おはようございます。
今日も幼少時代の話を少ししたいと思います。
前回の話の「脳挫傷」からの
復活後、いつものように
友人の「ひでき」「けい」「あっくん」などと
毎日高知市薊野周辺で
毎日を楽しんでいた私。
ある日曜日、借家の裏に畑がありまして、
その境にある塀の上を
「木村大サーカス」ばりにひょいひょいと
走り回って遊んでいました。
当時の私も、今の私もですが、
よく口を開けたままで遊んでいたんですね。
(いまでは口を開けたまま仕事してます。)
そんな、私を襲った「悲劇」。
塀の上を「へーいへーい」っと
両手にオモチャと木の剣をもって走っていたとき
私の左足が、
なんと、
塀を捉えず、
塀を踏み外し、
横の畑に体制を崩し
あ~こける~って思った瞬間!
両手にもったオモチャを離せばよいものの
離さず
そのままこけようとし、
なんと、
塀のTOPで、
あごを強打!
そして開いた口から舌がいつもでていたので
あご強打=舌を噛んでしまい、
そのまま畑へ落下!
「あごも大流血」「舌も切れかけ大流血」「おもちゃは破損」
そんな状態で動けず
畑で泣きわめいていると...
近所のおじさんが勝手口からダイビングで畑に
きてくださり、
そのまま病院までつれてって下さいました。
その時、
私、
また、失神...。
そして気がついたらまたベッドの上で、
舌の使えない私は、
また点滴での栄養補給で
約1ヶ月固形物を食せ無かったわけですが、
その横で、
父親が、
おいしそうに、
食事をとっていたその姿
忘れません...。
退院後、怪我多き私は、
「勝手な外出禁止令」
「自転車のる時運動する時はヘルメット令」
が発令し...
非常にすごしにくい時代がありました。
そんな時代がありまして、
さいさい家事洗濯を行うようになり、
5才で家族のご飯を作ることを覚えました。
小学校1年の時には
天ぷら以外の料理はだいたいつくれました。
ん?
これは昭和初期の話ではありません。
まだまだ最近の話です。
小学校5年生の家庭科の授業の時には
フライパンをふって
課題と違う料理を披露したときに
学校の先生から散々怒られた記憶があります。
私を影に連れて行き、
その時に先生が放った一言が...
「先生より上手にされたら困るき!じっとしちょって」
「ごうくんは野菜切るだけでかまんき!」
ていわれました。
そして、仰せの通り、
「超高速千切り!」
「レモンの超薄切り!」
「ジャガイモの高速皮むき!」
を披露させていただき最後には...
先生から...
「ごうくんは食器かたづけよって」
っと言われて
面白くなくて
勝手に家に帰って翌日散々怒られた記憶が
よみがえってきます。
そんな曲者の私におもろ~って皆さん
GO~GO~ MORIYAMA GO