COTE D'IVOIRE

アビジャンに住んでいました(1999.3-2002.10)
サイト《象牙海岸にて》の続編を綴ってみます。

惜しかった!エレファント。

2006年02月12日 | 文化・音楽・スポーツ
2006年2月11日

アビジャンのサポーターも良くやったと思っているようす。
「先回はカメルーンに運がなく、コートジボワールにツキがあった。」
「今回はコートジボワールにツキがなかったまで、なんといっても開催地でのことだから、、、、」
それでも実力はコートジボワールの方が上と言いたいような、そんなコメントがrfi(ラジオフランスインターナショナル)から流れていた。
確かに惜しかった。でもあれでコートジボワールが勝っていたら、選手も、それにエジプトのザキのゴールにをファールにしちゃったチュニジアの審判もただではすまなかったかも、、これがジョークですまされないのが、熱くなるアフリカだろうか、
なにしろ優勝が決まったカイロの町はお祭り騒ぎで、ごった返しとのこと、
コートジボワールには惜しかったけれど、ワールドカップには期待できるという印象をサポーターに与えたような、そんな試合だったようです。

それで今回のCAN(La Coupe d'Afrique des Nations:アフリカ選手権)は優勝がエジプト、
準優勝がコートジボワールで、3位にナイジェリアそして4位はセネガルで終了です。

ファイナルはまだアップされていないけれど、これまでのハイライトが動画で紹介されています。
http://www.tv5.org/TV5Site/football/afrogoals.php

コートジボワール→トーゴ→アンゴラ

2005年12月05日 | 文化・音楽・スポーツ
いまさらと思ったのだけれど、記録として、遅ればせながら、、

最初はコートジボワールとの対戦を予定したのに、ドログバ選手が彼の所属するチェルシー(英)の100周年記念イベント出席で、訪日できなくなり、急遽トーゴとの対戦が発表された。これが10月17日、ところがその3日後にはトーゴではなく、アンゴラとの対戦と急変。
結果は1-0で日本の勝利。
試合はこちらを参照:
http://blog.livedoor.jp/satti18/archives/50234127.html

私としては、試合結果よりも、臨機応変に対応できる日本の仕組みに感心しました。

コートジ → トーゴ

2005年10月19日 | 文化・音楽・スポーツ
11月16日のキリン・チャレンジカップ、
なんとコートジボワールの代わりにトーゴとやることになりました。

コートジボワール戦を楽しみにしていた人たちにとっては、・・・言葉にもなりません。
確かにボクもまだチケットは購入していなかったし、迷ってはいたよ。でもね、来てほしかったなー。
昨日のRFIでは:
《「トーゴ、日本へ」鷹チームへのワールドカップ出場、最初のボーナスは、東京のスタジアム・・・。
日本は最初『不屈のライオン(カメルーン)』と交渉をしていたが、ライオンは敗退、エレファントの招待を希望したものの、有力選手の参加が保障されず、トーゴになった。》

欧州のあちらこちらで活躍しているエレファントの選手たちにとって、ベストメンバー集結の機会が難しいようで、、お国柄がしのばれます。
特にメインのドログバ選手(チェルシー/英)の都合がつかないとか、、残念。

おめでとう!エレファント!

2005年10月10日 | 文化・音楽・スポーツ
ワールドカップ初出場だよ。すごい。
10月8日、土曜日にコートジボワールがスーダンに3-1で勝ち、
同じ日、カメルーンがエジプトと1-1の引き分け。
ニュースでは出場を逃した、カメルーンの方が大きく扱われているよ。
カメルーンではスタッドから引きあげる選手たちは、軍の護衛がついたそうで、大変だったんだね。
「世界の終わりが来たわけじゃない。ライオンのタテガミは失っていない。」と言ったそうだ。
アフリカCグループは日本にファンの多いカメルーン、それにコートジボワールが同じグループで、1チームしか出場できないのだから、きびしい!
カメルーン、ほんと、タテガミに恥じない、素晴らしい試合だったよ。
そしてコートジボワール、この最悪の状況から生まれた最高の出来事に、おめでとう。!


