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鼓曲萬来

花子さん

大分夜も長くなってまいりまして
せっせとBLOGをUPしたり
ゆっくりと色々な曲を聴いたりして過ごしているんですが

もう長年色々なジャンルの曲に触れてまいりまして
普通の曲は若干聞き飽きたとでも申しますか
こういった時には
一風変わった曲でも聴いて過ごしたいとも思いまして

しかし今はどんなレトロな曲でも
ネットで手軽に聴ける時代になりましたな

で、本日は日本で唯一のアカデミー助演女優賞受賞

と、申しましても1957年の事でございまして
私クラスで6つ.....こんな頃です
見事なセピアw




まあ、当然どなたの記憶にもございませんでしょうけれど
其の方の名前はナンシー梅木(梅木美代志)

いや、凄い話です、アカデミー受賞女優ですよ
それ以後、日本人では誰もいない訳で.....


ナンシー梅木さんは1929年5月6日北海道小樽生まれ
小さい頃から近所のお医者様に英語を習っておりまして
やがてその能力をかわれ
戦後の米軍キャンプ等で歌手としてJazz等を歌っていたそうです

そして1955年 実力を認められて渡米
1956年 TVのアーサーゴドフリーショウに
着物姿で英語の歌を歌い大人気を博しました。

その有名な楽曲のタイトルは花子さん
当時のアメリカの日本に対するイメージは
こんな感じで捉えられていたんでしょうな

Hanna Ko San 

 

しかしながら、その勢いのまま
1957年 マーロンブランド主演のSAYONARAに出演
日本人唯一、そして東洋人としても初の
アカデミー助演女優賞受賞となる訳です

授賞式の模様、プレゼンターはアンソニークイン!

MiyoshiUmekiwinning 

いやあ、凄い話ですわ
で、その後ブロードウエイに進出という流れなんですけれど

そこは人生の光もあれば影もという事で
その後、結婚なされて幸せに暮らしていたんですが
最愛の旦那さんに先立たれてしまいまして
随分ショックを受けたらしく
以後あまり仕事にも情熱をなくしてしまい
数年してマスコミから隠れるように引退したそうです

晩年はハワイにいたり
ミズリー州で息子さんと暮らしてたそうですが
2007年8月28日、癌で亡くなられました

という事で
何か色々と思う事も....

彼女が活躍した50年代は
自分もまだ小さくて、あまり良く覚えておりませんが
戦争の傷跡が残りつつも復興の時代
言葉も違う異国の地
今では考えられないような苦労もあったんだろうなと

曲を聴きながらその当時の空気感が伝わってまいりまして
同じ年代の亡くなった親父の事、お袋の事
色々と思い出しまして
ちょっとセンチになった秋の夜の管理人でありました。


管理人
赤坂榎坂箪笥町で育ちました。



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