これは数十年前の私が5才の時の話、
私、小さいときから両親が共働きだったため、
「4才位から鍵っ子」だったわけですが、
幼少期は愛する兄弟(犬)の「首領(ドン)」と一緒に
虫網・虫かご・お弁当を持って
一人で山に探検に行く毎日でした。
それも毎日犬の首領の背中に乗って
遠路離れた山に向かっていくわけで、
老犬の首領はさぞかししんどい思いをしていたと思います。
そんな事つゆ知らず、
毎日、川を上流に向かっていったり、
山に登ったり
(当然背中に乗ってです。)
いつも一緒の首領でしたが、
5才から保育園に行きだして、
遠足から一人で歩いて帰ってきたある日...
首領がたおれており、
虫がたくさんよってきてました。
小さい僕には死んでいるということがわからず、
きっと暑かったんだっと思い
向かいの川にひきずり連れて行き
水をかけたり
無理矢理水を飲ませたり
さすってあげたりしてたのですが...
父親が戻って来たときに
死んでいると
わかりました...。
その数日後、首領がいなくなり
一人で遊ぶことが増えた幼少期の僕は
一人で神社や寺や公園で
寂しく遊んでいました。
そしてある日、久しぶりに友達と兄と
3人で神社に遊びに行ったとき
あまりに興奮して
周りが見えなくなり、
大声出して遊んでいるところで、
4~5m位ある高さの所から、
頭から落下し
流血そして失神...
気がつくと自宅におり
まだ小さかった兄ですが、僕に絵本をよんでくれてました。
それはもちもちの木っという本です。
その後また失神し...
気がついたらライトがついたベッドの上。
そしてまた失神...
次目覚めたのは3日後。
またベッドの上でした。
そしてよくわかりませんでしたが、
けがの症状としては...
脳挫傷頭蓋骨及び眼底鼻骨頬骨????複雑骨折という
感じ40文字くらいの大けがでした。
将来的に治っても
目が見えない、もしくは瓶底メガネをかけるであろう
そして体のどこかにも支障が及ぶだろう
植物人間になるかもしれないと
いうことでした。
それを聞いた両親は「絶望」だったようですが、
当の本人にはその自覚がまったくなく。
意識が戻ってからというもの、
他の入院患者と混ざって
入院当初は絶対安静でしたので動けませんでしたが、
動けるようになってからは普通に
遊んでいました。
体のどこにも以上はあらわれず
奇跡的な回復をみせた私であったのです。
そして、わずか2~3ヶ月の入院生活を経て
1週間後には無事退院!
っと伝えられたその夜、
大雨の中、退院祝いとということで
父親におんぶされて
病院前のラーメン屋に母親に内緒で二人で向かい
食事をすまし
病院に帰ったのはよかったのですが、
その時、私...
父親の傘に外れて
背中からずぶ濡れで、
翌日「重度の肺炎」になりまして
生死の境をさまよってました。
高熱で脳がやられてしまうかもっという恐れもあり、
非常にまずい状態でありましたが、
幸い入院が1ヶ月伸びた程度で
無事退院。
そしてそれから数十年経ちますが、
私の体はどこにも異常をきたさず健康に育ち
素敵な人生を歩んでおります。
その時に「忍耐」「努力」っというものを
生きる力をもって養ったのかもしれません。
もう2度と体験したくない
出来事ですが、
これはきっと首領が幼少の私に生きる力を吹き込んで
くれたんだと思います。
非常に危険な貴重な体験をした思い出です。
ちなみに私入院して胃袋に食べ物をいれてはいけなかったので
当然、点滴にて栄養をとっていたのですが、
3日して目を覚ましたその時も、
意識を取り戻してからも、
どんなときも...
私の父親は僕の目の前でおいしそうに
「ごはん」を食べていました。
あの満足しきった表情ぜったい忘れることはないと思います。
さぁこれは怪我多き私の人生の
始まりの部分。
こんな私の素敵な生命力に感動したって方
GO~GO~ MORIYAMA GO