モリ・トラオレの世界-2

2005年09月26日 | 文化・音楽・スポーツ
大事なことを書き残した。
《注意しな! 真実をめぐる本物の映像であれ、それは偽りの真実に過ぎない。

敵の姿をつぶさに観察してこそ、人は現状から抜け出す最良の戦略をみいだすものだ。私もその通りにしたおかげで、ついに哀れな者を理解し、愛せるようになった。    エロアール》

彼の言いたかったこと、チャンと冒頭に書いてあった。
原文を探したが見つけることができなかった。


今回の催しは東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所「地域研究による」『人間の安全保障学』の構築」事務局の主催により実現したものと理解しているが、資金は日本学術研究振興会から出たようである。
日本(外務省)は多額の人間の安全保障基金を国連に信託しているが、国際協力の枠でこのような催しがもっとできないものか、単に招聘してご馳走して「さようなら」の国際協力よりも相方に効果のある催しと考える。


注)国名の表示について、
今回の催しでは、『コートディヴォワール』と表記されていたため、これを使用する。
当blogでは一応、外務省にあわせたコートジボワールで表記。
(これもトラオレ氏の言われる文字書式表記による問題の一つ、口でCôte d’Ivoireと言えば済む。)

懐かしい人に大勢会うことができた。

モリ・トラオレの世界

2005年09月26日 | 文化・音楽・スポーツ
モリ・トラオレの世界(コートディヴォワール)
  司会:Mr. I. M.(東京外国語大学AA研)
案内のサイト(しばらくして消える可能性アリ)
セッションテーマ: 《危機と包容、あるいは敵対者への愛を忘れぬこと》

思ったより大勢の参加(200名くらいかな?)に、 近年の日本におけるアジア・アフリカ研究の盛んなことがうかがえた。
いみじくも長年コートジボワールを研究されたH先生が、コートジボワールでこんなに人の集まった場所にゲストで呼ばれるのは初めてとおっしゃっていた。

午後はアダ師匠の素晴らしい、ジャンベとバラフォンで始まり、 次に映画が上映された。モリ氏の話が中心の映画になっており、 そのまま見ると、政治演説か、e-learningのコンテンツのようにも写る。
この点は、上映前に司会者からも説明があった。

モリ氏としても、登場人物を増やすと、現状下では、その人に危害が及ぶかもしれないという配慮もあったとのこと。
私としては、あのような表象があっても良いと考えた。
映画の場合、監督は何らかの映像、音声等を使ってメッセージを伝えるわけで、
モリ氏の伝えたいのが、口承をベースとしたアフリカ文化が、文字を伴った外来文明に駆逐されようとしている、またそのような過去の歴史が続いてきたことをテーマとして、
口承(オラル)の豊かさを訴えたいこともあるわけで、
あのような方法も意味があるのではないかと考えた。
だからこそ、口承で綿々と伝えてきたグリオとの連係が重要であったはずであるが、
私も言いたいことが沢山あってその点をお聞きするのを逸してしまった。

映画のタイトルは『コートディヴォワール、希望の土地』
最初に考えたのはコートジボワール国家の一節、~♪・・Terre d’espérance♪・・~
シニカルなタイトルかと思った。しかしそうではなかった。
現在は最悪な戦争状態でもなく、かといって平和でもない。そのような状況の中で、人々は考え、反応している。
今こそが別次元の世界へと進むチャンスを持っている。そのような見方と理解した。
確かに、そのように見ることもできる。
しかし昨今の状況は、何れの政党指導者も自己の主張を繰り返すだけで、後は持てるパワー(武器と資金と人間)を計算しながら交渉しているようにも思える。人民の蜂起は考えられないのか、、。
真の希望の地に到達するのはまだ時間がかかりそうである。

