでなかろうが直接的に人間にとって武力であり強力であり経済外的強制であり軍事力である。
 治安維持的強力と武力を国家は砦として備える。あの永世中立国のスイスでさえ徴兵はあり軍は存在する。

 革命は世俗界における力でありすべての革命勢力は軍事部門を希求して、そしてその資金力と軍事的強制によって国家を転覆しようとする。そうしてはじめて本物の革命を得るだろう。
 
 日本国憲法の祀り上げられた体制はまさに架空の体制でありその内部における革命理論と革命言説は架空であり「空想のゲリラ」(黒田喜夫)に過ぎなかった。

 現実の力を持ち得ずして国家が転覆されようはずはない。それは資金力(資本力)であり軍事的強力だ。ロシア革命には赤軍があり中国革命には八路軍がありキューバ革命にはグランマ号上陸の革命軍事作戦があった。労働者多数のデモもストライキもゼネストもそれを補完した力であった。日本の明治維新も農民一揆も米騒動も軍事的強力だろう。

 日本共産党がコミンテルンの一支部として集成したとき非合法下とはいえ軍事部門をもたなかったのは不可思議なことだ。プロレタリア文学とか革命理論とかに解消したのだとすれば現実の力ではなくイデオロギーによって国家転覆を試みようとした「空想のゲリラ」だ。それは日本列島に出現した権力支配という現象が苛烈、緻密、抗う余地もない支配だったことを示す。日本の革命空想はあまりに弱小だった。

 ゲバ棒と火炎瓶の学生反乱も「東アジア反日武装戦線」も子どもじみた「空想のゲリラ」だった。

 国家の転覆を謀る革命軍事は当然のことながら現代軍事体制アメリカの世界軍事支配に抗する。それは核兵器を原子力発電を希求するだろう。ハイテク軍事を希求するだろう。インターネットは軍事戦略の中で発祥した。それは力というものを考えれば当然のことだ。

 メデイア戦略はA.グラムシの社会の塹壕と砲台=ヘゲモニーの関係から言って軍事の補完としてある。世界は濃密にシステムとして支配される。そこに反逆の余地は残らない。法システム、貨幣システム、産業システム、医療システム、食料生産システム、教育システム、メデイアシステム…。

 言葉で意識を変えるなどということを真に受けるよりピストルの一発のほうがよほど現実の力であることは明白だ。投票の約束を得るより金銭と投票を交換する方がよほど強力だ。

 つまり反逆する革命とは現実世の力のことなのだ。原子力発電も核兵器も必要とする。

 だがしかし、わたしの求めたほんとうの革命は現実世にはなかった。何の力も持たないわたしは冥界(霊界)において革命を希求している。俗界を離脱する魂だったのだ。







 ※ 日本国憲法 第二章 戦争の放棄
 (戦争の放棄、戦力の不保持・交戦権の否認)
 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 
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