1 しりとり必勝法
「なあ~、しりとりしようぜ」
楽器車を運転していた近田が突然こう言って来た
仕事が終わって楽器を積んで夜通しで高速を走っている時
大方のバンドは音楽の話や世間での出来事
あるい今日の演奏の反省とかそういった話題が中心になるんだろうけど
俺達は仕事以外の時は赤の他人
現地集合現地解散、打ち上げなしの取り決めがあったから
車内でも各々勝手気ままに過ごすことが多かった
そんな近田が名指しで来たのだから
これは何かあるなと感ずいて当然だw
よ~し、やろうじゃねえの
案の定、繰り出して来た手は
語尾に「る」を付けての攻撃だった
俺「りんご」
奴「ゴール!」
俺「ルビー」
奴「ビール!」
俺「るりかけす」
奴「ストール!」
クック、全部る付けて返してくる
で、そこで奴に聞いたのだ
「OK,作戦は解った、で、なんでそんな戦法考え付いたんだ?」
答えはこうだった
「俺さ~、しりとりの必勝法見つけたんだよ
辞書や索引でさ、
そしたらるで始まる単語のページが一番少ないんだよ
だからるで返していきゃ、最終的に勝てる」
奴の話は時に唐突に聞こえるかもしれないけど
案外その奥はこういった地道な研究と考察に支えられている事が多い
で、俺はしりとりの勝ち負けがどうこうとかいうより
その後に本当に嬉しそうな顔して講釈し滔々と説明する
奴の話を聞くのが大好きだ
まあそんなこんなで近田の必勝法は少なくとも俺は3つは聞いているw
2 ファンキーダッコ号
miyatarjinさんが貴重な写真を送って下さいました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/55/77f1c25a7fe8d36798ef25c2e3190064.jpg)
これは高木と僕が抜けて一回だけ日比谷に出演した頃の
後ろに....お~っ!
これこれ、ファンキーダッコ号の勇姿ですw
ベースが哲也、ドラムがタコ八
キーボードに坂下をさして出演したのですね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/62/61951f55a5265405b430cd8d6c75b239.jpg)
其の後すぐに
私は和太鼓でサンフランシスコ、ニューヨークに
そしてハルヲフォンは後のジューシーフルーツ、
ビーフに繋がってまいる訳です
miyatarjinさんありがとうございます。
3 巻・その後
巻の事を書いたら幾つかの情報提供がありまして
乗っていた車はZの2by2であったとか
馬券が的中した事はあまり無かったとか
フィリピンパブに入れ込んでたとか
有難うございますw
巻は
ファンキーダッコから電撃的東京まで
ハルヲフォンのマネージャーを務めていましたが
その後、小林とCCBの事務所を立ち上げ、自ら社長になり
その頃は羽振りも良かったそうですが
ソフマップの立ち上げにも関わっていたそうであります
しかし、情報もその辺りまでで
その後は消息不明になってしまいまして
音沙汰なし
あの押しの強い巻の事ですから
きっとどこかでしたたかにやっているんでしょう
そう願うばかりであります
しかし45年以上の月日
思い出せば数々の出来事がありました
それでも前を向いて今も演奏出来る事
関わった方々に改めて感謝の思いを伝える次第です。
4 BROTHER
ハルヲフォンで米軍キャンプの仕事した時
「一緒に演奏させてくれ」って
ブラザーがベース持ってやって来た事がありまして
「一緒に演奏させてくれ」って
ブラザーがベース持ってやって来た事がありまして
もう、見た目からしてチャックレイニ-か?って感じで
当時俺たちR&Bとか好きだったから
そうとうファンキーに渋く来そうだなって
そうとうファンキーに渋く来そうだなって
内心少しビビッたんだけど
「何が好き?」って聞いたら
「エマーソン、レイク&パルマー!」とか言うんだよねw
其のとき若干「あれっ?」ってなったんだけど
まあ、それじゃって事で
3コードのブルース
そりゃ...もう
とんでもなく下手クソでしたw
やっぱりね~、
先入観で過剰に期待するより
直感で変だなって思った時に
即対応するべきなんですよね
直感で変だなって思った時に
即対応するべきなんですよね
今も昔も
勉強になりましたわ
今でも時々あのブラザーの事を思い出すんです。ww
#追記
キャロン
長い間、行方がわからず、バンドのメンバーも色々と情報を求めて捜していた、
我々のファーストシングル発売時のリードシンガー、
キャロンホーガンが2018年1月17日逝去したとの事です。
享年60歳、情報を下さった方によると、
2016年までは浅草に居を構えシンガーとして頑張ってた様ですが、
近年は癌で苦しんでいたそうです。
ほんの一週間前まで........
悔やまれます、何で連絡してくれなかったのか
何故情報が頂けたかというと、
其の方にあのハルヲフォンのLIVEの映像をDVDにしてくれない?と頼んだそうで、
その流れで私のところにたどり着いたそうです。
亡くなる迄「又、歌いたいな」と言っていたそうで、
そんな話を聞くと本当に、本当に辛くなりました。
キャロンは産まれてすぐ、父親、母親と別れ叔母に育てられ、
やがてエリザベスサンダースホームに預けられて、
16歳の時に歌手としてグッチ有三等と活動を始め、
そしてディスコ創世記の伝説の六本木アフロレイキの看板シンガーとなり、
その後、我々とキングレコードからシングルを発表致しました。
その後は色々な人生があったようですが、
本にも書いた通り、我々には唯一無二のリードシンガーでもありました。
先日のwww、今まで経験した事の無いような機材トラブル、
あれも電池切れとかいうものでは無く、
いわゆる一種の虫の知らせのようなもんだったのかな、と今になってそう思えます。
又一緒にステージに乗りたかったよな、キャロン。
でも苦労して貫いたシンガーとしての一生、最後まで歌いたいと願っていたその心、
しっかりと受け止めてまいります。
安らかに