こんちわ、WiiFitでジョギングしてたゆーやです。雨はほぼやんでます。今日はジョギングできるかな?0でも、もっかいfyってるかも??
キャベツかじりてー!
おまけ
【産経抄】6月24日
2013/06/24 03:35
世界文化遺産に登録された富士山は日本人にとって精神的な支えだ。そのことをユネスコの世界遺産委員会のメンバーもきちんと認めてくれた。うれしいことだが、富士山が日本人の生活のため果たしてきたもうひとつの役割も忘れたくない。
▼気象観測の拠点としての役割だ。今でこそ人工衛星にその座を譲ったが、昭和40年に運用を始めた山頂のレーダーは、太平洋から刻々と列島をうかがう台風の姿をとらえ続けた。高度4千メートル近い地点で観測される気温や風速は天気を予報するうえで、貴重なデータとなった。
▼明治期、この富士山頂での観測に先鞭(せんべん)をつけた若き気象学者とその妻がいた。野中至、千代子夫婦である。独学で気象学を学んだ野中は高地での観測の必要を知り、富士山頂で越冬することを思いついた。明治28年秋のことで、費用は自宅を売り払った金をあてた。
▼初めは野中1人で登る予定だった。だが千代子も夫を助けたいと、足腰を鍛えて山頂に同行することになった。「御国(みくに)の為と聞くならば…兎(と)にも角(かく)にも登山せばや」。産経新聞社『教科書が教えない歴史』によれば、千代子は日記にこう決意を書いている。
▼だが2人とも登山は素人だった。氷点下20度以下の寒さや強風の中でともに倒れ、心配して登ってきた慰問隊にようやく救出される。それでも10月から12月まで82日間も観測を続けた。やがて山頂に国の観測所が造られ、通年観測が行われるきっかけともなったのだという。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます