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4月18日土曜日、浦添市のてだこホールで、
塩沼亮潤さんというお坊さんの講演会を聞きに行きました。
主人が入っている経営塾で聞いたようで、とにかく凄いお坊さんらしい
と主人は興奮していました。
てだこホールは、たくさんの人で溢れていました。
何が凄いかというと、大峰千日回峰行を終えた方だということ。
この過酷な行を満行した人は、1300年の歴史の中で2人しかいないそうです。
塩沼亮潤さんは、小学校5年生の時に、
TVで比叡山の千日回峰行を観て「これをやりたい」と思ったそうです。
昭和62年5月6日に出家して、塩沼亮潤さんは、千日回峰行の中でも
最も過酷といわれる奈良県吉野にある大峰山を
平成3年5月3日~9月初旬までの4ヶ月間の毎日
48キロ歩き続けるという行をおこなったそうです。
大峰山に人が登れる期間は1年の中で4ヶ月と決まっており
1000日回峰行を成し遂げるには、4年もかかり
1ヶ月目に栄養失調で爪がボロボロになり
4ヶ月目に血尿が出て、下痢が止まらなくなるのだとか、、、
そして、千日回峰行にはたった一つの掟があって
いったん入行したら途中で止めることは絶対に許されないそうです。
どんな高熱であろうと足の骨を折ろうと
行を止める時は、携帯している短刀で腹を切るか
腰に巻いている紐で首をくくるかという
想像を絶する命がけの修行のようです。
今回の演題は、「心をこめて生きること」でした。
私の心に残った講演内容と入場時にいただいた冊子(塩沼亮潤さんと茂木健一郎さんの対談)に
書いてあったお話も含め下記にご紹介します。
人間が変化し、成長するには、考え方、心の持ち方の両方を変えなければ
ならないでしょう。
人間は、この世に生を受けて自身を律する事なく生活していると
本来あるべき姿からかけ離れてしまう場合があります。
長い間にずれたものは、数日の躾では直りません。
ある一定の期間正しい修行や生活、毎日同じ事を繰り返すことによって
人間は悟る可能性があるとも言われています。
仕事とは、「お仕えさせていただく事」と書きますように
人間とはあの世へ行くまで何かのお役に立つこと
仕えさせていただく事に最も重要な意味があると考えます。
自分に何ができるだろうと考えた時、「我」ではなく
「他」のため、皆さんに喜んでいただくためという目標を持つことが大切で
そうすれば努力し続けられると思うのです。
受身になって「人にやらされている」「しなければならない」と思った時点で
人の気持ちはドンドン卑屈になってしまうものです。
同じ環境でも自分の気持ちで進んで乗り越えさせていただこうと思えば
自然と笑顔も出てきます。
人生も行と同じようなこと。卑屈になってはいけません。
全てを受け入れて、楽しんで進んでいくこと。
それは、ちょっとした心の転換なのです。
以前の私は、山の修行で学んだ行の心を里に戻って実践できるかというと
なかなかできませんでした。
それは、里(お寺)での人間関係。
朝起きて「おはよう」と言っても相手から心地よい挨拶が返ってこない
気持ちが暗くなり、「なぜだろう」
と心の中で相手を責めてしまう自分がいました。
自分の精神面が環境に左右されずに安定してさえいれば
相手がどうであろうと
「今日は一緒に頑張ろうね」ともう一声かけられるようになりました。
自分が変われば、周りも変わる
人間関係がスムーズになったと感じた時は、大変嬉しい思いがしました。
人それぞれの役目において、自分の人生の行を極めてゆけばいい
行で最も「怖い」のは、どんな命がけの荒行を果たしても
人を怨んだり憎んだり嫉妬したりする心が自分に残っていたら、
行の意味は全くなくなることです。
お釈迦さまが「苦行には意味がない」と苦行を捨てられたエピソードを考えると
行で苦しむことが偉いのではなく
苦しかったとしてもその先にある「心の問題」に対して
「なるほど」という気づきが得てこそ意味があります。
それには、行動に伴う結果を求めるのではなく、
その行動自体に価値を見出していることが大切で
最初の情熱を持ち続け、1つのことを繰り返してやり続けていき
集中していくと、没我(我を無くす)の境地に達していきます。
すると、人は気付き、変化し、成長するのです。
お話は、日頃からよく聞く内容でした。
塩沼亮潤さんは、自分の役割が山の行をするこで
その行を今でも行いながら得た気付きを
皆さんにお伝えしていますとおっしゃっていました。
私たちも日々、色々な出来事が起こります。
私の仕事、生活におけることも同じです。
繰り返し行う事とは、デイリーケアをする、決まった仕事をする、決まった家事をする
日々変わらない決まった事をコツコツと心をこめて行うことは
なかなかできることではありません。
飽きてしまい、エキサティングなことをやりたくなります。
結果が見えないと、つまらなったり、焦ったり、他に目がいったり、、、
その地味な日々の決まったことに対して「心をこめて」コツコツと行うことで
見えてくるものが、積み上げていくものが、段々見えてくるのです。
まさしくカルマヨーガの智慧
私の今年の大きな目標がこの事でした。
その自分の体験こそ、多くの方に役立てることができるのでは?
