この二三日たいへんなスギ花粉の飛散量だ。今日は雨が降っているがそれでも晴天だった昨日よりわたしのアレルギー症状は激しい。梅干しを食べてアレルギーに抵抗している。子供の頃からその症状はあったが近年の花粉飛散は限度を超えている。わたしの症状はまだ軽く、アレルギーの出る年と出ない年があったが、この数日の花粉飛散量はたいへんなものだ。アレルギーは免疫機能の過敏でもあるから、わたしの自己免疫はむしろ正常なのだろう。50歳になるがまだ癌の発病はないかもしれない。
農村は疲弊している。別に今に始まったことではないが、都会から帰って家の跡目を継いだりする若者は希少だ。そしてもしそうなった彼らの暮らしと将来は暗いものだ。
日本国憲法の柱の一つは「地方自治」にあるが、戦後この村に「自治」などが存在した試しはない。実態を正直に表現すれば、55年体制以来それは国家予算への住民挙げての「たかり」とそれに引き換える政権党=自民党支配への隷従でしかなかった。国家官僚と政治家を頼っていかに予算に「たかり」「ぶんどり合い」、4年に一度の村の選挙で大騒ぎして隣の家よりいかにその利益に預かるか、「町長派」と「反町長派」に分かれて村を挙げての諍い事でしかない「自治」だった。
わたしは6年前町会議員に立候補したが、選挙中はじめから「市町村合併」に賛成すると公約した。わたしはこの村はもうずっと以前から「さっさと解体」した方がいいと思っていたし、「合併」によって、中央権力にしばられた政治意識から人々が「解放」された方がいいと思った。その方がこの村の政治意識にとってよほど「進歩」だと思った。
道州制の導入は80年代初頭、国家改革のプログラムの一つとして「臨調行革」路線によって、当時にわかに発達したコンピューターシュミレーションで、20年、30年先の国家を見越して提言されたものだろう。いまやその構想は多大の地方財政赤字の「解消」=借金の持ち寄りの手段になってしまった観もある。コンピューターが予測し得なかったのは、道州制の導入や市町村合併で政権党である自民党の農村支配の構図が崩れてしまうということだ。村の予算という利権によって農村住民を直接支配する道具がなくなる。それは政権党流の「所得分配」の方法の喪失でもあった。村人はテレビの流すイデオロギー操作で自民党を支持したのではなく、目の前の利益分配によって政権を支持したのだ。
農村の支持によってやっと持ちこたえていた自民党政権は公明党と連立し、農村ではなく小泉流の大衆洗脳による大都会の住民の支持が必要になった。だが「洗脳」には限界がある。いずれ人々は事態を見抜き自分の判断を優先するようになる。
市町村合併に賛成したことはいまでも正しかったと思っている。自民党は農村での支持基盤をそれによって喪失し、農村支配の網の目のような構図を自ら掘り崩してしまった。その空白にどんな勢力が手を伸ばしてくるかはわからないが、それは支配の緩和であり、一つの「解放」だった。
そうであったとしてもわたしは憂う。戦後の山林の杉、檜の一斉の大量の植林国家政策によって、スギ花粉症でくしゃみするくらいはまだ許容できるが、中央や役人の言うことばかり素直に聴き従って来たこの村は今後自らに依って立つチャンスもなく、「百年に一度の経済危機」の中でこのまま村まるごと失われ死に行くのだろうか。
農村は疲弊している。別に今に始まったことではないが、都会から帰って家の跡目を継いだりする若者は希少だ。そしてもしそうなった彼らの暮らしと将来は暗いものだ。
日本国憲法の柱の一つは「地方自治」にあるが、戦後この村に「自治」などが存在した試しはない。実態を正直に表現すれば、55年体制以来それは国家予算への住民挙げての「たかり」とそれに引き換える政権党=自民党支配への隷従でしかなかった。国家官僚と政治家を頼っていかに予算に「たかり」「ぶんどり合い」、4年に一度の村の選挙で大騒ぎして隣の家よりいかにその利益に預かるか、「町長派」と「反町長派」に分かれて村を挙げての諍い事でしかない「自治」だった。
わたしは6年前町会議員に立候補したが、選挙中はじめから「市町村合併」に賛成すると公約した。わたしはこの村はもうずっと以前から「さっさと解体」した方がいいと思っていたし、「合併」によって、中央権力にしばられた政治意識から人々が「解放」された方がいいと思った。その方がこの村の政治意識にとってよほど「進歩」だと思った。
道州制の導入は80年代初頭、国家改革のプログラムの一つとして「臨調行革」路線によって、当時にわかに発達したコンピューターシュミレーションで、20年、30年先の国家を見越して提言されたものだろう。いまやその構想は多大の地方財政赤字の「解消」=借金の持ち寄りの手段になってしまった観もある。コンピューターが予測し得なかったのは、道州制の導入や市町村合併で政権党である自民党の農村支配の構図が崩れてしまうということだ。村の予算という利権によって農村住民を直接支配する道具がなくなる。それは政権党流の「所得分配」の方法の喪失でもあった。村人はテレビの流すイデオロギー操作で自民党を支持したのではなく、目の前の利益分配によって政権を支持したのだ。
農村の支持によってやっと持ちこたえていた自民党政権は公明党と連立し、農村ではなく小泉流の大衆洗脳による大都会の住民の支持が必要になった。だが「洗脳」には限界がある。いずれ人々は事態を見抜き自分の判断を優先するようになる。
市町村合併に賛成したことはいまでも正しかったと思っている。自民党は農村での支持基盤をそれによって喪失し、農村支配の網の目のような構図を自ら掘り崩してしまった。その空白にどんな勢力が手を伸ばしてくるかはわからないが、それは支配の緩和であり、一つの「解放」だった。
そうであったとしてもわたしは憂う。戦後の山林の杉、檜の一斉の大量の植林国家政策によって、スギ花粉症でくしゃみするくらいはまだ許容できるが、中央や役人の言うことばかり素直に聴き従って来たこの村は今後自らに依って立つチャンスもなく、「百年に一度の経済危機」の中でこのまま村まるごと失われ死に行くのだろうか。