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鼓曲萬来

太鼓と神のエチュード(改)

御諏訪太鼓と諏訪大社の話等

実はあまり知られてはおりませんが
大黒さま(大国主命)と恵比寿さま(八重言代主神)は親子の間柄
そして恵比寿さまには弟がいらして
その弟こそが諏訪大社に祀られる
建御名方神という事
それを踏まえて頂いて

さて、それではまずこの国の始まりともいえる神代の時代に遡ってみますと、
出雲の国とも大和の国とも言われる我が国の基は
大国主命が国造りを初めた時より始まると言われています。

大国主命(おおくにぬしのみこと)は、少名毘古那神(すくなびこなのかみ)と協力し国を平定し納めましたが、天孫降臨(てんそんこうりん)し天照大御神(あまてらすおおみかみ)に国を譲って今に到っているのですが
この天孫降臨こそが日本の始まりとされておりますのは皆様もご存知だと思います

さて、大国主命には二人の息子がおりました兄は言代主(ことしろのぬし)、
弟は健御名方(たてむなかた)と申します。
言代主は八重言代主神が本名で、八重とは沢山、言代は言葉という意味です、易に於いては沢(たく)と言って、神の言葉の託宣者を指すのです。
性格は従順で頭脳明晰、一日の内に数千の新しい言葉を産み出したと書かれています。

健御名方は健御名方神が本名です。
千引の石を軽々と持ち上げるそんな怪力を持ち、辺りを打っては轟音響かせ、勇猛果敢な心を持っていたそうです。
易に於いては巽(そん)と言って、荒い風と太鼓の神とも言われているのです。

女帝天照大神(アマテラスオオミカミ)はこの兄弟の日増しに盛り上がる人気と多くの人々が集う姿に恐れを抱き、また高天原から疎んじられている様から大国主に勤めは終了したゆえ故、速やかに芦原中津(あしはらなかつ・平定した現世)を高天原に返還することを要求する国譲りを求める、という流れでありまして

その時に大国主は天命、あるいは高天原との無益な殺生、諍いを避ける為要求を呑むこととなりますが
唯一つ天照に求めたのはその天照の直子達が住むような大きな御舎を要求、出雲大社を建立して貰い、そこに鎮座していく事となりました。

そう、確かにこの時点では大国主の日本と高天原を中心とした二つの日本があった訳で
現在の我が国はその基を天照の伊勢神宮を総氏神として引き継いでいったのですが一方では出雲大社を中心に護っていく事ともなっていった訳です。

 その時に八重言代主神は何ひとつ異を唱える事無く、『乗って来た船踏み傾け、天の逆手(あまのさかて)を打ち、その船を青い柴垣にして、その中に隠れり』と古事記には示されています。

健御名方神といえば、兄に比べて少々気が荒い性格でしたから、「国造りの功績は父と母に有るのだ、それを急に、天照大御神と言われても承服出来ない」と高天原に刃向かったのですが、三度、天照大御神の天軍に押されて高天原から遂には信濃の国は諏訪湖に追いやられ、荒い風と太鼓の神はなんと風穏やかなりし彼の地に隠遁したのです。

天照大御神は三種の神器を持って三界を統治する事となりました。ここで兄弟は別々に暮らす事になってそれから以後は合う事が許されなくなったそうです。

なぜ大国主命は何も言わずに国を譲ったのか?
普通、こういった諍い、或いは戦いともなりますと勝者と敗者のその後は歴然としておりまして隆盛を極める勝者と衰退滅亡の敗者という絵が展開される訳ですが
生憎、この国に於いては、命を受け、引き下がった者に対しても寛大ともいえる、いやそれ以上の特別な待遇を与えて優遇するといったあまり諸外国には見られない展開も、この国の国民性を表しております

引き下がる大国主も又それなりの筋を通して国を譲っていく訳ですがご承知の通り、わが国は一系統治のもと、歴史の排除せず、つまりクーデターのなかった国の一つであります。
この時に(天孫降臨)をもって日本国の誕生をみて、それから現代の象徴天皇へと続く永久の時の流れの中に、我等が太鼓の神は、共に日本国の土台を作りながらも天照大神の命を受諾、その国造りの功績を全て譲り渡し、八百万の神々と共に日本の各地にいわば民衆の中に下って参りました......。

といったところが神話の世界での話ですが
なかなかSFチックな話であります
大国主が大黒様に言代主が恵比寿様になっていく下りは
参照から読んで頂くとして

一時日ユ同祖論とかが語られておりましたが
確かに諏訪地方や諏訪大社とイスラエルの関係は
疑いのなき事例に溢れております
又ここに於ける高天原、天軍とは一体何を表しているのか

伝説はもとより史実にあらねども事の真相伝ふもの也
この一連の話で何を紐解くのか興味深い処ではあります

そして言うまでもなく私共の太鼓は
諏訪大社に伝承された軍楽や古い書付から
師である小口大八宗匠の手によって研鑽、編纂されて
現代に蘇ったものを基としております

師曰く 諏訪では小口姓以外太鼓を打つことは許されなかった
お前たちはその壁を壊して自由にその演奏を世に伝えていって欲しい
そんな事を頂いての鼓絆 そして御諏訪太鼓
祀られる太鼓の神の意を汲んで決して屈する事無く
又新たな気持ちで伝承して行く為にも
しっかりと精進させて頂く所存であります

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