毎月10日は金刀比羅さまの縁日
特に1月10日は「こんぴら祭り」という事で
新橋虎ノ門の金刀比羅宮に参拝に行ってまいりました
金刀比羅さまには昔から御縁がありまして
小さい頃は赤坂榎坂、今で言うところの
赤坂一、二丁目という近辺に住んでおりましたので
そこから虎の門にある金刀比羅さまの縁日には
家から霊南坂の坂を越えて10分ぐらいの道のり
アセチレンの匂いとか、裸電球に照らされた沢山の境内での屋台の風景は
今でもはっきりと記憶に残っております
そしてもう一つの縁は、父の事なんですが
物心付いてから大晦日や正月を一緒に祝った事がありませんで
というのもその時期になると毎年父は四国に旅立っておりました
勿論金刀比羅さま詣でという事でしたが
その時期は母と妹と私で過ごすものという決まりの様になっておりましたが
毎年父のいない正月はちょっぴり寂しい思いもしておりました
今になってみると
父が何故 金刀比羅さま詣でに出かけていたのか
どのような由縁で其の信仰に至ったのかは不明です
考えられるとしましたら父は海軍兵でしたから
海の守り神としての金刀比羅さまを信仰していたのかもしれませんし
或いは実直で真面目な父親でしたので
正月だけは母親公認で家族と離れて
四国で羽目を外していたのかもしれません
今となっては理由は不明ですが
生存中に確かめておけば良かったと今は後悔しております
ということで10時半前に丸の内線霞が関駅に到着
A-13出口から徒歩5分程で金刀比羅宮
そして着いて早々威勢の良い
江戸消防団のおめでたい木遣りの奉納からスタートです
里神楽奉納は翁の舞い
続いて七福神行列
境内を何度もねり歩いて
参集の方々に福を授けて下さいました
初金刀比羅さままつり賑わすニンバとオカメの舞
金刀比羅宮に今年1年の無病息災を祈願してまいりました
ここで予期せぬハプニング
なんとおかめの一人が愛想良くソソッと寄ってまいりまして
袂から金刀比羅瓦煎餅を一枚下さいました
むむ...同業の匂いを感じたのか
wもしかして幼馴染?知り合い?あり得ますw
とにかく供物を頂くなんぞ
なにか今年は縁起がよさそうです
今年は特に私は年男
兎といえば真っ先に思い出すのが
「因幡の白兎」のお話
騙した鰐(鮫)に皮を剥がれていたのを
大国主の命に蒲の穂で癒して貰うという例の話ですね
実は金刀比羅さまの本体は印度のガンジス川にいる鰐という事で
あの有名なシュラシュシュシュ♪も実はそれを連想させるそうで
クンビーラという印度の神と仏教や神道と合祀されて金毘羅となったそうです
まあ,そんな事から兎年の私としましては今年は特に
金刀比羅さまとの縁を深めねばならないという訳で
あの例の歌等を思い出しつつ参拝させて頂いた次第です
で、例の歌ですが
金毘羅船々(こんぴらふねふね)
この歌小さいころよく歌っておりましたな
いや勿論シュラシュシュシュまでを何回も繰り返すといった按配でした
まあ小さい頃は「追い手」ではなく「お池」だとばかり思っておりましたが
で、この歌、途中から
「一度廻れば」の合いの手と共にアッチェル(テンポが速くなる)するという
他の謡曲とは異なる不思議な構成になっておりますが
それにはこういった理由がありまして
そうなんですよね 思い出しますな
と、申しますのも私の通っていた小学校は
土地柄的にも芸者の娘というのが同じクラスに沢山いた訳で
彼女たちとよくこのゲームをさせられまして
まあ、強いのなんのって
負ければ一日召使になるという取り決めでしたので
何度むごい仕打ちを受けたかわかりません
そりゃそうですわ 強いに決まってます
相手は小さい頃から プロになる為全力で仕込まれているんですからね
という事で虎ノ門から溜池山王、赤坂見附と
昔懐かしい界隈を歩きながら帰って参りましたが
横丁界隈から声を掛けられそうな雰囲気は
もうどこにも残っておりませんでした 乙
追記
お~っと、大都会のど真ん中に現れた異空間に心持ってかれたようで
気持ちも心なしか浮かれておりますが いけません
大事な金刀比羅参りの話を一つ忘れておりました
広沢虎造屈指の遠州森の石松の名調子
「お前さん江戸っ子だってね~」「おう!神田の生まれよ!」
「そうかい、そうかい寿司喰いねえ!酒飲みねえ!」の例の話ですな
「馬鹿は○ななきゃなおらない~!」のひとくさり
え~、それもどこかでしっかり覚えていたんでしょう
帰りはどこにも寄らずに まっつ~ぐ家に帰りました
「三つ子の魂百まで」と申します 乙×2