確信しました。
まずは、自分に目を向け、心をこめてコツコツと行う努力を
1000日続けてみようと思います。
そういえば、細胞は1000日に入れ替わるということも以前聞いたことがあります。
塩沼亮潤さんの実際の体験に基づいた等身大のお話にとてもパワーを感じました。
自分を乗り越えた人の穏やかさ、大きさは、本物です。
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塩沼亮潤さんというお坊さんの講演会を聞きに行きました。
主人が入っている経営塾で聞いたようで、とにかく凄いお坊さんらしい
と主人は興奮していました。
てだこホールは、たくさんの人で溢れていました。
何が凄いかというと、大峰千日回峰行を終えた方だということ。
この過酷な行を満行した人は、1300年の歴史の中で2人しかいないそうです。
塩沼亮潤さんは、小学校5年生の時に、
TVで比叡山の千日回峰行を観て「これをやりたい」と思ったそうです。
昭和62年5月6日に出家して、塩沼亮潤さんは、千日回峰行の中でも
最も過酷といわれる奈良県吉野にある大峰山を
平成3年5月3日~9月初旬までの4ヶ月間の毎日
48キロ歩き続けるという行をおこなったそうです。
大峰山に人が登れる期間は1年の中で4ヶ月と決まっており
1000日回峰行を成し遂げるには、4年もかかり
1ヶ月目に栄養失調で爪がボロボロになり
4ヶ月目に血尿が出て、下痢が止まらなくなるのだとか、、、
そして、千日回峰行にはたった一つの掟があって
いったん入行したら途中で止めることは絶対に許されないそうです。
どんな高熱であろうと足の骨を折ろうと
行を止める時は、携帯している短刀で腹を切るか
腰に巻いている紐で首をくくるかという
想像を絶する命がけの修行のようです。
今回の演題は、「心をこめて生きること」でした。
私の心に残った講演内容と入場時にいただいた冊子(塩沼亮潤さんと茂木健一郎さんの対談)に
書いてあったお話も含め下記にご紹介します。
人間が変化し、成長するには、考え方、心の持ち方の両方を変えなければ
ならないでしょう。
人間は、この世に生を受けて自身を律する事なく生活していると
本来あるべき姿からかけ離れてしまう場合があります。
長い間にずれたものは、数日の躾では直りません。
ある一定の期間正しい修行や生活、毎日同じ事を繰り返すことによって
人間は悟る可能性があるとも言われています。
仕事とは、「お仕えさせていただく事」と書きますように
人間とはあの世へ行くまで何かのお役に立つこと
仕えさせていただく事に最も重要な意味があると考えます。
自分に何ができるだろうと考えた時、「我」ではなく
「他」のため、皆さんに喜んでいただくためという目標を持つことが大切で
そうすれば努力し続けられると思うのです。
受身になって「人にやらされている」「しなければならない」と思った時点で
人の気持ちはドンドン卑屈になってしまうものです。
同じ環境でも自分の気持ちで進んで乗り越えさせていただこうと思えば
自然と笑顔も出てきます。
人生も行と同じようなこと。卑屈になってはいけません。
全てを受け入れて、楽しんで進んでいくこと。
それは、ちょっとした心の転換なのです。
以前の私は、山の修行で学んだ行の心を里に戻って実践できるかというと
なかなかできませんでした。
それは、里(お寺)での人間関係。
朝起きて「おはよう」と言っても相手から心地よい挨拶が返ってこない
気持ちが暗くなり、「なぜだろう」
