風のいろは 何いろ?

緑を渡る時、空を吹き巡る時、風は何色なのだろう?
風には色はないけれど、私には………。

出エジプト記 3~13章

2003-09-25 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
 ミデヤンの地・シナイ山に近い所で羊の番をしていたモーセに、神様が初めて呼びかけられた。 ※
 エジプトで苦しむイスラエルの民を救い出すためモーセに、エジプト王やイスラエルの長老に会うよう命じられた。モーセは、誰が自分を信じるだろうか、とか、自分は口下手だからうまく話せないとか、あれこれ言い、この使命がとても果たせないことを訴える。しかし、神様は、奇蹟をいくつも起こして自分の力を示すし、話はモーセの兄・アロンにしてもらえとモーセの言うことに取り合わない。
 いよいよエジプトに旅立つ日が来た。
    <font size=2>(モーセは、エジプトで殺人を犯したため、ミデヤンに逃れて
     いたので、「エジプトに戻ったら罪に問われるのでは…?」と
     私は思った。しかし神様から次の言葉がモーセにあった。
     「おまえを殺そうとしていた者たちはみな死んだ。」)</font>
 長老たちは、杖を蛇に変えたり杖に戻したりする、モーセを通して起こる神の奇蹟により、モーセを受け入れ、喜び、神を礼拝した。しかし、エジプト王は、大変に強情であった。いくら奇蹟を見せても、例えばエジプトの民が苦しむような奇蹟を起こしてみせても、その場はすぐイスラエルの民をエジプトから出そうと言いながら、苦難を逃れられると、あっというまに心を翻し、ちっともイスラエル人を解放しようとしない。
 しかし王のそういう態度は、神が赦されていたことだった。つまり、より偉大な神の力を見せるために、彼の強情が利用されたのだ。最後に神が示したことは……実に
エジプトの民を震え上がらせた。
 ある真夜中、神がエジプトを通られた。その時、王の子供も、奴隷の子供も、家々の長男がすべて命を奪われた。家畜もまた例外でなく、その初子を…。 (その時、エジプトに滞在する、神に従うイスラエルの民がこの難を逃れられるよう、神様からモーセを通して命令がくだっていた。傷のない羊か山羊の一歳の雄を殺し、その血を戸口の両脇の柱とかもいに塗ること。これを目印に、神はその家には災いをもたらさない。そして、これを「過ぎ越しの祭り」として、子々孫々伝えて守ること。祭りを守ることによって、神様の偉大な力でエジプトから救い出された思い出を新たにするために。)
 こうしてやっと奴隷としてエジプトの地で苦しんでいたイスラエルの民は、その地を脱出することができた。

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※ここで聖書において初めて 「主」というお名前が出てきた。
「主」のもともとの意味は「わたしはある」という
 イスラエルの神の名前だそうだ。
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