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鼓曲萬来

都知事選とメディア

中学に入学するとすぐに放送部に入部しました
1960年代の初頭というところでしょうか
その頃テレビやラジオから流れて来る音楽に夢中になり
ニュースキャスターとかDJに憧れまして

その後も中学三年間そして高校の三年間
大学も日大芸術学部放送学科に入りまして
将来はメディアに携わる仕事に就きたいと思っておりました

まだテレビメディア自体もそんなに成熟しておらず
当時はどんなアイデアも冒険も許される、そんな時代
そしてなによりメディア、ブロードキャストに
時代に生きる格好良さを感じていたのも確かです

いや何故このような事を書いているかと申しますと
先の都知事選
完全浮動票、Anarchy in the JPを自負する私ですが
なんとか未来の東京の為にと
毎回のように乾坤一擲の一票を投じておる訳です
しかしながら今回もその思いは報われませんでした

落選した候補者も各々「知名度が足りなかった」
「全て自分の足りなさ故」等と反省の弁を語っておりましたが
薄々は選挙戦の構造も解っておりましたし
自らの考えは東京に住む都民の半数以下だという事も
残念ですが改めて理解させて頂いた次第です

で、そんな状況の中
投票結果以上に感じたのがメディアの凋落振りでありました

結果が出るや否や待っていたかのような敗者叩き
そしてコメンテイター達の
結果が出る前に言ったらどうなんだと思うような
自分たちが民意の代表者であるかの上から目線
あるいはどこからそんな質問が出るのかと疑うような
不勉強かつ見当違いの質問

いや、あの頃の放送というものに
或いはメディアに対して憧れを持っていた
あの頃の自分が今のこの状態を見たらどう思ったでしょうね

おそらくそれ以降放送の部活動なんかに
希望や憧れ何かは抱かなかったと思います
それ位今回のメデイアの露出は
都民に改めて理解させたというか
失望させるのに充分な状況でした

メディアという言葉の源はミーディアムにあると聞いた事があります
つまり複数形がメディアであり、単体系がミィーディアムという事
 ミーディアム.....即ち日本語に訳すと霊能者とか霊媒師とかの意ですね
或いは情報媒体?
 
大昔はこれらの特殊能力を持った方々が
思う存分持てる力を発揮し
啓示を解り易く解き明かし
齎される情報を元に物事は推移し、
やがてその規模が拡大し
メディアという一つの情報集合体を形作っていったと推測される訳ですが
 
となれば、それに携わる人の個人の特殊能力の低下であるともいえるし
反対にメディアの力が強くなれば、それは個人よりも組織
メディアの力の前には個々の能力等は発揮する機会さえも失われていく
 ようするに関係のバランスを欠いたメディアとかミーディアムは
当然、真実や正しき方向等は差し示せる訳は無いという事ですね
 
最近本当にテレビ見なくなりまして
新聞も偏向報道がやいのやいの言われてから読まなくなったし
はっきり言えばもう周りからもたらせられる情報って奴に
はなから信用なんか出来なくなってしまって
よるべき処が見当たらないって状況

それに開票と共に当選が確定するなんて
どう考えてもシナリオ台本通りの結果としか思えませんわ
 
でも、まあそれが時代の流れって奴なんでしょうね
もうSNSで誰もが簡単に情報を発信できる時代です
メディアに携わる事自体が変わってしまいました

そんな事を思いながら
まあ、あの頃の自分には放送より音楽の方に行きなよって
今なら素直に言える気も致す次第です 乙

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