浅草にあるJPCに行ってまいりました
と申しますのもスタジオにずっと放置しっぱなして
去年の夏に気が付いたんですが
ジャンベの皮が破れてまして
ダンベックの皮もヨレヨレに
直さなきゃと思いつつそれから更に1年
なかなかジャンベやダンベックの出番が無いもんで
とりあえず専門の店にて修理の目論見という事です
全館パーカッションとドラム等の打楽器専門店なので飽きませんな
目論見も終了して浅草をブラッとするのも良いんですが
先日のサリハナパーティの余韻も残っておるところですので
銀座に寄って昼食は懐かしい店でという事に致しました
当日の演奏の模様は只今ハナが全力で編集しておりますので
出来次第チャンネルの方に上げて行きたいと思っております
という事で以前上げたあずまの記事を再度
銀座キッチングラフィテイ
1970年代の初頭
バンドを作った我々は
銀座6丁目にある交詢社ビルの地下にあった
シーザースパレスという処に「箱バン」として入りまして
毎晩の演奏にあけくれておりました
今はもう無くなってしまいましたが
交詢社ビルは残っておりまして
その地下のフロアが全域シーザースパレス
我々が演奏していたところでした
「箱バン」といっても馴染みがないかもしれませんが
要するに店と契約して
月単位で毎晩演奏する
そういった形態のハウスバンドと言っても良いかもしれません
大体夕方にお店に入って
35分から40分演奏して、お客様を踊らせて
その後20分休憩して再び演奏するというタイムテーブルで
一日4から5ステージというスケジュールでした
で、今日の話ですが
其の時どんな曲を演奏していたか
バンドシーンはどんなだったのか、という様な話でなく
まあ毎晩同じところに3,4年もいる訳で
毎晩賄の食事とかが出ておりましたけど
大概の賄いは飽きてしまう訳です
まして意に反しまして結構バンドも次第に人気が出まして
オープン前からシーザースの前に行列も出来るようになり
ダンスフロアも盛り上がっておりましたので
終に店側から「お客さんが踊ってばかりでお酒や食事が出ない」
そんないきさつからステージが15分になりw
「なるべく踊りにくい曲を演奏して欲しい」という状況になってしまいました
良いことか悪いことか解りませんが
そうなりますと更に休憩時間が長くなる訳です
そんな時に賄いを遠慮して
お世話になった銀座のレアな食事処を
今日はいくつか紹介したいと思う訳です
勿論当時20代のバンドマンが行く店ですから
超銀座チックな豪華な店ではございませんが
今現在もその姿を形を変えながら残っているという
人気の店である事には変わりはございません
銀座あずま
まず、ご紹介したいのが
交詢社ビルの裏通り
「すずらん通り」にあります
あずま
なんといっても豚のジュージュー焼でございます
まあ、我々の定番でございました
熱く熱した鉄板の上にキャベツを敷き詰め
其の上にのった豚肉の細切れに
秘密の特性ソースをかけて頂くという
もうそのソースの焼ける匂いと豚肉、キャベツの按配がたまりませんです
あずま今も同じ場所で店を構えておりまして
その人気が衰える事ございません
スイス
6丁目の裏路地を入っていきますと
老舗のレストラン 「スイス」
現在6丁目から3丁目に居を移しておりますが
我々が通ったのは、まだ6丁目にあった頃でした
ここは何といっても「カツカレー発祥の地」
つまり聖地といっても過言でございません
当然「かつかれー!」ですが、その他の洋食も昔ながらの感じで美味しかったです
そして昔のスイスは
なんと申しましょうか、床もテーブルも傾いておりましてw
その不自然な姿勢で頂くのも乙でありました。
ナイルレストラン
時に貸切のパーティ等も入りまして
そうなりますと更に時間を持て余す訳でして
そういう時、少し足を伸ばして歌舞伎座方面
その近くにございますのが「レストランナイル」
まあ、実に昔からユニークな店でありまして
まず、オーダーが許されないんですわ
一応メニューがあるんですが
注文はウエイターによってお勧めの「ムルギランチ」に強制的に決定される訳ですw
続いて「日本のビール?インドのビール?」と問われ
運ばれてきたムルギランチの食べ方までが一連のルーテインになっております
「じぇんぶかけて!まじぇて!」
思い出すだけで懐かしい
おそらく今もあのインド人のウエイターが残っていらっしゃるのかどうか不明ですが
時々あの強制指導に任せて食事したいと思う管理人でございます
いや、どの店も懐かしいです
食べて、演奏して、賄い頂いて、又演奏する
そんな毎日の中の幸せな一刻
これが新宿での@箱となりますと「つるかめ食堂」になり
六本木ですとバーガーイン、レオス、デリー
そして究極の「六本木食堂」と相成る次第ですが
そこら辺は又別の機会に