平和のメッセンジャー

2005年09月25日 | 文化・音楽・スポーツ
コートジボワール国連軍がアルファ・ブロンディを「平和のメッセンジャー」と名付けたとか、
10月30日に予定されている大統領選挙の準備も進んでおらず、元軍参謀長のマティアス・ドゥエはバボに背を向け、各政党の党首は好き勝手なことをいい。
反乱軍にいたっては南アの関与が気に入らんとか、バボの出馬を拒否するとか、、。
この状態がいつまで続くのか。
おまけにJeune Afrique no.2332, du18 au 24 septembre 2005では「ベディエ、大統領を目標」と、見出しがついて、恐そうな彼の顔を載せている。
国連軍とアフリカ連合そして彼らが期待するのが「平和のメッセンジャー」アルファ・ブロンディとなるのだろうか、彼の奇跡を信じたい。

(Jeune Afrique no.2332)

マジック・システム

2005年08月19日 | 文化・音楽・スポーツ
2005年8月16日のこと、
車を運転していたら、小気味イイ曲がかかった。すぐマジック・システムと判る軽快なリズムとコーラス。声がいいとか、歌詞が素晴らしいとか、、特にコレというのがないのにイイ。
盛んにブジェ、ブジェ、、といいつつ、サビの部分ではどうやら
♪;;;,maladie de bouger bouger ・・♪♪ などと歌っているらしい。

カミさんが好きなグループでもある。
Premier Gaouが大ヒットした次の年だっただろうか、2000年かな、、新しく改造したTiamaホテルのプールサイドで彼らのコンサートがあり、ホテルの横には大きくてながーい白のリンカーンが停まっていたのをアパートの窓から見つけ、プールサイドがチラッと見えたりもした。

あれから社会情勢はともかくも、彼らは順調にコンサートを続けたり活動を続けているようだ。
CDを探してみよう、それとも最近始まったi-Tune で探してみようかな。
Premier Gaou、とbouger bouger。
http://www.paroles.net/artis/2133

ティケンジャ・ファコリ「バボの演説は良かったよ」

2005年05月09日 | 文化・音楽・スポーツ
2005年5月8日

あの反体制歌手というか、問題児歌手が「フラテルニテ・マタン紙(Fraternité Matin)」のインタビューに応じている。しかも内容は温和で、バボ大統領がアラサン・ワタラ氏の立候補を受け入れた演説を評価した内容になっている。
彼が反政府軍に加担していないこと、現在のフランスでの生活は彼自身の判断により、家族の安全上、止むを得ないとの事、次期大統領に誰が選ばれようと、民主的、透明な選挙による結果であれば歓迎するとのこと、かなり長いインタビューを行っている。
これがFM紙に報じられるというのも、大きな変化の一つといえそう。

Main source : Fraternité Matin : http://213.239.215.195/fratmat/content/detail.php?cid=SctCmz15sOR

頭の赤いトカゲ

2004年12月09日 | 文化・音楽・スポーツ
TV-5でコートジボワールのことをやっていたよ、と同僚が教えてくれました。アルファ・ブロンディもインタビューに答えていたそうです。
そこで彼が語ったというお話です。
ある森に、頭の赤いトカゲがどこかからやってきました。かわいそうに思った森の主は森のはずれに少しの土地を与え住まわせました。トカゲはせっせと野良仕事をし、その息子達も頑張りました。しばらくすると作物は良くできて暮らしも良くなりました。ところがそれをねたんだ森の仲間達は、森から出て行くように迫り、言うことを聞かない頭の赤いトカゲの畑を燃やしてしまいました。それでも森から出て行かないので、森の仲間達は追い出しにかかったのです。鳥も一緒になって空からトカゲを威嚇しました。トカゲは襲われないように火の近くへと逃げていきました。追いかけた鳥は炎に巻き込まれ、火の中に墜落し、火事は一層大きく燃え広がり、森一面に火が広がってしまいました。

どうやらこんな話が昔からあったようです。
その後、どうなったかの続きはなかったのか、、続きがあればこんなことにはならなかったかも知れません。