COTE D'IVOIRE

アビジャンに住んでいました(1999.3-2002.10)
サイト《象牙海岸にて》の続編を綴ってみます。

国連決議以降の動き

2011年04月01日 | 2010大統領選挙の後
国連決議以降の動きをrfiが時系列に整理してくれた。
(Source : http://www.rfi.fr/afrique/20110331-crise-ivoirienne-chronologie-dernieres-48-heures)

(上段が新しく、下段が古い、時刻はコートジボワール=標準時表記)

2011年3月31日

21h30  A.O.は国境を閉鎖する旨、発表。(次の指令が出るまで)
19h30  A.O.政府は、月曜の朝まで、21 :00~6 :00の夜間外出禁止令を布く。
19h00  国連軍はアビジャン国際空港を掌握。
18h20  G.S.首相は、バボ氏に対して「19 :00時まで」の辞任を求め、さもなければ捜索する旨の声明を発表。
17h30  USAは政府代表を通じて、両軍に「最優先事項として」市民の保護を要請。
17h10  ワタラ軍の戦車がテレビ局を掌握。
17h00  A.O.はバボ氏が降伏した場合の「身柄の保証」について約束。
16h30  フランス、外務大臣スポークマンは、バボ氏への「退陣の呼びかけ」を行い、アビジャンの戦いにより血の海になることのなきよう厳重に呼びかける。
16h25  G.S.は「勝負はついたのだから、数時間内に権力から退くよう」、バボ氏に対して声明を発表。
16h10  11月28日の選挙以降、A.O.の基地になっているホテルゴルフが、起動するとコートジボワール国連代表のチョイ代表から声明。
15h40  フランス軍は、バボ支持者からフランス人への攻撃に備えて、アビジャンを警護している。
15h10  「バボは降伏せよ。我々は居場所をつきとめ、刻々と迫っていく」とG.S.が通告。
15h00  G.S.はワタラ軍が「アビジャンを包囲した」と確認。
13h50  バボ側の多数の将官がワタラ軍に加わったと、G.S.が証言。
13h30  アビジャン近郊のバボ側憲兵の主要キャンプで、重砲が鳴り響く。
13h00  A.Oはバボ支援者に、アビジャンの要所はワタラ軍が包囲した旨、またワタラ軍に加わるよう呼びかける。
12h50  アビジャン刑務所が解放。
12h30  南ア外務大臣は、水曜日の夕方、コートジボワール軍参謀のフィリップ氏が南アの大使公邸(アビジャン)に亡命したと発表。
12h00  フランス外務大臣は、「国連に従い、流血を避けるよう」バボ氏に通告。
12h00  サルコジ大統領は4月1日午後に、首相、外務大臣等首脳によるコートジボワール関係会議を招集。
10h30  週初めから、コートジボワールの危機によりカカオ価格は9%下落。
08h00  ワタラ軍はカカオ出荷の最大港であるサンペドロを掌握。

2011年3月30日
23h00  バボ氏の声明延長。
20h00  バボ氏はTVを通じて国民への声明予定を発表。
19h00  G.S.はバボ氏に対して「数時間内の退陣を要求」、さもなければデモが実施され、バボ氏にとって不利な状況になる」との声明を発表。
18h20  国連安全保障理事会は、バボ氏及びシモン夫人他3名の側近に対する制裁と即刻辞任を求める決議を採択。

このような状況から、

「3/31(木)、事態は 矢継ぎ早に展開し、バボ体制が揺るぎ始めている」ワタラ大統領側のコミュニケはこのように発表したとのこと。
用意周到のバボ氏追いだし作戦に、少し引っかかるけれど、市民の流血が避けられ、このまま終結してほしいのは誰もが望むところ、
ともかく、先ずは安定に向かわなければ、、、どうにもならない。

それにしても、軍参謀フィリップ氏の亡命はインパクトが強い。彼をそのように仕向けたのが個人的利益とは考えたくないが、あの手この手で説き伏せられ、、さもなくば家族の安全も保証しない・・・
そんなところだろうか、2002年にはマチアス軍参謀が暗殺されかけ、、実際BBCは殺害されたと誤報を流し、少なからぬソロ(反乱軍)陣営へのへの勢いを与えてしまった、、まさに体制にとっての要だけに、いろんなことが推測される。

いったい、これで終わるのだろうか・・・

文中:G.S.(Guillaume Soro/ギョム・ソロ)、A.O. (Alassane Ouattara/アラサン・ワタラ)、L.G.(Laurent Gbagbo/ロラン・バボ)、

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