と心の中で相手を責めてしまう自分がいました。
自分の精神面が環境に左右されずに安定してさえいれば
相手がどうであろうと
「今日は一緒に頑張ろうね」ともう一声かけられるようになりました。
自分が変われば、周りも変わる
人間関係がスムーズになったと感じた時は、大変嬉しい思いがしました。
人それぞれの役目において、自分の人生の行を極めてゆけばいい
行で最も「怖い」のは、どんな命がけの荒行を果たしても
人を怨んだり憎んだり嫉妬したりする心が自分に残っていたら、
行の意味は全くなくなることです。
お釈迦さまが「苦行には意味がない」と苦行を捨てられたエピソードを考えると
行で苦しむことが偉いのではなく
苦しかったとしてもその先にある「心の問題」に対して
「なるほど」という気づきが得てこそ意味があります。
それには、行動に伴う結果を求めるのではなく、
その行動自体に価値を見出していることが大切で
最初の情熱を持ち続け、1つのことを繰り返してやり続けていき
集中していくと、没我(我を無くす)の境地に達していきます。
すると、人は気付き、変化し、成長するのです。
お話は、日頃からよく聞く内容でした。
塩沼亮潤さんは、自分の役割が山の行をするこで
その行を今でも行いながら得た気付きを
皆さんにお伝えしていますとおっしゃっていました。
私たちも日々、色々な出来事が起こります。
私の仕事、生活におけることも同じです。
繰り返し行う事とは、デイリーケアをする、決まった仕事をする、決まった家事をする
日々変わらない決まった事をコツコツと心をこめて行うことは
なかなかできることではありません。
飽きてしまい、エキサティングなことをやりたくなります。
結果が見えないと、つまらなったり、焦ったり、他に目がいったり、、、
その地味な日々の決まったことに対して「心をこめて」コツコツと行うことで
見えてくるものが、積み上げていくものが、段々見えてくるのです。
まさしくカルマヨーガの智慧
私の今年の大きな目標がこの事でした。
その自分の体験こそ、多くの方に役立てることができるのでは?
確信しました。
まずは、自分に目を向け、心をこめてコツコツと行う努力を
1000日続けてみようと思います。
そういえば、細胞は1000日に入れ替わるということも以前聞いたことがあります。
塩沼亮潤さんの実際の体験に基づいた等身大のお話にとてもパワーを感じました。
自分を乗り越えた人の穏やかさ、大きさは、本物です。
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阿闍梨が沖縄にいらしてたとは知りませんでした。仕事とは、「お仕えさせていただく事」、いい言葉ですね。
僕も「写真」を用いて最善の仕事ができるよう日々精進であります。
是非またお話聞かせてください!
「癒しフェア事務局」と申します。
塩沼亮潤様のご講演のご感想のブログを拝見し、
ぜひ、大峯千日回峰行満行者・柳澤眞悟大阿闍梨様のご講演にもお出でいただけないかと思い、
勝手ながら書き込みをさせていただいております。
柳澤眞悟様のご講演は、
2012年3月25日「癒しフェア」内にて行われます。(場所:大阪ATCホール)
http://www.a-advice.com/osaka/guest/detail/?id=3401401794ef2d90aa8b8f
ぜひ、多くの方に柳澤師のご講演に
ご来場いただきたく、お知らせ申し上げます。
突然の書き込みで大変失礼いたしました。